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信仰とは答えなき問いを問い続ける事、という誤解

 待つ時間は長く、牢の中には娯楽が無い。

 退屈な時間を過ごしていると鉄格子の向こうを子犬がうろうろ……


「なんで地下牢にわんこがおるねん」


 柴犬みたいに茶色い毛並みをした可愛い子犬が近寄ってきた。やはり心優しい男を見抜く本能みたいなのがあるんだろうな。


 おい、俺を無視してシェーファのところに向かうんじゃないよ。


「動物には心のきれいな方を見抜くちからがあるのでしょう」


 アルテナ様がトドメを刺しに来たぜ。

 シェーファが子犬のアゴを撫でてる。人差し指でコリコリやってると子犬が気持ちよさそうにしてる。


「サリフ、外の状況はどうだ?」

「えっ!?」


 ライカンスロープは神狼フェンリルに変身する能力があると自称している。でも実際は普通の獣化現象でしかない。


 そしてサリフはライカンの中でも特殊な変身能力を持っている。……犬化だ。でかい狼の他にめっちゃ可愛い子犬にもなれるんだ。


「きゃんきゃん! きゃんきゃん!」


 そして犬化してるとしゃべれないのである。思念話で意思疎通はできるけど……


 おいこの野郎、何言ってるかわからねえけど悪口言ってるのだけはわかるんだぞ。魅惑の肉球ハンドをこっちに向けて悪いのは俺だって言ってるらしい。ファッキン。


 サリフは俺の事をシェーファに危ないことをさせる疫病神だと思い込んでいる。まったく腹立たしいことに否定できる思い出が存在しねえ。


 看守が通りかかった。超こっち見てる。目線は完全に可愛いわんこ向きだ。


「なんで子犬が迷い込んで……」


 超見てるな。


「お前が飼ってるのか?」

「私の大事な仲間だが」


 なぜか看守さんがかみなりに打たれたような衝撃を受けたぞ?

 なんで遠い目をしているんですかね? もしかして昔犬飼ってました?


「だよな、わん公は大切な家族だよな。……家族との最後の時間、大切にしろよ!」


 看守さんが泣きながら走り去っていった。


「彼に何があったのだろう……?」 

「聞いてやるな。きっと悲しい別れがあったのさ」


 愛犬との別れは家族との別れなんだ。新しい家族をお迎えしたってその傷は癒されるもんじゃない。

 彼もそういう悲しみを体験してきてるんだな……


「きゃんきゃん!」


 愛犬サリ公がクソうるせえ。何なんだ? シェーファに通訳してもらう。


「君の勘違いに対するものだな。最後の時間ってのは翌々朝には私達の処刑が決まったことを指しているんだ」

「へ……小粋な冗談かな?」

「悪質な冗談でもない真実だ。見ろ、この純真な眼差しが嘘をついているように見えるか?」


 愛犬サリ公を掲げてそう言いやがった。子犬のキラキラした黒い目を使うのは反則だよ。例え嘘でも信じちゃうもん。


 あ、アルルカンがモフろうとして引っかかれてやんの。

 反抗的なサリ公であったがカトリに短い前脚を両方ともつままれて為すすべもない。アルテナ様からお腹ぷにぷにされてるわ。ジタバタ暴れてるけど愛くるしいなあいつ。


 そしてこのタイミングで真面目な話をしだすシェーファであった。俺もモフりたいんだけど……


「何者も信じない、それは君の強みだと考えていた。どういう心境の変化だ?」

「愚かな自分を正そうとしただけだ。結果は最低だったけどな」

「そうだな、結果論でしかない」


 シェーファのトワイライトブルーの瞳の光彩がギラつく。目にチカチカして眩暈がするような強い目は野心を宿している。


「リリウス、君の敵は私が指し示す。私なら正しい道を示せる」

「スカウトの話かよ」

「最初からそういうつもりだ。出会った時からな」


 シェーファには正しい選択を導き出すちからがある。揺るがないからだ。彼は確固たる信念と共に在り、いついかなる時も信念に従って行動するからだ。……こいつも俺なのさ。


 シェーファの強さは信念を持つ俺の強さだ。曲げない、歪まない、必ず貫き通す、だから誰の言葉も聞き入れない。……それが強さなのだと信じていた。


 フェイもシェーファも俺達は絶対に誤りを認めないことを強さと呼んだ。……己だけの矮小な世界で独りだけ遠吠えを吠え散らかしてさ。


 カトリはその一つ先の世界にいる。己の正しさを信じられなくなり、自分って奴を失くした虚ろなちからだけの女だ。


 俺はこいつらと生きてきた。旅をし、共に同じ敵と戦ってきた。だから俺はこいつが間違っているのを知っている。変わらないことが強さなんじゃない。変わる強さもあるってバトラの背中を見る度に思い知らされた。


 だがバトラだって失敗する。俺らは成長したと勝手に思い込んで何度も失敗を繰り返す愚かな動物なんだろうぜ。


 アルルカンが言った。使命を得て安堵したと。心に一本の剣を通して己の生命の意味を知ったと。

 復讐のために生きたアルトリウス・ルーデット。祖国のために散ったライアード。

 どいつもこいつも心に秘めた正解を信じて戦っていた。


 すべては結果論だ。正解も失敗も結果的に見た形でしかない。だが俺の知る男たちは諦めなかった。不本意な結果を覆すために抗い続けた。不正解を嘆くんじゃない、不正解なら正解するまで覆し続けろと生き方を示すように……


 最強の男ってのは間違いを認めない男じゃない。どんな劣勢でも諦めずに最後に勝利を手にする男を指すんだ。


「シェーファ、俺は選ぶ権利を誰かに委ねるつもりはない」

「堂々巡りのように何度も誤るつもりか? 次の間違いで命まで失えばどうする?」

「間違えたならカバーする。何度でもだ。誰かに指図されるがまま敵を討つ兵隊に成り下がるつもりはない。何度失敗こいたって正解は己の意志で探す。そいつは男としての最低条件だろうが」


 睨み合う。オラオラしながら睨み合う。

 やがてシェーファから目を逸らした。勝ったな。


「男としての最低条件を何者にも屈せぬこととしたか。つくづく他人には従いたくないんだな?」

「当たり前だ。男を尻に敷いていいのは愛する嫁さんだけと決まっている」


 一応の和解の流れである。シェーファが諦めていなければ保留ともいう。そして何も解決してない。だって翌々朝には処刑されるらしいし。


「まずは今回の失敗のカバーからしてもらおうか。タイムリミットは明後日までだ。どうやる?」

「俺を誰だと思ってやがる。姿の見えない義賊さんだぞ」

「だがステルスコートはさっき……」


 逮捕される時に装備品のほとんどは僧兵さんに渡しただろって指摘だ。

 でもステルスコートは今も着てるんだよね。ステルスコートだけ透明化させてね。透明解除!


「なるほど、部分透明化もできるのか。だが魔封じの首輪が……」


 人差し指で引きちぎると目を剥いて驚かれたぜ。顔芸おぼえたんですか?


 魔封じの首輪の中でもハイクラスの品は精霊獣の革を使ってるから抗魔力高ければ簡単に千切れるんだ。赤ちゃんとはいえ神様を殴り殺す男にかかればヨユーさ。

 だがシェーファにはできないようだ。超がんばってるけど首輪を切れない。


「ふんぎぎぎぎ!」


 シェーファが顔真っ赤にして首輪をちぎろうと頑張ってる横でアルルカンとカトリが軽やかに引きちぎっちゃった。


「ど…どんな手品を……?」

「やめておけ、クオレモードの革を強引にちぎろうと思えば抗魔6000は無いと厳しい。お前には無理な仕業だ」


「……無理…か。私にはできないと簡単に言ってくれるんだな……」

「仲間とはそういうものであろう。得意な奴に任せる、簡単な話だ」


 簡単な話とはいうがシェーファには呑み込めないようだ。

 最強の剣士であることを誇りにしている男だ。戦えば何者にでも勝利できることが彼の誇りであり心の支えだ。……こいつだってまだ十五歳の少年なんだ。


「万能に意味はないぞ。仲間を頼れ、信頼を与えて頼りにせねば仲間だとてお前に信頼を置けぬのだ」

「アンデッドふぜいが私に説教するか」

「お前は不器用そうだからな。まるで若い頃の私を見ている気分にさせられる。親愛は利益打算では買えぬ。利害の一致だけの関係などつまらないぞ」


 アルルカンの説教は年季のいったジジイらしい心ある理屈だ。それがシェーファに届いたかどうかはわからない。イラっとしてるのだけはわかるけどね。


 変わり始めた俺と頑なに変わろうとしないシェーファ。どっちがいいとか悪いなんて話はしてない。変わらない強さだって確かにあるんだ。


 シェーファの頑なさは想いの強さだ。こいつだけの戦う理由って奴を俺は未だ知らない。俺はまだシェーファの心に触れていないからだ。


 心のどこかで恐れていた。だがそろそろ向き合わなきゃいけない。

 と俺がかっこよく決意を固めていると……


「さあ脱出するわよ。あたしについてきなさい!」


 カトリさんに決めゼリフを奪われる大失態を犯してしまったのであった。まずは没収された装備品の回収からですね。

 


◇◇◇◇◇◇



 ラノア神父は途方に暮れている。


 彼は大聖堂の案内をしていた冒険者一行が逮捕された責任を感じ、調査に訪れた騎士団員に説明をしたが聞く耳も持たずに突っぱねられた。


 無駄とは思いながら儀式官に相談したが「儀礼夫ごときに口を出せる問題ではない」と沈黙を要求された。


 どちらかの正しさが問題なのではない。教会の権威が守られることが重要で、そのためなら冒険者数名の口封じをする教会の体質こそが問題。教会という司法の目の届かない暗所で行われる馴れ合いこそが問題なのだ。


 打つ手をなくしたラノア神父がおとなったのは見習い神官の相部屋だ。見習い神官は通常六人一部屋の相部屋で暮らしている。見習い神官は朝から晩までどこかしらで働いているため、ほとんど寝るためだけの部屋だ。


 蝋燭も灯さぬ暗い部屋で、膝を抱えている少年に声をかける。


「ニケ、お前を逃がしてくださった方々は明後日の処刑となりました」


 少年が震え、何も聞かなかったように目を閉じた。辛い現実なんか見たくない。そういうふうに必死につぶった眼を開けるすべはない。


 何より意味がない。ラノアにできぬことをニケにできるはずがない。

 ニケが真実を話したところで誰が聞き入れる? 不都合な真実をしゃべる口など縫い留められるだけだ。


「……ラノア様にもどうにもならないのですか?」

「明日の朝食に一枚のパンを添えることもできない私に何ができる思うのです? 何もできやしませんよ」


 ニケから嗚咽が漏れだす。ラノアにはその涙を止めることさえできない。

 アルテナの奇跡を語れども奇跡など見た事もない。……祈りが足りない。ずっと自分にそう言い聞かせてきた。


 世には不幸が溢れ、敬虔な信徒には安眠さえ与えられない。女神よどうか慈悲をと願えども届くのは隙間風の音ばかり。


 本当は女神様などいないのかもしれない。心が折れそうになる度に幾度もそう思い、そんな迷いがあるから神託を授けられないのだと戒めてきた。


 信仰の道は厳しい。答えなき問いをひたすらに問い続けるからだ。


「でもね、感謝することはできます。私にもお前にも処刑を止めることはできない。でも彼らの善行に謝意を伝えることはできるのです。……ここでうずくまったままでいますか?」

「……」


 ニケは答えられなかった。

 部屋の外が怖いからだ。外に出ればまたあの神官に会うのでないかと考えてしまうと、目の前が真っ暗になって歩くことさえできなくなる。


 突然うでを掴まれて部屋に引きずり込まれた時の恐怖を思い出すと震えが止まらなくなる。


 声が出ない。ラノア師はずっと待っていてくれたのに、答えなければいけないのに……

 気づいたらラノア師の姿はもういなかった。


「あっ……」


 ニケには何もできない。膝を抱えて怯えていることしかできない。

 ふと思い出したのは母に捨てられた日の光景。遠ざかっていく母の背を見つめ続けることしかできなかった幼い自分と、己へと問い続けた日々。


 レーゼル神父はこうおっしゃった。良い子にしていればアルテナ様のお導きでまた会う日もあるでしょう。


 ニケはこれを逆さに読んだ。僕は悪い子だから捨てられたのと己に問い続けてきた。


 女神への奉仕に励み、聖書を読んでも母は迎えに来てくれない。もう六年も経った。なのにニケは変わらず悪い子のままだから奇跡を授けていただけない。


 今日庇ってくれた方々にごめんなさいも言えない悪い子だから迎えに来てくれない。


(僕が臆病者だからいけないんだ……)

(礼節を学び、正しい生き方を説かれてもやらないのなら何も学んでいないのと変わらない。……アルテナ様が奇跡をお与えにならない理由ならわかっている。僕が何もしないビビリだからだ)


 かつてラノア師は言った。教会は腐敗している。

 王家にとって教会は治世の道具でしかない。清貧を主軸にすえた信仰で民に規律を守らせる政治の道具。その証拠に教会での地位を保証するものは徳の高さや信仰心の深さではなく寄付金の多さだ。


 教会の要職は実家から放逐された貴族が占め、彼らの関心事は金儲けのみ。今は遠い貴族社会への復帰を夢見て汚職に励む貴族の巣。それが教会の正体だ。


 だからラノア師は説いた。教えを守らぬ我らはアルテナ神から見捨てられたのかもしれない。


 なればこそ正しい教えを守り続けよう。我が身をもって民草に真実の信仰を示そう。

 我らは薬売りではない。愛の教えを説く女神の信徒であるとこの地の誰もが信じた時、アルテナ神が降臨なされると。


(師の御心に真実の信仰を見出したはずの僕がこの様で、どうして女神様が僕らを認めてくださるというのだろう……。あの方々に会いに行こう、何を伝えればいいかわからないけど、せめて感謝だけでも!)


 震え、立ち上がることを拒否する己の足を叩いて立ち上がる。

 部屋を飛び出す。


 するとラノア師と目が合った。もう十何分も前に出ていったはずのラノア師は壁に背もたれて、優しい笑みを浮かべている。


「……どうしてわかったんですか?」

「何が?」

「僕が出てくるってどうして……?」

「さて、特に確証のようなものはなかったのですが。そうであればいいなと思ったのです。ニケが礼を失するような者でなければいいなと。これもアルテナ神の思し召しなのでしょう」


 シタリ顔でのたまうラノアには確信があったにちがいない。ニケが何に悩んでいるかを知りながら、その想いが彼に正しさを与えている事も知っていたにちがいない。


 母への思慕こそがニケの信仰の土台なれば、信仰を違えることだけは絶対に無い。


「さあ往きましょう。信仰も善行もコツコツ積み重ねてこそ実るのです」


 ニケは自らの足で、ラノアはその背を僅かばかり押しながら、地下牢へと向かう。



◇◇◇◇◇◇



 アルテナ教会派において僧兵と神官は縦割りではない。これらは別の組織があり、各々別の頭を頂点に戴いている。


 神官の長は三人の枢機卿。王都アノンテンのユストコール大聖堂にいるのはグンネマン枢機卿、彼が八百人の神官を束ねている。直下にエルナンド神官長がおり、彼の下には七人の儀礼官がいる。儀礼官は其々一つの部署の長と任じられている。


 僧兵の長は王家直轄の赤薔薇騎士団の団長が務めている。当代では姫騎士ラストがこれに任じられている。赤薔薇騎士団の長は代々王家の姫が就くのが慣例だ。


 こうした見方でいえば僧兵局は赤薔薇騎士団の下部組織という位置づけが正しい。赤薔薇騎士団の団員は女性のみとされているが、従者はこのルールに抵触しない。


 貴族階級の女性のみで構成された騎士団に癒しのちからをもって奉仕する武装神官。こういう考え方がもっとも正しいのだろう。


 一つの建物に二つの組織があり、貴族階級への復帰を夢見る子弟からすれば僧兵はその近道でもある。それゆえか両者の間には差別意識があり、僧兵から見れば神官は格の低い連中であるのだ。


 大聖堂の地下区画はまるまる僧兵の宿舎である。ここを訪れたラノア師とニケは妙にとげとげしい僧兵からジロリと睨まれてしまった。ニケは怯んだがラノアは微笑みでさらりと受け流す。


「何か?」

「……いや。何の用だ?」

「先ほど収監された冒険者リリウス一行への面会を希望します」


 無精髭の僧兵の顔がくしゃりと歪む。やっぱりその件かって顔であり、間が悪いラノアを責めるような目線をしている。


「悪いがそいつは無理だ」

「彼らはこの子を助けたがゆえに逮捕されたのです。せめてひと目なりと会い、感謝を述べることの何を拒むのです。まさか賄賂を?」

「馬鹿にすんな儀礼夫」


 儀礼夫というのは差別用語だ。儀式を行う労働者階級という意味だ。

 貴族階級出身の僧兵が平民出身の神官に立場を理解させる目的で使われている。


「あんたみてえな清廉潔白な野郎から小銭をせびる? 冗談はよせ、あんたの財布に空気以外が入ってるはずがねえ」

(私も多少の持ち合わせはあるのですが)


 何だか変な勘違いをされているようだが問題はそこではない。


「ではどうして面会を拒絶なさるのですか?」

「……逃げたんだよ」


 僧兵が嫌そうに言った。それも当然だ。地下牢はここの二つ下の階にある。土と石壁に囲まれた逃げ場の存在しない地下牢から煙のように消え失せたのだそうな。


 当然ながら地上階との唯一の出入り口であるここを見張っている彼と相棒が責められた。居眠りをしていた、飲酒していた、まさか外に遊びに行っていたのではないだろうなとねちねち責められたのがほんの数分前の出来事らしい。


 そういえば地下区画が騒がしい。僧兵総出で犯人を探しているらしい。


 僧兵区画で発見できなかったら外に逃げたのが確定する。そうなれば大失態だ。えらい怒られるにちがいないし最悪田舎の教会に左遷される。


 僧兵の願いは騎士団に召し上げられて貴族階級に戻る事なので、この種の失態で出世が遠ざかるのはさぞ不満にちがいない。なにしろ僧兵では結婚もできない。


「まったく最低だ。最低な日だ。こんな日に見張り番だなんて人生最低の日だ」

「災難でしたね」

「くそぅ、他人事だな。あぁアルテナ様、どうか罪人がどっかの部屋で見つかりますように。……生きた心地がしねえぜ」


 どこで見つかったとしても誰かが責任問題を被らされるものだが、できればそれが自分ではありませんようにと祈るのは誰にでも理解できる感情だ。

 ラノアは少し考えてから問う。


「武器は没収したはずですよね。それも無くなっていたのですか?」

「知らんが誰かしら確認しているだろ。俺らを舐めてんのか、そのくらい誰かが気づいている」

「お前気づいてなかったろ」

「うるせえ!」


 相棒につっこみ入れられて僧兵が怒り出したが元々かなり怒っていた。ついでにいうと毎度のやり取りらしく軽く怒鳴り合うだけだ。


 ラノアが記憶を辿るように思い出す。あの冒険者は相当な高級品で身を固めていた。伝説に聞くアロンダイク武具やオリハルコン、闇をまとう不思議な外套にミスリル銀の鎧。あれらは町を丸ごと買えるような金額になるはずだ。非常時とはいえ置いていくとは思えない。


「没収した武器は倉庫ですよね。どこの?」

「俺も聞いてねえがU2-16倉庫じゃねえか。……お城の宝物庫並みの魔法結界で守られてる。あそこから取り戻すなんて不可能だぞ」

「ありがとうございます」


 日常的に用いられる六位礼ではなく目上へと深い感謝を示す四位礼を用い、見張り所を抜けると待ったがかかった。


「面会拒絶の理由は脱走したからであって通過を認めないわけではなかったはずですが?」

「そうじゃねえ。危険だとは思わねえのか?」

「元々この子を助けるために暴れた方々ですよ。何の危険がありましょう」

「それもそうだが……」


 僧兵が口ごもり、相棒がフォローする。


「うちの相棒は人間追い詰められれば豹変することもあるって言いたいんだとよ。見かけはあれだが心優しい奴なんだよ」

「うるせえなあ!」


 心優しい奴というのは本当だろう。何しろ相棒のほうは神官ふぜいと利く口はないとだんまりを続けていたのだから。僧兵と神官、二つの組織の対立を思えば彼の言動は驚くほどに優しいものだった。


 U2-16倉庫。地下二階の十六番目の部屋を意味する。

 ここを目指して階段を降り、二手に分かれる廊下を左手で伝うように向かう。僧兵区画はそう広いものではない。先の優しい僧兵と別れてから五分と経たないうちに倉庫に到着した。


 石壁に覆われた廊下の一つに架けられたプレートだけが部屋を倉庫であると示している。倉庫とは書いていない。ただU2-16の文字だけだ。


 扉の前には誰もいなかった。捕まった冒険者も見張りの僧兵も誰もいない。


「誰もいませんね」

「ええ、当たりです」


 軍事物資をしまっている倉庫の前に誰もいないのはありえない。つまり何らかの異変が起きている。


 ラノアも倉庫の結界についての知識はない。ただ推測としては不特定多数の入室を前提とする倉庫であるから、入室には何らかのアイテムが必要だと考えられる。

 だが倉庫の扉はラノアの細腕が軽く押すだけで開いた。魔法結界そのものが破壊されているのだ。


 入室の前に深呼吸をする。さすがに緊張くらいはする。


 中にいるのは間違いなく彼らだ。そして教会は彼らと反目している。問答無用で殺されてもおかしくない状況だ。おそらく彼らなら一秒の必要もなくラノアを殺せる。


(落ち着け。最悪なのは知覚以前に無力化されること。それさえ避ければいい……)


 ラノアの恐怖も無理からぬこと。読みのすべてが彼らが善人であるという前提だけで成り立っている。砂の城だってもうちょい頑丈にできている。


 ラノアの知る彼らは教会と反目する前までだ。神官の蛮行を諫めたがために投獄され、処刑を言い渡される前の彼らと、地下牢を脱獄した後の彼らがラノアに対してどう行動するかはまったく別だと考えるべきだ。


 あの見かけとは正反対に優しい僧兵が言いたかったのはまさにこの点だ。


(最も気をつけるべきは敵意がないと示す事。ニケもいるのだ、無理はすまい……)


 意を決して内部に語り掛ける。


「ラノアです。入ってもよろしいでしょうか?」

「ダメだ、と言う資格は俺にはねえよ」


 返答はリリウスの声。いやに落ち着いた口調だ。僅かな動揺もない。見た目は少年なのに潜ってきた修羅場はラノアの比ではない。


「なにか用ですかね?」

「ひと言お礼を言いに来ました」

「酔狂な人だな……いや礼儀正しいと言うべきか。入りなよ、襲ったりはしないからさ」


 どうやら彼らにとって投獄程度何でもないらしい。そうなると何をどこまでされたら敵対に変わるのか興味も出てくるが、虎の尾を踏む理由はない。


 倉庫の中はラノアが想像していたよりも殺風景だった。幾つかの木箱が置いてあるだけで、だだっ広い部屋のほとんどが空きスペースになっている。


「やめろやめろやめろ。無理だ無理だ無理だこれ以上は入らない」

「為せば為る。やればできる」

「無理無理無理ルーデットは頭がおかしい。本当におかし―――モガ!」


 木箱を抱えた連中がアンデッド並みに血色の悪い男の肉体に無理やり木箱を詰め込んでいる。

 高位の空間系術者のみが扱う固有世界ホルダーなのだろうが……


「あれは何を?」

「慰謝料を略奪している。時間給や拘束時間という概念は知ってますかね? 獣の聖域十三王であらせられるアルルカン王を四時間も拘束したんだ。この程度の金額は当然発生するのです」


 リリウスは卑劣にもすべての罪をアルルカンに押しつけた。だがラノアはそこはどうでもいいらしい。どうでもいい顔してる。


「はぁ……そういうものですか」

「そういうものです。そっちの少年は?」

「ニケ」


 ラノアの背に隠れていたニケはやや怯えた様子で出ていき、冷たい石畳に膝を着いて叩頭礼で応じた。床を頭で叩くことからこの名で呼ばれる礼は一般的ではない。宮廷や教会でのみ用いられる最高位礼だ。


 ちなみにこういう場合は命の恩人であっても三位礼がマナーだ。ニケがこうした大仰な礼をしたのは教会育ちという世間ズレした感覚からくるズレた行いである。


「あなたがたが僕を庇ってくれたことはラノア師から聞いております。助けてくださりありがとうございます」

「その礼は俺にするべきじゃない」

「ではどなたに?」


 ニケの視線が冒険者たちの間を彷徨う。誰も受け取る気のない顔つきをしている。なんで子犬がいるんだろう?


 苦笑する彼らは彼らだけが知る、いや彼らだけが見える真実を誤魔化すようにしている。


「さてアルテナ様の思し召しという奴だろう。ニケって言ったね?」

「はい」

「あんたが良い子だってのは女神様にも伝わったよ。教会には多少嫌なこともされたが、あんたからの感謝でチャラだ」

「リリウスくーん、慰謝料は返すのー!?」

「それは貰っておこ!?」


 それはそれ。これはこれの精神である。


 和解のムードにホッとするニケが安心した時、ラノアが会話の主導権を握るふうに進み出る。


「これからどうなされる?」

「ベイグラントでは色々やる予定だったが幾つかの予定は帳消しだろうな。何しろこっちは犯罪者の身だ」

「ええ、このまま逃げればこの国では、少なくとも王都では表を歩けない身分となるでしょう」

「だが逃げねば処刑だ」

「そうと決まったわけではありません。もしよろしければ私の上役に会われていかれませんか?」


「……そいつはこの状況をどうにかしてくれるんですかね?」

「スヴェン様には不可能です。エルナンド神官長、あぁあなた方が股間を蹴り上げた方はアルチザン家の末席におられる方。教会でも手を出せるのは三人の枢機卿か五人の大主官、法王猊下だけです」


 リリウスが意図を探るような目つきをしている。ラノアを信じていいのか計りかねているようだ。


「じゃあスヴェン様とやらは何をしてくれるんだい?」

「お知恵を貸してくださいます。私どもは戦いはからきしですが、教会の事情なら他の誰にも負けません」

「なるほど、革のことは皮職人に聞けか」

「ええ、その慣用句を知る方なら何が最善かご理解いただけるかと思います。問題は僧兵局からの脱出ですが……」

「そいつは問題ない」


 問題ないという言葉は真実で、この後ラノアとニケは不思議な体験をした。

 ステルスコートの透明化譲渡能力は初めての者からすれば衝撃的な体験であり、限られた意味での次元渡航現象であるのだ。


 皆と手を繋いで透明化している時にだけ見える、まぼろしのように美しい少女が一人増えている事にラノアもニケも気づけなかった。神は肉眼で見るのではない。魔力を感じ取る感覚野で見る他にないのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 割と重い世界観なのにライトノベル風に読めること [気になる点] 接続詞が時々おかしいです。 [一言] ブックマークしました。 これからも応援しています。 リリウス君の活躍を今後も楽しみにし…
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