番外編 銀の遠吠え18
魔力を練り上げる。身の内を流れる魔の川からすくいあげた魔力を闘気と混ぜ合わせてより強いちからへと昇華させる。
イメージせよ。私はすでに見ている。
再現せよ、神化のちからを。
強固に練り込んだ魔力を全身に纏わせる。これに身の内側から闘気を発する。……発現したのは外殻魔装エンチャント・ガーラルの強化版にすぎなかった。それもコストパフォーマンスの悪い粗悪品だ。
昼間の光景が目に焼き付いている。竜の如きベルクスタインの暴威。光鳥の如きクラリス様の飛翔。あれなるちからを欲するのに理由はない。戦いの場にあって無力な観衆でいることは男児の恥だ。幼いからと守られるだけの存在ではありたくない。
しかし試せども試せども神化の発露には至らない。何かを間違えているのかもしれない。
明かりのない地下練兵場で一人黙々と神化の修練を積んでいると……
「精が出るな」
入り口の階段脇にガーランド兄上がいた。気配は感じなかった。いつから見ていたものか、提げている蒸留酒の瓶はほぼ空だ。
「神化ならば兄上を頼るがよい。横着の好きな御方ゆえ簡単な制御法の構築においては右に出る者はいない」
「今日は疲れたから勘弁してくれと言われました」
「それで一人で修練か。明日にしたらどうだ、お前とて疲れただろう?」
「弱いままでは居たくありません」
「ふん、男だな。……対外的には使えぬことにしてあるのだがお前ならば構わんか。俺が教えてやろう」
兄上が指を三本立てる。
三つの指は内在するちからを意味する。すなわち魔法力・闘気、そして―――
「神化の肝はスキルからちからを徴収するのよ。感覚的には闘気に近いが闘気とは異なる場所にある。いま理解するべきは其々のちからがどこからもたらされるか、この一点だ」
「それほどに難易度が高いと?」
「普段使わぬものを使うのだ。人によっては一生できん程度には難しいが」
区切りを入れた理由を考えれば苦笑も込み上げてくる。
つまりは俺が指導する限りにおいて習得できなかったなどいう弱音は許さん。これだ。
「俺が指導する限りにおいて泣き言は許さん。できるまで指導してやる。お前は幸運に恵まれているな、俺は優しいからお前がどんなに不出来であっても途中で見捨てたりはしないぞ」
「それ人によっては泣き喚きますよ?」
「かもしれん」
低い声音で笑い合う。他人が見たら後ろ暗い密談をしていると勘違いされそうだ。
兄上の立てた三本の指一つに青い炎が灯る。魔法の光だ。
「第一に魔力と呼ばれるものは大気中に存在する魔素を体内の魔力器官が、人間にも使いやすいように精製した物を呼ぶ。トロンからマナへ。マナこそが我らが使う魔法力の正体よ」
二本目の指に温かな緑光が灯る。生命の輝きだ。
「第二に闘気と呼ばれるものだがこれは我らが魂魄が発する生命エネルギーよ。魂魄から自然に溢れだした生命のちからは魂魄の周囲を真綿のように包んでいる。これを戦闘用術式に用いたものを闘気と呼ぶ」
魔力と闘気は私も日常的に行使している。
以前指導を受けた時は闘気戦闘術には向いていないと注意された。高位のスキルホルダーは総じて闘気の溜まりが悪い。それが何を意味するはわからないと濁されたが……
最後の指に暗黒の炎が灯る。樹系図のように広がりは消えてと不思議な燃え方をするちからだ。
「これが第三のちからスキルエクリプス。我らが魂魄をコーティングするように囲う未観測領域から徴収可能な不可思議のちから」
「未観測なのですか?」
「うむ、アシェラ信徒ならば知っていようが奴らも秘密主義ゆえ明かそうとせん。一応警告しておくが捕らえて吐かせるのはやめてくれよ。古来それをやって国内から鑑定師が一斉退去した例も枚挙に暇がない。悪徳信徒による報復攻撃もある。アシェラ神殿を怒らせた国は悲惨だぞ」
才能が見えれば才を活かすこともできようが、視てくれる者がいなくなればせっかくの才も埋もれてしまう。神殿は敵対者に容赦をしない。鑑定の有無は国力に大きな影響があるのだと警告されたが、どちらかといえばやりそうなのは兄上のほうだ。
「話が逸れたな。このスキルエクリプスについては俺も詳しくは知らん、だがフォークの出自は知らずとも食器であることを誰も知るように使えればそれでいいと割り切っている。それでよいか?」
「ええ、長々しい推論よりも使い方を教えてほしいです」
少し生意気な言い方だったが兄上は満足そうに頷いている。ドケチだから不確かな説明で修練時間を削るのは不本意なのだ。
「人は先に説明した三つのちからを有する。だが多くは使えて一つまでよ。これがなぜかと言えばちからを引き出す先を感覚的に学んだせいで、一つの手法に拘泥してしまうのだ。闘気術を使う戦士は魔法を理解できず、魔法を学んできた魔導師は闘気を理解できない。身の内にちからの根源が三つあると知らなくては発想的問題として思考停止してしまうのだ。俺には才能がないといったふうにな」
「才は関係ないと?」
「魔力と闘気に関しては才は不要。修練さえ積めば習得できる。だがスキルエクリプスに関しては才が必須。スキルから引き出すちからであるからだ。この意味においてはお前は恵まれすぎて……」
兄上が唇に手を置き、何事かを悩む素振りをする。
「兄上?」
「いや何でもない。まずはスキルの存在を感知せねば話にならん。身の内を探りて魔力でも闘気でもない第三のちからを認識するのだ」
スキルのちからを認識する訓練は不発に終わった。
強く発光する生命のちからに惑わされてスキルの輝きは見えず、魔力の蠢きに気を取られてスキルの囁きは聴こえず、スキルの存在さえ見つけられなかった。
翌昼にルーの親父さんが常春の宮に召喚されてきた。
◇◇◇◇◇◇
屋敷の応接室で親父さんが土下座をしている。
私もルーもグラスカール兄上でさえ言葉もなく、親父さんの悲鳴のような独白を聞き続ける。
「どうか私の娘をお返しください!」
「お父ちゃんなんで……」
「宮廷にあがれるような大層な娘ではありません。恥ずかしながら礼儀作法の一つも知らぬ平民の子です。フォン・グラスカール王太子殿下やフォン・クリストファー王子殿下にご迷惑をおかけするだけの愚図な娘です。両殿下のお召しはありがたく、ですがどうかお召しになるのだけはお許しください!」
「お父ちゃんどうしてわかってくれないの!? 私はシェーファの傍にいたいの!」
「てめえは黙ってろ! それからフォン・クリストファー王子殿下だ! いいか、二度とシェーファなんて軽々しく口にするな。俺がどれだけお前の身を案じているのか考えたこともねえのか!」
これが親なのだろう。娘のために死を覚悟してまで頭を下げている。
これこそが親の姿なのだ。私の知らない本当の親という存在。親父さんの願いはルーの幸せだ。王宮の侍女となれば相応の給金と箔付けになるはずだ。側室なれば親もまた姻戚と扱われ相応の権力を得るはずだ。
だが親父さんはルーを返してくれと頭を下げている。彼女の幸せはここにはないと確信している。
グラスカール兄上が謹厳な顔つきのまま、厳粛に問う。
「親心よな。ルオよ、そちの心配もわかるがルーシアは敏い子よ。今は未熟なれど励めば優秀な侍女となろう。これなるクリストファーを支える人材として王家に尽くしてくれるものだと信じている。ルーシアには栄達が約束されているのだぞ、なにゆえそこまで強固に反発するか」
「おわかりになられないのですか……?」
親父さんの目が窓の向こうへ。昨日のベルクスタインの造反による戦闘痕も傷ましい庭園を恐怖の眼差しで見つめている。
「宮廷は恐ろしい世界です。こんな場所で娘が生きていけるとはとてもではありませんが信じられない」
「お前の懸念は理解できるぞ。ルーシアの身の安全は」
「両殿下にはおわかりになられないのです。私達の弱さをおわかりになられないから軽くおっしゃる。仮に私の娘を人質にフォン・クリストファー殿下のお命をよこせとのたまう者が出たとして、応じられるのでしょうか?」
「卑怯な前提条件だ。そのような状況は発生し得ない」
「逃げはおやめいただきたい。私なら応じます。娘のためなら妻であれ私自身の命であれ差し出す覚悟をもってここにいるのです。私は死を覚悟して王宮を訪っております。失礼は承知の上でお尋ねする、両殿下にその御覚悟がおありになりますか! 私は―――たしかに平民だ、何の権威もない民草だ、だが命を懸けてここにいる! 貴方がたにその覚悟がおありとは到底思えない! 私から娘を奪う権利をお持ちなのは理解している。だが私は死をもってしても応じかねる! 殺したければ殺せ! だが娘だけは帰してもらうぞ!」
悲しくさえある。以前はあれほど強い大人に見えていた親父さんが悲しいほど弱く、稚拙な手でルーを取り戻そうとしている。
親父さんは死ぬ気だ。死をもって王家に関わる恐怖を教え、彼女に猜疑心を植え付けようとしている。ルーが本当に拒んだなら私なら無理強いはしないと読んだ上で……
私はただ信じてもらえなかった事だけが悲しかった。命など賭けずとも胸の内さえ開いてくれたなら応じるつもりであったのに……
「グラスカール王太子殿下、ルーシアを返そう」
「よいのか?」
「私には娘を愛する父からルーを奪う権利などない。あったとすればそれはおかしなことなんだ。そんな権利誰も持っていいはずがない」
私は王宮に来て多くのものを手に入れた。
しかし親子の愛情だけは手に入らなかった。王家の地位など、これほどに愛してくれる存在の前では何の価値もない……
「ルー、元気で」
「シェーファ私は」
「ううん、ルーは親父さんの下に帰るべきだ。……ルーの幸せを祈っている」
私はルーシアを王宮から下がらせた。
共にパン屋まで往き、抱擁をして別れた。胸に大きな穴が空いた。そんな気分だった。
◇◇◇◇◇◇
九月の半ばだというのに雪がチラつき始めた。
パン屋からの帰り道、ふと貧民窟に足を踏み入れる。倒壊と手直しを繰り返してきたくたびれた町は相変わらずの諦観と怒りが、静かに爆発する時を待つかのようだ。
路傍に座り込む幼い兄弟がいた。身を寄せ合ったまま動かない兄弟は凍えて死んでいるようだ。
パンの一かけらを口に含んだまま頭をかち割られている少年が路傍に倒れ、彼を引きずって暗がりに消えていく大人達。
以前仲間の誰かがここは地獄だと言っていた。ウェンディの弟エリックだったかもしれない。何も知らなかった私はそれに同意したけど今はちがう。
ここは迫害の町だ。強者の強いるルールに弱者が貧しさを強要された、怒りさえも許さない悲しい町。貧困と無教養が貧しさから逃れる方法を奪い取り、いまを必死に生きる希望のない町。
この町にありて私は生まれつき特別な存在だという理由だけで生き延びて来れた。
特別じゃなかった奴らは寒さに凍えて死んでいった。
大勢の顔見知りの顔が浮かんでは消えていく。いつだったか森での採集を教えてやった連中はある日森から帰ってこなくなった。共に夢を語り合った仲間達は物言わぬ死体となって私を出迎えた。
大勢の不幸が私を駆け抜けていった。なのに私だけが生き延びている。
切なさを抱いた帰路の途上、旧市街と新市街を隔てる正門の前で炊き出しが行われていた。
慈善事業に関心のある慈悲深いご婦人がたが騎士の警護付きで、即席の煮炊き場を作って寸胴を掻き回している。
温かなスープを求めて並ぶ人々は従順な犬のように四つの列を作って並んでいる。施しを受けた子供達が石階段に座り込んで嬉しそうにスープを食べている。……お前達の貧しさがこの者どもの敷いた掟によるものだとも知らずに。
学んできた教養があの光景を否定しようとしている心働きにふと気づいた。
一杯のスープが何になる。今一時腹が膨れたから何が解決する。……だがおいしそうにスープを口に運ぶ者達の姿だけは否定できない。
視察に訪れたのか炊き出しの責任者と話してたガーランド兄上が私に気づいて近寄ってきた。
「ボランティアに興味があるのか?」
「まさか」
否定すると苦笑される。
「俺も賛同はしかねる。ボランティアを悪いとは言わんがタダでメシを配るのはよくない。公共事業で雇い入れ給金をやる形であれば余った体力をほどほどに浪費させ、同時に就労により良い暮らしができると認識させられもしよう。ここに集まるご婦人がたであれば他にやりようもあるだろうと思うのだがな……」
一杯のスープは所詮一杯のスープでしかない。今一時腹が膨れたとて夜にはまた腹が減る。必要なのは彼らに収入源を与えること。人並みの生活を提示すること。
炊き出しに参加する貴族のご婦人がたが真に民草を想うならばそれを与えてやることもできるはずだ。こんなものは自己満足の偽善にすぎない。それはわかっている。
「でも皆は嬉しそうです。私はこの光景を否定したくありません」
「そうだな、俺もこの光景までは否定できん。あの一杯のスープに救われる者だとているだろう」
「ボランティアにご興味が?」
「まさか。そんな余裕があれば騎士団の資金に回すさ」
「でしょうね。そんなにも注ぎ込んでどうするのかと思うほどですが」
「足りんよ。どれだけ注ぎ込んでも足りるものではない」
兄上が私の瞳を覗き込む。胸の内を推し量るような眼差しだ。
「万人から貧しさを取り外す計画を建てている。豊穣の大地プラン、帝国総南下計画だ」
「総南下? 南の国土を獲ろうというお考えですか?」
「我が国は年々寒冷化が進んでいる。騎士団が試算したところ後50年の内にフォルノーク以北は人が住めぬ凍土と化す。総南下とは文字通りよ、南の国土を手に入れ段階的に帝国領を放棄する総移民計画だ」
50年という数字があまりにもピンと来なかった。
ずいぶんと大きな計画だ。この極北の地を捨てて温暖な土地への総移民。となれば相当規模の領土が必要になる。南方諸王国同盟ではまったく足りない。ワーブル王国を併呑してもだ。沿海州を有するルーエンツを呑み込み、さらに南下し神聖シャピロまで手を伸ばす必要もある……
「大陸に覇を唱えるおつもりですか」
「結果的にそうなるやもしれんな」
この人はわかっている。正気のまま狂気を目論んでいる。
支配領域を広げれば敵も増える。憎しみがさらなる敵を量産し、恐怖が敵ではないものまで敵に変える。大陸規模の征服戦争を始めれば世界のすべてが敵に回る。
普段はいがみ合う国家同士がモンスターパレードの脅威に結束するのはなぜか。放置すれば我が国まで滅ぼしに来るとわかっているからだ。帝国がモンスターパレードとはちがうと誰が信じられる。下手をすれば中央文明圏の五大国すら敵に回すことになる。
「我が道に立ち塞がる者あらば悉くを斬り伏せる。屍山血河を築き天下の大道としようではないか」
心臓がじくりと痛む。信じてきた人は悪魔だった。
兄上の美貌には野心の色はない。狂気も熱情もなく、ただ必要だから為すと書いてある。悪魔が悪行を恥じるものか。地獄に住む悪魔にとってこの世が混乱に陥ろうと何を悪びれるものか。
帝国の民を救うために世界のすべてを生贄に捧げようとしている。……この人は悪魔だ。
「後世俺の名は悪魔として語り継がれることになろう。人生を賭した大事業となるだろう。だが大量の死に勝る幸福を約束する。いま死に往く民を見捨てる代わりに百倍千倍の民に幸福をもたらす。この貧しさの連鎖を断ち切り、永遠の春を手に入れる」
「兄上、もう止められぬのですか?」
「止まれば遠からぬ死が待つのみよ。座して滅びるのを待つか? お優しい何者かが手を差し伸べてくれるのを待つか? 誰も救ってなどくれんよ。自らが自らを救わねばならんのだ。帝国の未来に責任を負う、それが帝国支配階級に生まれた俺達の義務だ。……俺もグラスカール兄上もお前には期待しているのだ」
「……私に何をせよと」
「我らと共に覇道を往く将となれ。特級の始祖と守護竜のちからを携えし運命の王として、大陸を制覇するのだ。お前はそのために生まれたはずだ」
ちがう……
反発するように感じたのは拒絶。私の命の意味はそんなものではない。私にはそんな覚悟もなく、責任を負うつもりもない……
本当の願いを己の内にずっと問いかけてきた。その度に思い出す楽しかった思い出が胸に甘く響いた。
どうしてかレティシアに会いたくて堪らなかった。