冒険王 VS 野良犬
二日連続再びの太陽宮殿である。騎士団から拉致されて宮殿まで連行された俺とユイちゃんと自発的についてきたベティは、立派な軍服姿のおっさん王子に引き合わされた。
汗と土汚れに塗れた俺らの姿を見たおっさんはまず最初にこう言いやがる。
「反骨精神か?」
「きたない恰好に理由なんてねえよ。仕事終わりに強制連行されたんだよ」
強制連行は事実だがこの言い種は紛れもなく反骨精神である。腹立ってるのは当然として、このぐらいでは怒らないだろうという打算もある。
「おい、こいつらの身なりを整えてやれ」
「さあこちらへ」
侍女のみなさんに連れていかれて風呂やら何やらで身なりをしっかりしてもらう。宮殿には来客用の衣裳部屋もあるんだ。
約一時間かけて再会したユイちゃんは見事に磨き抜かれていた。元々の素材がいいんだな。でもプリプリ怒ってる。
「死にたくない……」
「大丈夫大丈夫、俺が守るから!」
彼女をこんな面倒な事態に巻き込んだ張本人がそう言った。リリウスのせいでしょって目をされてる。トラブル耐性低いんだな。フェイなんてさ、もうつっこむのもやめて問題解決に注力するようになってるんだぜ、奴はすげえよ。
「ふぅ……本当に守ってくれます?」
「お任せあれ!」
ユイちゃんの手を取り騎士ムーブ。手にキスをしてるとおっさん王子がノックも無しに入室してきた。
目元が面白そうに緩んでるぜ。いじりネタ発見したシシリーみてえだな。
「おうおう羨ましいことをしているな。なんだお前ら付き合ってどのくらいだ? 結婚すんのか? 仲人やってやろうか?」
「そういうのではないんです」
ソッコーで否定されたぜ。
さっきは挨拶する間もなく侍女に連れてかれたから、ユイちゃんが挨拶する。スカートの端を広げてフォーマルな挨拶だ。
「ローゼンパームのアルテナ神殿で修行を積みましたユイにございます。シュテル殿下に置かれましてはご機嫌麗しく」
「うむ」
鷹揚に頷いたおっさん王子が手を差し出す。ユイちゃんが若干慌てながらドレスで手を拭いてから握手に応じる。いやあなたさっき風呂入ったばかりですがな。
「しかしアレだな、平民のお嬢さんでもこのくらいはできるのにお前はマナーがなっとらんな」
「やろうと思えばできますよ?」
「やれ」
「何の話ですか?」
「こいつは俺をおっさんおっさんと呼ぶのだ。俺は構わんが気の短い連中は怒るぞ普通」
「リリウスそれは失礼です」
ユイちゃんがほっぺを膨らませて注意してきた。可愛いのでツンツンしてやる。
「聞いてるんですかぁー?」
「聞いてる聞いてる。でも世間一般だとおっさん王子が定着してますもん」
「不敬だな! 誰だ!?」
世間です。アラフォーはおっさんです、二十歳超えてる息子がいる人もおっさんです。認めて先に進んでください。
薄々察しはついてたけど本日のパーティーはおっさん王子の帰国を祝う会らしい。というか元々別の形のパーティーだったけど無理やりねじ込んだらしい。さすが仕事を溜めない主義者だな。何事もスピード感を大事にしているらしい。
そして紹介された供応役がダッシュでベティに抱き着いていった。おっさんの息子のナルシス君だ。黒髪ロングの王子様が愛玩動物みたいにベティを……
すごく嫌そうにしてんな。
傍目変質者なんでユイちゃんが引き剥がそうとしてるがビクともしない。
「すごいちから! もうっ、誰なんですかあなたは!?」
「俺の息子だ」
「王子様なんですか!?」
ナルシス君に問題の根幹を聞いてみる。つまりはベティをどうしたいかって奴だ。妻にしたいのか専属料理人にしたいのか、そこをハッキリさせたい。
「そういえば何も考えていなかった……」
「衝動的に抱き締めちゃうの?」
「そうした見方もあるのだろうな」
これ本人もよくわかってねえ奴だな。
ベティを抱き締めてると次第に落ち着いてきたナルシス君がしゃっきりして、会場まで案内してくれるらしいぜ。
太陽宮殿は外観も異常だが中身も不思議空間なんだ。
黒椿の離宮は星の間。宇宙のような星々の浮く暗闇に幾つもの床が浮いている。招待客は階段を往き来して社交を楽しんでいる。七階はありそうだな。
夜の間の最上階から入室したおっさん王子がさっそく宴の始まりを宣言。
「太陽の守護神たるこの身が長らく国を空けたことをここに詫びよう。留守の間に巣穴から出てきたネズミどもが何やらチョロチョロしているようだが、そちらは間もなく叩くゆえご安心願いたい」
中々のブラックジョークだったからみなさんの笑いも乾いてるぜ。貴族なんてのはだいたい犯罪やらかしてるんだ。
「相変わらず問題は山積みだが諸兄らの協力あれば乗り越えていけると確信している。それでは太陽の繁栄を願い、オーグ・ブリッツ!」
「「オーグ・ブリッツ!」」
ちなみにオーグ・ブリッツってのは乾杯のことだ。古い言い方なんだけど迅速に飲み干せみたいな意味だったと思う。
おっさん王子が招待客の方々のいるステージへと降りていき、一人一人と握手していく。ディナーショーかな?
その際に俺も義賊だって紹介されてる。まずい流れだな。
俺は一介のフリーランスでありたい。ギルドの奴隷でも王子の奴隷でもない自由気ままな冒険者だ。でもこういう紹介されちゃうと義賊=シュテル殿下の家臣みたいな認識になってしまう。何がまずいっておっさんが失脚した時に俺まで暗殺されかねない。
「おっさん、俺の扱い方間違えてるぞ?」
「お前のためにもこうした方がいい」
おっさんの話によれば俺を狙ってる奴が多すぎるそうな。まったく身に覚えがない。
「当たり前だ。連中も馬鹿ではない、確実に捕らえられる機会までは動かん。身に覚えができる時はお前が牢屋に放り込まれる瞬間だ」
「なんでそんなことに?」
「お前を俺のイリーガルな仕事を請け負っている密偵に仕立て上げたい連中がいるんだ」
つまりおっさんのせい。
「無関係を装えないならむしろアピールした方がいい。要は俺がお前のためにどこまでするかを誤認させてやってるわけだ」
つまり俺のために変な条件を呑んだりはしないけど、親密に見せることで俺に手を出すとやべーって誤解させる作業か。貴族って面倒くさいね。
貴族相手の喧嘩はやばい。奴らを殺せば騎士団に追われるし生かせば恨みを買い、刺客を送り込まれ続ける。ちなみにこれを解決する方法はこの世にはねえんだ。
核の傘ならぬ王家の傘の下に居れば安全だけどそれもおっさん王子が存命の間に限るってわけだ。
おっさんが俺をじっと見てるな。なんじゃろ?
「変な事を聞くがな、お前十年後の太陽王が誰かわかるか」
「なんだそのデリケートそうな話題。知らん知らん」
「コパからお前に尋ねろと言われた。他意はない」
王族の未来を占ってもいいことはない。気に食わない発言をしたというだけで処刑されたなんてエピソードもよく聞くし。でもコッパゲ先生経由なら大丈夫かな?
「十年後はわかりませんね」
なぜかホッとされたけど本命はこの後だよ。
「八年後は知ってますよ」
「なんで八年後ならわかるんだ!?」
ゴースト先生の記憶に太陽王の名前だけはある。
いつ戴冠したとか他の王族がどうなったみたいな詳しいものではなくて、一般的な知識としてだ。でもそういう記憶も段々薄まってきてる。たぶん吸収したゴーストの能力が俺に馴染んできているせいだと思う。
八年後の太陽王の名は……
「アルシェイス」
「よし、先に殺しておこう」
「それはやめて!?」
俺の発言が原因で王族殺しはまずいですよ!? 俺が死刑されちゃうから!
やっぱ王家なんて関わるべきじゃねーな。俺はジベールで何も学ばなかったの!?
◇◇◇◇◇◇
たくさんの階段の踊り場をステージとするパーティー会場でリリウスがシュテル殿下と密談してる。
ユイはそれはいたく不満である。右も左もわからない宮廷のパーティーに強制参加させられたのはまだいい。せっかくだからレディーの気分を味わってしまおうと開きなおった。
でも守ってくれるって言った奴が自分を放置して何やら陰謀やってるのはおかしい。それはない。最近また仲良くなってきたのにこれだ。そろそろ本当に怒ってもいいのかもしれない。
まったく困ったことに社交界には居場所がない。唯一顔見知りのベティは料理を食べるのに夢中でお話し相手になってくれない。元々そんなに話したことないけど。
「ねえ、リリウスはどんな話をしてるんですか?」
「さあ」
「気にならない?」
「別に」
「じゃあクイズやりましょう。後でリリウスに答え合わせしてもらうの!」
「何が楽しいんだ?」
ダメ、コミュニケーションが難しすぎる。
孤児院出身のユイは人の懐に入る話術がとっても得意だ。というよりもそういう能力を磨かないと生きていけない環境だった。
孤児院では一にシスターのご機嫌取り。二に小さな子達の世話をしてご機嫌取り。三に寄付に来てくれる慈善家の方々への愛想撒き。そーゆーことができない子はご飯だって食べさせてもらえない。
愛想の悪い子供は悲惨だ。些細な失敗をネタに雪の降る夜に外に出されて凍えていた。結局あの子は肺炎で死んだのだった。
孤児院のルールは大人達で子供は息を潜めて生きていく。躾とか見せしめとか言って自分たちにひどいことをするシスターに愛想を振りまかないと生きていけない。
『あなたはいいこね』
冷たい目をして頭を撫でるシスターを見上げ、恐怖に怯えながらニコニコ作り笑顔をしていた日々を思い出して何度夜中に跳び起きただろうか。
ふと昔を思い出してしまい、嫌な気分になってしまったユイはベティを見つめてみる。表情が無くて口数が少なくて物分かりがいい。典型的な孤児院の子の特徴だ。ユイのようにいい子になれなかった子のほとんどが大人に対してこんな感じだった。心を閉ざしているんだ。
だからユイはベティを抱き締めてあげる。心を閉ざしている子はみんな愛情を求めているからだ。
「大丈夫、大丈夫ですよ。私はベティとお友達になりたいだけなの」
「うざっ」
聖女ムーブをするユイの顎に軽いパンチが入る。脳を揺らされたところを水面蹴りで倒された。鮮やかな格闘術だ。バトラから体術を仕込まれたユイでさえ何の反応もできなかった。
倒されたまま呆然としてるとベティは何もなかったみたいにご飯もしゃってる。
(何なのこの子……)
「偽善活動なら余所でやれ。間に合ってる」
ユイがようやく気づいた。ベティはこれまで見てきた子供達とは根本的にちがう……
いやちがう、これは……
「もしかして一人ぼっちが好きなの?」
「うん」
ユイの経験上このタイプと仲良くなるのは簡単だ。誰かと楽しく遊んでれば興味を向けてくるからその時誘えばいい。つまりアプローチを間違えていた。
しかし使えそうなリリウスはおっさんと密談中。使えない。あいつ本当に使えない。
社交界は退屈だ。知り合い二人が相手してくれないし、他の人としゃべろうにもそんな身分ではない。宮廷勤めの給仕の方がはるかに身分が高いくらいだ。
(こうなったらご飯食べまくろう!)
人々の間を幽霊みたいに移動してご飯をもしゃる。さすがは太陽宮殿のディナーだ、食べた事もない見た事もないものばかりが並んでいる。クラッカーに載せられた宝石みたいな料理は全部内容がちがう。これはもう全制覇するしかなかった。
自棄食いみたいにもしゃもしゃ食べてると貴人の噂話が聴こえてくる……
「と――――婚約――――」
「へえ、初耳だな」
「―――派閥の動向も注意が必要だな。アストライア大公妃はどうお考えなのだろう」
「あの御方の発案なのでは?」
「ありえんな。アストライア様は王家と距離を置きたがっていたはずだ」
「ではレグルス翁の独断?」
「老人は政治を嗜むものだ。冒険王最後の大冒険は太陽に手を―――」
「くだらねえ」
不貞腐れた声は大きく、こそこそ噂話楽しむ人々に冷や水をぶっかけるような効果があったらしい。
アウトローの雰囲気のある貴公子が歩いてきた。世の中に不満でもあるのか唇は常にへの字に曲がり、顔つきは飄々としていてどうにも貴族らしくない。町のチンピラに上等なお仕着せを着せたような青年だ。でもそこそこのハンサムなので彼がやってきただけで近くの淑女が猫を被った。
「誰様が婚約しただの何だの噂すんのはいいが政治を絡めちゃ無粋でいけねえ。祝うなら祝ってやりゃいいのによぉ。……そう思わねえか?」
「あなたは」
「ははっ、俺の酒は受け取りたくねえか?」
カルザスール・ラプターがカクテルグラスを差し出しながらそう言った。ユイはそのグラスを取るべきかをどうかよりも、意外なところで意外な人物と会ったせいでびっくりしている。
カルザスールは騎士サーとレストランに行った時に揉めた男だ。傭兵団をけしかけてユイをさらおうとした事もある。しかしすべてが未遂で終わっている。
そうした認識で言えばユイは彼のことを一回だけ絡まれた変な酔っぱらいと認識している。まさか誘拐されかけたなんて想像もしていない。
「え~~~っと、お酒はいただきます」
「そいつはどうも」
どうやら今日は悪酔いはしていないらしいと判断したユイ。
以前色々あったので詫びのつもりのカルザスール。微妙にすれちがいながら乾杯する。
ロゼのスパークリングワインをチビチビ飲むユイの姿は可愛らしく、平民の小娘がうまく化けたもんだと感心してるらしい。
「そのぅ、どうしてここに?」
「お前さんがここにいるよか不思議はねえと思うんだがな」
放蕩貴族と平民どっちも不釣り合いな場所だが、正装してるカルザスールは不良っぽさはあるもののきちんと貴公子サマをやっている。そういう指向のファッションだと言われたら納得する程度には似合っている。
物腰もいつかみたいな難癖付けるものではないので、酔ってなければそれほど悪い人ではないのかもしれない。そう思い始めた。
「それもそうですね。じつは騎士団に連行されちゃいまして……」
「何やってんだよ。あ? 連行された先がここだってのか?」
「はい。友人がそのぅ、シュテル様から目を掛けられているらしくて……」
「義賊か。ってことは伯父貴もまったくの的外れってわけじゃねえのかもな」
「何の話ですか?」
「こっちの話さ。宮廷の複雑な派閥争いだが興味あんのか?」
「暇ですし」
「暇で首つっこむとは剛毅な娘っこだ。おーけい、暇潰しのネタを提供してやる」
現在太陽宮殿は次代の太陽王位を巡って水面下で争いが繰り広げられている。へーって感じだ。雲上で行われる争いなんて一般市民は知る由もない。新王が即位してようやく知るだけだ。
「有力者なんて言っても挙げれば片手じゃ足りないほどいる。ま、考え方にもよるだろうしな」
「考え方?」
「太陽王アルビオンの王子たちはいずれもアラフォーさ。老齢が理由で王座を退かれる王の御心がさらに一つ下のグレードに向くかで面子もだいぶ変わってくる」
「若い王子様ですか、いいですね!」
「そっちならナルシス様かアルシェイス様かルキオン様らへんだろうな。いずれも若くして才能を認められてる我が国きっての新鋭さ」
「そう褒められると面映ゆいものだな」
カルザスールの背後にナルシスが立っていた。
カルザスールの背後に気配を殺したナルシス王子が立っていた。なぜかベティをぬいぐるみみたいに抱えているぞ。
これにはカルザスールもびっくりして「はわ!」って叫んでしまった。……叫んだ後で非礼だと気づいたらしい、姿勢を正した。
「これは王子殿下。挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「よい」
「……殿下、そちらの悪魔…ではなく少女が何か粗相を?」
「これなるマイフェアレディーはベティという。将来的に私の妃になる」
「将来の妃が大変嫌がっておいでですが?」
ベティはさっきからずっとナルシスの腹筋に向けて肘を放っているがビクともしない。鋼の腹筋王子らしい。
「照れ隠しだ。そうだろう?」
「ちがう……」
「可愛いな、食べてしまいたいくらいだ」
「助けてカルザスール君……」
「名指しで助けを求めるな。俺のケツにスプーンねじ込んでおいてそんな立場か。自力でどうにかしろ」
死んだ目のベティが頬ずりされてる。さすがに可哀想だけど相手が相手だしなって空気で会話が進む。ナルシス王子は己の痴態が見えていないのだろうか?
「してどんな話だったのだね?」
「恐れながら次に昇る太陽がいかなる姿形をしているかという話でございました。有象無象が囁く益体もない噂話にございますゆえ、どうぞ気になさりませんよう」
「いや気になるよ。私もね、次の太陽の名については大いに興味がある。他人事ではないしね」
この発言はどう受け取るべきか。
父シュテルが王位を継ぐのであればたしかに他人事ではない。だが別の見方もある。父の世代ではなくナルシスらの世代から選ばれると、すでに内々で打診されているのだとしたら……
ナルシスの英明な眼差しがカルザスールの心中を見抜いたように光る。
「王陛下は未だ態度を明らかにされていない」
「邪推でした。ご無礼を」
「よい。しかし私も大いに気になるのだ。実績も充分で太陽の繁栄に貢献してきた我が父らの世代を推すか、はたまた可能性と長い治世を武器とする我らが世代が選ばれるか。王陛下の御心の内が如何なるか?」
「心の内を見る事ができるのなら早いのですが、生憎俺達の目はそう都合よくできておりません」
「ところが視える者もいる」
直前まで冗談めかした雰囲気だったのにナルシスが豹変と言ってもいいほどギラついた顔つきになる。彼が大真面目な顔で冗句を言う男でないのなら可能性は一つ二つだが、事の重要性を考えれば不安定な読心スキルを頼るとは思えない。
「S鑑定師の協力を取り付けたのですか」
現在イルスローゼ国内にいるS鑑定は二人。コパ・ベランかファティマ・エントア。原則的に政治不介入の鑑定師を抱き込んだのだ。
カルザスールには太陽王どころか薄笑みを浮かべるナルシスの心さえわからない。
「どうして……どうしてアルシェイス殿下の家臣である俺にそんな情報を与えるのですか?」
「さて、わからないならそれもよい。この情報を素に推理してみるのもいいだろう。アルシェイスに持論を伝えて手柄にするもよし、正直に明かして手柄を譲るもよし。その場合は君が色々と疑われる事態になるだろうがね」
カルザスールはアルシェイス派閥だが派閥に入って日が浅い。重要な情報を持ち込んだだけでも疑惑の目を向けられるのに、それが王位を争うナルシス発となれば内通者と判断されるのは目に見えている。
カルザスールはこの情報を有効活用できる立場にはない。だからナルシスのこれは獅子が野ウサギをわざと逃がしてから追いかける遊びのようなものにも思える。
「兄上の件は聞いている。長らく腐っていたようだが再起する気になったと判断した。もしお前にこれをうまく扱う器量があったなら私のところに来るといい」
「酔狂を仰る」
「私は人で遊びはしない。情報分析官としての能力を見込まれていたと聞いているぞ?」
「俺も殿下の人となりは聞いております。けっこうな人タラシだとか」
「私は優秀な人材を適切な部署に送り込んでいるだけだ。結果として感謝してくれるのはありがたいがね」
「……情報部は、伯父は裏切りたくないのです」
「伯父上はきっと気になさらない。なぜなら彼の願いはカルザスール・ラプターという一人の騎士が過去の迷いを振り払い、かつての姿を取り戻すことなのだから」
「そうだといい……いえ、俺だって本当はわかっていたんです。わかっていて、何年も時間を無駄にして……」
カルザスールが去っていく。その背中に声をかける者はいない。彼が欲しているのはきっかけで、それは誰かの言葉ではなく己が決断することだからだ。
ユイはナルシスという男がわからなかった。
ベティを抱き締めてる放蕩者の顔。今し方見せた王者の顔。どちらが本当の彼なのだろう?
「ナルシス様はどちらが本当なんですか?」
「人は多くの仮面を適切に使い分ける生き物だ。どちらも私の本当の姿であり、だがやはり君の目に映る私は私ではないのだろう」
「哲学的ですね」
「さて、君の問題は物事をかみ砕いて理解しようとするあまり本質を誤認してしまう性質のようだ。ありのままで受け入れるといい。それがベティと仲良くなる近道だと思うよ」
とか言いながらベティの顎をさする手を噛まれている。ナルシスが一番ベティの心を掴めていない。
(不思議な人。変人ってだけじゃない気がする……)
世の中にはたまに不思議な人間がいる。この種の人物はオンリーワンの人格を持ち、経験則で定義ができない。ユイの世渡りにおける最大の武器は経験だからこの手の人物は苦手だ。
「なあ私の妻になってくれたまえよ」
「絶対やだ」
「つれないね。では毎日食事を作ってくれ」
「お前に食わすメシはない……!」
「だそうだ」
たまたま通りかかった貴公子がそう言って、ナルシスの魔手からベティを奪い取る。容色に富んだ青年だ。普段は目元まで垂らしている青みがかったくせっ毛を撫で上げ、いつもより五割増しでキリッとしているアルシェイスだ。
ナルシスはこの従弟の暴挙に対して、文句をつけるよりもベティを奪い返す行動に出たが、ベティから拒まれる。近づけないように頬を両手で押されている。ナルシスに髭はないがまるで髭ジョリジョリを拒まれる父親だ。
この態度をもってアルシェイスは確信した。ナルシスは紳士にあらざる行いをしている。つまりセクハラ疑惑が確信に変わったのである。
「シュテル伯父上の帰国パーティーで不埒なマネか。立派な親父殿の名に泥を塗るマネはよせ」
「ふむ、つまりお前はこのナルシスが不埒なマネを働いたと? 言いがかりだな、このナルシス、太陽の王家の名に懸けて恥ずかしい行いなどしていないッ! 誓って!」
この場に同席している貴族のみなさまがフリフリ首を振っている。誰の目にも明らかに不埒な行いをしてた。ベティまで振ってる。
なのにナルシスは我こそが正義であると堂々としているもんだから、貴族のみなさまも自信がなくなってきたらしい。ここまで堂々とされると不思議な説得力がある。
でもアルシェイスは負けなかった。
「いやだっただろ?」
「うん。嫌がってるのにあいつが無理やり」
ベティの告発のせいでナルシスが膝から崩れ落ちる。一方的に可愛がって一方的に嫌われている。
正直ナルシスの過剰な愛情表現はどうかと思うけど、ここまで愛情を示して失敗した経験のないナルシスには大ダメージだった。
「その思い上がりを正せてよかったな。可愛がるだけが愛情表現ではないと知れ。ハハハハハ!」
アルシェイスが高笑いしながら去っていく。ベティを連れて……
残されたナルシスは失意のどん底だ。周りの人達が色々と声をかけてくれるけど何も聞いてない。四つん這いになってる。目が死んでる。
貴族家の当主なのに医師をやってるキースさんが診察をしているが、すぐに医療の無力を悟って首を振る。
「これはダメだな」
「ダメって……えっ、重体なんですか!?」
「そう、恋の病は治せない」
キース医師が超かっこいい顔で言った。
(この人もダメだ!)
医者が周りの人達とハイタッチしてる。うまいこと言ったもんだから調子に乗っているのである。まさか医者の方がダメだったとは……
やがて最上階にマダムが現れた。星の間の最上階は天上のストラの末裔だけがのぼることを許される。だから王族のどなたかなのだろう。
マダムの隣には若い男女が並んでいる。アルシェイスとベティだ。まだお姫様だっこされているぞ。下ろすきっかけがなかったのか?
マダムが手を挙げると夜会のおしゃべりがピタリと止まる。
「シュテル兄様の帰国なされたこの良き日にわたくしどもからもめでたき発表をさせていただく。この度わたくしの息子アルシェイスと―――」
どうやら婚約発表らしい。相手の名前はよく聞こえなかったけど、いま婚約を進めているのでぜひ応援してほしいって内容だ。
でもみなさん困惑してる。だってアルシェイス王子が抱き抱えている少女が別人なのだ。これじゃあベティと婚約するみたいに見えてしまう。
「ひとたびは王家を離れたアストライア様のお血筋と再び交わり、若き夫婦ともども太陽の繁栄の一助となれれば幸いにございます」
「……アストライア?」
悪夢にうなされているみたいに己の内に閉じこもっていたナルシスが正気を取り戻す。ユイが傍のテーブルから水を持ってくると……
「いや酒だ。そっちの方が効く」
「どうぞ」
「うん」
ナルシスがワインを一気飲み。定まらなかった瞳がしゃんとする。これは精神的ショックうんぬんではなく実際に魔法的な仕業であるらしい。
「ベティめ、離れ際にカースを掛けていったな……」
「呪いですか? でもそんな不自然な魔力は感知できませんでしたけど?」
「古代呪術だ。あれは現代で広く用いられているバークサイクル探査で検出可能だがトロンエナジーの周波数帯を変えて使用されると検出できない。とんでもないジャジャ馬だよ、そんな離れ業魔導協会認定賢者でもできないというのに……」
「えっと……」
ユイは途中から聞き流した。だってわからないんだもん。正直トロンエナジーってなぁに?って感じなのに周波数帯とかも初耳だし……
ユイちゃんに小難しい話はしないでください。
「お…お詳しいんですね?」
「これでも魔導官だ」
魔導官とは近隣国で言えば魔導兵団にあたる宮廷勤めの魔導師を呼ぶ官職である。国内十二学府を卒業した学生だけに受験資格があり、170倍という狭き門を潜ったエリート集団だ。
一等魔導官ともなれば任地における軍事の指揮権さえ有する(植民地総督の許諾必須)。
酒を口にしてしゃっきりしたナルシスが階上の演説に目をやる。ふくよかなアンゼリカ叔母上が何やらお話してるぞ? しかし途中からではどんな話なのかわからないらしい。首を捻っている。
「レディー、アンゼリカ叔母様は何の話をされているんだ?」
「婚約らしいです♪」
「ふ……む?」
ナルシスが再び最上階を見上げる。煌びやかな太陽のステージにはアンゼリカ叔母上とアルシェイスと彼に抱き抱えられるベティがいる。聞き間違いだと判断したナルシスは耳をかっぽじった。
「もう一度言ってくれないか?」
「ひとめ惚れだったんですって。ロマンチックですね!」
「…………え?」
もう一度最上階を見あげる。アルシェイスとベティが仲良さそうにピッタリ寄り添っている。
次の瞬間、ナルシスは獣みたいに階段を駆け上がっていた。制止にかかってきた騎士を払いのけ、真っすぐにアルシェイスめがけて―――
「その婚約に異議あり!」
ナルシスはたぶん勘違いしている。
「地は我らを見守り、天はすべてを知る。太陽神ストラの名に懸けてこの婚約に誤りがあると断言する!」
「大仰なセリフだなナルシス。何が誤りだと言うんだ!?」
「この世界で最も強く彼女を愛している男の名をお前は知るまい? このナルシスこそが彼女を愛し、真心を捧げる男よ!」
この瞬間会場の女性陣がヒートアップ。ゴシップに飢えてるマダムもレディーもキャーキャー言いながらナルシスを応援しているぞ。彼女たちはいつだって情熱的な男性の味方なんだ。
アルシェイスは戸惑いの極致にある。だって従兄がファラを好きだなんて聞いたことないもん。
「本気か?」
「冗談でこのようなマネができるか。アルシェイス! 彼女との婚約を賭けた決闘を申し込む!」
ナルシスの高らかな宣言が響き渡る。
ちょうどその頃イース侯爵邸で、曾祖父の肩を揉んでいるファラがくしゃみした。当事者なのに何も知らない。
可哀想に……
◇◇◇◇◇◇
太陽宮殿で開催されるパーティーの最中にアルシェイスとかいう奴が突然ファラとの婚約を進めてるって言い出した。
俺の胸中に吹き荒れる困惑も余所に今度はナルシス君がファラを懸けて決闘するとか宣言した。太陽の王家破天荒すぎね?
混乱の星の間を離れて控室。現在ここには俺らとおっさん王子とナルシス君の五人で集まってる。ナルシス君に事情をお尋ねするためだ。
「父上、私はあの泣き虫野郎をボコって真の愛を手に入れます!」
「よし、殺せ」
一番破天荒なのはおっさん王子だな!
勇ましい愛の発言をナルシス君はベティを抱き締めてる。ロリを抱き締めながら息が荒いんだ。……彼ほんとにファラが好きなの?
おっさん王子がいなくなった後で、ナルシス君が俺らにだけこっそり胸の内を打ち明けてくれる。
「じつは途中から気づいたんだ。アルシェイスが婚約しようとしてるのはベティじゃないと……」
「あんたまさか……」
「いまさら別人だったとは言い出せなかった」
ナルシス君の乾いた笑いと俺らの苦笑いが部屋にこだまする。
ストレス発散みたいにベティの胸に顔を埋めてるナルシス君は王子じゃなかったら逮捕されていると思う。いや王子でもアウトだ。
しかし糾弾する気にはなれなかった。これほどにやらかした奴には癒しが必要だ。落ち着いて冷静さを取り戻し、打開策を考えるんだ。
「それでどうするんですか?」
「名を落とさない程度に善戦して負けるしかない」
質問したユイちゃんがそれでいいのかなあ?って顔してるぜ。でもそれしかない。だって勝ったらファラと婚約することになるんだ。
玉の輿とか美人だとかどうでもいいよ。結婚は好きな人とするべきなんだ。見ろよあのベティの嫌そうな面を。
幸せになるために結婚するんだ。好きな相手と結ばれるのが一番に決まってる。
「ギリギリ負ける方針なのはわかったけど、相当な実力差がないとコントロールできないと思いますぜ。あのアルシェイスってどうなんですかね?」
「腕前は私の方が上だろう」
さらっと言い切ったナルシス君はたしかに相当な実力者だ。一等魔導官ってのは他の国の役職に直せば将軍や万騎将に相当する。実際シェーファとやってもいい線いくと思う。
でも問題はナルシス君は魔導師なんだ。
「決闘って魔法オッケー?」
「ダメだな。シキタリに則って刃を潰した武器での決闘になる。だが問題はそこではない」
勝利は確定ってわけか。だが他に何が問題なんだ?
「レグルス・イースが婚約を許可した。あの怪物を敵に回すのは怖い」
「伝説の冒険者レグルス・イースか。どういう人物なんです?」
「狡猾な人物だ。知略・武芸・人心掌握術とあらゆる能力が突き抜けた稀代の英雄だという。道化者のようにおどけた外面で他者を油断させ、鋭い牙を突き立てにくるというのが曾祖父ルストワルタのした人物評であった」
厄介そう。聞いた感じシェーファに似たタイプだな。小銭スキーは仮面じゃなくて本性だけど。
「どう出てくると思います?」
「策謀家と策の探り合いをするのは相手の思うつぼだね」
「策謀家の手のひらで踊るのは怖くないですかね?」
「本来なら悪手だ。だがその心配をお前がする必要はない。お前に頼みたいのは別の案件だ」
俺氏緊張で顔を引き締める。
王族とは関わりたくない。しかしここまで関わると無関係を装っても相手がそう思ってくれないんだ。おっさん王子にはどうか末永く権勢を保っていてほしい。せめて俺がドルジアに帰るまででも可。
「ベティを数日貸してくれ」
「いいですよ」
「えっっ……? ハゲ?」
ベティが親に売られた子供みたいな顔で驚愕した。俺はナルシス君から報酬代わりのイヤリングを頂戴して退室する。強く生きろよ!
◆◆◆◆◆◆
冒険者の王にして偉大なるレグルス・イースの伝説は遥か東方の地ドルジアから始まった。
妾の子と馬鹿にされて育ったレグルス少年は家では召使いも同然の扱いを受けていた。でも薬草摘みでこそこそ貯めた金でワゴンセールの剣を買い、冒険者として故郷を旅立ったのである。十二歳だったって絵本に書いてあった。
出会いと別れを繰り返し、敗北も逃走も裏切りも何度も経験したけどレグルスは挫けなかった。どんなに辛い目に遭ってもあの地獄みたいな故郷よりはマシだったんだ。
三年にも及ぶ戦いの日々を経て中央文明圏へと流れ着いたレグルス少年はイルスローゼの東端アストラの町に腰を据え、様々な仲間達をえにしを得た。
後に妻となる家出王女アストライア。悪友にして親友エルロン。肉体派の落ちこぼれ魔導師グラーバント。冒険者クラン『イース』を結成し、数々の難敵を打ち崩していった。
そんなレグルス少年が名をあげたのはやはりウェルゲート海の覇王カーディアス・ルーデットとの一騎打ちに勝利した件だろう。コンダーの海戦でウェルゲート海最強の総艦長を下し、時の太陽王アルビオン五世から宝剣と爵位をいただいた。
その後レグルスは拠点をベイグラントに移して活動していた。絵本では語られなかったが色々あったのだろう。
そんなレグルスは数々の未踏破地帯を踏破し、冒険者の王と呼ばれるようになる……
絵本でしか知らない英雄の姿を知るために俺は一人、イース侯爵邸へと潜入する。泥棒は月のない夜を狙うもんだが泥棒じゃないから問題ない。ただの不法侵入だ。
透明化して正門を飛び越えて屋敷前へ。暗夜に佇む洋館の迫力は普通。貴族家では当たり前の四階建て数十部屋だ。
屋敷前の庭園を噴水と植木のみで奥の屋敷を強調する装置に徹してる。センスがいいですねって感じだ。とりあえず正面玄関から堂々と行くかと思ったら……
俺の背後にジジイがいた。いつの間に!?
「そこじゃな―――?」
勘だけで大ジャンプ。空渡りを使って緊急回避する。
ジジイが仕込み杖から抜き打ちを放つ―――回避だァー!?
ジジイの斬撃はいわゆる通常攻撃ではない。七回攻撃で長距離攻撃だ。そんな感じのお母さんマンガあったな!
ほうき星みたいに魔力を纏う長距離斬撃が空に散っていく。一撃あたりの魔力密度が必殺の威力だから性質が悪い。空中をビュンビュカ逃げ惑いながら地上のジジイを見下ろす―――
白髪と白髭に埋もれた皺だらけの顔。体躯は背こそ高いが痩せていて枯れ木を思わせる。ボロボロに擦り切れた真紅のマフラーを風になびかせるその老人は青磁茶の荷役をやっていた時に偶然出会った面だ。
「レグルス・イースか!」
「手応えが無い? ワシの居合いをかわしたというのか……?」
どうやら見えているわけではないらしい。それにしては正確な狙いだが……
閃光のように飛んでくる高密度魔力斬撃がさらに加速する。命中即死の長距離斬撃が空を切り刻んでいく。
やべえな詰んでる。空渡りに一歩でも失敗すれば絶対死の斬撃を浴びる。逃げようにも背中を見せた瞬間に斬られる。だがこんな全力空渡りがそうそう保つはずがない。本来十二歩で限界なところをもう二分近くやっているんだ、火事場の馬鹿力を発揮しているからまだ生き延びているだけだ。
問題は疲労だ。空気を踏んで走るってのはそれほどに疲れる。疲れてミスれば死ぬ。
「いちかばちかで攻撃に出るしか……」
眼下の居合いジジイを見ていると全身が総毛立つ。危険センサーがさっきからずっと喚いている。距離を詰めれば死ぬって叫んでる。
レグルスの斬撃の質が変化する。早く多くから最速にして品質第一の少数斬撃への変化。こっちとしちゃありがたいが歴戦の英雄が持つ戦闘本能が俺に利するか?
神速の長距離斬撃によって切り裂かれた空が割れている。一線に割られた空は暗黒の臓物を吐き散らかし―――何か出てきたぞ!?
空の傷痕からおぞましい化け物が這い出てきた。全身が暗黒に染まった映画のエイリアンみたいな気色悪い化け物が傷痕を押し広げて現れ、俺へとめがけて腕を伸ばしてきた。永遠にどこまでも伸びる腕を掻い潜る。
他の傷痕からも化け物どもが這い出てきている。侵略に来たのかと思う数だ!
「すばしっこい曲者じゃったがこれで終わりよ。プレーンズウォーカーどもに全身を食らい尽くされて死ね」
「ステ子!」
ステルスコートが虹色に煌めく、世界を焼き尽くすほどに輝き、眼下のレグルスめがけて破壊光線を発射する。
それは音のない大爆発だった。
夜が乱舞する。吐き出された膨大なちからが着弾してもなお衰えずに空中まで舞い上がってくる。レグルスのいた地点には暗黒のドームが生まれ、間欠泉みたいに夜が吐き出されて夜空に還っていく……
空中都市が震撼する。鎖によって王都ローゼンパーム直上に浮遊固定されている空中都市そのものが斜めにズレての大震動。に…逃げるか……?
俺は慌ててイース侯爵邸から逃げる。ステルスコートさんはやはりダメだな。微妙に制御し切れない上にやらかすと被害額が天文学なんだ。
とりあえずレグルス・イースやべーわ。もう近づかんとこ。
◇◇◇◇◇◇
爆心地はクレーターと化した。ステルスコートから放たれた福音砲はミスリル混じりの空中都市基礎部分に大穴を穿ち―――だが目当ての人物だけは殺し損ねた。
金属混じりの岩塊の底に埋もれた老人が刀を杖にして立ち上がろうとしたが腕が空中をスカる。よく見れば右腕がなくなっていた。
「……咄嗟に次元断で盾を作っても貫通してきたか。非常識な威力じゃな」
幸い怪我は右腕一本らしい。人間の頭サイズの石を押しのけて立ち上がり、大穴に切り取られた夜空を見上げるも侵入者の気配はない。
「逃げられたか……」
神聖存在にしては気配が弱いと侮ってみればこれだ。冒険者の王などと持て囃されたところに名も無き神の眷族に手ひどくやられてしまった。古い英雄はいつだって新しい英雄に打ち倒される運命であるが、まだまだ席を譲る気はなかったのにこれだ。
レグルスは大穴の底で深いため息をついた。やはり年には勝てぬかって奴だ。
そのうち屋敷の方から大勢の気配がやってくる。夜中にいきなり屋敷の庭園に大穴が空いていれば慌てるに決まっている。
大勢の使用人が大穴の底を覗き込んでレグルスを見つけ、大旦那様と慌てている。護衛も兼任する屈強な執事どもが大穴を滑り降りてきて、大小の岩石を押しのけてレグルスを救出しようとする。いらんお世話じゃ。
(しばらく屋敷を空けとったせいか教育がなっとらんな。ポーションの一つも持ってくる気の利いた奴はおらんのか……)
愚痴っぽいのも年のせいだ。昔はおおらかな気持ちで許せていた若者の気がつかなさにもイライラしてしまう。未来が無いことからくる劣等感かもしれない。
やがて大穴の縁にひ孫娘が現れた。カーディガンを羽織っているひ孫娘はひと声かけてからエクスポーションの瓶を落としてきた。ありがたいけど手渡しの方が嬉しい……
「お年なのですから無茶はおやめください」
「そう怒るな、楽勝だと踏んでのことじゃ」
「年寄りの冷や水ではないですか」
「……そうじゃの」
返す言葉もない。ひ孫娘は口が達者なので口喧嘩では絶対に勝てない。読心には抵抗できても地頭に差がありすぎる。
ファラは優秀だ。彼女の周りを固める側近も優秀なのを揃えた。しかし経験豊かな老人から見ればどうにも頼りなく見えてしまう。お節介にもその往く先を整地してやりたくなるほどに。
息子はレグルスの過干渉を嫌がって家を出た。反省して孫は乳母に任せて放置したら愛情を疑い、心を許さなくなった。
自分には育児の才能がない。英知も武力も何もかも持ち合わせた己がついぞ得られなかったのは、どんな粗末な男でさえ有している子育ての才能だった。
ファラはよく出来た子だ。一人の淑女として何の不足もない能力に恵まれている。だがイースの後継者としては足りない。イースの後継者とは即ち英雄レグルスと同格の存在でなくてはならない。
己亡きあと彼女に降りかかる災難は想像に易い。レグルスを恨み憎む者すべての悪意が彼女に集中する。レグルスはあまりにも多くの罪を重ね過ぎた……
イースの莫大な富でさえレグルスの罪を背負う対価としてはあまりにもちっぽけだ。
そんな想いを知ってか知らずか、それでもひ孫は優しげに手を貸してくれる。ファラの手を借りて大穴から這い上がったレグルスは「恨むか?」と問うた。残念ながら想いは伝わらなかったらしい。よくわかっていない顔をしている。
だが伝えたくない。何もかもつまびらかにするには己の罪は深すぎる。嫌われたくない、愛しているからだ。
「婚約を勝手に進めているじゃろ。怒ってはおらんか?」
「破談にする方法を探してテンテコマイですわ」
あぁ何と才能に溢れた娘っこだろう。怒っても意味がないと悟ってぶち壊す方策に出たか。だがそれこそが最善、裏でこそこそやる人間に対して当人の相手をしても意味はない。策そのものを打ち破る対処こそが正しい。
人生は長い。次々と現れる敵をイチイチ破滅させていたらキリがない。敵も味方も多くを抱え込んで生きていくしかない。
「ファラや、太陽の王家は強力な後ろ盾になる。お前に降りかかる災難を退ける魔除けになる。これはワシの最後のお節介よ。要らぬと思うなら捨てていい、だがワシの想いを汲んでくれるなら……」
「最初に言ったと思いますが?」
レグルスが首をひねる。何て言ったっけ?
「そーゆーのを年寄りの冷や水というのですわ。大爺様は盤上の遊戯に夢中になるあまりわたくしを蔑ろにしています」
「それはちがう。ワシの行いすべては真にお前を想えばこそよ」
「それは思い上がりです。たしかにわたくしの行く先には困難もありましょう、時に大爺様の名を叫んで罵倒することもあるかもしれない。ですが対処するのはイースの総帥たるわたくしなのです。赤子の手を引くように導くのが愛情ですか? 信じて任せてくださるのが愛情です」
「……そ…そうじゃの」
伝われこの想い!ってやったらガチ説教が返ってきた。じっちゃまって呼んでくれる可愛いひ孫がいつの間にか小うるさい仕上がりに……
「わたくしはさぞ頼りなく見えるのでしょうね。ですが百年近く生きてる大爺様と比べられてわたくしどもが敵うわけがないではないですか。そもそも経験がちがうのです。広い心をお持ちになり、穏やかな気持ちで隠居なさいませ」
「……うむ」
ダメじゃな勝てない。
口喧嘩のステージにおいてファラ・イースは絶対無敵の女王だ。勝つとか勝てない以前に口を挟む暇がない。怒涛の勢いで理路整然と攻め立ててくる。……妻そっくりだ。
翌朝の目覚めは最悪だった。
昨夜なんかよくわからん夜の影みたいな奴に敗北した上にひ孫からガチ説教され、ついでに朝食は嫌いなものが出てきた。グリーンピースで埋め尽くされた大皿が出てきた時は悲鳴をあげるかと思った。
ファラお手製のグリーンピースのヘルシーサラダって名前がまた最悪だ。緑豆は嫌いだが生は人の食い物じゃないと思っている。しかし食べるしかなかった。だって作ったひ孫がずっと見てるし……
地獄の朝食を終えると王宮から使者がやってきた。入れ替わり立ち替わりやって来る。王女アンゼリカからは宅の息子を恋の当て馬に使ったのか!という身に覚えのない非難文。太陽王アルビオンからは事態の詳細を報告してほしいという打診。シュテル王子からはひ孫ファラとナルシスの今後について相談したいから至急連絡がほしいという内容だ。
他にもゴシップに飢えている貴族から山ほどの手紙がやってくる。情報の海で溺れそうだ……
中でも一番困惑したのは貴族院からの文書であり、午後にファラを懸けて決闘が行われるので観覧に来てほしいという手紙だ。読んだ時にレグルスは確信した。ひ孫は知らない、関与してない、寝耳に水だって言い張ったけど確信した。
ファラには権謀術数の才覚がある。
プレーンズウォーカー解説
そろそろお昼にしようという時に限って質問者がやってくるのは何かの嫌がらせなのだろうか? いやすまない、決してイヤミではないんだ。私は君達の学習意欲の高さに誇りを抱きこそ決してそんな……
うむ、気を遣わせてすまない。そうだね食堂に行ってから話そう。
それでコンラッド君質問とは何だね? 次元渡航中に変な化け物に襲われた? また奇怪な実験をしているのだね。
それらはプレーンズウォーカーと呼ばれる者どもだ。次元渡航者という意味で用いている。
君も知ってのとおり我々の世界の他にも様々な世界がある。古き巨人の国ヨトゥンヘイム、凍土のニブルヘイム、伝承にもいくつか出てくるし実際に行って帰ってきたという者もいるという。
次元渡航はリスクの大きな試みだ。丹念に準備したつもりでも世界座標を失い、次元の狭間を永遠に彷徨う事態にもなりかねない。
もう気づいたようだね。プレーンズウォーカーとはそうした魔導師の成れの果てだよ。
次元渡航に挑む魔導師というのは例外なく超級の魔導師だ。精神に異常を来たし、肉体さえも失った彼らは次元の狭間で共食いを重ねて特殊な進化を果たしている。そんな彼らの存在が次元渡航のハードルをさらに引き上げているのだから笑えないね。
え、とめないのかだって?
だって止めたところで止まる男ではないでしょ君は。止まらないなら助力した方が賢明さ。知識をちからに変えて挑みなさい。しっかりと準備した上での挑戦は困難ではなく旅行にすぎない。私はきっと君のちからになれると思うよ。




