癒しの守護星
食器の音色だけが会話のように響く。
光に満たされた玄室は完全なまでの白さに染め抜かれている。白く白く穢れなき無垢の玄室は白き完全なる世界。純白の空間が無限に果てもなく広がり続ける。
玄室の主は黄金の瞳の聖乙女。人の年齢で言えば十を幾つか数えた頃。金糸のごとき髪を編み上げ、輝く瞳は純金のそれ。小柄で華奢な体は童女のようだが地上のいかなる生命よりも膨大な神気を放つ。
彼の大柱こそが癒しの守護星アルテナである。
ダルタニアン=アルルカン・元ローゼンパーム大公は処女神の夕餉に招かれ、共に食卓を囲んでいる。長いテーブルの端と端ではあるが格別の扱いといえる。
「そなたは変わりませんね。安心しました」
「おや、ご心配をかけていたとは気づきもせなんだ」
処女神がクスリと笑う。邪気のない微笑みだ。実際なんの裏表もない御言葉であったのだろう。
「心配ならいつでもしていますよ。わたくしはティト様のように気軽に出かけられませんから、あなたの消息も彼から聞くばかりで」
「どうやら私も遠慮がすぎたようだ。これからは稀に顔を出すとしよう」
「稀とは言わず頻繁に来られるとよいのです。無聊をかこつ日々は辛いものですよ?」
「ではとびきりの笑い話を仕入れて参ろう」
両者の間には明確な種族差があるが今は微笑みだけが間にあった。
前菜を終えて軽く談笑していたところに三人の給仕が現れる。この壁のない広大な白の玄室に突然現れた純白法衣の巫女が食べ終えた食器をカートに下げ、食事を広げていく。
「フィギングキャロットのチーズ焼きエトハウゼソースにございます。お熱いのでお気をつけくださいまし」
「ええ、ありがとう」
出された料理を食べ終えると給仕は適切なタイミングでやってくる。主人の腹具合、客人との会話、そうした要素を加味して考えられた理想的な間を置いて来る。よく躾けられた使用人だ。
「エトワールキャロットのベイガンソース添えにございます。本日は良いベイガン貝が手に入りましたのでお楽しみいただけるかと」
「パラノイズキャロットのソルトパイにございます」
「コーセアキャロットのツーベルクにございます」
(ニンジンしか出てこんな)
美食家きどりのアルルカンもちょっと辟易するニンジン料理の数々である。うまいにはうまいが……
「変わらずキャロットがお好きなようで」
「いえね、キャロットしか食べたくないというわけではないの。他の物でもいいと伝えてはいるのですよ」
処女神アルテナのニンジン好きは聖典を見ればわかるくらいメジャーな知識だ。何しろアルテナの紋章の祈りを捧げる乙女の裏にはニンジンの葉が折り重なっている。実際ニンジンをあげると喜ばれる。
ここまでヘビロテしてもまだ嫌いにならないのだから筋金入りのニンジン食だ。……リリウスなら今ものすごく失礼な発言をしただろうが、アルルカンはぐっと堪えた。えらい。
「甘い味付けが多いようだが甘味も好ましい?」
「ええ、甘いものは大好き。でも甘い物ばかり食べていると塩っけも欲しくなるの。やはりバランスなのでしょうね」
「では次に参る時はそうした物もお持ちしよう。最近知り合った娘が美味な菓子を作るのだが……」
「キャロットパイがいいわ」
アルルカンが凍りつく。いまニンジンの話してなかったぞ?
「うんと甘いのがいいわ」
「……承知した」
なんかもう生のニンジン持ってきても喜ばれそうだ。その場で齧り出す気がする。
甘みで頭がくらくらするような食事が終わる。食後のデザートが運ばれてくる段階になり、アルルカンはコートの内側から土産物を取り出す。市内で買い求めた高級フルーツワインだ。
「ささやかながらご進物である。会話を軽くするためによいかと思ってな」
「……あぁそれ」
祈りの都の特産物といえばニンジン酒だ。糖度がメロンほども高いフィギングキャロットを醸造して作られたフルーツワインだが、何でそんなもんで酒作っとるねんってなるとアルテナ神の大好物だからだ。
そのような伝承があるがアルルカンがニンジン酒を土産に持ってきたら微妙そうな顔された。
「チョイスを間違えたか」
「いえね、そういうわけではないの。ただ遠方の珍しい物ではないかと思っていたから……」
原因はアルルカンへの期待値の高さらしい。
こんな事で失点を買いたくないアルルカンはニンジン酒を戻して固有世界から柚子酒を取り出す。多少酸いが強いが味わいはグレープフルーツに近い。さっぱりとした酒なので食後酒としては最適だ。
酒と会話を楽しむ時間が過ぎていく。
近況報告という面が大きいが、退屈を持て余しているアルテナにとってはどんな話題でも楽しいらしい。目を輝かせて聞いてくれる。
だから微笑みを曇らせる話をしなければならないのは心苦しかった。
「ロキの手勢がイルスローゼまで来ていた」
「……ッ」
アルテナの幼い美貌が曇る。
二つ柱の間に杭のように打たれた過去の因縁が原因だ。何事も享楽的なロキだが恨みや憎しみといった感情に対しては驚くほどに固執する。自らは他者を害するのに自らを傷つける者は絶対に許さないといった邪悪な性根によるものだ。
アルテナは緊張に震え、息を呑んでアルルカンの言葉を待った。
「心安んじるがよい。こちらで追い払っておいた」
「感謝を。ねえディー、ロキはまだわたくしを捕らえるつもりなのでしょうか……?」
ディーとはアルルカンの愛称だ。ストラ十二高弟アルルカン師にゆらいする洗礼名ではなく本名のダルタニアンの方の。
かつて雄々しき戦士達のリーダーをしていた頃の彼は姓もなくただダルタニアンと名乗っていた。各地に点在する彼らの英雄譚と現在のアルルカン王が結びつかないのはそういう理由だ。
過去のすべてを捨て去り故郷を離れた吸血鬼は今どんな運命の変転か、生まれ育った故郷にいる。運命の頸木から解き放たれたと考えていたが、どうやらまだ何事か為すべき使命があるのかもしれない。そう考えている。
「あれなる性悪が考えなど私にわかるはずがない」
「そう…ですわね」
「二度も言わせるな。心安んじて構えているがいい。当代の神狩りも中々に見どころがある。ロキの手勢などひと息で蹴散らしよったぞ」
「まあ! なんてお名前の方なのでしょう。わたくしの知らない方でしょうか?」
「ユルヴァ・マクローエンの子孫だ。名をリリウスという」
「リリース、良き名です」
ちょっと違う気はしたがアルルカンは細かいことは気にしない男だ。リリースと己に刻み付けるように何度も口にする処女神を相手に言いづらいってのもある。
「まるでわたくしをこの墓所から解き放ってくれる解放者のようなお名前ですね」
(……あちらの古エリザリン語で牛を飼う者という意味だった気がするが)
リリウスの名前のゆらいは故郷のドルジア帝国でも北部の古い伝統が残っている地域でのみ使用されている古い言葉で牛を飼う者という。牛は家畜の王様であり、豊かな人生を送れるようにという意味で付けられることが多い。
(まぁいいか。訂正は本人にさせよう)
アルルカンはニコニコしながら「そうリリースだ」と言った。すべての責任をリリウスに押しつける気だ。
どうせ会うこともない相手だ。そのうち勝手に忘れるだろう。そう思っていたが……
「ねえディー、そのリリース様はいずこにおられるの?」
「祈りの都に連れてきている。そういえば集合時間はいつであったか……げふんげふん」
しまった!
正直に答えてしまった!
完全にやらかしたがまだ大丈夫だ。会いたいなんて言うはずがない。そう己に言い聞かせて処女神を見やると……ニコニコしておられる。
「会いたい。連れてきてくださらない?」
「むぅ……」
「なりませんか?」
「ならぬことはないが……」
アルルカンには懸念がある。というのもリリウスとアルテナは絶対に相性が悪いからだ。ものすごく悪い。絶対なにか起きる。人の合う合わないは余人にはけっしてわからぬ不明瞭な領域に属するが首を掛けてもいいレベルで合わない。
だから会わせないほうがよいのだが……
「ねえディーお願い、わたくしどうしても会いたいの」
父性にダイレクトに働きかけてくるような癒しの守護星の懇願にアルルカンは屈する。
何だか嫌な予感しかしない……




