ファラ夜逃げする
酒場にも品格はある。出入りする客層によって店は顔を買える。様々な顔を持つ酒場の中でも下町の酒場というものは中々に多芸だ。
客は軒先にたむろしてる娼婦を連れ込んで騒ぐ。女の取り合いでケンカする奴もいる。酒がいい具合に回り始めたら二階の部屋でしっぽりやる。ここにはルールがない。下品に楽しくやって最終的に金さえ払えば店主もニコニコしながらまたどうぞなんて言ってくるもんだ。
そういう猥雑さが好きで下町の歓楽街に顔を出す連中だっている。お上品なんてのはそりゃあつまらないものだ。
ライモンド・カルムもそういう口だ。軍の仕官や金満商人の出入りする空中都市のお上品なバーじゃあ物足りないから、こうして下町くんだりまで降りてきている。
好ましい喧騒の中で飲む酒はうまい。ラベルを張り替えた安酒と安いメシでいい感じに酔っぱらっていると隣横の男が親しげに声をかけてきた。
「ライモンド、ライモンドじゃないか!」
「あん……あんたは?」
声をかけてきたのは男には見覚えが無い。中々のハンサムだがくたびれていて、見た目よりは若いんだろうが……
さっぱりわからない。
「つれねえな。おい、トワイドで何度か酒を飲んだろうが」
「あー……マジ?」
故郷の名前を出されればまず人違いではないはずだ。となれば単純に忘れているだけか。くたびれた男は気がいい奴らしく、乾杯で仲直りという運びになった。
「へえ、旅商人か。だいぶ遠くまで来たな」
「お互い様だろ。いま何やってんだ?」
貴人の屋敷で働いてるというのは簡単に口に出していい情報じゃない。
「ま、色々だ」
「なんだよそりゃ」
楽しい時間ってのはあっというまにすぎていく。三杯目のビールを飲み終えると男が立ち上がってまたなと言い出した。握手に応じてまたなって言い返す。
ライモンドは別れてから気づいた。
「そういえば……? マスター、あいつはなんて名前だったか?」
「あんたが知らないのに俺が知るわけがないだろう」
ライモンドは彼の背中を見送りながら、また次会った時に聞けばいいと思い直した。
◇◇◇◇◇◇
ライモンドと別れ、酒場を出たアーガイルは己にかけていた幻術の姿形を変える。十数分も相席して観察し続けたライモンドの姿を構成する。
人間の視覚なんていいかげんなものだ。この場合のいいかげんっていうのは相手を認識する方法が視覚と聴覚に頼り切っている点を指す。
視覚は所詮光情報を取得した脳が立体的に組み立て直しているだけだ。現実にそこに何があるかなんて実際のところは脳にはわからない。アーガイルは自分自身の肉体の上に別のレイヤーを被せてライモンドという別人の姿を借りた。これに加えて軽度の認識阻害をかける。
人間っていうのは案外いい加減な基準で相手を判断している。ここにホクロがあるからあいつだ、鼻が曲がってるから誰だ、こういう認識を操作するのは簡単だ。
少しくたびれた旅商人の顔からライモンドのようなきっちりした使用人の姿になり、その細部を誤魔化す程度に阻害の領域を操作する。印象に残りやすい部分を隠したり見せたい部分だけ認識できるようにするだけでいい。似顔絵と一緒だ。似せすぎても意味はない、必要なのはおおまかな特徴だけだ。
貴族家の屋敷に潜入するために最も警戒するべきは結界だ。特定のアイテムを所有している事が条件なら簡単だが、イース侯爵邸は最も厄介な個人識別型結界。これは魔力パターンが登録されていない人物に害する方式だ。しかしアーガイルにとってはどんな結界も意味を為さない。
アーガイルは握手をした時にライモンドの魔力パターンは覚えた。あとは己の内在魔力をその波形に合わせるだけでいい。
こうした技術は高度というよりも異質。持って生まれた才能によるものが大きい。色んな奴が色んな才能を持って生まれてくる。アーガイルだけたまたま他人に成りすますのが得意な才能を持っていただけだ。
輝かしい才能を持つ兄貴どもと比べりゃクソくだらない才能だと思っていたが、不思議と収入でいえば兄弟で一番アーガイルが稼いでいる。故郷でうだつの上がらない小役人やってる兄貴どもから見れば成功者だってんだから世の中ってのは本当にわからないもんだ。
夢も希望も愛しい女も失って、何もかんもに嫌気が差した奴が成功者? これがかつて目指したAランカーの姿?
冗談はよせ。これは悪夢だって言いながら酒に逃げてる奴が成功者であるものか。……少なくともこんな情けない男になろうと思っていたわけじゃないんだ。
イース侯爵邸には裏口から入る。扉をノックして出てきた私兵には酒をサービスしてやる。
「夜中までご苦労さん」
「おっと、助かるぜ。今日はどこで飲んでたんだライモンド」
「いつもの安い店さ」
「お前も好きだねえ」
アーガイルは内心舌を出している。人間の観察力なんてのはこんなものだ。どんなに強固な結界だろうが厳重な警備だろうが中で大勢の人間が働いている以上、入る隙間はどこにだってある。
敷地内を歩いていれば使用人と遭遇する。アーガイルは次々と姿を変えていく。厩舎番の姿に、女中の姿に、執事の姿に、堂々と警備を潜り抜けていく。
ターゲットの部屋の前には警備兵が二人立っている。二本の長刀を背負ったサムライと腰に剣を帯びた女剣士。
(やれやれ、とんでもねえ面子だな。ルシアもそうだがサムライの方はSランカークラスか……)
長い黒髪をポニテに結い上げたサムライは格がちがう。戦闘能力のみを取ればおそらくはルキアーノ級。サファイアカラーの頭髪をショートボブに切りそろえたルシア・ファイザーは数年前までギルド本部で三大ギルドの一つに所属していたAランカーで顔見知りだ。一時アーガイルのクランで面倒を見ていたこともある。どこか別の土地にでも移ったかと思っていたがイースの警備部に雇われているとは驚いた。それだけだ。
女中に化けたアーガイルが銀のトレイに寝酒を用意して入室の許可を請うとあっさりと許可された。正面戦闘なら五秒と保たない怪物だろうが、警戒されなければ意味がない。
寝酒を持ってきただけの女中さえ疑う奴は社会に適応できない。だから暗殺はいつの時代でも為政者を殺し得る。
入室する。執務室にターゲットの姿はない。普通の女中ならサイドテーブルに寝酒を置いて去るところだが、アーガイルは寝室に踏み込んでみた。
ファラ・イースは寝室にいた。いたが……
(どうして標的がバッグ担いで窓から逃げようとしているんだ?)
あろうことか標的はパジャマ姿で大きなボストンバッグ担いで塀をよじのぼろうとしていた。
目が合う。
「…………」
「…………」
お互いなんも言葉が出てこない。この状況は想定できなかった。世界有数の大富豪がご自宅から夜逃げしようとしているなんて誰が想像できた? 人間混乱すると本当に何も言葉が出てこなくなる。
「お嬢さん、いったい何を?」
「散歩に行きます」
「夜逃げに見えますが……」
「わ…わたくしはいつもこのスタイルで散歩するのよ!」
逆ギレされたアーガイルは頬が引きつってる。
世界でも有数の大富豪が目を血走らせてブチ切れてればこんな戸惑い方にもなる。すげえ勢いで近づいてきたと思えば口も塞がれるし。……口封じされそうな勢いだ。
「てゆーか貴方だれ!?」
(幻術見破ってるのに近づいてきたんかい……)
ギルドの上級職員から渡された資料は読み込んだ。人生は順風満帆で何の憂いもない上流階級の女、そう判断した。なのに実際の彼女は追い詰められたネズミみたいに悲壮な顔をしている。
アーガイルは胸元に隠した短剣を探りながら殺人の意味を考えた。
◇◇◇◇◇◇
ナルシス、アルシェイス両王子の決闘の後の空気は最悪だった。何しろ片方が消え去ったんだ、みんなして動揺してる。
ナルシスはどこへ消えた? この疑問については一部は方々の間のみで決着がついたらしい。いつの間にかいなくなっていたアルステルムの貴公子と曾祖父が戻ってきて、シュテル殿下とこそこそナイショ話をすると……
「皆に心配をかけたが愚息の安否についてはこちらで確認が取れた。暴走の危険性もないゆえ安心していただきたい」
シュテルからこのような発表があった。みなはナルシスがどこにいるかを知りたがったがシュテルがこの情報を封鎖した。
アルシェイスは強固に顔を見たいと言い張ったが跳ねのけられた。それは彼が生来有する人の良さから発露した……
いや、生来の気の弱さから発した罪悪感によるものだろう。恋敵程度の間柄で殺人を許容できるほど擦れてはいないのだ。
「落ち着きなさいよ」
「君はっ……冷静だな」
取り乱しているアルシェイスは何も慌ててないファラの精神に沿うように大人しくなった。いやいやまだ慌ててる。見かけは冷静になったふうに見えて目だけはキョドキョドしてる。
「なんでそんなに落ち着いていられるんだい?」
「あのナルシス兄様が簡単に死ぬわけないじゃない。殺したってアンデッド化して出てくるわよ」
「どういう信頼だよ。そっちの方が怖いし」
「兄様は元々そーゆー男でしょ。誰よりもキレイで怖くて何考えてるかわからなくて、殺したくらいで大人しく死んでくれるような可愛げなんて絶対ないわ」
「ずいぶん深く理解してるんだな」
「これ誰にも言ったことないけど、わたくし子供の頃に一回だけ結婚してって言ったの。フラれたけどね?」
「……ナルシスが勝てばよかったって言いたいのか?」
ファラが首を振る。彼女の浮かべる澄ました顔の意味を、アルシェイスは認めてやるわけにはいかなかった。
「これもまだ言ってなかったわね。わたくしには付き合ってる人がいるの。だからどっちが勝っても断るつもりだった、って最初に言ったよね?」
「ふざけるな!」
アルシェイスの叫びが騒がしかった場の空気を割った。罵倒を覚悟していたファラでさえ腰が引けるほどの声量だ。
アルシェイスが彼女の腕を掴んで引き寄せる。腕が折れても構わない、そういうちからだ。
「お前は俺の物だ、誰にも渡したりはしない!」
「何を勝手な―――」
「勝手はどっちだよ! いつも勝手気ままに俺を振り回して、勝手に恋をさせておいて勝手に断るのか。なら俺も勝手にさせてもらうぞ、お前だけは絶対に手放さない!」
急になんやねんこいつ感に戸惑うファラが曾祖父を見る。目を逸らされた!
シュテルを見る。呆然としててこっち見てない。
グローセル(アルシェイスの父)を見るとニコニコしてる。反応がおかしい。
他の誰も目を合わせようとしない。アルステルムの貴公子に至ってはご愁傷様ですって感じで手を合わせてる!
もう一度アルシェイスを見上げる。何だか目が血走ってる……
(……これ、もしかして逃げられない展開?)
話はあれよあれよと進んで数日後にはストラ教会で正式に婚約式を挙げることになる。家に帰らされたファラは自室でぼーぜん。
何も思いつかない。何もできなそう。だって怖かったし。
アルシェイスの目、朝焼けの湖面を写し取ったかのようなプラチナブルーの瞳と同じ目を見たことがある。あれは妄執の瞳だ。恋に狂って思い詰めた男の目、あれは……
「あの目、バトラの目だったわ……」
アルシェイスは絶対に手放さないと言った。あれは本気だ。絶対に何としてもファラを物にしてしまう覚悟の目だった。
ファラはすでに体験している。あの目を持つ者が嫉妬に狂って夜間に刺殺しに来たことを……
「断るのはまずい。殺されるゼッタイ」
刺激を与えてはならないゼッタイ。やべーゼッタイ。
ディアンマ持ちでもないくせに何なんだあいつら。こっちが必死で暴走を抑え込んでるっていうのに好き勝手に暴走しやがって。……って思ってるファラはじつはリリウスに依存することで辛うじて踏みとどまっているだけだ。これでリリウスが別れを告げようものなら確実に殺してしまうゼッタイ。
「どーしよ、どーしよ、どーしよ……」
と言いながらファラはボストンバッグにあれこれと着替えを詰めていく。結論は出ている。どーしよは口癖なだけだ。
「逃げよう、どっか遠くへ」
カーテンを引いて窓を開き、さあ自由の地へ!
ってところで変な男が入ってきた。見た目は二十代後半。生活に疲れている感が目元に出ていて、色男ふうな顔立ちを台無しにしている。
この男とひと悶着やらかしたファラは胸ぐら掴みあげながら命令してやった。
「隠れ家を提供しなさい! 金ならいくらでもあげるから!?」
「えええぇぇ……マジですかい?」
こうしてファラは王都郊外の森にある変な遺跡にやってきた。
これがまた不思議な遺跡だ。年代で言えば数百年は経過しているのに傷みが少ない。この場合は傷みは経年劣化を指し、まるで数年前まで誰かが使っていたように思える。
柱に刻まれた文様から察するに年代はフェイター朝前期。つまり王都地下迷宮のパレードでフェイター王朝が滅びる前の時代の建築物だ。
普段なら冒険家気質でワクワクしちゃうファラだったけど今は本気でそれどころじゃない。
ドーム状の屋根のある、小さなコロシアムのような場所の観戦席に座り込んで今後の方針を考え中。ベストはリリウスと連絡を取って逃げる。ベターはリリウスを捕縛して逃げる。
「ダメ、捕まえられるビジョンが見えない……!」
「夜逃げ中なのに誰か捕まえるんですかい?」
「うっさいわね。下男は口挟まないでよ」
刺客だったはずのアーガイルはさっきから献身的な下男ムーブをしている。だっていくらでも出すって言われてダメ元で1000ユーベルって言ったらマジで小切手貰えたからだ。
いや、テンパってる女を見捨てられなかっただけかもしれない。
じーさまから莫大な財産譲り受けた世界で一番幸せな女って聞いてた。どこがだよ。泣きそうな顔して窓から夜逃げしようとしてる女のどこが幸せなんだよ……
(俺にはあんたが世界で一番不幸な女に見えるね)
その世界一不幸な女は親指の爪を噛みながらブツブツ言ってる。名案が出てこないらしいが当たり前だ。混乱してる奴はまず落ち着くほうが大事で、問題解決なんてのはそれからの話なんだ。
「どうすればどうすればどうすれば……どうしたらいいのよ……?」
(どうすればいいんだろうな)
ふと思った。この終わらない悪夢からどうすれば抜け出せる?
夜毎夢を語り合った女は過去に置き忘れてきた。共に冒険者の高みへと練磨してきた友だってもういない。むかし語ったA級の地平に一人ぼっちでたどり着き、何の意味もないことにようやく気づいた。
あいつらと一緒に来なければ意味がなかったんだ。
喜びを分かち合う恋人と友を失い、あれだけ焦がれていた位階を見下ろしながら後悔を酒で塗りつぶしてきた。
「どうすればいいんだ?」
わからない。わからないから酒に逃げ続けてきた。
道に迷った二人の男女が共に茫洋たる夜を見上げた。まるで溺れるみたいに……




