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番外編 銀の遠吠え07

 雨が銀の矢のように降り注ぐ。夜の森に潜む悪意は絶え間なく襲い掛かってくる。普段はかからないマギートレントの根が足に絡みつき、一瞬で逆さ吊りになった僕へと狼どもが押し寄せる。


「失せろ……!」


 微かに彼女の残り香のするユノ・ザリッガーで魔樹の枝を切り裂く。迫りくる狼の頭蓋を三つ腕で砕く。狼どもは狂ったみたいに襲い掛かってくる。


「失せろ! いまはお前らの相手なんかしている暇はないんだ!」


 狼どもの囲みを抜けるのにいくらか肉を持っていかれたが気は急くばかりだ。痛みも耳の奥で鳴るジンジンした鼓動も、失いそうなものと比べたら何でもなかった。そんなものどうでもいいんだ。


 ゴブリンどもの楽しそうな笑い声が聴こえる。茂みをかき分ける音がする。たくさんの悪意が僕をめざしてやってくる。まるで僕に残された一匙の幸運さえ奪われたかのように……


 夜の森には入るな。アニマが何度も言っていた意味がようやくわかった。何度も訪れた南の森だけど昼と夜では別物だ。


 森を抜ける頃には走ることさえできなくなっていた。

 齧られた足が痛い。左腕は炎みたいに熱を持っている。白く濁った吐息を吐き出すたびに体から温度が抜けていく……


 転げるみたいに森を縦断する街道までたどり着いた。でも帝都の夜明かりは遠い、傷ついた足では絶望的なほどに……


 街道の向こうから燈色の明かりがやってくる。腰にカンテラを帯びた二人の男が僕を見つけ、足早に近づいてくる。……よかった、きっと優しい人達だ。


 小走りで近寄ってきたのは旧市街ではあんまり見かけないイグジットオーダーの鎧を着た人達、帝国騎士団だ。雨天用の外套のフードを取り払った波打つ巻き毛の騎士が濡れた地面に膝を着きながら言う。


「どうした、何があった!」

「何でもない」


 騎士が僕の肩に触れる。固い手甲に覆われた指なのに優しいものだと感じた。


「≪フォルトナの加護よ、アルテナの慈愛よ、この者を貶める負傷を打ち払え 福音の風よ在れ、いかなる痛みもこの者の安らぎを冒すべからず セイクリッド・リジェネーションヒーリング≫」


 温かい光が溢れだし、不思議なちからが冷えた体の奥底を温めていく。

 すごいな、ポーションよりも効果がありそうだ。


「ありがとう」

「事情を話す気になったか?」


 眼前の騎士からはものすごいちからを感じる。

 吹雪だ。何もかもを凍らせる吹雪が人の形をしているのだ。彼が助けてくれるならヴァンパイアだって倒せる。


 大人が強くて賢いことは知っている。頼りになることも、その恩恵も理解している。でも僕らはスラムで生きてきた。


 大人がどうした僕らだってやればできるんだって証明してきた。少し手強い怪物が出てきたくらいで大人に頼ろうなんて、甘えたガキのすることさ。


「いや、これは僕の問題さ!」


 体の奥底から湧きあがる活力が気力を充実させていく。これならまた走り出せる。レティシアを助け出し、そしてみんなの待つ住処に帰るんだ!



◇◇◇◇◇◇



 ―――助けてやるつもりだった。


 年の頃六つ七つの幼児が夜の森から転がり出てきて、大怪我をしているくせに慌ててどこかへ向かおうとしたのだ。何かしらの事情があるのは見ればわかる。


 懐柔する気で癒しの奇跡を施したが頑固に断られた。差し出した手を何の迷いもなく拒否し、リジェネーションヒーリングで取り戻した活力を使って元気に飛び出していった。


(まったく大した小僧だ)


 くつくつと笑いが込み上げてくる。この喜悦はあれくらいの馬鹿者は久しぶりに見たって奴で、その快活な矜持には素直に賞賛できる。


 走り去っていく銀の少年がこちらへと振り返る。心変わりかと思ったがちがった。


「ねえ、アルバンの愛したクリートノースってどこか知ってる?」

「わるいが知らん!」

「そっか。ありがと!」


 銀の少年が牧羊犬のような元気さで走り去っていく。その頼もしい背をニヤニヤしながら見つめていると同僚に背中を突かれた。


 雨天の警邏任務だというのに化粧をばっちり決めた面倒くさい同僚が面倒くさそうに嘆息をつく。


「酔狂ね。ああいう子が好きなの?」

「ああいう馬鹿者は見ていて楽しい。男児たるもの蛮勇と矜持を持つべきだ」

「懐かない子ほど構っちゃう?」


 そいつは穿った見方だなと思ったがよくよく考えてみるとそうかもしれない。後にも先にもガーランド・バートランドが愛したのは矜持を持つ者どもだ。敵であれ味方であれ誇り高く生きてる奴は好ましい。

 そうかもしれんなと同意するとまた酔狂だと言われた。


「アルバンの愛したクリートノース…ね。建国記に出てくる黒王アルバンかしら」


 どこのアルバンかなんてわかるわけがない。ただ森の奥にはヴァンパイアロード・アルバンの月下城がある。建国記に出てくる黒王は建国王ドルジアが討った。もう五百年も昔の話だが……


「でもクリートノース? パダラ高地にある聖地のことかしら?」

「いや聖地ふうの建物を指しているのだろう。パルティミジャン様式の建築物全体を指す言葉としてクリートノースを用いることもある」


 パルティミジャン様式の建築物は軽さを大切にしている。元々は埋立地のような立地で育まれた様式で、壁という存在を省いた風通りのよい建築様式だ。現代では祈りの都や獣の聖域、フェスタ帝国の東岸地域で見られる。


 ガーランドはそこまで口にして気づいた。


(アルバンの愛したクリートノースか。あぁなるほど古典の好きな洒落者気取りが好きそうな解釈だ。聖地クリートノースを舞台にした悲恋劇が上演中だったな)


 ならばアルバンの愛したクリートノースとはグランナハト・アルカーディア大劇場だ。貴族街西南部のジュールヘール特別文化区にある、黒王アルバンが愛した建国王ドルジアが手ずから設計した大劇場だ。


 古典を用いた暗号を用いる、これだけであの小僧の遊び相手も透けて見える。貴族だ。それも帝都で最も権威ある大劇場でわるさができるとなると相当な大物かもしれない……


「ウェーバー君よ」

「なによ」


 帝国男児のくせに女性的な顔立ちをした同僚がいやそうな顔になる。こいつは小賢しい男だからいやな予感がしているのだろう。


「アリバイ工作を頼む。俺はお前と共に警邏任務に出ていた、いいな?」

「はぁ、この雨の中!?」


 警邏任務を偽装するなら相棒が一人で騎士団本部に帰るのはおかしくなる。よってウェーバーはガーランドが戻るまでここら待機というわけだ。……いやそう。


「バレたらどうするの! 出世が遠のいたら恨むわよ!」

「こんなもので遠のく出世ならお前には最初から芽がなかったんだ。その時は引き上げてやるよ。頼んだぞ相棒!」

「もうッ!」


 不可視化の術式を編み込んだ外套をひるがえしてガーランドもまた夜の街道を駆けていく。彼の貴族的な厳格なご尊顔は面白そうなものを見つけた喜悦でニヤニヤしてる。



◇◇◇◇◇◇



 吸血鬼に連れ去られたレティシアは暗い闇の中で目覚めた。


 そこに油式ランプが一つ置かれ、その頼りない小さな明かりだけがここの真実を照らし出している。


 レティシアはこの場所を第一印象で箱だと思った。正四角形の小さく狭い部屋に子供達が閉じ込められている。自分と同じくらいの子、シェーファくらいの子、自分の他に五人いる子供達は隅に固まってビクビク怯えている。……見た感じ旧市街か貧民窟の子だ。


 子供達の警戒心を解くためにとびきりの笑顔を魅せてやる。


「…………」


 なんと驚いたことに麗しのレティシアスマイルが不発した。見る目のない奴らだなあって思いながら声をかけてみる。


「ここはどこなの?」

「しらない」


 返答はこの中で一番大きな男の子だ。たぶん同い年だ。

 背丈はレティシアの方が少しだけ高い。アイリオのような鮮やかな青色の髪と目をした、造作の整った男の子だ。まったく惹かれはしないが美少年と呼んでいい部類だ。……シェーファのせいで審美眼に贅肉が付いた気がする。あいつにはいつか責任を取らせねばなるまい。


「あたしたちは何のためにここにいるの?」

「しらない。何もしらないんだ」

「ねえ、わたしたちどうなるの?」

「パパとママはどうなったの……」

「こわい」

「おうちにかえりたい」


 レティシアの質問はナイフのようなものだったのだ。

 子供達の不安が詰め込まれた不安袋を言葉のナイフが引き裂き、漏れ出した不安と心配が次々と零れていく。泣き出す子までいる。


 シェーファと同じくらいの栗毛の可愛い男の子がギャンギャン泣き始めた。しっかりしてよねって思わなくもない? いやあいつがしっかり者すぎるんだ。五つ六つの年齢であのしっかり者っぷりは異常だ。最近は賭場でわるい言葉まで覚えてきてるし……


 泣き叫ぶ五歳児の涙が伝染してみんなが泣きそうな顔になる。


 でもレティシアには不安はなかった。吸血鬼に誘拐された最低の状況だけど恐怖はなかった。自ら思考し自らが自らを生かしてきたから現在がある。泣いてたって誰も助けてくれないのは随分前に思い知ったからレティシアは行動する。


 倒れる時は前のめり。でも可能な限り倒れないようにするのが彼女の人生哲学だ。


「ほらほら泣かないの。ほーらこわくなーい、こわくなーい」


 泣く子の足首を持ち、逆さ吊りにして左右に揺すると次第に落ち着いてきた。……落ち着いてきた?


「な、なにをやっているんだ?」

「うちでは泣く奴が出たらこうしてるの。ほら落ち着いたでしょ」

「気持ち悪くて泣くどころじゃないだけに見えるが……」

「は、そうなの?」


 みんなしてうんうん頷いてる。そんで笑い始めた。このお姉ちゃんおかしいんだぁってケラケラ笑い出したので、やった意味はあったらしい。


 改めて事情を尋ねてみる。


「夜になった途端に黒い馬車がやってきたんだ」

「黒いおじさんたちが入ってきて……」


 平民狩りに連れ去れてた子供達であるらしい。

 貴族家の家紋のない黒塗りの馬車がやってきて子供をさらっていく。貧民窟で生きていればよく聞く話だ。


 青髪の美少年のクラウスは旧市街。金髪の泣き虫はレチェ。ソバカスで笑うとえくぼのできる可愛いサリーは貧民窟。節目がちなルリも貧民窟。栗毛の可愛いアーデンは新市街の市民らしい。


「新旧スラムもお構いなし、貴族らしいわね。多少の金を持ってたって平民なんてオモチャってわけだ」


 森の砦で密会していた怪しい吸血鬼どもの言葉を思い出す。


『野ウサギは互いに五つ、グエンが一駒、バルが二駒、ヘルトが二駒』

(これは年齢かしら。九歳児が一人、八歳児が二人、七歳児が二人……?)


 ふと疑問。


「ねえアーデン、あなた年は幾つ?」

「七つだけど」


 五歳に見えるくらい小柄なだけでエリックと同い年だと発覚した。……となるとさらう前に下調べをしている?


 そうなるとこの年齢でなくてはならない意味があるのかもしれない。


『デュラハンの黒馬車は今宵に』

『あぁでは今頃』

『左様、羊は新鮮でなくてはならぬ』


 平民狩りの黒馬車をデュラハンと見立てたなら間違いない。生贄の羊だ。


(呪術儀式かしらね。呪殺なんかの大きな呪いをかけるのに子供の魂をくべるのはよく聞くし……)


 レティシアの顔が歪む。いやな思いつきのせいだ。


(たった六人で高度呪術は無理ね。30人は用意しないと)


 レティシアの脳裏によぎったいやな思いつき。これをだめ押しするみたいに声がする。

 厳格な男の声が、天井から降ってきたのだ。


「殺し合え」


 殷々とこだまする声は悪意の塊だ。小さな子供達が耳を塞いでしゃがみこんでしまうくらい恐ろしい声が続ける。


「最後のひと組みになるまで殺し合え。見事生き延びた者どもには恩赦を与えようぞ。―――殺せ、お前達が生き延びるすべは他にない!」


 恐ろしい声が引いていく。でも彼の声が残した恐怖が子供達に張り付き、身も心も怯えさせている。……レティシアからしたら半ば予想通りねって感じだ。


 この狭い正方形の部屋には様々な武器が置かれている。鉈や鎌に長い棒といった農具も同然のしょぼい武器だが、小さな子供が子供を殺すには充分だ。


「いまのなに?」

「うわーん、こわいよぉ!」

「かえりたいよ。もうかえりたいよ……」


 一度は自爆ネタの笑いで取り戻した落ち着きだったがまたみんなが錯乱したみたいに泣き始めた。仕方ないのでアイアンクローブラブラで泣き止ませよう。……ちなみにこれシェーファにやったら丸一日口をきいてくれなくなった。そんなに痛かったのか。


 レティシアの魔手が可愛いアーデンへと伸びた瞬間、最年長のクラウス君が叫ぶ。


「戦うしかない。戦って、勝つしか家に帰る方法はないんだ!」

「でも大人になんか勝てるわけないよ」

「相手は僕らと同じ連れてこられた子供だ。大丈夫、僕の言う通りに動けば必ず勝てる。勝ってみんなで家に帰るんだ!」


 勇ましいクラウスが武器を配り始める。鎌、ナイフ、受け取る子供達は泣きそうな顔をしている……

 最後はレティシアの番だ。長い木の棒を渡されたけど腰の鞘を叩いて断る。


「あたしにはこいつがあるから要らない」

「そう。鉈?」

「シターラってわかる?」


 クラウスの反応はわかってない反応だ。ならば別にいいだろう。沿海州のアサシンギルドが好んで使う殺人ナイフ、その原型となったアロンダイク兵器の名前など知るわけがない。


 今にも泣きだしそうな可愛いアーデンが抱き着いてきた。すっかりお姉ちゃん認定されてるらしい。


「ほらほら泣かないの。あたしに任せておきなさいよ、レティシア姉さんは強いんだから」

「頼もしいな。もしかして剣術やってるとか?」

「マルディーク次元流をちょこっとね。ま、任せなさいって。F級冒険者レティシアは最強よ」


 質問してきたクラウスがやや引け腰になる。びびったんだ。


 吸血鬼にさらわれて変な呪術儀式に放り込まれたのは最低だけど恐怖はない。

 一振りとはいえユノ・ザリッガーは奪われていない。余裕のつもりかもしれない。これがどんな武器なのかもわからない低俗な吸血鬼なのかもしれない。どちらでも構わない。舐めてくれるなら叩き潰してやるだけだ。


 対魔法生物特攻の断罪の光剣を一撃ぶち当ててやれば低級な吸血鬼など消し炭だ。舐めてくれるなら最高だ。余裕で一発受けてくれれば消し飛ばしてやれる。


 ふと彼女の心に咲いたのは年下の少年の困り顔だ。あいつはどうなったんだろう?


(シェーファ、あなたもここにいるの? 勝手に死んだりしてないよね。それだけは許さないわよ。あなたにはまだまだ稼いでもらわないと困るんだから)


 レティシアの心の中には銀の犬の形をした勇気がいつの間にか住み着いている。あれに恥じぬ立派なリーダーであれと思い直すだけで勇気をくれるあいつの形をした勇気が今も彼女を立たせている。


 この卑劣な罠を打ち砕き、二人でみんなの待つ住処へ帰るんだ。

 決意を新たに、レティシアの戦いが幕を開ける。



◇◇◇◇◇◇



 聖地クリートノースを舞台にした華やかな演劇が幕を開ける。


 神官兵の子として生まれたアベルは見習い神官として聖地の大教会で下働きの日々。ただ清廉潔白な生活にはほど遠かった。三つ年上の親友バルドから悪い遊びばかりを教わり、十五を数える前には色を覚え、賭博場に出入りしている有り様だ。


 アベルが神官兵職を失った理由も色が原因でのケンカだった。仕事を辞めたアベルは町をうろつき一端のヤクザ者気取り。時には女衒の真似事までやり、神官兵である父を困らせてばかりだ。


 そんなアベルに転機が訪れる。年に二度の洗礼式の日に町で偶然出会った女に恋をした。恋は両方向からのものであった。


 類まれなる美貌の神官兵の子アベルとフォルトナ教の聖女イスカヤは互いの身分も真実も知らずに恋に落ちていく……


 華やかな舞台も地上での出来事。グランナハト・アルカーディア大劇場の地下層には古典演劇とは色合いのちがう演目に垂涎する者どもが集まる。


 今宵地下層で行われるのは言ってしまえばギャンブルだ。主催者が狩り集めた子供達を五人まとめて一つの組とし、五つの組を殺し合わせて生き残る野兎を予想する。……闘技場のようなものであることもたしかだ。


 ここに集った上流の貴族にとって賭け事は愉しみの一つでしかない。配当も大事だが過程も大事。凄惨は望むところだ。残虐であればあるほど高ぶる。


 暴力の名のもとに恨みと怒りが混ざり合い、殺した者は死者の怨念を一つ手にしてまた殺す。


 殺して殺されてと濃縮されていく呪いを帯びた子供達は最後に、この場に集った者どもに供される晩餐となる。


 夜会はすでに幕を開けた。あとは裏切り者が開幕の一打を放つのみ。


 怯える子供達には狂気が足りない。殺してもいいのだ、殺すしかないのだ、そう教えてくれる羊飼いの存在なしに殺し合いの夜会は成立しない。……その者はアルザインの名を与えられ、今も子供達の中に潜んでいる。


 夜会の会場。五組の子供達が戸惑う迷宮を見下ろす主催者スカーレイク戦爵はワイングラスを傾け、ボックス席のソファで寛いでいる。


「刺激に慣れた貴族が最後にたどり着いた娯楽が呪いに冒された新鮮な人肉。人の業も笑えんな」

「さにありましょう」


 応じるのは黒衣をまとう魔導師ふうの男。年齢は四十を幾らか越えた程度に見えるが彼もまた尋常の人ではない。ヴァンパイアロードにして帝国貴族であるスカーレイク同様、生命の領域に踏み込んだ大魔導師にとって外見など意味を為さぬのだ。


 彼の名はベルドールという。帝国宰相ルスカ・ベルドール、腐敗の帝国の象徴とも呼べる男だ。


「恐れこそが甘美。人は禁忌を恐れながら禁忌に恋い焦がれるものです。あぁもっとも、あなたにとっては食人など禁忌ですらない日常なのでしょうね」

「貴方がそれを言うか」


 ベルドールは卑屈な口調こそするが並みの人間ではない。その証拠に彼は誰にでもこのような口調をし、誰の前でも皮肉屋を気取る。ヴァンパイアロードの前でも常の原理から外れぬのなら豪胆と呼ぶべきだ。


 スカーレイクは人種を見下しているが、ベルドールには敬意を払う。吸血鬼とは別の形の魔性の王であるからだ。……搾ったばかりの新鮮な血液をおいしそうに飲む男が人間のはずがない。


「意外にか細い神経なのだな。貴方はとっくにその種の倫理観から外れているものだと誤解していた」

「わたくし如き小物では小胆も仕方なし、そう思ってくださればよいのです」

「小物という言葉の意味を調べ直したくなるな。どの組に賭けなされた?」

「生憎わたくしの興味は晩餐のみです」


 ベルドール魔導伯の目が眼下のおいしそうな子供達に注がれる。


 円形の会場を囲む12のボックス席からは子供達の様子は一目で見下ろせる。小部屋と同じ大きさの廊下だけで構成された迷宮は限定的な空間幻術によるものだ。


 迷宮を彷徨う子供達には延々と続く壁も天井も実際に存在するように感じられるはずだ。だがこのボックス席から見下ろす者どもには、円形の台座でうろうろしているふうに見える。


 116ヤード平方の丸い台座。それが彼らを閉じ込める檻であり闘技場だ。


「さあ殺し合うがいい」


 スカーレイク戦爵は最後に勝ち残った子羊どもの血がどれほど甘美な仕上がりになるかと夢想しながら、彼らの父母から搾り取った血を舐めた。普段なら飲めたものではない大人の血も、子を奪われゆく憎悪に浸せばそれなりに楽しめる深みを得ていた。



◇◇◇◇◇◇



 迷宮の廊下は暗く、ランプの明かりでは足元さえ心もとない。

 だがレティシアはずんずん突き進む。怖いとか危ないとかって止める奴はいない。やっぱり冒険者ってすごいんだなって尊敬しちゃうのだ。


 廊下をずんどか歩いていると五人組の男女がいた。年齢構成はこちらと同じ。向こうは五人でこちらは六に―――


「倒すぞ!」

「ちょい待ち!」


 ナイフを振り上げて勇ましく走り出したクラウス君の襟首をつかむ。ぐへって言った。ついでに背中から倒れ込んだのでむせている。


「何するんだよ!」

 って文句言うから後頭部を蹴っておいた。エリックとシェーファが見たなら微笑ましい笑顔でクラウス君を迎えてくれただろう。レティシア被害者の会だ。


 ランプが照らし出した怯える五人の子供達、ボロ布同然の着衣を見れば貧民窟の子供だとわかる。中にはレティシアを知っている男の子もいるようだ。指をさして驚いてる。


「あっ……狂犬!」

「狂犬レティシアってあの!? トリトンファミリーと揉めてるっていう!」


 ますます怯えられてしまった。

 これも日頃の行いがわるいせいだ。でもこの場においては轟く悪名も役に立つ。


「あたしはレティシア、冒険者よ! あんた達全員まるっと助けてあげるからあたしの指示に従いなさい!」

「狂犬が助けてくれるのか!?」

「ドケチで有名な狂犬が!?」


 正直乙女に向かって狂犬だのドケチだのこいつらデリカシーなさすぎって思ったけど問題ない。レティシアもタダで助けてやるつもりはない。


「ええ、ひとつ貸しよ。あとでしっかり恩返ししてもらうわよ」

「やった!」


 何だかよくわかってない小さな子供も年長の子が喜んでるのを見て、パァっと笑顔になった。みんなしてレティシアの傘下に入ろうって時に、過激派のクラウス君が口出し。またお前か。


「ダメだ!」


 さっきまで後頭部を押さえてジタバタしてたクラウス君がナイフを掲げる。……武芸の心得のある構えだ。


「こいつらは殺さないとダメなんだ。生き延びたければ殺せってあの声も言ってただろ!」

「ばーか、呪術儀式の生贄が生かしてもらえるわけないじゃない。蟲毒形式の呪術儀式では最後まで生き延びた生贄こそに価値があるの。殺し合って生き延びたって悪魔召喚の生贄にされるのがオチよ。それとも……」


 犯人を言い当てる名探偵のように指をつきつける。


「羊飼い、あんただけは残してもらえるの?」


「……何の話だ?」

「儀式の円滑な進行を補助する裏切り者の子供。最初の一人を殺す役割を与えられた子。沿海州のアサシンギルドにおいて伝説と呼ばれるアルザインのコードネームを与えられた子、それがあなた」


「言っている意味がわからないな」

「上手にお芝居してるつもりかもしれないけどあんた貴族でしょ。あたしも元貴族だから所作を見ればわかるのよね。幼少期から徹底的に教育された品性ってのは隠しようがないのよ!」

「え、お前貴族なの? 嘘だろぜんぜんわからなかったけど?」


 華麗なる論破からのこれである。

 びしっと指を突きつけるレティシアは次第に顔が真っ赤になり、何だかプルプル震えてる。恥辱に震えているのだ。


 幼少期から教育された品性は隠しようもない。じゃあ誰にも貴族っぽいって言われたことのないレティシアさんは……


「ころっ……ボロを出したわね!」

「いま殺すって言いかけたろ!?」

「そんな事ないけど、ころすー!」


 クラウス君はレティシアが三秒でねじ伏せた。私怨ありきのマウントからフルボッコされた上に縄でグルグル巻きにされたので、他の子はみんなやっぱり狂犬は怖いなあって思ったのだ。


 この後レティシアは大勢の手下どもを率いて迷宮を練り歩き、たくさんの子供を配下に加えていったのである。


 呪術儀式の幻術迷宮にレティシアさんの破天荒な笑いが轟いていく。



◆◆◆◆◆◆



 呪術儀式『野うさぎの晩餐』を見下ろすボックス席から戸惑いの声が漏れる。


「なんだこれは? どういうことだ、銀羊卿の悪戯か何かか?」


 集められた野うさぎどもは最後の一組になるまで殺し合い、次は残った組の五人で殺し合い、最後に残った一人の肉が晩餐にて振る舞われる。……はずだった。


 だが野うさぎは一人の少女の下に結束し、他の組を次々と仲間に引き入れていく。殺し合いなど起きるはずがない。少女は暴君であり支配者だ。見知らぬ子供達を完全に指揮下に置いている。


 別のボックス席では仮面を付けた初老の軍人がしきりに感心している。

「支配は才能ではないが、やはり天性は存在する。あの年ですでに将の器量を持つとは面白いな」


 他の席では期待外れの行動に怒号を発する者もいる。

「これでは賭けが成立しないではないか! 銀羊卿に連絡を取れ、今すぐあの小娘を排除しろ!」

「さてああも結束した者どもが今更殺し合いをするものかな? 今宵はおひらきであろう」

「何を物分かりのいい事を! 私がいくら賭けたと思っているんだ!?」

「こういう場合はノーサイドかね?」

「さて、何分前例がございませぬので……」


 戸惑いの声。賞賛の声。怒りの声。また前例なき出来事に面白みを感じる者もいる。


 これをどう判断するか?

 見事と誉めそやし彼女らの行動を賛美するか。意に沿わぬからと兵を送り殺して台無しにするか。すべては主催者である銀羊卿ことアトラテラ・スカーレイク戦爵にかかっている。そしてこの場のすべてが戦爵の器量を見ている。


 あのヴァンパイアロードが真に貴族たる資格があるか。所詮はただのアンデッドか真にノーブルの心意気を持つものなのか。逆にこれはこれで面白い運びになったものだと主催者の動向に興味を向ける者もいる。……侮っているのだ。


 所詮は檻の中の野うさぎが予定外の行動をしただけ。知恵の足りない平民にしては面白い行動だ。それだけでしかないのだ。


 我らや主催者の指示ひとつで失われる儚い命、そういう舐めた考えが誰の胸にもあった。だが―――


 レティシアがユノ・ザリッガーを起動する。トリガーを引くだけで起動する対霊的存在浄化呪術『断罪の光剣』の光の刃が出力され、長大な刀身を形成する。


 剣戟を一閃。迷宮を為す幻術はたった一撃の薙ぎ払いで雲散霧消する。


 続いてレティシアが二段目のトリガーをカチカチと三回引く。迷宮を為していた幻術に使用されていた魔法力の残りカスが柄頭に埋め込まれた演算宝珠に吸い込まれ、宝珠内での浄化処理を受けた魔法力が使用者へと還元される。


 還元された魔法力は迷宮生成から維持に用いられた分の十分の一にも満たないが強化術式行使には足りる。ユノ・ザリッガーの三段トリガーを同時長押しして発動するのはアルザインの秘奥。魔法王国パカが保有する最強の部隊マス・クリティカル・ファインダーにて採用されていた戦闘用ドラッグの効果がレティシアの内部で再現される。


 疲労痛覚の軽減。戦意高揚。身体機能の大幅な増幅。幻術などのマインドハックへの高耐性付与。……吸血鬼のような古い魔法生物と戦う準備はできたといっていい。


 レティシアの強い眼差しがボックス席を撫でる。狩る者と狩られる者の立場は曖昧となり、彼女の光剣の切っ先は傲岸な微笑みを浮かべる銀羊面の吸血鬼へと向かう。


「おまたせ。さあ遊んであげるわよ変態さんたち」

「面白い」


 スカーレイク戦爵がワイングラスを握り潰す。中々の高揚感に満たされたその身が欲するのは勇者の血だ。勇敢な少女を叩きのめし、絶望に染まった顔を見ながら吸血する欲望に燃え上がる。


 吸血鬼の固有能力『霧化』でレティシアと同じ舞台に降りたスカーレイクは細身のレイピアを構え。


「ウォーバロン・アトラテラ・スカーレイクである」

「可憐なるレティシアよ」


 ちなみにそんな二つ名で呼ばれたことはない狂犬ちゃんであった。


 両者が間合いを探るようにすり足で距離を詰めていく。勝負の時は近く、誰もがまばたきをやめて見守る。


 その時稲妻が走った。頑丈な石床を踏み壊しながら疾走する稲妻がスカーレイクの知覚結界を一瞬で踏破し切り―――

 スカーレイクへと聖銀の長剣を叩きつける!


「ほう、これを防ぐか!」

「ぐぅぅぅうううおおおおお!」


 間一髪で細剣によるガードが間に合ったスカーレイクだが一気に壁まで押し込まれ―――


 ずがん! ものすごい蹴りを腹部にもらって壁にめりこんだ。


 ずがんずがん! ものすごい蹴ってる。一撃毎に大劇場が揺れている。大地震だ。震度七とかいうレベルじゃない。


 なおも鍔競り合う。魔金のレイピアと聖銀のロングソードが火花を散らし合う。


「ふぅむ、悪趣味な銀仮面こそつけているがそこもとには見覚えがあるな」

「奇遇だな、私も貴殿を見知っている気がする」


 稲妻のごとくこの場に乱入したガーランドが不敵に微笑む。騎士団の警邏任務に出ているはずの男がこんなところにいるのはおかしいから、だからこの男を殺せるのだ。ウェーバーには後でたっぷり口止めと贈り物をしなければならない。


「では消えてもらおう。帝国に巣食う古蛇よ、今宵貴様の命運が尽きたと知れ!」

「若僧が!」


 激戦が始まる。帝国に古くから貢献し爵位を賜るまでになったヴァンパイアロードと新進気鋭の若い英雄の人知を超えた戦いだ。


 そしてこの場にはもう一人の乱入者がいる。激戦の前にガーランドの腕から放り出されたシェーファがこそこそしながらレティシアに寄っていくと……


 がちん! 叩かれた。なぜ……?


「どうして叩くの?」

「登場方法が情けないからよ! もっとばしっと出てきなさい!」

「そんなぁ~~~!」


「余波で消し飛びたくなければ貴様らは外に出ていろ。地上階まで出ればこやつらも手出しはできん!」


 落雷みたいなガーランドの声を受けて子供達が怯える。しかしレティシア・リーダーのご指導もよくみんなして彼女の命令を待っている。どんだけ指導力あんねん。


「撤退! 道はあたしとシェーファで切り開くわ。ゴーゴーゴー!」


 みんな揃って撤退だ。警備人員や手強い護衛はガーランドが倒していたので退路はスムーズで何の抵抗もなかった。


 長い階段をのぼった先は大劇場裏手の搬入口だ。

 肌寒い夜風にまじる町の喧騒を聞けば緊張していた子供達も安堵し、その場に座り込んでしまう。


 ガーランドは数分後に戻ってきた。元々ムスっとした顔つきをしているのにさらに機嫌が悪そうな顔になってる。


「逃げられた。まったく長く生きている化け物というものは総じて逃げ足が速いものだ」


 彼はそれだけを言い、子供達の帰宅の段取りだけをつけてどこかへ飛び去って行った。

 ほどなくやってきた騎士団の馬車に揺られて騎士団本部へと護送された子供達の帰宅が適うのは事情聴取を終えた明け方になる。


 事件はこれでおしまい。長い夜もようやく終わった。誰もがそう思っていた……



◆◆◆◆◆◆



 旧市街の人々はもう仕事に出たり掃き掃除を始めたりと勤勉に働いているのに、明け方の貧民窟は静かだ。


 長い夜を終えて僕とレティシアはのんびりと住処に帰る途中にある。騎士団本部での事情聴取が長引いた、というよりも温かいスープを飲んだら眠ってしまい、聴取が後回しになったんだ。


 事情聴取に現れたのは大劇場で別れたガーランドだった。何も知らないフリをしてあれこれ尋ねてくる彼に答えている時に彼の背後で含み笑いをする美形の騎士はあの時森で出会った騎士だった。……親切なのはありがたいけど手のひらで踊らされた気分だ。


 帰宅の途中でレティシアとあれこれしゃべってる。


「酔狂な騎士様もいたものね。ねえあんなのとどこで知り合ったの?」

「レティシアがさらわれた後だよ。面白そうだから連れていけってしつこくってさ」

「でも助かったじゃない」

「そーなんだよね。……悪い人じゃないと思うけど怖いんだよな」

「きつい顔立ちだったものね」

「いや気配が」


 噂に聞くところ伝説の怪物の中には雪の女王や冬の貴婦人といった精霊がいるらしい。あれはそういう類だ。まるで吹雪の化身みたいな強いちからの塊に思えた。


 あの男は吹雪だ。何もかもを凍りつかせる吹雪が人の形をしているのだ。これほど強烈な人間は見たことがなかった。


 僕は王様なんて見た事もないけど王威とは正しくあれを指すのだろう。


「今でも身震いがするよ。もう関わり合いにはなりたくないね」

「……随分気に入られたみたいだけど?」

「怖いこと言うなよ」


 やがて住処が見えてきた。みんなも心配しているだろうな。


 玄関を開ける。……その瞬間に扉の向こうから漏れ出したのはおびただしいまでの血のにおいだ。


 玄関ではロステムとウェンディが死んでいた。折り重なるみたいに二人が重なりそのまま絶命していた。

 二階の部屋ではアニマが首を落とされていた。エリックは胸を踏み潰されていた。


 最近は何もかもがうまくいっていた。みんなといるのが楽しかった。だから油断していたのかもしれない。


 この世界はそんなに生易しいものじゃないって、僕は何度も思い知らされてきたはずなのに……


 この光景は僕の幸福な少年時代の終わりを告げるものだった。

守銭奴4%→4%

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― 新着の感想 ―
[一言] シェーファはガーランドと会ってたのか… というかガーランドを知ってる上で、革命を起こそうとしてるのか…やるな!
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