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真実を求める人々

 王都ローゼンパーム下層街の北側は職人や低所得者層の町である。移民や流れの商人が集う露店街もある。中層区は放射状に区画整理された綺麗な街並みなのに下層街は雑然としているのは、なんてことはない元々ここはただの畑だったのだ。


 人口増加に伴い増築された移民街こそがこの下層街。風光明媚な計画都市は増改築を繰り返して奇怪な姿へと変貌したウインチェスター館のように、家々が立ちはだかる迷路も同然の街になってしまった。現在はスラムも同然の扱いを受けている東方移民街も長い年月を経た後で下層街の仲間入りをするのだろう。


 冒険者ギルドもこの北側にある。命を懸けて日銭を稼ごうと思う者は王都で豊かな暮らしをする者よりも、下層の住人の方が多いせいだ。


 宿を切り盛りする女将エリザベートが母の名を付けた、ギルド提携の宿リンスレット。一階の食堂は物々しい雰囲気に包まれている。

 獣の聖域の王侯とトライデント代表のカトリーエイルとカラウスが交渉中なのだ。


 どんな猛者でも胃がキリキリしそうな不穏な雰囲気の中でアルルカンが威圧を込めて口を開く。


「滞在費、渡航費、合わせてもそう大した金額にはなるまい。これを払えぬとはどういう理屈だ?」

「あれ、わからない?」


 カトリーエイルがアルルカンの背後に立つアトラクタエレメントの少年王を睨みつける。真紅のローブを腰巻きにしただけの簡素な出で立ちと、全身に入れ墨を纏う美貌の少年王が忌々しげに睨み返してきた。


「しつこい女だ。あの時の交戦をまだ恨んでいるのか」

「あんたに襲われなかったらストレリアの首は獲れていた。邪魔した挙句小遣いを貰いにくるなんて図々しいよ」

「そも貴様の父に請われての出兵であろうが」

「わざわざフェスタくんだりまであたしの邪魔をしに行けって言われたわけ?」

「余は貴様の事など知らなかったのだ。ルーデットの娘のくせに小さな事をあげつらうでない」

「小さくはないかな。だって失敗したせいで宮廷から多額の負債を背負わされてる。何もかもそっちに背負わせてもいいんだよ?」


「……いくらだ?」

「700万ユーベル」


 宿の一階を埋め尽くしても足りない金貨の山を想像して少年王が黙り込む。獣の聖域本国にある蓄財のすべてを放出したとてその額には桁一つ届かないせいだ。


 実際はアルステルム老と交わした密約により支払い期限を延ばした上で、大幅な減額もできているのだがそういう事情まで語る気はない。この厄介な客どもをつけあがらせるだけの情報だ。


 カトリーエイルが主導権を握り込むように言う。


「ただあんたらの言い分にも利は認める。十三王会議で可決された議題にも関わらずこちらにだけ一方的に金を出せってのは不合理甚だしいけど、戦場まで連れていったのは親父だから本国に帰す手伝いだけはしてあげる」


 交渉の行き先をハラハラしながら見守っていたクトリがホッとする。クソほど金遣いの荒い十六人のヒモニートからおさらばできるのだ。満面の笑顔くらい出てくる。


 安堵しているのは他の王侯も同じようだ。人の世は何かと金がかかる。せっかく花のローゼンパームに来ているのだ。正直色々見て回りたいのである。世界一の美食というフィローガンス・リストランテにも行きたいしカジノにも行ってみたい。でもクトリが泣いて止めるから渋々我慢してるのである。


「では渡航費を―――」

「船を出してあげる。好きな時に帰してあげるから帰りたくなったら言ってね♪」


 渡航費だけでも掴もうとしたアルルカンの表情が冴えないものになる。ルーデットの娘は女王の微笑みを浮かべる余裕さえある。アルルカンがこれほど知恵を絞っているにも関わらずだ。


(手強いな。イーブンから始まった交渉事でここまでしてやられたのはここ百年記憶にない。絶対に何の利益も渡してなるものかという強固な意志が見える……)


 カトリーエイルはこの馬鹿どもが散々暴れてこっちの足を引っ張ったから帝都攻略に失敗したと考えている。それは彼女にとって都合のいいだけの甘い妄想かもしれないが、世に数え切れないほど存在する逆恨みの中ではかなり正当性のある恨みだ。


 カトリーエイルは昨日一昨日まで五大国で一番面倒くさい政治家アルステルム老と論戦やってたのだ。何もかも配下の眷族に任せて、たまに知人と交流したり献上品持ってくる商人の相手だけしてた隠居した吸血鬼では手に負えない。


 カトリーエイル自身は気づいてもいないだろうがこの数日で相当なスキルアップを果たしている。やればできる子なのである。


 交渉はこれでおしまい。カトリーエイルが席を立つ。


「ま…待て」


 アルルカンが引き留めたがギロリと睨まれて、何も言えなくなった。交渉用のカードは全部切っている。この上引き留めて何ができるというわけでもない。彼女は手強いネゴシエイターだった。


 悲壮な顔をしている天翼人の淑女シトリーがアルルカンの肩を叩く。

「アルルカン様、もう少し引き出せませんか?」


 今は人間の形態をとっている、体表のほとんどが黒い毛並みに覆われたヴァナルガンドの王息が怒鳴る。

「おい、このままでは明日から文無しだろ! 俺はやだぞ、東方移民街で遊びたいんだ!」


 アトラクタエレメントの少年王が悔しげな顔でアルルカンの肩を握り潰さんばかりに握りしめている。

「貴様元は人間だろう。どうにかならんか?」


 王侯の総意と期待を一身に集めたヴァンパイアロード・アルルカンが笑っている。朗らかな笑い方だ。その頼もしい姿に誰もが安堵した。一瞬だけ。


「ハハハハハ、無理だなどう考えても天秤はあちらに傾いている」

「だがな!」

「ではルーデットの娘と事を構えるか? この人数でイルスローゼの中心で戦争をやるか? 駆逐されるだけだ」

「くっ、物分かりの良いことばかり並べおってからに……」


 彼らは強大な怪物だが二千三千の騎士に囲まれて干渉結界を盾に魔法攻撃を連打されたら確実に負ける。何もできずに轢き殺されるだけだ。


 怪物が強大なちからを振るえるのは奇襲と己のテリトリーの中だけ。町までのこのこ出てくれば狩られるだけの矮小な存在に成り下がる。知性なき怪物のように暴力で我を通そうとするのは、太陽に駆除の口実を与えるだけだ。

 現在は他国の重鎮として要監視に留まっているが、実際は始末したくて仕方ないはずだ。


 カトリーエイルとカラウスが帰っていく。アルルカンたちには何もできなかった。食堂の隅っこでぼんやりしながら座ってるだけだ。


 アルルカンの下に宿の女将さんがやってきた。超イラついてる。金もねえくせに食堂を長時間占拠しているからだ。ここは小さな宿なので十六人もいれば席が埋まってしまうのである。


「注文は?」

「我々には金が……」

「なら出ていきな」

「……ワインを一つくれ…………グラスで」


 料金は前払い。当然お金はクトリが出した。給料貰ったらすぐに使っちゃう主義者のクトリには貯金と呼べるものはほとんどない。少額ならあったけどもう全部使われてしまった。今月の家賃まだ払ってなかったのに……


 十六人の怪物がしょんぼりしてると……


「帰りましたっと。エリザ、リリウスはいる?」

「帰ってないね。どっかでイケメンでもしばいてるんだろうさ」

「まったくあいつは……」


 アビゲイルが帰ってきた。そしてビクッと驚いてる。魔王級の怪物が十六人も集まっていればこのくらいの顔になる。交渉で打ち負かしたり注文を迫れる方がおかしいんだ。冒険者長くやってると人間としてどこかおかしくなるんだ。


 アビゲイルは突然だから驚いた。それだけだ。ローゼンパームに流れ着いた事も経済状況もきちんと調べている。普段なら拝謁さえできない超常の存在から、この千載一遇の好機に必要な情報を余す事なくかっさらうために。


 アルルカンの下へと往く。勇気に使いどころがあるとすれば間違いなくこの一幕。アビゲイルの人生において命を投げ出しても勝利を掴まなくてはならないのはこの瞬間。


 この時のために生き延びたのだ。神殺しの太陽の王子アルルカンと邂逅するために。


「ステキな御方、お酒でもどうかしら?」

「私を誘う意味を理解しての事とは思えんな。レディー、自分を大切にしたほうがいい。……どうして笑う?」

「それ彼にもよく言われるの」


 アルルカンの顔がくしゃりと歪む。彼氏がいるのにコナかけてきたのか。

 久しぶりの故郷の性が乱れていればこんな顔にも……


 いやいや貴族社会は元々乱れていたな。かくいうアルルカンも昔はブイブイ言わせていた。夫のいる貴婦人とも浮名を流していた。そんな彼がこういう顔になるのは年を食ったせいで倫理観が固くなっているのだろう。


「誰だか知らんがそいつが可哀想だから男漁りなんてやめるんだ」


 忠告したらまた笑われてしまった。若い娘の思考回路が本当に理解できない。

 アルルカンが苦笑で返す。それは目まぐるしい人の世の移ろいに置いて行かれる者が感じる、郷愁のような不可思議な感覚のせいだ。それはギャル化した娘が何言ってるのかわからなくって俺も年取ったなあって思っているオヤジのような気分だ。


「神殺しのアルルカン、あなたの昔話が聞きたいの」

「それはギルド職員としての職責によるものか?」


「どうしてギルド職員だと?」

「あんなにも食い入るように見つめられれば覚えておくものだ。ギルド職員としての義務か私的な好奇心か、答えよ」


 おそらくはここが分水嶺だ。長年探し求めた答えが目の前にあるというのに間違えれば答えを得られない。


 何も知らぬアビゲイルに正当を推理することは叶わない。プラスとマイナスの意味もわからずに算数を解くことができないように、決してわからないのだ。


 ……ふと脳裏に炎の破片が舞う。凍えるような夜の中を舞い踊る炎の欠片と、燃え落ちる天空都市。遠い頂に浮かびあがる炎上する故郷を見つめ、幼い自分はただ見ていることしかできなかった。


 ずっと誰かのせいにしてきた。自分には何もできないくせに、ずっと……

 ずっと誰かに救ってほしいと願ってきた。自分では何もせずにずっと……


 いつか現れる救世主にすがろうと考えていた。現れないのを運命のせいにして嘆いてきた。無力な自分から目を逸らしてずっと……


 ようやく現れた救世主は何だか頼りない少年だった。不幸な境遇を明かしても同情もしてくれない。故郷を取り戻してくれるなんて言ってくれない。彼女の心の内など察してくれもせずに、自分だけ楽しそうに生きてる変な奴だった。


 何度も仕掛けた。でも仕掛けたことにさえ気づかれずに全部払いのけられた。シシリーはあれをドラゴンに例えた。何者もあれを害することのできない大災害だ。


 救世主の理想像は崩壊した。あれは都合のよい存在ではなかった。優しい存在ではなかった。神の如き無限の愛を持つ存在ではなかった。アビゲイルと同じただの人間だったんだ。


 あいつが救ってくれないのなら自分で自分を救う他にない。あいつは救ってはくれないけれど、きっと手助けはしてくれるはずだ。


 リリウス・マクローエンが背後にいるのならヴァンパイアロードなど恐れるに足りない。勇気を振り絞ってアルルカンへと回答する。


「個人的な調べものです。わたくしの失くした故郷は迷宮都市国家でした」

「個人的な復讐というわけか。さて私に意味の話ができるかどうかはわからぬが……」


(この反応はどっち? わたくしは賭けに勝ったの、それとも……)


 吸血鬼は元は人間であってもすでに人間ではない。その精神性を理解しようというのはただの人間でしかないアビゲイルには難しい。何よりこれほどの存在には看破など百度やっても一度も通せない。……すでに賽は投げた。あとは突き進むだけだ。


 アビゲイルがハンドバッグに手をやる。そして一本の酒瓶を取り出した。

 王侯がどよめく。黄金の縁を得るラベルにはリュークインジュの文字。世界樹から獲れる希少果実を用いた果実酒である。


 これは金を出せば手に入るという物ではない。王家が大功を収めた家臣に与えるような、宝剣の如き酒である。


「そう仰いませんで、これでも飲みながらお話くださいませ」

「……わかった」


 アルルカンは二秒で陥落した。いやたぶんラベルを見た瞬間落ちてた。……彼はアビゲイルが仰ぎ見るよりももっと小さな存在なのかもしれない。



◇◇◇◇◇◇



 場をリリウスが借りている部屋に移して二人きりになる。


 コルクを抜いた酒瓶から香る天上の香りはグラスに注ぐことで部屋いっぱいに広がり始めた。


 グラスを傾けて果実酒の状態を見定めているアルルカンの頬が緩む。適正な温度で管理された最高の逸品は何の劣化もない。素晴らしい香りが楽しめるだろう。


 果実酒を口に含む前に香りを吸い込み、少量口に含む。これほどの酒であればすぐに嚥下せず、舌に沁み込むまで楽しむべきだ。


 彼がまだ太陽の王子と呼ばれていた時でさえ特別な日以外は許されなかった贅沢が、悠久の時を経て蘇る。


 嗅覚は記憶野に繋がる感覚器官だ。香りは思い出を蘇らせ、思い出は牢獄みたいに心を過去につないでしまう。遥かなる青春時代。若く未熟だった私達。今はもう誰もいないというのに、思い出だけは鮮明によみがえる……


「良い香りだ、これは悪酔いしてしまうかもしれない。理性が残っている内に話を済ませてしまうべきだろう。どんな話を聞きたい?」

「まず神狩りとはどのような集団なのでしょうか? 組織としての実体、その規模、構成員はどのように連絡を取り合っているか。洗いざらいお話ねがいたい」


 アルルカンが眉根を寄せて困る。


「まず第一に神狩りどうしに横のつながりはない。ティト神と契約した個人が任意で仲間を集め、救世に動き出すのだ。当然ながら私も私の他の神狩りの情報は持たない、がティトによれば一つの時代に必ず数名の協力者がいるそうだ」


 半ば予想通りの答えだ。そうでなければリリウスが何も知らなかったのはあまりにもおかしい。つまりは隠しているではない、神狩りの母体など本当に存在しないのだ。


「迷宮は命を食らいて成長する。その臨界に達する時神狩りが現れ、迷宮を破壊する。彼らの正体を突き止めたいのなら迷宮で張るしかないな」


「もしも神狩りが現れなかったらどうなるのですか?」

「知れたことよ、パレードが発生し周囲の命すべてを供物へと変える。贄が達した時遥かなる古代に封印された邪神が復活を遂げる。ティトによれば過去数回そうした大災厄が顕現し、人界は滅亡寸前まで至ったそうだ」


 人界の技術や歴史が幾度も断絶しているのは、そうした破滅のせいで知識の継承が損なわれたせいだとも説く。


「想像してみたまえ。無限にモンスターを吐き出し続ける魔窟を、噴出する悪意の中で逃げ惑う人々の姿を、刻一刻と広がり続ける魔界に押し切られる戦士たちの絶望を。もしも神狩りが現れなかったなら人界は魔界に呑まれる。一つの都市、一つの地域の話をしているのではない。人類すべてに仇為す滅びの日の話をしているのだ」


 アルルカンが会話を切り、吟じる。

 それは大昔の戦士達の歌だ。


「運命のダーナの封印は綻び、地の底から邪悪なる神々が蘇る。人界の水関が悲鳴をあげる、津波となって押し迫る眷族どもに押し切られ、今にも崩れ落ちんとす。いざや立てよ戦士達、千年の大功はここにあり。魔の眷族どもを押し返し、ユースハウルに潜む邪神を狩り尽くせ。我らは神狩り、救世の御手である。我ら倒るることあらば人界が滅び去る時。さあ立てよ戦士達、千年の平和を打ち立てんがために」

「それは当時の勲詩?」

「うむ、私が作った」


 自分で自分の勲詩作っちゃうのかー……

 アビゲイルはもやもやした気持ちになったがつっこまなかった。


「わたくしの故郷は滅びてよかったと? 人界のための生贄になるしかなかったと仰る?」

「それはお前が決めるといい」


 アルルカンは厳しい。リリウスもだ。お前は間違っていると言ってくれさえすれば彼女は救われるのに……


 彼らは正しい。そして誤っている自覚がある。だから自分を曲げない。だから他人に決めさせる。強いからだ。誰に後ろ指を指されようが己の運命を曲げぬからだ。


 それに比べて彼女は何て弱いんだろう。己の心さえ制御できずに誰かに正しさを決めてもらおうとしている。結論なんて本当はもうとっくに出ていたのに……


「滅びを許容することでしか滅びから逃れらないというのなら、わたくしは神狩りと共に進みます」

「そうか、お前の男が当代の神狩りか。辛いな……」


「辛い…ですか?」

「恨むことさえ許されないのは辛いであろう。憎しみによって癒されることもあるではないか」

「そういう時もありました。理不尽に奪われた幸せの弁済をずっと誰かに押し付けようとしていました。でも彼と出会って思ったんです、一度しかない人生楽しんだ方が勝ちだって」


 ずっと誰かのせいにしてきた。ずっと救世主を願い請うてきた。

 物語に出てくる姫君のように救世主にその身を捧げれば救われるのだと……愚かな幻想だった。


 ちからが無いとイイワケをして自分では何もせず誰かにやらせるなんて最低の人間だ。


「わたくしの生まれてきた意味は誰かを恨むためなんかじゃない。わたくしは負債なんかじゃない」

「まことよき出会いに恵まれたな」


 欲する話をし終えれば後はこの貴重な酒を楽しめばいい。長年抱え込んでいた肩の荷をようやく下ろせた気分で古酒を傾けていると……


 ドバンッ!


 ものすごい勢いでベティが戻ってきた。で、ものすごい勢いでアビゲイルに抱き着いてきた。これにはアビゲイルも戸惑っている。


「どっ、どうしたの!?」

「すごい面倒くさい奴になつかれちゃった!」


「……いつもの事じゃない」


 ベティが大慌ての早口で説明し出した。太陽宮殿の中心で見たもの全部ぶちまけた。あれは完全にベティのキャパシティを超えている厄介事だ。下手をしたらイルスローゼが滅びる。


 アビゲイルは正直そんなこと来客がいる場で話すなって思ったけど、そういえばここにいるのは数百年前までイルスローゼの王子をやってた吸血鬼だ。どうせ何もかも承知なのだろう。


 話し終えてもまだ落ち着かないベティをよしよししてると、アルルカンはどうにも納得のいかない顔つきになっていた。


「スターバースト・イレイサー……? はてあれがそんな大仰な物だったかはともかく、古代魔法文明の装置であることはたしかだ。娘よお前はいったい何者だ?」

「……ガレリア」

「イザールの手下か。道理で詳しいわけだ……」


 二人の会話に置いけてぼりをくらったのはアビゲイルだ。情報収集の一貫として他国の諜報機関ともつながりを持つ彼女でさえガレリアというワードは初耳だ。


「そのガレリアというのは?」

「知らずに交友を持っていたのか? 神狩りと対を為す存在よ。運命神ダーナの側にあり救世を行う神狩りと、至高神アル・クライシェの側にありダーナ神族と敵対する古代文明の亡霊ガレリア。人の世の歴史の裏で世界の覇権をかけて相争う二つの集団その一方である」


「あなたそんなトンデモナイ組織の子だったの? なぁんでリリウスと一緒にいるのよ」

「プライベート(親指を立てながら)」


 面倒くせえ関係性なのに裏も表もないってんだから不思議な事態だ。世界の覇権をかけて相争う連中が一泊銅貨20枚の安宿で一緒に暮らしているんだ。せめてもう少しハイランクの宿にいろって思った。しかもこいつらいつも料理論争してるし。グルメ界の覇権の話だったの?


 すっかり落ち着きを取り戻したベティがアルルカンへと問う。段階的にだ。


「あなたは誰?」

「かつて神狩りとも太陽の王子とも呼ばれた者だ」


「照合一件ヒット。ダルタニアン=アルルカン・ローゼンパーム大公。獣の聖域の十三王か。あなたは太陽炉を知っている?」

「無論、あれは我らが父祖がリーンスタップ市から運び出した遺物だ。あれはお前の言うような超広範囲消滅兵器ではない、もっと意味のない、そう例えるなら願いのような装置なのだ」


 ベティがその存在の核たるケルス結晶を媒介として繋いだネットワーク上の画像とスクショした太陽炉を見比べる。大まかな形状こそ似ているがたしかに細部は異なる。類似率76%であれば、スターバーストイレイサーを元にした改修した別用途の装置である可能性はたしかにある。


「ほんとに?」

「我が名に懸けて断言してやろう、あれに危険性はない」

「じゃああれは何なんだ?」

「あれは我ら太陽に見捨てられた者どもが願いのために生み出した偽りの太陽。今となっては何の意味もない、光だったのだ……」


 アルルカンが神話を語り始める。

 太陽の王家とは何を指す言葉なのか。どうして太陽を願ったのか。愚かな人々が願いのために行き着いた末路を……


 歴史書さえも忘れてしまった歴史には何の意味もなかった。ただ人の愚かさを思い起こさせる負の文化遺産として保存されてきた遺物に執着する馬鹿野郎がいることが、少しだけ悲しかった。



◇◇◇◇◇◇



 翌日の正午、太陽宮殿は月の館でナルシスとアルシェイスの決闘が行われる。


 当事者のほとんどが何でこんな事になっているのかよくわからず、今に至ってさえ頭上に疑問符を三つくらい浮かべながら決闘の準備を粛々と行っている。


 観覧に来ているファラとレグルスの下へは様々な人々が代わる代わる挨拶に訪れる。聞かれても本当によくわからない。アルシェイスには告られたけど、どうしてナルシスが……?


 実際のところナルシスは宮廷内にガレリアを招き入れたくなかっただけの行動であり、最初からそんな話じゃなかったのに勘違いを正さずにここまできた。色んな人々の相手をしていたらようやくナルシスが顔を見せたのでファラは開口一番文句言ってやった。他にやり方があるでしょ馬鹿って奴だ。


「で、最低の疑問なのですけどナルシス兄様ってわたくしのこと好きだったの?」

「今となっては悪い選択肢ではないと思うね」

「は?」


 ナルシスは迷宮のような男だ。誰に対しても明言せずに答えを濁す。相手に深読みさせて勝手に誤解させ、都合が悪ければ後で訂正する。典型的な政治屋気質だ。


 だが今の答えはかなり率直に言ったつもりだ。この婚約は悪い選択肢ではない。誰とも結婚する気のない男と他に好きな男のいる女の婚約にはお互いにメリットがある。仮面夫婦になればいいのだ。


 実際貴族家の夫婦は互いに好き勝手遊んでいる場合も多い。夫と妻は互いに愛情がなく、義務として嫡子を作り、愛は愛人と育む。よくある事だ。


 数秒の間を置いてナルシスの意図を理解したファラはあんまりよい顔をしていない。都合がいい事とプライドは別の問題だ。


「私達はよいパートナーになれる。貴女が願うなら私は貴女に指一本触れずに生まれてきた子を我が嫡子としてもいいんだ。継承権については放棄させることになるがね」

「魅力的な提案です。あなたって変わらないわね、何考えてるか昔から全然わからない」

「看破はきちんと働いているだろう?」

「本心から言ってるってのがわかるから余計わからないのよ」

「ならば簡単な話だ。私には人間らしい心が無い」


「……それ本人が言っちゃう?」

「壊れている自覚くらいあるつもりだ。私には欲望がないのだ。だが仕方ないだろう? 生まれてこの方欲しいと思って手を伸ばせば、例え届かなくてもご機嫌伺いどもが持ってきてしまうのだ。あれもこれもと簡単に手に入る物にどうして激情を持てるのか。……人は貧しいくらいがちょうどいいのかもしれないね。私はすべてを手に入れて生まれてきたがゆえに、欲望を失ったんだ。なあこれは私の本心かな?」


「ええ、紛れもない本心でしたわ」

「よかった」


 ナルシスには真実がない。彼でさえ何が本当の想いなのかもうわからなくなっている。


 欲望のない男が唯一求めたのは何百年もの間誰にも動かせなかった太陽炉。それは彼が彼自身へと行う反逆のようなものなのかもしれない……


 そんな彼が先ほどの言葉に込めたのは王子になんて生まれたくなかったという想いだ。

 ファラもまた同じ想いを抱いている。リリウス以外の誰にも言えなかったけど、本当はイースの総帥になんてなりたくなかった。


「なあファラ、勝ってしまってもいいのかい?」

「自分で決めなさいよ」

「あぁ、それは難しいな……」


 決闘は見世物ではないが衆人環視の中で行われる。

 決闘者二人は継承権持ちの王子だ。警備を拝命する黄金騎士団と外交官室付き情報部第三課は取り決めによりそれぞれが一個小隊の計46人を用意し、ものものしい警備体制となっている。

 警備の表向きの理由は二人の王子がけがをしない内に止めるためだ。


 だが情報部付き武官としてこの場に潜り込まされたカルザスール・ラプター少尉はナルシスを殺せそうなら決して止めるなと命令されている。……くだらねえ仕事だと思った。


(他人様の恋路の裏で怪しげに動き回りやがるか。大の大人がガン首揃えてくだらねえことばかりやる。んで俺様はくだらねえ大人の使いぱしりってわけだ。だから騎士団は嫌なんだ……)


 王侯貴族が繰り広げる宮廷の権力闘争も、若者から見ればくだらない意地の張り合いにしか見えない。政治なんて頭のおかしくなったジジイどもが弄ぶ遊戯にすぎない。やるべき事など他に幾らでもあるだろうに……


 一時は世を拗ねてアウトロー化したカルザスールだが性根は生真面目なので政治屋どもを良くは思っていない。叔父のことは尊敬しているが政治に絡むようになってからどこかおかしくなった。つまり叔父の変わりざまを政治のせいだと考えているのだ。


 主君であるアルシェイスは刃引きされた長剣で素振りをし、柄の感触を馴染ませようとしている。

 対してナルシスは物見遊山に来た貴族の相手をする余裕がある。両者の力量にはそれほどの差があり、両者ともそれを心得ているようだ。


 互いに次代の太陽王の可能性を持つ新鋭同士。この決闘は遠からぬ未来を占うものにさえ見えてしまう……


 アルシェイスはカルザスールよりも幾つか年下だが好感の持てる青年だ。プリンスとして何一つ過不足のない器量を備え、交わした言葉もまだ少ないが仕えるに値する主君だ。……ただナルシスの持つどこか底知れない畏怖は持っていない。


(あの人間離れした畏怖なんて持ってない方がいいんだろうが、なんでかアルシェイス様では勝てない気がしてならねえ。善良な王の方がいいに決まってる。だが善良なだけの王がジベール相手にやっていけるのか……?)


 頭上に戴く王ならアルシェイスの方がいい。だが王によって国家の未来は分かれる。好き嫌いで考えるべきではない。ただ決闘の前だというのに目敏くカルザスールを見つけ、ウインクまでしてくる豪胆な様子を見せられれば、やはりナルシスの方が王気を備えているようにも思える。


 ちなみにカルザスールは王様に会った事がない。王気なんて感じたこともない。つまりこれは無責任なパンピーが政治に対してあーだこーだ心の中で言ってるだけだ。


 真面目に警備してる(つっ立ってるだけともいう)といきなりケツを叩かれた。スパーンっていった!


「べ、ベティか!?」


 カルザスールがキョロキョロするけど誰もいない。誰もいないけど……

 いる気がする。


 ケツに対して極度に過敏になってるカルザスールであった。

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