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番外編 銀の遠吠え05

登場人物紹介


 シェーファ(5歳)


 銀の犬と呼ばれる貧民窟のストリートチルドレン。動物的な経験に基づいた思考回路を持つ少年だがグループと交わり個性のようなものを持ち始める。探し物屋で有名だったが昨今は銀の犬の手強さが認知されてきた。



 レティシア(9歳)


 貧民窟でストチルのグループを率いているお騒がせ少女。年の割に図太く頭もよい。冒険者になって1発どかんと当てようと企んでいる。父の形見と自称する殺人ナイフには大きな秘密があるようだが……


 ルーシア(12歳)


 銀の犬の名付け親。旧市街のパン屋の娘。シェーファという存在に弟の影を見出す。



 ロステム(13歳)


 レティシアのパシリ。グループの武力担当ながら寡黙でおとなしいが、やる時はやる頼れる兄貴分。年の割に体が大きく、顔立ちはやや老けて見える。帝国の公用語の習得に苦戦している。



 ウェンディ(11歳)


 ビルキス・フォックスという珍しい獣人の少女。グループのお留守番担当。どうも外に出るのが怖いらしい。ロステムと仲良し。



 エリック(7歳)


 ウェンディの弟。生意気で大口ばかり叩くけど世渡り上手で他人にすり寄るのがうまい。特技を活かして靴磨きをしている。



 アニマ(12歳)


 ハーフエルフの狩人。父の死去と同時に里を追い出された過去がある。狩人としての腕前は申し分ないが対魔物戦ではロステムと比べどうしても劣る。



 レウ=リュースザナド(18?)


 冒険者ギルドの受付嬢。上級職員。獣の女王という二つ名で呼ばれる元Aランカー。



 春の訪れは誰もが嗅覚で理解する。清々しい朝にふと香る春花のにおいを知り、いつもより少しだけ温かい日差しの中であぁ春が来たのだなと思うのだ。


 本格的に春と呼べる季節になってきた。町を行き交う人々は春の訪れに心浮き立ち、厳冬を乗り越えた喜びに包まれている様子だ。春を喜ぶ帝都では春節という大祭が七日七晩にわたって開催され、新市街のみならず旧市街の人々も一時の宴に酔いしれる。


 でもそれは普通の人のお話で、生活に余裕のある人達だけに許された贅沢なんだ。


 貧民窟はいつもと何も変わらない。暗く貧しい闇の中で、表通りから聴こえてくる祭囃子も届かない。


「好機よ!」


 早朝の住処でレティシアが拳を振り上げる。天井でも壊そうとしてるの?


「春節は国中から人が集まってくるでっかい祭りよ。つまり大儲けの好機!」


「何をするの……?」

「肉を売るの! ハンカチも売るよ。果実水も! この日のための準備は整っているわ。春節に浮かれた連中の緩んだ財布からガッポガッポせしめるのよ! さあ入ってきて!」


 手を打ち鳴らす合図と共に女の子二人がペコペコしながら入室してきた。裁縫屋のババアのところにお手伝いに行っているっていう子達らしい。


「ルカでーす!」

「ミューズです!」


「「この度はわたし達の作品を買い上げてくれるっていう事で、ありがとうございまーす!」」


 声が重なった。なんだか楽しい子達だ。それはレティシアも思ったらしい、目を細めて笑顔になってる。


「練習した?」

「うん!」

「うまくできたでしょー!」


 クリクリした目が愛らしいルカがバスケットを置く。中にはたくさんのハンカチが詰まっている。赤い六枚の花弁をもつリトカの花が刺繍されたハンカチは、彼女達が冬の手仕事としてこしらえた成果だ。


 住処の隅っこには三日前に僕が採ってきたたくさんのパルが樽の中で水に浸かっている。林檎の仲間であるパルの甘みと香りが十分に溶けだした果実水は素晴らしく、この世にこんなおいしい飲み物があったのかと驚くほどだ。旧市街の人達は普段からよく飲んでるらしいけどね。


 各家庭には伝統的なパル酒の製法があって、香辛料を入れたり工夫した様々な味があるんだってさ。でも今回用意したのは熟成という工程を省いた果実水。祭りなんかであちこち歩き回る人達のためのノンアルコールだ。


 これに加えて当日狩りで手に入れた肉を焼いて売るんだってさ。

 つまり屋台だ。屋台で大儲けだ。


「祭りは明日よ。さあ最後の準備にとりかかりましょー!」


 旧市街はもう祭りの準備を始めている。帝都の大動脈である聖オルディナ・メインストリートは大賑わいで、屋台をやる人々が集まって祭りの間だけの簡素な屋台を作っている。僕らもそれにならう。


 冬の間に郊外の森からコツコツ切り出してきた木材はてっきり屋根の補修用だと思ったけど屋台用だったらしい。


 こいつを持ち出して屋台を組んでいく。ロステムはいつでも頼りになる。エリックは靴磨きの仕事があるとか言って逃げ出した。あいつにはあとでお仕置きが待っている。


 聖オルディナ大通りには大勢が集まっている。屋台を作る人、差し入れを持ってきた人、応援に来た人。恋人かもしれない。この町にはこんなに大勢の人が住んでいたのかと驚くほど大勢が和気あいあいと屋台を仕上げていく。


「そっち釘余ってねえかー!」

「ほらよ、一ボナな」

「高えよ。明日うちのビール一杯やるからチャラにしろ」

「うおっ、割れやがった! そっち何枚か板余ってねえ?」

「ない」

「おーい、こいつを使っていいぞ!」


 春の陽気に誘われてみんなの心も温かくなっているようだ。

 エリックは屋台が完成した後に様子を見に来た。ロステム頼む。


「痛い痛い痛いたいたいたい!」


 エリックが頭を握りしめられている。ほっとけばトマトみたいに潰れるはずだ。放っておこう。


 屋台は昼過ぎには完成し、売り物を運び入れるのは朝になる。

 この日は早めに帰り、忙しい明日に備えて早めに眠る。


 翌朝はいつもよりだいぶ早めに狩りに出る。総動員だ。狩りと搬入の二手に分かれ、搬入班はウェンディがリーダーだ。


「さあはりきっていくわよ!」

「うん」

「うぇーい」


 返事もバラバラな僕とエリックを従えてウェンディが行進する。ウェンディはハンカチが山盛りになったバスケット。エリックが七輪。僕は果実水をたっぷり入れた大樽。タルだけものすごく重い。


「僕だけ重いの持たされてる気がする……」

「いや俺にそんなの持てるわけねえだろ。ロステムじゃねえんだぞ」

「僕だってロステムじゃない」


 重量がえげつない。前が見えない。足元だっておろそかだ。大きな鹿を普段から泣き言一つ言わずに運んでいるロステムはすごいよ。あれ確実にこのタルより重いもん。代わってくれなんて一言も言わないんだぞ。


「はいはい泣き言いわないの。前はわたしが見てあげるから!」


 ウェンディが隣を歩いてくれる。なぜか尻尾の先をこすりつけてくる。


「ウェンディ?」

「なによ」 

「どうして尻尾を?」

「あー、うちの部族の女はよぉ、尻尾の先からにおい出してんだ。フェロモンっつーらしいんだが……」

「においをこすりつけてるってこと? なんで?」

「マーキングだ。つまりてめえは姉ちゃんの男ってゆー……イタイなっ!」


 エリックが蹴られた。謎暴力だ。ウェンディは恥ずかしそうにくねくねしてる。彼女もまた謎多き女だ。ミステリアスなんだ。


 聖オルディナ大通りに到着。僕らの屋台へと向かうと……

 屋台がなかった。


 正確に言えば屋台は壊れていた。なんで? 強風でも吹いた? でも他の屋台はしっかり建っている。……よくある事だ。僕もちょっとばかり浮かれていたのかもしれない。


 旧市街の大人は貧民窟の子供がこっちに出てくるのを嫌う。叩いて追い返そうとする。だからこれはそういう行為の延長線上にあるものだ。


 そのうち旧市街のあちこちからも人が集まり始める。僕らの壊れた屋台など知らぬふりをして開店準備を始めている。


 徹頭徹尾僕らを無視していた彼らだが、目ざわりになったらしい。絡んでくる。


「きたない野良犬がいつまでいる気だ。邪魔なんだよ」

「てめえらが何やる気かは知らねえけどスラムのガキから誰が買うってんだよ。くせえんだよ、こっちにまでにおいが移るだろうが。おら余所いけや」


 少しでも直せないかと組み直そうとした屋台が蹴られて横倒しになる。彼らはそいつがとても面白かったらしい。笑っている。

 ……ま、怒るほどの事じゃないさ。


 旧市街の連中にリンチをする口実を与えるのはよくない。それは理解している。

 でもウェンディは怒りだした。


「なんでよ、なんでこんな事するの!?」

「亜人のガキが怒りやがった!」


 みんなして笑い出した。何が面白いのかは謎だ。


 旧市街の連中は僕らを蹴ったり叩いて遊ぶ。きっと暇なんだろう。そんな暇があるなら働けばいいのに。


「見ろよ、怒ると尻尾がこうなるんだぜ!」

「黄ばんだ汚ねえ尻尾が震えてやがる。散らかした毛はちゃんと掃除してから帰れよ!」

「けがれた血がよ、薄気味わるいんだよ!」

「いっちょ前に睨んでるつもりかよ。お前らに何ができるんだよ!」

「ほら何かやってみろよ、ほらよぉ」


 路上で暮らしてる弱い大人みたいに痩せた男が手を伸ばしてきた。ウェンディの綺麗な耳を引っ張るつもりらしい。


 だから阻止してやる。男の手を掴んで止める。離せって言われたけど離してやる気はない。他の男が殴り掛かってきたけど足を蹴って転ばしてやる。遅い。弱いんだ。この町に住んでる連中はみんな弱いんだ。


 足が折れたって騒いでる男がうるさくて周りから人が集まってくる。


 旧市街の連中はよくわからない理由で怒ったり笑ったりする。頭がおかしいのかもしれない。ウェンディみたいな可愛い子は泣き顔よりも笑顔のほうがステキだ。こいつらにはそんな事もわからないんだ。


「……てめえはッ、やる気か!?」

「あなた達と遊んであげるつもりはないよ」


 こいつらとはそんな関係じゃない。ウェンディを泣かせるような連中なんかどうでもいい。ブルブル震えてるウェンディを引き寄せるのは仲間だから。いつもロステムがそうしているように、彼のいない今日は僕がウェンディを守ってやるんだ。


「泣かないでウェンディ。あなたの太陽みたいに綺麗な毛並みはきたなくなんてないよ。いつもお日様みたいな香りのするウェンディがきたないなんてひどい嘘さ」

「シェーファ……シェーファぁ」


 泣きすがるウェンディを抱きとめてあげる。ロステムならこうする。もっと過激かもしれない。彼ならこの連中を全員叩きのめした後で悲しそうに俯くんだ。


 大人達が集まってくる。彼らは僕らを取り囲み、逃がさないようにしている。

 折れた折れたと騒いでる大人が被害者面して喚いている。弱い大人が群れたところで何もできないのに。


「やめろ!」


 懐かしい声がした。囲みの外にいる背の高い大人がそう叫んだのだ。

 もうだいぶ顔を出していないパン屋の親父さんがズカズカとやってきて、うるさい大人達を叩いて回る。


「クソガキどもが粋がりやがって! 元はと言えばてめえらがこいつらの屋台を壊したせいだろうが!」

「いや、俺らはそんなことは……」


「俺は見ていたぞ。昨日の夜にてめえらがやらかすとこはばっちり見ていた」

「ちがうッ、本当にちがいます! 俺らべつに屋台まで壊しちゃ! ただ!」


「てめえら職人徒弟ふぜいが俺の目を節穴扱いする気か? そこの奴はベックのとこのガキだな。てめえはエルネストんとこのうだつのあがらねえ弟子だ。こいつはてめえらの親方にも話させてもらうぜ。今のうちに荷物をまとめとくんだな!」

「待ってくれ! ベーカリーの親方、そいつはあんまりだ!」


 親父さんが目で促してきた。今の内にとっとと行け、そういう目だ。

 僕はウェンディを抱え上げてこの場を後にする。抱き上げた彼女はタルに比べたら花のように軽かった。


 ウェンディは帰りの間ずっと泣いてた。よっぽど怖かったんだろう。ずぅっと泣いている。


「……さっきのほんと?」

「何が?」

「わたしはけがれた獣の血だよ。お日様みたいに綺麗なんかじゃないよ。亜人にはね、石を投げていいんだって。魔物と一緒だから石を投げても大丈夫なんだって……」

「ウェンディは魔物なんかじゃないさ。キラキラ光る毛並みは温かいし、触れるととっても気持ちいいよ。あいつらなんかより全然きれいだ」 


「でも……」

「亜人なんて奴は知らない。ウェンディはウェンディだ。ウェンディはこんなに可愛いのにさ、あいつらは馬鹿だよ」

「シェーファ……」


 ウェンディの機嫌が戻る。彼女はいつも小うるさいくらい元気なのがちょうどいい。慣れちゃったしね。


 問題はむしろエリックだ。さっきから何も言わない。面倒くさいからお前は落ち込むな。いつもどおり元気を振り撒け。


「わりぃ、俺なんもできなかった」

「そうだね」

「ブルっちまってさ。情けねえよマジで……」

「そう思う」


「……俺ってほんとダメな奴だよな。アニマにも馬鹿にされるしよ、ほんと情けねえぜ……」

「うん、反省しろ」


 エリックが逆ギレする。


「ちっとは慰めようとしろよ! お前はッ、冷たいな! 姉ちゃんと俺の扱いがちがいすぎねえか!?」

「エリックうるさい」

「そうだよ。黙ってろよ」


 エリックがへこんだ。と見えてチラチラこっち見てくる。お前が屋台組み上げるのサボったのまだ覚えてるからな?


 住処に戻って何とも言えない時間を過ごしているとレティシア達が戻ってきた。屋台の惨状は確認済みらしい。つまり屋台で大儲けは失敗に終わった。


 このどことなく重たい空気を振り払うみたいにレティシアが宣言する。


「屋台は中止! パァーっと飲んで食べて嫌なことは忘れましょ!」


 こういう時のレティシアは本当に頼りになる。グループの空気はよくもわるくも彼女次第だ。何事も彼女が計画し、彼女が決定する。彼女の心が折れないかぎり進んでいける。

 屋台で大儲けは失敗したけど、僕らの歩みは止まらない。


 この日からウェンディが僕の顔にお尻を押しつけて眠るようになった。時々尻尾ビンタもやってくるので大変寝苦しい。なにゆえ……?



◇◇◇◇◇◇



 クエストボードに一枚の依頼が貼られている。


『クエストランク・フォロワー 南の森のゴブリンの巣穴駆除 報酬五ヘックス』


 Gランク冒険者でもウケられるFランクの討伐依頼だ。それも報酬が格段にいい。ただロステムは渋い顔をしている。


「いやなの?」

「亜人系手強い。毒使う、火使う、武器使う、こいつら手強い」


 ゴブリンっていうのは弱い魔物の代表だと思ってたけどロステムが言うなら相当手強いんだろう。


 背筋がゾワリとする。パッと振り返るとリュースザナドが背後にいた。気配がない……


「こっそり後ろに立つのやめて」

「あら、とっくに気づいているものと思っていたのに」


 ……ずいぶん前から立ってたらしい。怖い。


「ゴブリン退治ねえ。どういう魔物か知っているの?」

「おで、少しわかる」

「少しね。じゃあお姉さんが教えてあげましょう」


 ブースに移動して魔物大全を眺める。

 調べるのはゴブリンの項。写真の中のゴブリンは人間のような姿形をしている。よく引き締まった筋肉質な体つきだ。


 身長は100~140程度。それ以上の身長の場合は長く生きた進化個体ホブゴブリンであると認定される。通常ゴブリンと呼ばれるものは生後一年から二年までをそう呼ぶ。


 その性は残忍で好戦的。倒した獲物の骨を用いて自身を飾り立てる。繁殖力が高く、また成長も早い。ゴブリンは生後三ヵ月で人でいうところの大人にまで成長する。


 戦闘能力は魔物の中では最低。ただし低度の学習能力を持ち、長く生きたゴブリンは罠を用いる。集団戦を理解して統率の取れた行動をとる群れもある。


 生活リズムは夜行性。だが眠りは浅く、遠くの足音でも簡単に目を覚ますため奇襲はまず成功しない。


 ゴブリンは刃物や弓を使うがそれらを作る知能はない。ゴブリンが用いる武器はすべて拾い物であり、冒険者や旅人を襲って手に入れた物だ。そのため武器を持っているゴブリンは手強いと考えた方がいい。


 急所は人体とさほど変わりない。心臓の位置は人でいうと横隔膜の付近にある。この辺りには致命的な臓器が密集しているためプレート状の肋骨を割る威力の矢による腹部攻撃が有効。


 ゴブリンの対毒性は地域性に左右される。進化のサイクルが早いためだ。帝国北部のゴブリンはフェブリン系統の分解ができない種が多いため、メーケル草やクレオの花粉が有効……


 魔物大全には多くの知識が記されている。


「面白いでしょう。ここには大勢の冒険者が積み上げた対モンスター戦闘の知識があるの。どんなに強力な魔物でも特性を知り行動を分析すれば倒せない道理はないわ。初めて戦うモンスターの時は必ずマニュアルを確認しなさい。知識は有料だけどここで小銭を惜しんだらダメ、冒険者にとって一番大事な財産は自分の安全。健全な肉体さえあればこれから幾らでも稼げるの、自分を大事にするの。いいわね?」

「うっす」


「マニュアルにも書いてあるけどゴブリンが武装している場合はどんな状況であっても逃げてきなさい。武装しているゴブリンは駆け出し冒険者では手に負えないわ。奴らが誰を殺して武器を手に入れたかを想像するの。想像力は冒険者にとって大切な資質よ、用心深さもね。いいわね?」

「うっす」


「最後にこれはゴブリンの巣穴退治よ。奴らはすぐに増えるの、ギルドでも数は把握していないけど一匹や二匹という数ではないと考えなさい。一人では無理よ、いいわね?」

「うっす」


 ロステムが自信満々で返答する。でもリュースザナドは心配そうだ。この子ほんとうにわかってるのかしら?って感じだ。


「そういえば! ねえシェーファ、ゴリアスを殺ったのよね?」


 閃光が閃く、リュースザナドが平手打ちを飛ばしてきたので僕は足を引いて避ける。平手打ちは瞬時に裏拳となってひるがえりロステムを打つ。彼もガードは間に合ったけど吹き飛ばされてギルドの壁に埋まってしまった。


 僕にロステムの心配をする暇はなかった。追撃で回し蹴りがきたのでしゃがみこんでかわし―――首に鋭い爪を押し当てられた。


 リュースザナドが目にも留まらない速度で僕の背後に回り、抱き締めるみたいに拘束されてしまった。……最後の速さはずるいと思う。本気でもなさそうだし。


 ロステムが頭上に疑問符を浮かべながら埋まった壁から出てきた。なんで殴られたのかわかってない顔だ。僕にもわからん。


「ま、この程度できるなら問題はありませんね」

「あっさりヤラれたんだけど……」

「見込みありよ。EやD級でうだうだやってる程度の輩なら倒せるんじゃないかしら」


 その時EやDでうだうだやってる連中と思われる冒険者達が酒場の席を立ち、こそこそと逃げるように出ていった。きっと仕事をしに行ったのだろう。それか逃げた。


「ゴリアスはあれでC級上位だったの。昔は有望な子だったのにマフィアと関わるようになってから安全な仕事で楽することばかり覚えて……冒険者としてはとっくに終わっていたロートルとはいえあれを倒せる子がゴブリン如きに遅れをとるとも思えない。いいわ、依頼を受理しましょう」


 リュースザナドは冒険者時代のルキウスを知っている。ルキウスが冒険者だったのはもう何十年も前って話だ。そして今ゴリアスをあの子扱いだ。リュースザナドは何歳なの? 見た目は若そうに見えるんだけど……


「ねえリュースザナド」

「なにかしら」

「あなたの年齢が気になるんだけど?」

「18よ」

「そんなはずは……」

「おいよせ!」

「やめろ!」

「死ぬ気か!」


 冒険者達が必死に止めてきた。どうやら触れてはならないらしい。リュースザナドが冒険者達に目線をやる。みんな目を逸らして彼女の無言の圧力に耐えている。


「わたくしはまだ18の乙女よ。いいわね?」

「うん」


 僕は屈するしかなかった。女性に年齢を尋ねてはいけないとレティシアが言っていたのはこういうことだったのかと学び、一つ賢くなれた気がする。



◇◇◇◇◇◇



 春の大祭に浮かれる町で僕らはゴブリン退治に出かける。こーゆーのは貧乏ヒマなしっていうらしい。エリックの無駄知識には驚きしかない。あいついつもサボっててヒマじゃん。


 ゴブリンの巣穴退治のメンバーは僕とロステムとアニマの三人だ。今回は様子見の面も大きい。僕らはまだ南の森に入ったことがないからだ。


 聖オルディナ通りを真っすぐに下っていった先にある南の森。その内部を通る街道を二日歩けばネクロスという町があるらしい。


 冬枯れの森に春の兆しあり。街道を外れ、咲き始めた草花と甘い香りのする森の奥へと踏み入る。

 先頭はアニマに任せる。森の歩き方にかけては彼女に任せるのが一番だ。


「足跡があるな。奴ら普段ここに潜んで襲えそうな人を見繕っているんだ」


 地面に刻まれた六本指の足跡は街道脇の茂みにあり、それが森の奥へと続いている。


 狩人は森のすべてを知る者だ。アニマの父は里でも一番という狩人だったらしい。アニマは小さな頃から父と共に森に入り、その知識を学んできた。

 獲物の見つけ方。獲物の追い方。そうした技能が彼女の誇りを支えている……


「クエストシートによれば洞窟があるという話だったな?」

「うん、こっちだね」

「もう見つけたのか。どういう鼻をしているんだ……」

「こっちにしばらく行くと坂道があって、その横手に洞窟があるね」

「それはもう鼻がいいとかって話じゃないぞ! 千里眼か何かだ!」


 銀の犬は鼻が利くと噂されているけど僕の探し物技能は視覚的なものだ。面倒だからルーシアくらいにしかきちんと説明していないけど、どういう理屈で見つけられるのか言葉にしたことはない。僕もよくわからないせいだ。


 森の中に突然できた人間大の段差。地面と地面の間に生まれた洞窟は意外に大きい。ロステムでも身をかがめなくても入れそうだ。


 中は暗くて見えない。でも魔物大全の写真で見たゴブリンらしき魔物がいるのはわかる。洞窟自体はさほどの深さではない。一番奥まで歩いても百歩もかからないくらいだ。


「暗くてよく見えないけどゴブリンが12匹。大きいのが二匹いるね」

「暗くてって……やっぱりそれ千里眼だろ。無意識に魔法使ってるんじゃないか?」

「知らないよ」

「知らないのか。まあ感覚的なものを説明するのは難しいからなあ」


 アニマの話によればゴブリンの巣穴攻めで12体というのは小規模から中規模の範囲らしい。巣穴内での繁殖が行われている可能性が高く、すでに何組かの人を襲っている群れだという。……リュースザナドの助言に従うなら撤退が正しい。


「どうする?」

「戻っても稼ぎにはならないんだ。殺る」


 ロステムも頷いている。彼がいけると判断したなら反論はない。


「巣穴攻めの基本は燻し出しだ。シェーファもいるし今回は手堅くいこう」


 アニマが丸薬に魔法で火を点け、そいつを放り込む。下り坂を跳ねていく丸薬がパッと大きく燃え、中で煙を出し始めた。


 これはアニマの里でよく使われる狩猟用の道具だ。乾燥させた葉っぱを丸めて蝋で薄く固めただけの簡単な物で、火を点けて投げ入れれば衝撃で勝手に割れて煙が広がるらしい。アニマはこれを三つ立て続けに投げ入れる。


 巣穴の奥が騒がしくなった。ゴブリンの悲鳴は獣の鳴き声に似ている。

 足音がする。これは明らかに襲撃者を殺しにくる足音だ。


「来るぞ!」


 僕らは巣穴から少し距離をとり三方に分かれる。先制攻撃はアニマの矢だ。


 巣穴から出てきたゴブリンが「ギギイ!」と威嚇音を叫び、そいつの腹部にアニマの矢が突き刺さる。矢の衝撃で前のめりに倒れ込んだゴブリンの背中にとどめの二発目。


 二体三体と次々と出てくる。バラバラに出てくる。一気に出てこられたら射撃間隔が追い付かずに接敵されるけど、こいつらにはそういう知恵はないらしい。

 アニマの矢が次々と刺さり、ロステムがそいつらの頭を長い棒でカチ割ってトドメを差す。


「いけるな!」

「うっす」

「そうだね!」


 調子がいい、というよりもゴブリンは弱い。魔物としての格は最低とは聞いていたけど路上暮らしをしている弱い大人くらいの手応えしかない。小さくて素早いけどそれだけだ。


 五体を仕留めたところで巣穴から出てこなくなった。


 一瞬の風切り音が鳴る。飛来するそいつは矢だ。巣穴の暗がりからやってきた矢を掴み、アニマに投げ渡す。


「へえ、上等な矢だ。行商人なんかが護身用に持つクロスボウだな」

「矢を見ただけでわかるんだ」

「……私が年上だってことたまに忘れるだろ。可愛げがないぞ」


 アニマがムッとする。ロステムと並んでグループの武力担当の意地があるらしい。……でもアニマってそんなに強くないよね。


 アニマが金属製の矢を番えて巣穴に打ち込む。ギャアと鳥みたいな悲鳴と倒れる音。巣穴に残るゴブリンは外に警戒し、出てくる気配はない。

 煙玉も効いている感じはない。巣穴の大きさに対して煙の量が足りず、効力が薄まってしまうんだ。


 クエスト内容は巣穴の駆除。巣穴に突入する危険を冒す必要が出てきた……


「シェーファ、クロスボウ持ってる奴はまだいるか?」

「いないね」

「ロステム、いけるか?」

「うっす」


 ロステムが頭を潰したゴブリンの首根っこを掴み、そいつを盾のように掲げて巣穴に入っていく。……彼慣れすぎじゃない?


 体が大きくて強いのはわかる。でもゴブリンの死体を盾にするなんて普通すぐに思いつくものなの? 意外にしぶとくて死んだふりもするゴブリンをどこまでやれば殺せるかも知ってるみたいだし……謎。


 ロステムは巣穴の入り口で出てくるすべてを阻むように立ち、開いてるのか閉じてるのかわからない細い目で暗闇の向こうを睨んでいる。


「何してるの?」

「慣れる待つ」

「暗順応というやつだ。目が慣れるのを待ってからいくぞ」


 しばし暗闇に目を慣らしてから奥へと進む。


 終始廊下のような細い穴ぐらが続く。一番奥は小部屋程度の小さな広場。そこで六体のゴブリンが待ち構えていた。……というのは誤解を招く。連中は戸惑い、ギィギィ鳴きながら慌てている。知能が低いっていうのはたしかなようだ。


 好戦的っていうのもたしかだ。すぐに一斉に襲い掛かってきた。


 ……

 …………

 ………………


 一戦を終えてから息を着く。ゴブリンっていうのはたしかに弱く、魔物というよりも人に近い連中だった。ホブと呼ばれる肉体の大きな連中がいたが腹に矢を打たれて弱り、小さいのはロステムが棒でまとめてけちらした。


 武器も持っていたけどそれでも無傷で制圧できた。きっと冒険者ではなく旅商人のような人達を襲って手に入れたものなのだろう。


 巣穴に転がる骨の中に人骨のような物もあるが、見ていて気分のよくなるものではないのですぐに意識から外す。


「ヒュージラビットの子供のほうがよほど手強かったね」

「あいつには矢が効かないからな」


 いやなことを思い出したと顔を歪めるアニマが巣穴の隅にまとめて置かれている戦利品の中から金属の矢を回収している。巣穴駆除のささやかな収入だ。


 ロステムもホブゴブリンが使っていた剣を二度三度と振るって手応えをたしかめている。表情の少ない彼だけど少し嬉しそうに見える。


「使えそうか?」

「研ぎ直し必要」

「ロステムは剣を使えるの?」

「おで、得意」


 町に戻る頃には夕方になっていた。討伐の証としてゴブリンの耳を削いだ物を添えてギルドに報告するとリュースザナドがニコニコしていた。問題ないとは言われたけど心配していたらしい。


 報酬の銀貨五枚の内一枚の使い道は鍛冶屋だ。ロステムが手に入れた剣のメンテナンスに使用する。アニマが装備を買いたいと言い出したが残りの使い道はレティシアに任せることにした。


 彼女の主張する有益な使い方ってやつも理解できるけど、銀貨四枚の大儲けに喜ぶみんなの顔が見たかったんだ。



◇◇◇◇◇◇



 忙しい日々が続き、季節が瞬く間に移ろい往く。


 春がすぎて夏になる頃には冒険者のランクが上がり、フォロワー級へと昇格した。これによりE級の依頼も受けられるようになった。討伐系のクエストに重きを置いていたけどある日レティシアから監査が入り、しごく当然のようにこう指摘された。


「はあ? なんでイチイチ魔物倒してんのよ。シェーファの鼻なら納品依頼のほうが簡単じゃない」


 冒険者業に関してはロステムとアニマと僕の三人が担当していたからレティシアの指摘は目からウロコだった。


 しばらくの間レティシアが同行し、あれやこれやと依頼を厳選するようになると稼ぎの桁が変わった。ベテラン冒険者でも中々見つけられない霊薬の材料や希少土類、芸術家が絵具に使用する鉱石なんかが僕らのメインになった。


 だがアニマから不満が出た。狩人なのに弓を使う機会がないのはおかしいと主張し、冒険者業を二つの班に分けることになった。


 僕とレティシアが納品依頼を。ロステムとアニマが討伐依頼を。エリックは靴磨きでウェンディはお留守番。


 依頼のない日も当然のようにあったし、そんな時はみんなで穏やかに過ごした。暖炉のある居間に集まって林檎を食べながらあれやこれやとおしゃべりをするのが楽しくて、ついつい怠惰に過ごしてしまう。


 外貨の両替業も継続している。月に一度はゴンズの酒場やアケロンに顔を出して外貨を集めてイース商会へと持ち込む。以前は資金力の面から取り扱いできなかった銀貨の両替にも手を出せるくらい余裕が生まれた頃に、両替業に商売敵ができた。


 トリトン・ファミリーが両替業のうまみに気づいて余所よりも高いレートで買い取りを始めたのだ。マフィアと競合すれば僕らに勝ち目はなかった。何より外貨なんてそう多く手に入るものではなく、両替業を始めた頃のような大きな儲けにはならなくなってきていた。僕らあっさりと両替業を手放すことでトリトンとの争いを避ける道を選んだ。


 季節が巡る。芽吹きの春から繁栄の夏へと向かい、僕らは季節の訪れを森の景観で感じ取る。夏の衰退は秋の始まりであり、秋は驚くほどに短く冬を迎えた。……僕は相変わらずルーシアに会わずにいた。

 あの優しい人達に怒られるのも泣かれるのも、不義理だってわかっているから怖かったんだ。


 もうじきレティシア達と出会って一年になる。こんなにも豊かな準備をして冬を迎えられる事など一年前には想像もしていなかった。狭く小さな寝床に潜り込んで残飯を漁っていた冬から、温かい家の暖炉の前で仲間達と楽しく過ごせる冬への変化。それがこの一年がんばってきた僕らへの報酬なんだ。


 冬がやってくる。



◇◇◇◇◇◇



 冬の夜、外は吹雪が吹き荒れている。


 風雨を通さぬ住処のリビングで僕らは今後の計画を練る。火をいれた暖炉の前で毛布に包まり、語る間に一人二人と眠気に落ちていき、眠った奴はロステムがベッドまで運んでいくシステムだ。


 ロステムは強くて働き者だ。真っ先に寝落ちしたエリックは見習え。


「別に帝都である必要もないのよね」


 暖炉の火を見つめながらレティシアがそう言った。その意図するところも意味も理解できない僕は返答に詰まる。

 戸惑いを察してくれたらしい。レティシアが言葉を重ねる。


「冬の間の稼ぎが悪いのは問題よ。冬でも外に出られる土地に移り住むのもいいと思うの」

「神聖シャピロとか?」

「ばーか、何年歩く気よ。そうじゃなくて帝都から南下した国内の、例えばバートランドとかセルジリア伯爵領よ。今のあたしたちには資金がある。きちんと入市税を納めて中に入って、市民権を買うことだって夢じゃないわ」


 市民権……?

 初めて聞く単語に戸惑う。レティシアは小馬鹿にしたりせず、でも少し呆れたふうに首を傾いだ。彼女は僕が物知らずなのを知っているからだ。


「貧民窟育ちじゃ仕方ないのはわかってるわ。市民権っていうのはその町の住人になるために必要な、土地の領主家に納付する税金なの。これを納めるとまっとうな住人として永住できるの」

「そうなの? 僕そんなの払ったことないよ」

「貧民窟の住人には必要ないわね。だって市民っていうのは新市街を囲う壁の内側に住んでる連中のことだもん」


 パッと思い浮かぶのは旧市街と新市街を隔てるものすごく高い城壁だ。これまでは漠然とお金持ちの住んでいる町という認識でしかなかった。


「じゃあ旧市街の人はまっとうじゃないってこと?」

「そこのところよくわからないわね。どういう扱いなのかしら」

「なぁんだレティシアにもわからないんだ」


「……うるさいわね。この町が特殊なだけよ」


 レティシアは謎多き女の子だ。貧民窟の子供とはちがって思考が複雑で単純ではない。僕からすればパン屋の親父さんやゴンズも複雑で大人って感じがするけど、レティシアの難解さはイース商会のブラウンの領域にある。


 そのちがいが何か? 薄々ながら予想がついている。きっとレティシアはブラウンと同じようにこの町の外の世界を知っている人間なんだ。


「ねえレティシア」

「なによ改まっちゃって」

「あなたはどこから来たの?」

「……」


 あまり触れられたくない質問だったらしい。いやそうな顔してる。


「……あたしとあんたの間に不信感みたいなの置きたくない。でも言いたくない気持ちも強いの。嘘をついてあんたを信じさせる事はできるわ。簡単よ。でもあんたには嘘をつきたくない」

「聞くなってこと?」

「端的に言えばそうね。もしあんたがそうしてくれるなら助かるわ」

「でも僕は知りたいんだ」


 言い分はわかった。でもそれと僕が何を選ぶかは別の問題で、僕は彼女のことを知りたい。謎を謎のままにしておくこともある。あまり興味のないことはそのままにしてもう思い出す機会もない。


 でもレティシアを謎のままにしておくのは、僕にはもうできなかった。


「僕はあなたを知りたい。教えてほしい」

「そう……」


 困らせたかと思った。でもレティシアはどこか嬉しそうに微笑みを浮かべ、僕の肩に頬を乗せる。


「遠い遠い南の国よ。海を渡った向こうに広がる大陸のさらに遥か南にあるエストの大地。あの地に無数にある小さな国、そこがあたしとロステムの生国」


「海……? イスト?」

「そっか、海も知らないんだ。海っていうのはとっても大きな川のことよ。ものすごく大きいの、泳いで渡ることもできないくらいものすごくね」

「泳げないの? じゃあどうやってこの町まで来れたの?」

「船っていう乗り物があるの。馬車のものすごく大きいやつね」


 レティシアの語る世界の話はこの町しか知らない僕には遠大で、あまりの大きさに想像さえ及ばない。


 街道の向こうに別の町があり、十も二十も町を越えた向こうに海があり、そのまたさらに向こうに彼女の故郷がある。


 エストの地では古きカルステンの流れを汲む言葉をしゃべる人々が暮らしている。いにしえの文化と暮らしを継承し、山々の瀬々に囲まれた高原の湖畔にある古き町で生きていた。ロステムの口数が少ないのは言語習得に苦戦していたからなんだ。


 煌めく青の大地と真っ白な町、いつか僕にも見せてあげたいという彼女の語る寝物語を聞きながら吹雪の夜が更けていく。



◇◇◇◇◇◇



 何日も続いた吹雪が止んだ日、久しぶりに狩りに出かけられるアニマが浮かれ気分でロステムを連れて行った。最近あの二人はとても仲がいい。なのでエリックがずっと暴言吐いてる。


「あのデクノボウめぇ……!」


 エリックはアニマが好きらしい。でもちっこいので相手にされていないのだと本人は思っている。思い込んでいる。エリックとロステムの二択なら誰でもロステムを選ぶと思う。


「この中で! 一番いい男っつったら俺だろ!? なあシェーファ!」

「そうは思わないな」

「そーよ」


 僕とウェンディが誇大妄想を打ち砕くとエリックが泣きながら出ていった。ご飯の前には戻ってくるはずだ。出ていかずにご飯の準備を手伝えと言いたい。


 二人は朝食までに戻ってこなかった。きっと久しぶりの狩りに熱中しているんだろう。ロステムという制止役がいるから無理はしないはずだ。……ヒマだ。


 久しぶりの晴れの日なのに何もすることがない。たぶん何もないと思うけどギルドにでも顔を出そうかな?


 秋口に買ったコートに袖を通して出かけようとした時、二階から降りてきたレティシアと目が合う。どうやら今まで眠っていたらしい。


「どっか行くの?」

「ギルドに」

「ふぅん……まぁ寝ててもお金にならないしね。あたしも行く」


 冬の合間のギルドは閑散としている。依頼もないわけではなく、むしろかなり溜まっている。

 カウンターの向こうで薄笑みを浮かべるリュースザナドに手振りだけで挨拶をし、適当に依頼を見ていく……


『Cランククエスト ビルゲイブ連山にオーガ部族の目撃情報あり、詳細な調査をされたし。報酬50ヘックス』


『Bランククエスト メスクレール討伐。報酬220ヘックス』


『ワラキア侯爵家が兵隊を募集中。ギルド推薦枠はDランク以上。希望者は受付まで』


『至急、火竜草求む。用途は浄化薬精製。報酬30ヘックス』


 火竜草が何かは知らないけど報酬はいいね。ランク未指定だし僕らでも受けられる。


「火竜草ってどんなの?」

「知らない」


 知らないのでは仕方ない。リュースザナドに40ボナ支払って植物辞典を見せてもらう。鉛筆絵で描かれているのは水晶のような鉱物花だ。口を開いた竜に似ているから火竜草という。魔素を多く含んだものほど赤みが増し、赤いほど上質であると考えていいらしい。


 温暖で湿度の低い土地に咲く場合が多く……? リュースザナドがクスクス笑い出す。


「火竜草は帝国にはないと思うわ。あっても琉国との境にあるワラキア侯爵領の辺りになるんじゃないかしら。ここから南東に何ヵ月も歩いたところよ」

「それ先に言ってよ……」

「40ボナ払い損とか……」

「大人になるって失敗と反省を積み重ねていくことだと思うわ。ありもしない火竜草を探し回るのを放置するほど悪辣じゃないのは感謝してほしいものね」


 僕らの口から感謝が出てくることはなかった。悪辣よりはマシっていうのは誉め言葉ではないからだ。だって40ボナ取られたし。

 以前のように銅貨の幾らかで困るような稼ぎではないけど、40ボナに痛みを覚えないわけではない。


 こうなれば何が何でもよい依頼を見つけようと粘ってみたけど受けられそうな依頼はない。がっくり肩を落としてギルドを去る。


 ギルドを出たレティシアの目は向かいのイース商会にある。


「装備でも見ていく?」

「誰の?」


 アニマには短弓がある。ロステムもゴブリンの巣穴で手に入れた剣を研ぎ直ししながら丁寧に使っている。エリックもナイフがある。レティシアの殺人ナイフよりも強い武器が僕らに買えるとは思えない。


「あんたのよ」

「要らない」

「じゃあロステムのでも探すか」

「無理に探すことないのに……」

「ヒマなのよ」


 ヒマつぶしであるようだ。空腹と寒さと足の痛みに耐えながら残飯を探して町を彷徨っていた日々を考えると僕らも立派になったものだ。


 イース商会に入るとカウンター内のブラウンがおやと目を向けてきた。


「本日はどのような御用で?」

「武器を見せてもらいたいの」

「ほぉ武器をね……」


 ブラウンが何事かを考えている。何をどんな邪推をしたものか、レティシアのユノ・ザリッガーに強い興味を抱いているふうに見える。


 ブラウンは折に触れては殺人ナイフを見せてくれと言う。だがレティシアが見せた事は一度もない。手に取って見ずとも鞘から抜いて見せてくれるだけでもいいという提案にも応じない。


 つまり確証がない。彼が真に欲しがる物であるかどうかが謎のまま、彼は恩を売るような行動を積み重ねていく。……この辺りはレティシアも打算なんだろうけど薄氷割りって感じだ。


 ブラウンが後ろを向き、奥の事務所にいる誰かに言いつける。


「オーブ、応接を」

「はい旦那様!」


 少年が迂回する形で通路の奥からやってきた。そして僕らをスルーして客を探している。ブラウンが笑いながら告げる。


「お前の目はどこに付いている。そこの二人だ、僕の顧客だ、丁寧に応接しろ」

「えっ……はい、わかりました。どうぞこちらへ」


 通路の奥は大きな武器屋になっている。ケースに飾られた高級な武具。壁にかけられた槍。様々な武具に目線が滑る。ロステムが持っているようなチャチな剣は一つとしてない。


 オーブという少年が丁寧だったのはここまでだ。明らかに僕らを軽んじ、面倒くさそうにしている。


「お前ら金はあんの?」

「少しはね」

「はぁ~~~~ガキの少しで買えるようなもんはうちには置いてねえぞ」

「態度の悪い奴。ブラウンに言いつけるわよ」

「勘弁しろ。金のねえやつの相手させられたうえに叱られるとかやってらんねえぞ」


 まずこいつの相手をさせられている僕らの心情も考えてほしい。


 オーブの説明付きで武具を見ていく。態度は悪いが知識はきちんとあるらしい、色々と細かい話を披露される。ただどこそこの名工の何々が作ったって枕詞は不要すぎる。知らんおっさんの作った武器で終わるからだ。


 必要なのは使えるか否かで、それを判断するのは僕らだ。知らないおっさんの名前で買うわけじゃない。

 オーブの接客は武器を部屋に飾る奴を相手にするような、イマイチなものだと思った。


「このミスリルの槍は……金貨88枚か。無理ね」


 僕らの貯金もだいぶ増えて200ヘックスはあるはずだ。それでもミスリルには手が届かない。ミスリル銀の武器は一番安いナイフでも600ヘックスからだ。……ひどくない?


 見た事もないような大金を手に入れてワクワクしていたのに一番安いナイフさえ手に入らないんだ。一年の稼ぎでも三分の一なんだ。


 しかも欲しいのはナイフじゃなくて槍のほうでそっちはヘックス銀貨3000枚越えだ。絶望しかない。しかしまたなんで槍を?


「ロステムは槍のほうが得意よ。あいつあんたくらいの頃から槍振り回してたもん」

「へえ、剣でもすごく強いのにね」

「冒険者だと得意はいっこきりってのも多いでしょうけど、武家の男ってのは三つ四つと練磨するものよ」

「初耳、ロステムは戦士の家の子だったんだね」

「……口が滑ったわね。まいったな、気が緩んでるのかしら」


 言いたくないから質問するなと睨まれる。オーブのいるこの場ならなおさらだ。彼の口を継いでブラウンの耳に入れたくない。


 ブラウンは優良な取引相手だけど、必要以上に親しんではならない。彼が欲しているのはレティシアの持つ二振りの殺人ナイフだ。あれが本物のユノ・ザリッガーだとバレた瞬間イース商会は武力を以て抑えに来る可能性があるらしい。


 レティシアがミスリル銀の槍から目を離す。代わりに別の槍を見ていく。


 世界樹を削り出した長柄とブラックアンタイトの穂先を持つ槍が600ヘックス。中級の冒険者が愛用しているモデルだという説明だ。中級とはDからCを指し、よほど特殊な進化個体でなければ充分らしい。


 全体を鋼で作った一番安価なモデルは100ヘックス。先のモデルと比べれば何段も落ちるけど充分に強力な武器だ。


 色々見ていった結果ロステムに決めてもらうのが一番となった。遠慮しそう……


 でもせっかく貯めたお金を無理に使われずにホッとした。無駄遣いもほとんどせずに一年かけて貯めたグループの共同資金だ。ヒマつぶしで使われたら溜まらないよ……


「あんた、まさか無駄遣いされなくてよかったとか考えてないでしょうね?」

「よくわかったね」

「わかるわよあんたの考えくらい。あたしに言わせればあんたのそれは貧乏性よ。無駄貯金よ。金を貯めて何になるの、こんなもの所詮商品交換チケットじゃない。真に有益な使い方は投資&回収でしょ。チマチマ貯め続けるだけなんて不健康の極みなんだからね」


 理路整然と正論ぶつけてくるのはやめてほしい。ううぅぅぅ頭が痛くなる。


「それとロステムは遠慮しないわよ」

「え?」

「あいつだって必要な物が何かはわかっているはずだもの。強い武器を手に入れて強い魔物倒して大きな報酬を得てを繰り返していくしか道はないの。あんたの貧乏性は低ランクのうだつの上がらない連中が陥る罠だわ。意識が低いの。あたしに付いてくるのなら意識を高く持ちなさい、Sランク冒険者になるくらいの意気込みを持つの」


 説教はやめてほしい。大声でガァーって言われると頭の中が混乱しちゃうんだ。


 完全に話の外に置かれているオーブが言う。


「で、買うのか?」

「今後の指針を決める有益な場だったわ。実際に品を確認して価格と性能を体験した結果を考慮し、今後の購入計画を立てるとします」

「今日は買わないって証明みたいなセリフだな……」


 呆れ返るオーブと別れてイース海運を出る。去り際にブラウンがオーブから色々と尋ねている姿が見えた。それが少しだけ気がかりだ。


 ただレティシアは憂慮に値しないと考えているようだ。いいの?


「いいのよ。むしろブラウンの関心を削ぐ形になったと思うわ」

「なんで?」

「世の中には金で買える物ばかりじゃないの。レジェンダリー・クラスの武器なら金貨を十万も百万も積んでそれでも手に入らないのよ」

「それがそうってこと?」

「さあ。一般論よ、気にしないで」


 翌日からまた吹雪いた。町は活動を停滞させて人々は温かい家の中にこもる。穏やかな冬が過ぎていく。まどろみのように穏やかな時間は年を跨いで春を迎えるまで続いた。



◇◇◇◇◇◇



 春節が近づいてきたとある日、レティシアが拳を突きあげて宣言する。既視感あるなあ。たしか去年もこんなんで屋台を出すとか言い出したんだ。


「リベンジよ!」


 みんなが沈黙する。果てしない戸惑いの中でみんなで目配せしている。だって屋台のリベンジなら夏祭りでやったんだ。大儲けだったよ。


 夏の屋台には探し物屋時代の客もけっこう来てくれた。メセタリ―でお世話になっている婦人会の子供達もだ。旧市街の人達も悪い人ばかりってわけじゃないね。


「夏は夏、春は春よ! 春のリベンジは春にするの、いいわね!?」

「レティシアが無茶苦茶言い出すのには慣れたけど……」

「じゃあ入ってきて」

「「どもども~~!」」


 祭りの季節になると思い出したようにやってくるルカ&ミューズがたくさんの衣類を置いていった。回を重ねる毎に裁縫技術があがっているのか帽子や腹巻きとラインナップが増えている。


 屋台作りに必要な木材はロステムが用意してくれていた。暖炉用の薪にしては大きいと思ってたよ。


 春節の準備に賑わう聖オルディナ通りで屋台を組む。エリック? あいつなら靴磨きに逃げた。奴とはいつか決着をつけないといけないと考えている。手加減を加える気は一切ない。


 ロステムと二人で屋台を組み上げると対策について話をする。屋台から目を離すと壊されるから見張りを置くっていう話だ。夏祭りの間も僕かロステムのどちらかが見張りをした。前回は三日、今回は七日と期間が長い。


「じゃあ今夜は僕がこのまま見張りにつくよ」

「任せた」


 ロステムが頭をわしゃわしゃ撫でてきた。なぜか僕の頭を撫でたがる大人が多い不思議に対して答えを求めてみる。


「トゥライ イエット ワス シルシターンマナドース。イエット マテルナ シンカシー(お前の頭からは魔法力が溢れ出していて煌めいている。とても綺麗に見えるからつい触りたくなるのだろう)」


 ……何語?


「ユーバ ライ ライシェッド イエット カシュー ティングライ クージー(俺なんかよりお前はきっと強くなる)」

「ねえ今なんて言ったの?」


 ロステムが微笑を浮かべて去っていく。謎だ。謎多き男なんだ。


 屋台の中に潜り込んで毛布をかぶって眠る。……事件は夜中に起きた。

 ガンという屋台の木材に鉈を叩きつける音で目覚め、もう一度と鉈を振り上げた人物にとびかかる。


 細い首だ。このまま握り潰してしまえそうな細さだ。もがいて逃れようとする体に圧し掛かり、動きを封じる。首を握られる意味もわからないのだろうか……?


 雲間から差し込むイリスの銀月に照らし出された彼女の顔に……

 僕は呆然とするしかなかった。


「離して!」


 ドンと突き飛ばされても僕は何もできなかった。制圧どころか、身動き一つできずに尻もちを着くしかなかった。


 彼女が走り去っていく。僕はその背に手を伸ばすこともできない。


 一年ぶりに見た彼女の顔が泣きそうなものだったせいかもしれないし、別の理由かもしれない。彼女の想いがどんな形にせよ彼女への不義理が僕の胸の中でじくじくと痛む。


 屋台を壊しにきたのはルーシアだ。

守銭奴3%→4%

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