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番外編 銀の遠吠え09

 シェーファ(7歳)

 貧民窟の王子様。D級冒険者。二年前に比べて背丈もだいぶ伸び、いっぱしの冒険者として小銭稼ぎの日々を送る。アケロンファミリーの後ろ盾を得て活動するいっぱしのヤクザ者。



 レティシア(11歳)

 可憐なるレティシアの二つ名はいまだ定着せず。ぐぬぬぬ……

 狂犬の名で呼ばれるE級冒険者。相変わらずの暴走&お騒がせ娘ぶりに拍車がかかる。配下30人を超える巨大徒党『銀犬団』を率いる貧民窟の大物。……世間からは野犬の群れと認識されていて怖がられている。



 クラウス・リンデマン(11歳)

 銀犬団の会計を担当する美貌の少年。元は貴族階級だったが奴隷まで落ち、野うさぎの夜会のサクラをやらされていた少年。行く宛てがなかったのでレティシアに拾われて仲間になる。どうやらレティシアにほれ込んだらしいがやめとけ……

 シェーファをライバル視している。



 アーデン(9歳)

 孤児。銀犬団の食事係。平民狩りに遭い孤児となり、銀犬団に身を寄せる。そんないきさつを語れば公共炊事場の奥様かたも涙を流しながら色々オマケしてくれる、自分のセールスポイントをわかってる系の愛くるしい少年。レティシアとシェーファを慕っている。



 ルーシア(12歳)

 旧市街のパン屋の娘。シェーファに対して強い独占欲と依存性を抱え込む。失うことを恐れる性は過去に弟が病死したせいだろうか。



 ドロア・ファイザー(37歳)

 帝国騎士団団長。旧時代神話に基づいた極限凍結魔法を得意とする最強の魔法剣士。氷の悪魔の異名を持つ帝都の守護神。未婚。

 五月を迎えた帝都郊外の森は青々とした葉をつけ、涼風に吹かれて心地よさそうだ。さらりさらりと揺れる枝葉から落ちた陽光が、大きな黒虎の騎乗する兄妹を照らしている。


「残念だわ。本当に残念~~」


 妹は最近すこぶる付きに機嫌がいい。

 天使のように甘いソプラノが残念残念と連呼している。ちなみにこれは旅の終わりを惜しむものではなく、もっと続けようと催促しているのだ。


「もう着いちゃったのね。もう少し旅行を楽しみたかったのにぃ」

「そうごねるな」


 兄はむすっとしてる。でもこれは不機嫌ではなくいつもの顔で、本当に単純に表情筋がサボってるだけだ。


 見る奴が見ればきちんとわかるくらいの微笑を湛えながら妹の宝石のような赤毛を手櫛で梳いてやる。お髪に入れた指がルビーに変わったと勘違いするほどの真紅の魔法力が指にまとわりついた。

 この輝きを綺麗だと思うのは自然なことで、可愛い妹の催促を無下にするのは難しい。


 気持ちよさそうに髪を梳かれている妹が心地よさそうに目を閉じている。ガーランドは妹ロザリアから寄せられる無垢な信頼を理解しながら、複雑な心境で言う。


「休暇ならいつでもとれる。また連れていってやるからそうごねるな」

「マクローエンに?」

「うむ、いずこなりとねだるがいいさ」


 この旅行の目的はさっさと領地に戻りやがったリリウス・マクローエンのスカウトだったが不発。ロザリアがあっさり言いくるめられたせいだ。

 スカウトは不発。仕方ないので色々と観光しながら帰ってきたわけだ。


 思いの他のんびりした時間がとれ、ロザリアも喜んでるので得る物がなかったわけではない。なにしろ妹のご機嫌は金では買えない宝物だ。騎士団に入ってからは色々と忙しくて構ってやる時間をとれなかったので、今回の旅行は大成功といえる。


「そーいえばお父様が今年の夏はイストリアで過ごすとおっしゃってたわ。おにーさまも来てくださいます?」

「夏場の騎士団は大忙しだ。別の季節ならな」

「えー」


 断った理由は真実と嘘が半々。ガーランドは父アルヴィンと不仲であるし、東方の商都イストリアでの滞在となれば目的はイースの大旦那との商談だろう。


 イース侯爵家は帝国貴族ではあるが既存の階級制度からかけ離れたイレギュラーだ。その財力も太陽の血統も帝国皇族よりも遥かに格上。となれば父の真意も僅かながら推し量れる。


 イース侯爵家の跡取りマティアス・イースは今年で13歳。貴族にとって年の差六つは誤差の範疇。ロザリアとマティアスの初顔合わせの面が大きいはずだ。


「ロザリア」

「なぁに?」

「結婚相手はどんな男がいい?」

「おにーさまがいいわ」

(その愛らしいセリフの後におねだりをされれば抗える気がしないな)


 休暇の延長もやぶさかではない。


 詳しく聞き出してみるとガーランドくらい頼もしくて、ガーランドくらい優しくて、ガーランドくらいカッコいい子がいいらしい。兄はむすっとしてるけど内心ウキウキしてる。


 同時にあのボンクラでは無理だなと父の暗躍を無下にするように結論づけた。マティアス・イースは侯爵家長男の肩書きに相応しい増傲慢な気位の高い小僧だ。ロザリアとは気質も合わない。


(そういう意味ではリリウス・マクローエンの慧眼には恐れ入る。事によれば我が父アルヴィン・バートランド公爵よりも良い目をしている。……やはりハイクラスの未来視ホルダーか?)


 調査によれば四月初頭、バートランド公爵本邸でのロザリアの生誕記念パーティーでリリウス・マクローエンは情報収集をしていた形跡が見つかった。


 クロード・アレクシス侯爵家長男。アベル・ティルカンタ侯爵家次男。エベット・リナリー伯爵家次男。これはいずれもロザリアと同世代の、将来婚約者候補にリストアップされる可能性の高い人物だ。加えてシャルロッテ・バイエル辺境伯令嬢も探していたようだ。


 リリウスはこれら人物の他にも幾つかの名を挙げていた。


 クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジア、このような名の皇族は聞いたこともない。


 レグルス・ルーリーズ、奴がどうして発足したばかりの秘密諜報部隊の呼称をさも家名であるかのように扱ったのかは不明にすぎる。


 アーサー・ベイグラント、どうして西方五大国アルチザン家の者を探していたのか見当もつかない。


 気になってベイグラントの貴族名鑑からアーサーの名を探してみれば第八王子に該当する名前があり、果てしない疑惑の歯車がカチリと噛み合うかのようにロザリアと同い年だとわかった。

 貴族名鑑を広げながらこの名を発見した瞬間のガーランドの戦慄は計り知れない。


 リリウス・マクローエンには得体の知れない不気味さがある。

 しかし所詮は子供で知恵は浅い。情報収集の方法がパーティーの名簿を扱う使用人に直接尋ねるというド直球なやり方だったのは微笑ましい。なによりロザリアの婚約者候補を調べる辺りもじつに好ましい。ガーランドはこれを妹に惚れたなと解釈した。


 ならばロザリアに説得させれば簡単かと思ったがリリウスはこの勧誘を断った。


『運命を感じてますよ、俺はきっとロザリアお嬢様のために死ぬんだろうって』

『俺は運命に抗いたいんです』


 疑念が確証に変わるようなセリフだ。皇室の文献には特級の未来視ホルダーの記述には様々な予言と結果が記されていた。彼の有名なアルスの予知姫リーナは手に触れるだけでその者の死の瞬間を予言したという。


 未来視スキルのほとんどは本人にも制御が利かない。時間と空間に関連性はなく結果だけをヴィジョンとして映し出す。明日の天気を視るだけの木っ端予言者もいれば死の瞬間を視る予言者もいた。

 これらに共通するのは過程の欠如だ。


 未来視は一枚の写真のようなもの。何がために死ぬことになるか、何が原因でそれが発生するのかまでは見えない。


(リリウスは己の死をすでに視ているのだろうな。そしておそらくは俺の死すらも予見している節がある)


 奴は約束をした。いつか必ずロザリアの下に戻ると。運命を覆すちからを得てロザリアの騎士になるために戻ってくると。往くのではなく戻ってくる。ロザリアは気づいていなかったがじつに小気味よい言い回しだ。自分の居場所はロザリアの傍だと心に決めているのだ。


 ならば待つのが上策とスカウトを保留して帝都に戻ってきた。

 向かう時と同じく何も持たぬ帰還であるが大きな味方を得た気分だ。あの者はきっとガーランドとロザリアにとって大きなちからになる。不思議なまでの確信がある。


 帝都へと戻り先にロザリアを実家に送り届ける。別れたくなさそうな妹だったが近い内の再会を約束して別れ、騎士団本部の旅団長室に顔を出すと……


「閣下、ドロア団長がお呼びです。帰還次第至急出頭するようにと」


 副官のウェーバーが溜まった書類決済よりも先にそう言ってきた。

 かつての相棒も副官気分が落ち着いてきたようで、今では以前のタメ口なんて利きもしない。


「それはいつの言伝だ?」

「春節が終わってすぐでしたか」

「ではすぐに往かねばならんな。どのような案件かは?」

「仔細は話せぬとの事」


 一月余りの期間が空いても出頭命令に取り下げなし。つまりはガーランドでなくてはならない仕事。まず厄介事だろう。

 団長室に顔を出すと、漆黒のナイトドレス姿のドロアがジロリと睨んできた。


「あんたは必要な時にはいないね」

「このていたらくでは返す言葉もありませんな。手遅れでしたか?」

「いや時は関係ない。もう七年も八年も前の話だ、いまさら月を跨いだくらいで手遅れであるものかよ」

(緊急ではなく重大案件か。先生がピリピリしているのはいつもの事だが……)


 ドロアが一枚の書類を放り出す。

 書斎机の上を滑ってきた書類を確認する。どうやら鑑定結果のようだ。騎士団がアシェラの鑑定師に依頼することはままある。彼女らは政治には不介入が原則だが治安維持が目的であれば金を積めば従軍鑑定師として働いてくれることもあるからだ。


 だがこれは……


Name: クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジア

Age: 7

Appearance: 銀髪の美少年

Height: 152

Weight: 41

Weapon: キュジーの殺人ナイフ(品質D) 投げ刀子(D)

Talent Skill: 神々の末裔S 剣術S アレクシスの加護S レスカの加護SS 光の囁きD 疲労回復A 氷属性特化A

Battle Skill: グリードブレーサー(熟練度C)

Passive Skill: タフネスD 機眼E


LV: 13

ATK: 280

DEF: 434

AGL: 512

MATK: 1844

RST: 562


 来歴:父は現皇帝レギン・アルターク。母はエレアス・ドゥナメス子爵家令嬢。


 一読した瞬間に雷撃に打たれたような衝撃を受けた。


(クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジア……? こいつがリリウスめが探していたという皇族か!)


 いつも表情筋がサボってるガーランドが目を見開いて驚いている。ドルジア帝国皇室に稀に発現する血統スキル、それもSクラスホルダーに驚いているのだとドロアは勘違いする。


 氷の魔女ドロアは重々しいため息をつき、同じ悩みを共有できたと誤解しながら言う。


「裏はとってあるよ。まぁ裏を取るもクソも現に神々の末裔を持っているんじゃ疑いようもないがね。こいつの父は我らが好色王陛下、母はエレアス・ドゥナメス子爵家令嬢。エレアス嬢が宮廷の行儀見習いに出ていた時に孕んだようだね」


 側妃ですらないのか。だが側妃であれば齢七つまで埋もれているはずもない。加えてドロアがガーランドにのみ明かしたのであればまともな出自ではあるまい。


「こいつはどこで発見されたのです?」

「帝都貧民窟さ。身ごもったエレアス嬢は帝都内の子爵家の屋敷で秘密裏に出産、その後は醜聞を恐れてこいつを冬の水路に投げ捨てたんだそうな」

「……よく今まで生き延びていたな」


 鑑定シートの内容を精査すれば異常だらけだ。まず年齢に対して身長が異常に高い。パラメータに至っては訓練を積んだ騎士レベル。オーラアーツまで使いこなしている。才に恵まれたでは説明にならない。その身に帯びる莫大な魔法力が成長を早めたとみるべきだ。


 だが問題はここではない。

 皇室の慣例に照らせば血統スキルホルダーは継承権上位にくる。最低でも長子扱いだ。血統スキル保護の観点からも確実に皇位継承に食い込むはずだ。……内乱を恐れるなら先に芽を摘む選択肢もあったはずだ。


 高位の血統スキルホルダーから血統スキルホルダーが生まれやすい。いにしえのちからを衰えさせてきたドルジア皇室にとってこの異常な異分子はかつての栄光を取り戻す契機にもなりえる。


 問題はそれをよしとせぬ者達の蠢動だ。

 皇室にちからなど必要ない。皇室は傀儡であるべきだと考える者どもの頂点にいるのは他ならぬ父アルヴィン・バートランドなのだ。


「ドロア先生はこいつをどうするおつもりですか?」

「フォン・グラスカール殿下に一切をお預けするつもりさ」


 妥当な判断だ。帝国の一大事を決める権利は次代の皇帝にこそある。

 だからドロアはガーランドの帰還を待っていたのだ。帝国第一王子フォン・グラスカールの乳兄弟であるガーランドから内密に打診し、その裁可を得るために。あの薄気味悪い宮廷貴族どもにこいつの存在を気取られぬようにと思えば、普段から宮廷に出入りしているガーランドの立場が必要だったのだ。


「ガーランド・バートランド旅団長、貴様の休暇を二月延長する。その間にこの案件を処理しな!」

「承った」


 運命はこうして紡がれる。

 人の意志など所詮は一本の糸にすぎない。大勢の思惑が織り上げた運命はさながら蜘蛛の巣のように誰かの運命を絡めとる。


 シェーファが何を望んだとて、レティシアが何を願ったとて、ダーナの織り糸の前ではあまりにも無力だ。



◇◇◇◇◇◇



 徒党の名前はこないだようやく決まった。銀犬団だ。レティシアが散々抵抗したけど……


「名前的に一番売れてるシェーファを推したほうがいいだろ。こいつ旧市街の姉さん方に人気だし」


 というクラウスの発言が空気を変え、レティシア以外の満場一致で決定した。多数決の勝利である。みんな愉快な下僕どもだけはいやだったんだ。


 名前が変わっても日々の仕事は変わらない。肉が尽きかけたら朝早くに森にいって鹿や熊を捕まえる。今日の獲物はワイルドスタンプだ。


 でかいブタを担いでいつものようにメセタリーで解体作業。婦人会もいつもの面子。第二子を妊娠してお腹がだいぶ大きくなってきたメリーさんに少しだけ触らせてもらった。


 帰りはレティシアとその話ばかりをしゃべってる。


「すごいな、あの中にひとが入ってるなんて想像もつかないや」

「そうねえ。本当にすごいよねえ」

「どうやって出てくるんだろ?」

「……口から?」


 想像してみたけどうまく思いつかなかった。子供って口から出てくるんだ。びっくり。って思ったけどレティシアもちゃんとは知らないらしい。


「産まれるとこ見せてくれるかな?」

「どーだろ、突然産まれてくるみたいだし無理じゃない」

「そりゃ残念」


 こうしてみると旧市街も子供が多い。ママに手を引かれて歩いているちっちゃな子を見てると可愛いね。


 子供がいれば親がいる。それはとても当たり前のことだ。でも僕ら貧民窟の子には親がいない。僕みたいに親の顔なんて見たこともないって子もけっこういる。……ずっと不思議だった。


「僕にも親がいるのかな?」

「そりゃいるでしょうよ。なによ会いたいの?」


 ずっと考えてきた。

 自分にも親がいるのか。いるならどうして捨てた? 理由があるのか理由さえもないのか。会いたいと思ってくるだろうか? 会いたいと言えば会ってくれるだろうか?


 たくさんの想いがグルグルした結果よくわからなくなったりしたけど、今日の体験で答えは決まった。


「会いたい」


 お腹に触れている時のメリーさんの優しい微笑みを見て母とはあんなにも美しいものなのだと感じた。恨み事を言うつもりはない。非難なんて絶対にしない。ただ会いたい。自分がどんな女性から産まれてきたのかを知りたい。


「そう、会いたいんだ。……あんたの鼻で居場所がわかったりしないの?」

「それはダメだった。やっぱ姿がイメージできないと見つけられないみたい」

「そっかあ。この帝都のどこかにはいるんでしょうね」

「たぶんそうだと思うけど……」


 意外と頭のいいレティシアからも提案が出てこないんじゃ手詰まりだ。

 長い沈黙のあとに彼女が空気を入れ替えるみたいに言った。


「じゃあ初めからいないのよ」

「いないってことはないと思うんだけどね!」

「ううん、いないの。あんたの世界一の鼻でもわからないことなんかよりお金になることしましょ!」


 レティシアはいつだって前向きだ。足踏みしてるくらいなら小銭を拾えが信条だ。

 1ボナにもならない妄想よりも実利的な話をしようとした時、ふと世界が歪んだ。……正確に言えば世界が歪むほどの圧力が出現したんだ。


 住処まで目と鼻の先という暗がりに黒衣の大男が潜んでいた。魔法的なヴェールを一枚外しただけで裏通りは軋み、あらゆる物質が撓んでいる……


 波打つ茶色の髪は長く、整った顔立ちには一切の甘さがない。まるで死を告げる吹雪のような圧倒的な存在感だ。いつかの吸血鬼事件の折に手伝ってくれた騎士だが……


 あの人また強くなってない? 嘘ぉ、ここまでくるともう人間じゃないんだけど……


「あれいつかの騎士様よね?」

「うん、てゆーかあんなの一度会ったら忘れられないよ」


 レティシアの頬もヒクついてる。強大なモンスターの圧力を受けて平静を保っていられるはずがない。……こわい。


「会いたいのか?」

「え?」

「……それ、シェーファのご両親に心当たりがあるって意味ですの?」


 騎士がニヤリと口角を引き上げる。僕にはそれが鹿が罠にかかった時の狩人みたいな微笑みに見えた。


「相違ない。俺はそこな小僧の兄君の使いで来たのだ。先に君達の疑問に答えるならシェーファ、君の父母は存命だ。今もこの帝都におられる」


 まだ見ぬ父と母、それに兄が帝都にいる。……会いたい。どんな人達なのか、どうして僕を捨てたのか、知りたいと強く想った。

 魔王みたいな騎士が指折り数え始める。


「君には二つの道がある。一つ、俺と共に往き己のルーツを知る。二つ、貝のように目と耳を閉ざして真実から遠ざかる道」


「……よいのですか?」

「何がだ」

「騎士様はシェーファのお兄君の命で来られたのだと仰いました。なれば手ぶらで帰る形となってもよいのかとお尋ね致しました」


 レティシアの指が僕の手を強く握りしめる。手放すまいと強く握る指は震えている。……僕の答えを察しているからだ。


「レティシア、僕は騎士様についていくよ」

「あんたは何もわかってない!」


 レティシアが怒鳴り出した。こぼれる涙の意味はわからない。


「あの騎士様があんたには何に見えるの!? どう見ても旅団長や師団長クラスよ。あんな人を顎で使える立場の人なんて貴族にもそうそういないわよ。もっと上なのよ。下手をすればインペリアル・デューク。ううんもしかしたら―――」

「でも僕は会いたいよ」


 レティシアの危惧するものはわからない。彼女のことだし納得できる理由があって反対しているのかもしれない。


 でもずっと求めてきた答えが目の前にあるのに、真実から目を逸らすことなんてできなかった。


 この日僕はガーランド・バートランドの手を取った。……ずっと後悔してきた。この日彼の手を取った事を僕はずっと後悔することになるのに……


 この時の僕はあまりにも無知だった。



◇◇◇◇◇◇



 帝都フォルノークは貴族街の丘、その頂点に君臨するクリスタルパレスの中の光景には驚きしかなかった。

 町だ。町なのだ。王宮の広い敷地には背の高い塔が並び、大勢の貴族が出入りをしている。


 ガーランドは何も教えてくれない。ただ僕の手を引いて狭い階段をあがったり下ったりしている。迷宮。そんな単語がふさわしい場所だ。


 細く長い通路を往けばパァっと視界が開ける。


 見下ろすは五色の花々の咲き誇る大庭園。その奥には帝都新市街の全景が広がる。

 僕らは40段の水晶階段を降りて大庭園へ。


 大庭園には水路が流れている。通路は一枚の板のように切れ目のない床材が敷かれ。花壇では愛らしい少年達が草花の手入れをしている。


 ふと思ったのはこの世ならざる場所という感覚。楽園という言葉はまだ知らなかったけどここはそう呼ぶにふさわしい場所だ。


 大庭園の中心には泉がある。泉の真ん中に浮かぶ小島へと架けられた水晶の橋を渡ればクリートノース様式のテラス。テラスにはこの大庭園の主がいる。


 大庭園の主はなんてゆーか中々人間離れしたシルエットだ。大食漢や肥満という言葉よりもよく肥えたオークって感じのどっしりした姿だ。しかしオークとはちがって顔立ちは優しげだ。太ってはいるけど顔立ちは気品が溢れ、痩せたらかなりの美男子だと思う。


 ここまで僕の手を引いてきたガーランドが欄干の側に寄る。この先は自らの足で進めという意思表示だ。


 大庭園の主が「ぷひ」と鳴いた。……やっぱオーク?


「ぶひひひ。よく来たな、まぁ座ってくれたまえよ」


 水晶の屋根に覆われた小さなテラスにはソファが二脚と小さな椅子が一脚。大庭園の主が使うソファの対面に置かれた立派なソファに腰かけるのは気が引けるので、間に置かれた小さな椅子に座る。


「バカモノ、それはテーブルだ」

「え?」

「よいよい、子供用の椅子にはちょうどいいサイズだ」


 どうやら僕が座ってしまったのはチェス盤や紅茶を並べる遊戯机らしい。

 肥えた豚みたいな大庭園の主が身を乗り出してじぃっと見つめてくる。誰なんだろ?


「フォン・グラスカールである」

「シェーファだ」

「ぶふふふふ」


 ブタ男が笑い出す。なんとも愛嬌の人だ。人に笑われると不愉快になるものだけど、この人に笑われると気に入られたのかもしれないと僕まで笑顔になれてしまう。

 この人は見た目こそとんでもないけど、人を惹きつける魅力があるんだ。


「銀の犬それはお前の本当の名前ではない。お前には母から与えられた名前がある」

「なんていう名前?」

「クリストファー」


 ブタ男が傍仕えの少女が差し出してきた分厚い聖典を広げる。

 古びたページに描かれた偉大な英雄を指す。


「この御方もお前と同じクリストファーという。クリストファー・ブレダ、遥かな昔我らが始祖皇帝ドルジアを支えた騎士と同じ名前なのだ」


 ブタ男の声は心地の良いアルトテノール。語るのは何百年も昔のおとぎ話なのに今目の前で起きている出来事みたいに鮮明な色遣いを帯びている。


 おとぎ話とはドルジア帝国皇室の来歴、始祖皇帝ドルジアの物語。

 癒しのアルテナ、剣のフォルトナ、運命のダーナ、怒りのトール、勇敢なるアレクシス、光のドゥシス、これらエプツール六大神の寵愛を受けた若き英雄『剣帝ドルジア』は氷竜レスカと六人の仲間と共に魔人領域に乗り込み悪神を討ち、偉大なる帝国を建国したらしい。


 それだけ聞くとすごい人だ。ギャップもすごい。だって僕の中ではいつかの人形劇で見たとおり吸血鬼の女王アルバンを散々利用してポイ捨てしたゲス野郎だったもん。


「お前にもドルジアの血が流れているのだ」


 ん……?

 僕はゲス野郎の子孫なの? え?


「お前の真の名はフォン・クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジア。大ドルジア帝国第12王子であるのだ」


「……ではあなたは?」

「腹違いだがお前の兄だ。フォン・グラスカール・ブレイド・ザ・ドルジア、帝国第一王子である」

「え~~~~と?」


 理解が追い付かない、という戸惑いもある。これもある。

 でも僕の中では以前ルーから指摘された将来ああなりそうで心配という嘆きが……


 え、僕ポイ捨て野郎の子孫なの? 本当に?


 だから僕の戸惑いの多くはあの時のルーの心配が本当になりそうというもので、かなりのショックだったんだ。

 


◇◇◇◇◇◇



 大庭園の奥に佇む屋敷に招かれた僕はブタ王子様に個室を宛がわれた。ブタ兄様と呼ぶべきかもしれない。なんの実感もないけど。


 兄弟と教えられても違和感しかない。特徴と言えば銀髪と青い目だけで、年齢差は18歳だ。父だと言われたほうが違和感も少なかったと思う。


 僕に宛がわれたのは大きな部屋が一つと三人の侍女。屋敷の使用人も適当に使っていいらしい。

 これも違和感の一因だ。もしかして僕ここで暮らす話になってる?


 この疑問をガーランドに尋ねると鼻で笑われた。


「殿下はどうしてここに来たのかさえ覚えていないと見える」


 ガーランドはブタ王子様との邂逅から僕を殿下と呼ぶようになった。示すべき態度があり、帝国貴族である彼は皇室にこのような態度を取るのだ。やめてと言って聞いてくれるような男ではない。


 ただ殿下と呼びながらも卑屈になったりはしない。慇懃無礼にして傲岸不遜、だがそんな態度でさえ颯爽とした快男児。それがガーランドという男なんだ。


「父母に会いたいのだろう?」

「うん」

「だがな、殿下の父は皇帝陛下なのだぞ。礼儀作法も知らぬ野良犬も同然の殿下を宮廷に連れていき謁見を申し出ては笑いものになるだけだ。それはわかるな?」


「うん。……僕はどうすればいいの?」

「まずは礼儀作法を身に付けることだ。最低限ではない、宮廷の誰もに帝国王子と認めさせるだけの威を備えたならフォン・グラスカールと共に謁見にあがっていただく。つまりしばらくは屋敷に滞在してマナー講座というわけだ」


 なるほど。簡単に考えていたけど会おうと思ってもすぐに会えるわけじゃない。

 貴族社会の大変さ、いや王族なのか。まだ実感がわかないな……


「アイリーン嬢、この者の教育を任せてもよいか?」

「ええ」


 侍女の一人が進み出てきた。シックな侍女服なのに一目で平民とはちがう威圧を備えた女性だ。……ものすごく冷たい目で見下ろしてくるなあ。


「野良犬同然の王子様を厳しく躾けて芸を仕込めばよいのでしょう?」

「野良犬って……」


 アイリーンの双眸が細められる。こわい。


「殿下、わたくし二度は申しませんので心してお聞きなさい。口答えはなりません」

「はぁ……」


 いたっ、教鞭で叩かれたぞ!?


「返事さえまともにできない! その様で帝国王子など誰が認めるというのです。語尾は伸ばさず、ハイとしゃっきりお答えなさい!」

「ハイ!」


 また鞭で打たれたぞ!? なんでぇ!?


「殿下わたくしアイリーン・セルジリアは殿下の忠実な臣下でございます。帝国第12王子であらせられる殿下のお立場を考えればわたくし如き侍女への返事は『うむ』または『そのように気を配ろう』でよいのです!」

「でもさっきハイって言えって言ったじゃないか!」

「それは口答えですわね?」


 また鞭で打たれた! 何なんだろうな!?

 ガーランドが快活に笑っている。何が楽しいのかちっともわからない!


「そこなアイリーン嬢の礼儀作法は俺からしても油断ならぬほどに完璧だ。彼女の手ほどきを信じてプリンスとしての品格を身に付けるといい」


 ガーランドが去っていった。

 取り残された僕はこのあと大変な目に遭わされるのだがこの時の僕は……


 ひしひしと感じ取ってたよ!



◇◇◇◇◇◇



 正午すぎ。旧市街のパン屋を訪れた一人の騎士により店主も看板娘も困惑の極致にあった。


「帝国第12王子、シェーファが……?」

「うむ。まだ正式な発表は控えているがあの者は皇帝陛下の御落胤である。無論これには緘口令を敷く」


 ガーランドが金貨の詰まった革袋をカウンターに置く。口止め料もしくは謝礼金かもしれない。

 貧民窟の王子様を調べればまず最初に出てくるのがベーカリーとの関係性だ。銀の犬を最初に認めた人達であり、彼の生存に大きく貢献したと見做された。そう判断していい。


「我が言を代弁とし帝国第一王子フォン・グラスカール殿下の御言葉を拝聴せよ。帝都穀物職人ギルド会員ルオとその娘ルーシアの働きには格別の謝意を述べる。その善意と慈愛は帝国臣民たる者の鑑であると確信し、些少ではあるが金子をもって功に報いる。これよりも正しく生き皆の手本となるを望む」

「あ、ありがたく拝領いたします。……騎士様、シェーファはどうなるのでしょうか?」

「あの者はフォン・グラスカール殿下の庇護のもと王族として生きていく。ルオ、お前の危惧するところはあの者の扱いか?」

「……」


 そうだとは言えなかった。宮廷で王族の中で新参のシェーファがいじめられるのではないかなど、平民の身分で口にできるものではない。

 それこそ不敬。雲上人の行いを批判するなど平民の分際で許されるはずがない。


「安堵するといい、第一王子殿下の慈しみはあの者を守護する盾となるであろう」

「あ……お気遣い感謝いたします」

「よい、お前が真に真心を持つ者であるなら当然の懸念だ」


 ガーランドがそれだけを置き、去ろうとする。

 このタイミングしかなかった。父から口を開くなと命じられていたルーシアにはこのタイミングしかなかった。


「シェーファは本当に王子様だったの!? 何かの間違いじゃないの!?」

「やめろルー!」


 店主が大慌てで愛娘の口を塞ぐ。ジタバタ抵抗するルーシアだったが塞がれた口は開けない。貴族相手に機嫌を損ねるような不敬を働けば命を取られても仕方ないからだ。だから店主は渾身のちからを込めて愛娘の口を塞ぐ。あとで痕になっても不思議じゃないちからでだ。


「娘の非礼まことに申し訳ございません! ご不快は当然のことながら何卒! 娘にはよく言い聞かせるのでどうか!」


「お前達はあの者の恩人といっていい。ゆえにこの措置で留まったと心せよ。俺に口封じが必要だと判断させるなよ」

「はっ、しかと言い聞かせてみせます!」


 ルーシアの嗚咽が鳴り響く店内から退出する。まったく気分の悪い仕事だと思いながらガーランドは次の場所へと向かう。


 翌日、貧民窟で客を取る幾人かの娼婦の、心臓を抉り抜かれた死体が発見された。ある者は娼館の自室で。ある者はボロ小屋の一室で。ある者は路上で。目撃者は誰もいなかった。

守銭奴7%→7%

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