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番外編 銀の遠吠え02

 シェーファには肉親みたいなジジイがいた。でも肉親ではなかった。


「てめえはそこの川辺で拾ったんだ。あ、なんで拾ったかって? そりゃ俺の始末をつけさせるためよ。いいか俺がおっちんだら墓穴掘って埋めろ。そのために拾ってやったんだ。それまではてめえに生きててもらわねえと困る」


「なんでそんな事のために拾ったかって言いたそうだな? そりゃ俺のために決まってるだろ。俺の不始末は俺が付ける。そのためにてめえを生かすんだ。わかってねえ面すんじゃねえよ、わかれ、わからねえと俺も困んだよ」


「いいか、てめえの仕事は一つっきりだ。俺の最後を看取って墓に埋めるそんだけだ。墓はそうだな、あの丘だ、あそこに埋めろ。忘れんなよ、てめえはそれだけのために生かしてやってるんだ」


 ジジイの名はルキウス。三つ腕のルキウス、元は冒険者だったらしい。

 ランクはAランク。若い頃に大成して成り上がったはいいが酒色に耽り、借金で身を持ち崩し、挙句同業にハメられて不名誉を負いギルドを追放されたらしい。……って本人が言っているだけなので嘘かもしれない。


 ジジイは銀の犬に何かを教えたりはしなかった。浴びるように酒を飲み、いつも好き勝手にくっちゃべって眠るだけだ。銀の犬は彼の世話を焼くために存在していた。


 たまに出かけたと思えば山ほどの大金を持ち帰り、翌日にはそいつを全部博打で失っているような破天荒なジジイだった。


 メシは食ったり食わなかったり。ジジイも別に養育しているつもりもなかったのだろう。シェーファの食い物まで都合をつけてくれるような親切な老人ではなかった。


 ただ機嫌がよければ馴染みのゴンズの酒場で好きなだけ食わせてくれたりする。


「ゴンズには俺やてめえが一生飲み食いしたって使い切れねえくらいの金を預けてる。困ったらこいつのところに行けよ。メシを出さねえとかぬかしやがったら一発ぶん殴ってやれ」


 いや何も教えないようでけっこう教えていたりするのだが、ルキウスのジジイはまず言葉を教えないといけないことを理解していなかった。帝国でも古い言葉に属するエリザリン語でバーッとくっちゃべるからシェーファも三歳になるまでほとんどしゃべれなかったんだ。


 ルキウスはいつも酔い潰れているようなロクデナシだがたまに素面の時がある。

 そういう時は体を動かしたくなるらしい。


「体の使い方を教えてやる。ついてこい」


 そう言ってシェーファを連れ出したルキウスがやるのは大抵アクロバット散歩だ。軽いジャンプで屋根まであがり、歩くように屋根から屋根へと飛び移っていく。ついていけないとぶん殴られるからシェーファも必死だ。


 ルキウスは不思議なジジイだった。水の上も歩くし空も歩くし、時には瞬間移動の真似事までやっていた。でもシェーファにはできなかった。瞬間移動も空渡りも水の上を歩くこともできずに川に落ちてしまう。


「ったくダメなガキだな。俺がてめえの年の頃は……どうだったかな、思い出せねえや」


 相当な無茶ぶり続きのアクロバティック散歩だがシェーファはこれが大好きだった。散歩の後はルキウスも腹が減るらしく腹いっぱい食わせてくれるからだ。


 ルキウスにシェーファに名前を付けてくれなかった。言葉も与えてくれなかった。でも何か失敗をしでかすと呆れ口調で……


「ったく、そいつが腐ってるくれえ匂いでわかんだろうが」


「バカタレが、物は盗られる奴がわりいのよ。大金持ってる時ほど慎重になれ。持ってることを他人に知られるな。乞食を襲う暇人はいねえだろ、わかったら次はうまくやるんだな」


「泣くんじゃねえよガキがピーピーうるせえったらありゃしねえ。泣いてりゃ怪我がなおんのか。金が降ってくるんか。腹がふくれんのか? てめえは本当に手のかかるガキだぜ……」


 ルキウスは強いジジイだった。身も心も強く、強すぎるがゆえに誰も必要としない無頼漢だった。


 だが孤高の無頼漢にも衰える日がやってくる。シェーファが三つになる年に病を患い、寝たきりになったのだ。


 病を得てからルキウスは強さを失った。乱暴な言葉遣いをやめ、せっせと世話をするシェーファに感謝を口にするようにもなった。……それが何だか悲しかった。


 幼心にルキウスの強さに憧憬を抱いていた。子供が父にそう願うようにシェーファにとってルキウスは最強の男だったのだ。


 最強の男から強さが剥がれ落ちた時、そこにいたのは貧民窟のどこにでもいる乞食のようなみすぼらしい老人だった。……こんな姿は見たくなかったんだ。


 病んだルキウスの世話をする日々が続いた。ゴンズの酒場からメシと酒を持ち帰ると優しい手つきで頭を撫でてくれる。


「ありがとうよ、お前は優しい奴だな」

「わふ」


 シェーファは心の交流を求めていた。でもこんな形は望んでいなかった。ルキウスには最強の男で在り続けてほしかったから、病み衰えていく彼の姿がつらかった。それはルキウスも同じだった。


 一人では身を起こすこともできなくなった彼を起こし、せっせと体を拭いてくれるシェーファの献身と我が身の不遇を嘆いていた。


「情けねえなあ」


 情けねえ、それがいつしか彼の口癖となった。


 病み衰えたルキウスは死期を悟り、シェーファに色々と教え始めた。男の生き様とか剣の持ち方とか今でも後悔している事とか……

 まるで回顧録でもつづるみたいに延々としゃべり続けた。


 そんなジジイの最後はとある冬の日だった。帝都を閉ざす長い冬が明けようとする日の朝に、ふぅーと長い吐息をついた。


 ルキウスは静かな面持ちでじぃっとシェーファを見つめていた。シェーファも彼を見つめ続けた。何となく察するものがあったのだ。


「なあ、お前なあ……」

「あう?」

「ありがとうなあ。お前が居てくれたおかげで、俺みたいなもんでも人間様らしい最後を迎えられた。ありがとうなあ」


 それがジジイとの最後の思い出となった。

 シェーファはジジイの遺言どおりに帝都南西の小丘に墓を作り、でも遺言とはちがってきちんとした墓石を用意してやった。


 墓碑銘は刻まなかった。出生年も彼が人生において何を為したかも、何も知らなかったと気づかされたからだ。埋葬を手伝ってくれたゴンズも何も言わなかった。


 ただ二人して送り火をぼんやり見上げるだけにした。



◇◇◇◇◇◇



 貧民窟の孤児は仲間と身を寄せ合って生きている。大人から身を守るために孤児どうしで結束し、数のちからで立ち向かうためだ。


 だいたいが三人から五人の小集団だ。数はちからだ、とはいえ多すぎれば食事の用意や住処の問題で困る。大きな集団を維持するために必要なリソースが貧民窟には存在しないし、規模が大きくなれば強い大人に目をつけられて上納金を巻き上げるカモにされる。


 だが悪い事ばかりではない。目端が利いたり腕っぷしが強いと見込まれればマフィアの下っ端へのリクルートもある。貧民窟の子供にとってギャングスタは憧れの進路の一つであるのだ。


 路上で暮らしているガリガリの情けない大人になるか、マフィアで幹部としていい暮らしをするか。両方見ていればマフィアを選ぶ。……教育の光なき子供たちがマフィアの兵力となり、彼ら自身を害する今日の搾取環境を支えていた。


 レティシアを名乗る少女の口車に乗せられてノコノコついてったシェーファは道すがらに色々聞いている。


 彼女がリーダーやってるグループは五人と少し多め。最年長が十二歳のロステム、ヌボーっとしたノロマな少年らしい。最年少は六歳のエリック、しきり屋でえらそうな怠けものらしい。


(なんだか悪口しか出てこないなあ)


「あんたが入ると最年少ね。でもうちは実力主義なの、年功序列なんてアホらしいまねはしないわ。グループに一番貢献してる奴がいばっていいの!」

「つまりレティシアのこと?」

「そうね!」


 超えらそうに肯定された。


「でも自分が一番になってやるくらいの気持ちで張り切ってほしいわ。あんたには期待してるんだから!」


 どうやら激励や意欲推進が目的だったらしい。


「誰が一番かって誰が決めてるの?」

「あたし!」


 どうやら独裁らしい。これはどんなに頑張ってもレティシアがトップだなって早い段階で見抜いたシェーファであった。


 グループは青鴉城の近くで暮らしているらしい。聞いた時はなんでそんな危険なところでと思った。


 九龍城のように増改築を繰り返していった青鴉城は人工の迷宮のような場所で、たくさんの部屋とたくさんの人々が住んでいる。ここはトリトン・ファミリーの本拠地であり、空き部屋を貸しての不動産業もやっている。


 貧民窟では安全は高価だ。新市街に入れない理由ありな連中に安全を売っている。でもレティシアのグループが居を構えるのは青鴉城の中ではなく外。彼らが自衛のために勝手に築いたバリケードの一画だ。


 椅子やタンスに廃材を重ねて作られた粗雑なバリケードの一部に大柄な少年が立っている。彼が最年長のロステムらしい。十二歳とは思えないほど背の高いがっしりした少年だけど、開いてるんだか閉じてるんだかわからない目に、全体的にどんくさそうなイメージがする。


 なるほどたしかにヌボーっとしている。うすらでかいのって感じだ。でも体格だけは見事なもので大人の冒険者くらいがっしりしている。そんなロステムは槍とも呼べない長い棒を持ったままつっ立っている。


「異常は?」

「うっす」


 どっちかわからない返事だ。でもレティシアは無いと判断したようだ。


「こいつね、いつもうっすしか言わないの。ちょっと足りてないの」

「うっす」


 馬鹿にされてもこの態度である。逆に頼もしさすら感じる。ノロマというか不動なるロステムって感じだ。


「こいつ新入りの銀の犬よ。あんたも聞いたことくらいあるでしょ」

「うっす」


 ロステムが握手を差し出してきた。返事はどうあれ気のいい少年であるようだ。


「よろしく」

「よろしくっす」


 男どうしでがっちり握手する。


 レティシアがバリケードの隙間に潜り込んでいった。子供でも這いつくばって行かなきゃ入れないような入り口を入れば中はけっこう広かった。……広いといっても二畳ほどの広さに、大人じゃあ座ることもできないような天井の低さだ。それでもバリケードの中の空間と考えれば広いほうだ。


 中には三人の少年少女がいた。どいつもこいつも見た事のある面だ。さっきシェーファを見捨てて逃げた連中だ。


 順番に紹介される。目端の利きそうな生意気そうな獣人のエリック。姉の生意気そうなうるさいウェンディ。エルフの狩人のアニマ。……一人だけきちんとした職業の子がいる謎。


「狩人なのに街で暮らしてるの?」

「冒険者になりたくて故郷から出てきたのにお金がなくてギルドに入れなかったんだって。ばかよねー」

「うるさいな……」


「しかも寝ている間に弓盗まれたのよねー」

「おいやめろ、その紹介だとひどい大マヌケに思われるじゃないか」

「だってほんとじゃん」

「鉄板ネタってやつだな。お前が銀犬か、いきなり何人も名前言われたって覚えられやしねえだろ。だが心配はしなくていい、このエリック様の名前だけを覚えな。他は有象無象だ覚える価値もねえ」

「口だけエリックがよく言うな」

「なんだとぉ!?」


 アニマとエリックがケンカ始めちゃった。つかみ合いの大喧嘩だ。……外からヌッと大きな手が入ってきて、エリックの足首を掴んで引きずり出していく。ホラーじみた光景だ。エリックが悲鳴をあげている。腕を蹴ってるけど何の効果もない。


「やめろ誰だ、やめろやめろやめてぇぇええ!」


 外からエリックが地面に叩きつけられる音が聴こえる。足首掴んだまま何度も叩きつけられている。やがてノロマのロステムが入ってきた。白目むいてるエリックを掲げて、ものすごく悲しそうな顔で言う。


「ケンカよくない」

「こいつらにいじめられたらロステムに相談しなさい。こんなふうにこらしめてくれるから」

「……おで、人たたくの嫌い」


 心優しい巨漢がしょんぼりするとエリックの姉のウェンディに蹴られた。


「しゃっきりしなよ。あんた無駄にでかいんだから落ち込まれるこっちまで気分わるくなんのよ」


 何ともこうるさい連中だ。終始いがみ合っているぞ。


 紹介はだいたい終わったかなってところでレティシアがこの場にいない連中のことを言う。


「他にも二人いるんだけどそいつらは一緒に住んでないの。そのうち紹介するわ」

「どこにいるの?」

「エド婆様のとこ。知ってる、裁縫屋の?」

「たぶん知ってる」

「婆様ってば腰わるくしちゃってね、あれこれ世話する代わりに裁縫教えてくれるっていうんでルカとミューズが泊まり込みにいってるの」

「へぇー」


 なるほどそういう事もあるのか。スラムの子供が生きていくためには盗んだり拾ったりし続けるしかないのだと思っていたけど、裁縫を覚えれば食いっぱぐれない。


 スラムの住人から仕事を受ける職人は希少だ。住人は貨幣を持っていないからだ。まともな職人は物々交換でなんか仕事を引き受けない。住人が持ってくるボロ布から糸を抜いてそいつで裁縫をしている貧民窟の裁縫屋は住人からありがたがられている。裁縫屋に強盗に入った者を血眼で探し出して殺して吊るすくらいには大事な存在なのだ。


 この日からレティシアのグループでお世話になることになる。雨風しのげる狭い住処は人口密度高めなせいで温かく、みんなして川の字になって眠るのだ。……何だかルキウスのジジイを思い出してこの夜はこっそり泣いてしまったシェーファであった。



◇◇◇◇◇◇



 目覚めはいつもよりすっきりしていた。いつもより深く眠れたのか昨夜の疲れが全然ない。他人と一緒に眠るってのも悪いことではないのかもしれない。


 僕は寝床から起き上がり、なぜか僕の上でヨダレを垂らしながら眠っているウェンディを蹴飛ばして外に……


「ふぎゃ! なぁにすんのよー!?」

「邪魔だったもん」

「はぁぁぁ!? 邪魔だったら蹴飛ばすってあんた乙女をなんだと思ってるわけ!?」


 昨夜一晩でわかったことがある。僕はウェンディが苦手だ。早口すぎて何を言ってるのか聞き取りにくいのもあるけど、怒りっぽいからだ。

 怒りっぽい子は苦手だ。怖いから。


「ちょっと聞いてるの!? 無視すんなぁー!」


 逃げるみたいに寝床から出ると外はまだ雪が降っている。


 降り止まぬ雪上でレティシアが運動してる。二本のナイフを振り回して遊んでる。でも僕に気づいてピタリと動きを止めた。見られたくないのかもしれない。


 レティシアが面白そうに笑い出す。理由はさっぱりわからない。


「女の子は大切にしてあげなきゃダメよ。大切にしてあげると何かいいことがあるかも?」

「いいことがあるの?」

「そ、いいことがあるの。ウェンディはあんたのこと気に入ったみたいだから……」

「ちょっと! 気に入ってなんかないわよ!」


 ウェンディがガバっと勢いよく出てきた。そのまま飛び掛かってきそうな雰囲気がしたから跳び退って距離を取ると犬みたいな唸り声をしながら睨まれてしまう。怖い。


「あんたナマイキよ。大人しくたたかれなさいよ」

「やだ」

「こんのぉ!」


 飛び掛かってきたので避ける。ウェンディは怖い。何で怒ってるのかよくわからないからだ。

 レティシアは助けてくれない。無関係みたく笑ってるだけだ。


「探し物に行くんでしょ?」

「うん」

「あんたがどこで何をしようと自由だしあたしたちはあんたを縛らない。でも夕飯までには戻ってきなさい。夕飯は毎日みんなで食べる、ルールは絶対厳守しなさいよ」

「夕飯はいつ?」

「日が沈んだら夕飯よ」


 レティシアがにっかり笑ってそう言った。


「わかりやすいでしょ」

「うん」


 レティシアは昨日も色々言ってた。何でもルールは誰かに守らせるものだからシンプルであればあるほどいいらしい。グループに有益な存在であるように常に努力すること。グループの仲間とケンカしちゃダメ。資産の個人所有は禁止でみんなのもの。


 そして最後にあたしがルールで王様よって言ってた。どうやらレティシアの言うことを聞き、逆らったらご飯抜きになるらしい。


 大暴れしてるウェンディの襟首を掴んで止めているレティシアが何か悪いことを企んでそうな顔で……


「いってらっしゃい、たっぷり稼いできてね!」


 何だかよくわからないけど、仕事にいくのがものすごく嫌になる微笑みしてた。



◇◇◇◇◇◇



 夏の間は順調だった探し物も冬の入り口をまたげば依頼がパタリと止んだ。雪の降る中わざわざ探し物をさせようという人もいないようだ。


 ルーの親父さんのパン屋で営業している探し物事務所は開店休業のようなもの。客がまったく来ない。


 でもパン屋の客足は途絶えない。明け方からの三時間は常に誰かしらいるような状態で、ピークがすぎてもポツポツと客が来る。カウンターにでんと構える親父さんに商売のコツを聞いてみる。


「そりゃおめえよ、パンは食えばしまいだが探し物はまた失くすまでは手元にあるだろうが。お前の鼻はたしかにすげえぜ。だが商売としちゃ難しいな。子供の小遣い稼ぎから上にはいけねえだろうよ」


 これにルーシアが別の方面から解決策を提案する。


「客単価をあげてみるのはどうかな?」

「値上げか? どうだろな、安いから来ているって連中も多いだろ。それと噂のシェーファ見たさってのもだ。ここいらの住人も懐に余裕があるわけじゃねえんだ」


「じゃあどこならお金持ってるの? お貴族様?」

「ルーよ、めったな事じゃノーブルの名前を出しちゃだめだ。そりゃ貴族相手の商売は儲かるんだろうがあの方々とは関わり合いにならないほうがいい」

「どうして?」


 親父さんの顔が困ったものになる。どういえば娘の好奇心を押し留められるか考え中って顔つきは、娘の耳には入れたくない話の加工に苦戦しているものだ。


 やがて親父さんが諦めて話を変える。いや元々こういう話だったんだ。


「金を持ってるっていうのは新市街の連中だ。この旧市街はやっぱり貧乏人の町なんだよ。金持ちはみんな清潔な新市街にいるのさ」

「クリスタルタウンかあ、あたしも行ったことないわ。ねえシェーファそっちで商売してみない。露天商みたいに大声はって呼び込みするの!」

「ルー、俺らは新市街に入れない。あそこにいるのは市民権を買った奴らだけだ」


 親父さんが言うには帝都の住人には四種類いるって話だ。


 元々帝都に住んでいた市民の家柄だけど新設された新市街への移住権を買わずに旧市街に住んでいる人々。買わなかった理由は大抵が高額な市民権を買う余裕がなかったからだって。


 市民権を購入して帝都新市街に住んでいる人々はお金持ち。この人たちを相手に商売できれば儲かると思うけど、こっちの住人は新市街へは入れない。門で追い返されちゃうんだ。


 他の二種類は僕のことだ。新旧の市民権を持たない流民、これが貧民窟に住んでいる人の正式な名前だ。そして新市街クリスタルタウンの奥にある一等地に住む貴族だ。


 せっかくのルーの提案だけど新市街で商売はできないらしい。


 こういう会話の間も客が来ない。雪は相変わらず止みそうもなく、何もしない時間ばかりが積み重なっていく……


「困ったなあ。たっぷり稼いでこいって言われたのに……」

「誰に?」


 ルーがものすごい速さで聞き返してきた。顔が怖い。目が怖い。なんで両肩を掴まれたの?


「ねえ誰に言われたの? まさか恐喝されてないよね?」

「ちがうよ」


 って答えるとルーが安堵する。でも次の瞬間には柔らかそうな顔にヒビが入っていた。


「昨日から一緒に住み始めたレティシアに言われたんだ」

「だ…誰それ……?」

「ほうっ、おめえも隅に置けねえな。その年で女捕まえるとは将来が不安だぞ」


 おそるおそる聞き返してきたルーと面白がるような親父さん。反応はそれぞれだ。ルーが僕の両頬に爪を立てる。目を逸らすことも許さない構えだ。


「ねえシェーファ、最初から最後まできちんとお話してくれる? 場合によっては……」

「ルー、男は束縛するもんじゃねえぞ。男ってのは束縛されると逃げたが―――」

「お父ちゃんは黙ってて!」

「……おう」


 親父さんは頼りになるしきちんとした大人だけどたまにこういう情けない時がある。


 ルーが怖いから最初から最後まできちんと説明する。説明するにつれてルーの顔のきつさが取れていくけど安心しちゃダメだ。迂闊な失言一つで怒りが再燃する。……なんで怒ってるの?


 きちんと説明を終えると親父さんが納得したみたいに手を打った。


「なーる。お前はスラムの徒党に入ったってわけだ」

「徒党?」

「なんでおめえが知らねえんだよ。グループともチームとも言うな、ちょいと気取った言い方をすりゃ同盟だ。知ってるか、冒険者ならクランっていうんだ」

「へぇ~~」


「ま、そうよね! シェーファが女の子と同棲するわけないもんね!」


 ルーにも納得してもらえたみたいで何よりだ。そして話はまるっと戻ってこうなる。お金をたっぷり稼ぐ方法だ。僕は新市街のお金持ちと商売したほうがいいと思う。


「新市街は……」

「ばかねえ、お父ちゃんが無理だって言ったじゃない」

「無理とは言ってねえぞ?」

「え?」


「俺もさっきまでは反対だったが徒党の連中も食わせていくってんなら今の稼ぎじゃ無理だ。本腰を入れて話してやる」


 親父さん、さっきまでやる気なかったの……?

 親父さんは職人だから金にならない子供の相手なんか適当にしてしまう。正直そこはきちんと相手してほしい。僕の生活かかってるし。


「まず新市街に出入りするだけなら市民権は要らねえ」

「そうなの?」

「おう、必要なのは身分を証明する書類と通行税だ。まず身分証明だがてっとり早いのは商業組合の会員証だな。これだ」


 親父さんがカウンターに置いたのは黒びたバッジだ。動物と天秤の図柄が彫られている。


「こいつは俺の所属するパルス穀物職人組合の会員証だ。これに加えて通行税が銅貨二十枚かかる」


 銅貨二十枚なら調子がよければ半月で稼げる。あれ、思ったより簡単?


「けっこう簡単に入れそう」

「へんっ、そいつは俺がバッジを貸してやるっつー計算だろうが。こいつは俺にとっても大事なもんだ。娘の友達ってだけのガキにホイホイ貸してやれるような代物じゃない」


「えー、お父ちゃんのケチ」


「黙ってろよルー。もしこいつを失くされでもしたら俺も大損なんだ。いいか、こいつはガキのバザーごっこの話じゃない。男と男の話だ。俺はこいつを男と見込んで話してる、そいつがわからねえようだとお前シェーファの隣に立つ資格がなくなんぞ」


 普段ルーに甘い親父さんも時に厳しいことをいう。普段甘いのは厳しくするとルーが泣いちゃうっていうのもあるらしい。嫌われたくないんだ。


 でも厳しい時の親父さんの口から出てくるものは小銭より価値のあるお話だ。


「シェーファお前が新市街に入ろうと思えばどこぞの組合に加入する必要がある。つまり組合加入費を稼がねえとならねえ。そうだな、うちのギルドなら銀貨八枚か」


「……銀貨?」

「そうか、銀貨を見た事がねえか」


 親父さんがカウンターにコインを並べ始める。

 すり減り具合のバラバラな茶色くて黒ずんだコインを八十枚並べて、その横に黒ずんでいるのにまだ綺麗な鉄色のコインを一枚置く。


「こいつがヘックス銀貨だ。こいつ一枚でボナ銅貨八十枚と同じ価値がある」

「……うそ?」

「いんやマジだ。俺もガキの頃は謎だったが銀ってのはそれだけの価値があるんだ」


 親父さんはそれから色んなコインを置いていった。ピカピカと輝くレギン・アルターク皇帝即位記念銀貨。エリザリン公生誕記念銀貨。アバナイ銅貨。ラステル銅貨……


 これらはそれぞれ価値がちがうらしい。同じコインでもすり減り具合によって半分の価値しかない物もある。新品のコインと古いコインを並べてみるとすぐにわかる。厚さがぜんぜんちがう。こういう時は二枚で銅貨一枚と計算するらしい。


 いま手元にあるのは26種類だけど本当はもっとたくさんのコインがあって、それの価値を覚えるのが商売をする基本だそうな。難しいな……


「わかったろ。おめえがやってたのは俺っつー頼れる大人が傍にいるからできる子供のごっこ遊びだったってわけだ。商売をやるっていうのはこういう知恵を詰め込んだ先の話だ。はっきり言ってお前にはまだまだ無理だ」


 気落ちしてしまう。できない理由を突きつけられてお前には無理だって言われるとどうしようもない。いまここにあるコインの名前だって半分も覚えられなかったのに、どれが幾らでなんて覚えられるわけがない。


「おい、なんか勘違いしてねえよな?」

「してない。無理なのわかったし」

「すねるなよ愛らしい奴だな。俺は本腰いれて話してやるって言ったろ。まだまだ無理ってのはこれから覚えていけばいいって話じゃねえか」


 親父さん……!


「貨幣だなんだってのはコツコツ覚えていけばいい。まずは目先の問題を一つずつ解決していくぞ。身分証明だが別に穀物職人ギルドじゃねえといけねえわけじゃねえ。で数あるギルドの中でも一番会員費が安いのはアドベンチャーズ・ギルドだ」

「冒険者が?」

「おう、たしか銀貨三枚かそこいらだったはずだ。まずお前は240ボナ分の会員費を稼がねえといけねえ」

「へへへ、お父ちゃ~~~ん」

「ダメだ、若い内の借金はくせになる。おめえシェーファをクソみたいな男にしたいのか? こういうところからビシっとさせとかねえと男はすぐダメになるんだ」


 親父さんがジロっと睨んできた。お前まで甘えたこと抜かすつもりじゃねえよなって確認だ。僕はブンブン頷き返した。逆らうとゲンコツが飛んできそうだし。


「金を貯める。商売の勉強をする。一先ず思いつくのはこんなところか。やっぱ男には目標がねえとつまらねえよな、まずはこの二つを頑張ってみろい」

「うん!」


「……目標が決まったのはいいけどぉ、シェーファは何をどんなふうにがんばるの?」

「そりゃおめえ、うちの店で客待ちしながらコインの勉強だろが」


 え!?

 客は来ない。朝からずっとここにいるのに今日はまだ一人も来ない。稼ぎがゼロだ。あれれ? もしかして今までと変わりない? こんなにやる気に出てるのに?


「じゃあシェーファは今までどおりだね!」


 ルー、明るくて元気なのは君のすっごくいいところだと思うけど……


 どうやら僕の稼ぎが悪いのはしばらく改善されないらしい。このやる気はどこに向けたらいいの……?



◇◇◇◇◇◇



 夕方になった。食事を出してくれるというルーのママさんに断りを入れての帰り道だ。客はあれから一人も来なかった。今日の稼ぎはゼロだ。……帰るのが怖い。


 レティシアは怒るだろうなと思いつつ住処に戻った。

 ネズミの穴倉みたいな住処にはとっくに五人とも戻っていた。湯気を立てる鍋を囲む五人は今日あった出来事を披露し合っている。


「戻ったわね?」


 レティシアの目がギラリと輝く。言い出しにくいなあ。


「あんたの報告はあとで聞くわ。先に夕飯にしましょ」


 夕飯は雑穀の雑炊だ。大麦と野菜の輪切りを煮込んだだけの物で、具はとても少ない。カビの生えたところを切り落としたパンを貰って来たのでみんなに配ると喜ばれた。よし、この雰囲気なら言える。


「あんたはとても使えるわね! この分だと稼ぎも期待していいのよね!?」


 ……一瞬で言い出しにくい雰囲気になった。


「おい、スープが冷めちまうよ」

「お腹ぺこぺこ。話はいいから早く食べましょうよ!」


 エリックとウェンディの催促で窮地を免れ、夕飯が始まる。固くなったパンを大麦の雑炊に浸して食べる。微かに塩味が付いている。


 お世辞にもおいしい食事とはいえないけど、冷え切った体にはこの温かさは沁みる。何より住処は温かい。


「いやあ、お前らにもみせたかったな俺様の大活躍。いい腕してるって絶賛されたんだぜ?」


 エリックは大門の外で靴磨きをしていたらしい。身一つで出入りする人はともかくたくさんの荷物を積んで帝都入りする商人の入管には時間がかかる。そういう商人が何人もいれば馬車の行列ができるので、その空いている時間に靴を磨かせてくれってお願いして回るんだ。


 で、商人のあんちゃんに気に入られて銅貨二枚とトマトを三個もらったって自慢してる。……トマトはどうしたの? もしかして一人でこっそり食べた? これをレティシアが追及する。


「エリック」

「おうどうした。とうとう俺の魅力ってやつに気づいちまったか?」

「トマトはどうしたの?」


「おっ……………どっかに落とした」


「ロステム」

「うっす」

「痛い痛い痛い痛い! やめろロステムぁぁぁぁやめてくださいぃぃぃ!?」


 ロステムの太い腕がエリックの頭を握り潰さんばかりに締めあげている。まっかなトマトになりそうだ。


 アニマは冒険者ギルドで荷役の仕事はないかと粘っていたが本日は空振りのようだ。特に何もなかったが明日につながる予感がしているという前向きな発言をしていた。

 ウェンディはロステムと一緒に住処警備員。


「レティシアは何をしてたの?」

「あたしも空振り。売れそうな物を探してあちこち回ってたんだけど何にもなかったわ」


 あ、これは好機かもしれない。この流れなら言える。


「そうなんだ。じつは僕も客が来なくってさ……」

「カス」

「こんなに使えそうな見た目しておいて稼ぎなしとか……」

「だっせ」

「噂の銀の犬もこの程度か」


 なぜ僕の時だけボロクソにこきおろすのか……

 ロステムが優しく肩をたたいてくる。この静かなる巨人だけが優しい。リーダーはロステムのほうがいいと思う。優しいから。


 食事時の話題として親父さんとのやり取りをしゃべる。新市街のお金持ち相手なら稼げるかもしれないって話で、そのために冒険者ギルドに加入する貯金を始めた事だ。


 みんなして「ふぅ~ん」って顔してる。


「あれ、もしかして言ってなかったっけ?」

「マジかよ。それ大事だろ」

「てっきり話してから連れてきているんだと思ってた」

「もう、レティシアってば抜けてるんだから」


「何の話?」


「このグループってね、冒険者で稼ごうっていうグループなの」


 貧民窟を抜け出すには二つの道がある。マフィアの兵隊になるか冒険者になるかだ。貧しさから抜け出すにはこの二つのどちらかになるしかなくて、レティシアは冒険者を選んだ。


 でも冒険者になるには色々条件がある。会員費の三ヘックス以外の条件だ。


「冒険者ギルドに入るには成人にならなきゃダメなの。その辺自己申告でいいから年なんて誤魔化せるけどさすがにあんたじゃ無理よ、どう見ても大人には見えないもの」

「えー、親父さんそんなこと言ってなかったのに」

「知らなかったんじゃない? あたしもギルドの受付で追い返されるまで知らなかったし」


 まさかの落とし穴だ。親父さんやっぱり頼りになりそうでならない。

 レティシアが話の続きに戻る。この年齢制限を突破する抜け穴の話だ。


「年齢制限は大した問題じゃないわ。ねえシェーファ、ここにいる薄らでかいの幾つに見える?」

「十二って聞いたけど」

「実際に幾つかはどうでもいいの。パッと見でいくつに見える?」

「う~~~~ん」


「おい銀の。てめえまさか馬鹿正直に何歳か悩んでんじゃねえよな。問題はこいつが幾つに見えるかじゃねえだろ、この馬鹿でけえのが大人に見えるかどうかだけだろうが」


 あ、なるほど。

 たしかにロステムはでかい。スラムにいるガリガリの大人たちなんかよりよっぽど男の体つきをしている。むしろおっさん……


「概略はこう。みんなで銀貨三枚貯めてロステムを冒険者にする。ロステムが依頼を受けてみんなでクリアする。これを繰り返せばあっという間に冒険者六人が完成してるってわけよ」


「あぁなるほど。レティシア賢いね」

「……あんたがボケーっとしてるだけよ」


 どうやら僕を仲間に引き入れたのは貯金面で大きく貢献しそうだからって面が大きいらしい。

 現在の貯金は57ボナ。目標額まで183ボナだ。


「じゃあ明日からも気合いれて小銭稼ぎするわよ。合言葉はスラム脱出! 冒険者になって荒稼ぎするわよ!」

「おー!」

「うっす」

「任せてくれ!」

「やってやろうじゃない!」


「いやそこはおーでいいだろ。バラバラじゃねえか」


 つっこみを入れたエリックがトマトの件を蒸し返されてお仕置きされてる。こいつの醜態をみんなして笑う。バラバラで個性の強い連中だけどそういう時は気が合うようだ。


 新しい寝床。変な仲間たち。たくさんの新しい物を手に入れて今度は目標ができた。ただ生きているだけの日々が楽しいものに変わりつつあった。

守銭奴2%→2%

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