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番外編① 太陽の神話


 本編では語られなかった日常の詰め合わせ。

 第二章に入る前のお茶濁しです。時系列は夏のリゾート騒ぎから旅立ちまでの間で、投稿内容は必ずしも時系列に沿ったものではありません。

 神々の黄昏が終焉を告げ、神々の去った大地は闇に包まれた。


 朝も昼もなく大地にはただ夜のみが在り、闇以外は存在しなかった。

 地には冥府の王の眷属どもが徘徊し、恐ろしい怪物どもが我が世の春を謳歌していて、ヒトは、あぁヒトは滅びたかに見えた。


 だが、ヒトは死滅してはいなかった。



◇◇◇◇◇◇ 



 十二月の帝都は白い、どこを見ても白い、雪が深いせいで真っ白だ。

 バートランド侯爵邸のある丘の上の貴族街は各家の使用人たちの努力のおかげで随分と除雪されているが、それでも道路の左右によけた雪が壁になっている有り様だ。


 そんな帝都の早朝をジョギングしている我ら三馬鹿のリーダーのロザリアお嬢様が白い吐息を漏らしながら言う。


「綺麗ね」

「はいぃ?」


 いったい何が綺麗なのだというのだろうか?

 まさか景色か? 景色の話なのか? ……消去法を活用するに景色の話っぽいな、マジかこの人……


「ガチの雪害をこうむってる側の人間なのに雪景色を綺麗だと思うとかどんな神経してんスか……」

「むー、なによ、綺麗なものは綺麗じゃない」


 お嬢様がほっぺを膨らませて「むー」って怒っておられる。共感を求めたら否定されたもんだから怒ったのか。可愛い人だな。


 まぁ景色は綺麗だ。朝日に照らされた帝都がキラキラと黄金みたいに輝いている。たしかに綺麗だ。それは認める。

 よし、巻き返そう。


「ですよね! 超綺麗っす!」

「……リリウスくん、変わり身が早すぎるよ」


 デブが何か言っているがお嬢様が白と言えばカラスだって白いと言い張るのが俺ら下っ端の仕事なんだよ。

 真実なんてどうでもいい、お嬢様からの好感度が俺らの価値だ。


「お嬢様、ここに詩人の心を持たない、心の貧しい男がいますぜ」

「悲しいわねえ」

「……そうやって数的マイノリティを迫害しようとする精神こそが心の貧しさだと思うなあ」


「なるほど、じつは心が貧しいのはお嬢様だったんすね」


 軽快に会話を回していたら二人から心底蔑んだ視線がやってきた。

 その視線は不信感に満ち、また同時に俺の正気を疑っている様子だ。


「ねえリリウス、あなたってほんの数秒前の記憶もないの?」

「やだなあ、冗談ですって冗談」


「……そう、だったらいいんだけど本当に怖かったから紛らわしいマネはやめなさい」

「いやいや、何もよくはないよ。今のコウモリムーブは本気でヒンシュク買うから叱ったほうがいいよ」


 デブがわりとマジな顔でそう言った。

 今か七年後とかそこいらに俺とお嬢様をクリストファー第二皇子に売り払うという最低のコウモリ野郎がそんなことを言ったもんだから俺はあまりの衝撃に笑ってしまう。高笑いだ。


「はっはっは、ふぅーはははははは!」


 いやぁ本当に面白いな。最高だぜデブ。


「あはははははははははは! おもしれえことを言うなぁデブ!」

「……リリウスがおかしくなっちゃった」

「……リリウスくんは元々だいぶおかしいよ」


 いま眼前で常識人ムーブをやっているクソ野郎が将来的にお嬢様を監禁するんだぜ。あまりの面白さに殺意しかないぜ。


 刹那、俺の脳裏にひらめくワンシーン。


 衝撃の展開だと一目でゲームプレイヤーに思い知らせるスチルの中でデブが血塗れのレイピアを手に俺を見下ろしているシーンだ。


『本当に馬鹿だなあリリウスくんは。本気を出したぼくにリリウスくんが敵うわけないじゃん』


 ついでとばかりにお嬢様の手首を捻り上げているデブの顔の腹立たしさときたら!

 そんな光景を思い出した瞬間に俺はデブを殴っていたのである。


「お前はここで死ね!」

「ナンデ!?」


 デブが一撃でノックアウトだ。よえーな雑魚が。


「お嬢様、このゴミクズ野郎はここに埋めましょう」

「何だかわからないけど可哀想だからやめてあげなさい」


 何も可哀想だとは思わないがお嬢様の御言葉では仕方ない。よかったなデブ、今日は生かしておいてやる。


 あぁまったく本日はいい青空してやがるぜ。祝祭ばんざい。


 本日は騎士団の訓練はおやすみだ。昨日は閣下がものすごく不満そうな顔つきで「明日は聖マルコの祝祭のため訓練はない。だが自主的に訓練をしたいという熱意を拒む理由にはならない。わかるな?」とか抜かしてたので嬉々としておやすみするぜ。あぁ休むさ! 祝日なんだから休んで何が悪い!


 あの頭のおかしいワーカホリックは「おのれ太陽教会め、祝日などというくだらぬ日を作り民衆を洗脳するとは……」とかほざくからな!

 閣下ッあんたは間違ってるよ、祝日なのに働くなんてあんたがおかしいんだよ。世間の人はみんな祝日を楽しみにしているんだよ! 帝国騎士たる者その身命と財産を国家に捧げるのは当然として一年365日24時間のいかなる時も騎士たるべしとかあんた間違ってるよ!


 まぁあんなワーカホリックの話はいいんだ。今日だけはいいんだ。名前を口に出そうものならそこらの物陰から現れそうな気がするからな。やめておこう。


「さぁて、せっかくのおやすみですしおもいっきり遊びましょうか! まずはどこに行きましょうか?」

「まずは教会よね」


 教会……?

 せっかくの祝日に教会?


「教会なんてありましたっけ?」


 お嬢様がすぅっと指を差す。ある! 教会っぽい建物が遥か遠くにある。今まで気づかなかった。


「ねえリリウス、あなたまさかうちの国教を知らないわけじゃないわよね?」

「この国に国教なんて文化的な物があるわけが……」


 俺もお嬢様も首をひねっている。互いの言い分を理解できない感じの微妙な空気が漂っている。このウェンドール800年代に未だに戦士と鉄の教えなんて原始的な考えがはびこるド田舎の国に宗教なんてものがあるとはオラ初耳だぞ。

 うーん、がんばって思い出してみたがやっぱりそんな文化はねえわ。


「あれですよね、戦場で死ねばヴァルハラに行けるからてめえらみんな死ぬときは戦場で勇敢に死ねやっていう野蛮な教えですよね?」

「マクローエン家ってやっぱり古い教えのまま時代が止まっているのねぇ」


 お嬢様のような中世の貴族令嬢に古いとか言われるのは俺的には屈辱なんですけど。


「ねえ、今まで聖マルコの祝祭はどーしてたのよ?」

「そんな祝日があるなんて昨日初めて知りました!」

「そんな感じなんだ。そーいえばマクローエンで教会を見かけなかったわね」

「アルテナの廃教会ならありますよ。何十年も前に一冬越しただけで教会の人が脱走したらしいですけど」


「教会が無いのなら結婚式とか初夏式とか成人式とかどーしてるのよ」

「町長のしきりで町の広場に集まってお祭り騒ぎしてましたね。うちからも祝いとして牛や山羊の丸焼きを持っていってましたね」

「文化の香りがしないわねえ」


 めっちゃ憐れんでくるねえ!

 文化を知らない可哀想な子供を見る目ですねえ!


 まぁ説明してもらおう。そもそも聖マルコの祝祭ってなんだ?っていう基礎知識からだ。


「聖マルコは太陽教会の聖人なの。聖人ってわかる? えらい人なのよ」

「ちくせう、たかだか祝祭を知らないというだけでめちゃくちゃ下に見られてやがる……」

「まぁそのえらい人がね、あのね……」


 急にお嬢様が言いよどむ。俺は察したがお嬢様の名誉を守るぜ。


「じゃあ後はバイアットから説明してもらおうかしら?」


 ようやく打撃ダメージから復帰しようとしているデブが何かを察した顔でこう言う。


「ま、まぁせっかくだし教会の人に聞けばいいよ。絶対僕らより詳しいし」

「そうね!」


 こうして午後からの大聖堂でミサに行くことになったのである。

 その理由はおそらくお嬢様の小さな見栄によるものかもしれないが、悪役令嬢の手下たる者なら主人の発言には唯々諾々と従うべきなのである。一年に一度この日だけ食べられるお菓子ってのも興味がある。


 太陽教会のクリスマス菓子かぁ。シュトーレンみたいなやつなら嬉しいんだけどなあ。



◇◇◇◇◇◇ 



 新市街クリスタルタウンはその名のとおりクリスタルでできているファンタジーな町ではない。クリスタルのように綺麗な町並みとかそういう気持ちや努力目標の表明なのだろう。

 まぁ上下水道が完備されているというだけでこの時代では進んでるよね。窓から汚物を放り投げてる町と比べたら随分と綺麗だよ。それだけで俺は評価するよ。さすがにクリスタルタウンは大げさだけどな。


 十二月二十四日の午後。そんな名前負けのする町にある大聖堂は随分と賑わっている。ファミリー連れ特有の賑やかさなので超うるせえ。週末のイオンかな?


 って私服姿のガーランド閣下発見! 意外ッ、あの鉄の男にも祝祭に遊びに行くというまっとうな人間性があったんだ!


 大聖堂前の広場の混雑から離れた、十二体並んでる大きな石像の一つに背もたれている閣下に声をかけてみる。


「ちわっす」

「む、お前達か」


 視線が一度だけきたがまた視線は別のところに戻った。特定の誰かを探している視線ではないので祭り見物なのだろう。


「なんだかんだ言って閣下も祝祭を楽しんでいるんですね」

「いや、見回りだ」


 ……なんだって?


「祝祭の熱に浮かされて犯罪を働く者が多いのでな。特に小遣いを持つ子供がターゲットにされやすい日なので警備は厳重にしている。俺はまぁ部下どもがきちんと働いているかの監視というわけだ」

「あんた働きすぎだよォ!」


 驚いたよ、マジで驚いたよ。出勤日が祝祭と被ってる奴は可哀想だけど仕方ないよ。でも非番なのに自発的に働きに来る奴には恐怖を感じるんだよ!


「俺は心配だよ、いつかあんたが壊れちまわないか心配で仕方ないよ! 仕事が楽しく仕方がないって言ってる奴に限って簡単に壊れちまうんだよ。人の心はそんなに強くできてないんだよ!」

「無用な心配だ、巷の噂ではどうやら俺の心は鉄でできているらしい」

「あんたのことを何も知らない連中のする噂話と実際のあんたに何の関係があるってんだ!」


 くそっ、なんか知らんが涙が出てきた。

 この哀れなワーカホリックは己の心が壊れていることにさえ気づいていないんだと思うと涙が出てきたよ。


 ワーカホリックは心の病なんだよ。自分は必要とされている。自分がやらなければ組織がダメになる。自分がやらなければならないって責任感が強い人ほど陥りやすい心の病気で、そんな奴に限って組織に裏切られた瞬間に完全に壊れちまう。


 春のマリアに登場した時あんたはかなり壊れていたよ。陰気でむすっとしていて、誰も信じられない、そんな目つきをしていたよ。


 未来のあんたは今みたいに俺のことを困った奴だななんて思いながら微笑んだりしなかったよ。俺はあんたにあんなふうになってほしくないんだよ!


「泣くなよ困った奴だな。俺のことなど忘れて祝祭を楽しんでこい」

「今はあんたの休日の在り方の話をしてんだよ!」


 説得なんてどこ吹く風だ。ちくしょう、こんな時にまで鉄の男の在り方を発揮しなくていいんだよ。

 ここでお嬢様が口を出す。


「ねえ、もうそこまでにしてあげて?」


 何だろう、意固地な喧嘩をする子供たちを見るような目つきだ。


「おにーさまの心が何でできているかなんてどうでもいいのだけど、この子がこれほど心配している意味も察してはいただけません?」

「むっ……」


「ここは一つ子供を泣かせた方が悪い理論に則って慰謝料をいただいて、この話はおしまいにいたしましょう」

「慰謝料ね、我が妹御は中々怖いことを言うようになった。ではこれで菓子でも……」


 閣下が財布を開く。そしてピタリと泣き止めてしまえる現金な俺の涙腺。この人のことは心配だけどそれはそれとしてお小遣いは嬉しいぜ。何しろ帝都での俺の現金収入はデス教団の本部探索だけだからな。


 呪殺を生業とする人殺し教団なら幾ら困らせても構わないって気持ちでやってるけど最近のあいつら湿気てんだよな。資金力がぐんぐん落ちてるのがわかる困窮ぶりだ。教団トップの食事の質が落ちてるのがその証拠だ。


 閣下の指が銀貨三枚をつまんでいる。やったぜ、屋台のお菓子が食べ放題だ。

 しかしお嬢様はご不満らしい。そんな感じで鼻を鳴らした。


「小銭で済ますなんて安く見られては困ります」


 すごいセリフだ。この人ってマジで乙ゲーの悪役令嬢なんだな。いますごく悪役令嬢してる。

 それはデブも感じ取ったらしい。あまりの衝撃でポップコーンを食べる手が止まらない。ストレス過食が進んでいる。


「うちのお嬢様すげえ、あの鉄の男から大金をせしめる気だ……」

「リリウスくん、これは伝説になるよ。帝都中の商人から泣きながらもううちには来ないでくださいと懇願された鉄の男から慰謝料をもぎ取るなんて……」


 あの人ロクデモねえ伝説作ってたんだな。商談は相手が泣き出してからが本番だって俺に教えてきたドケチだけはあるわ。

 ガーランド閣下ってイース海運とめっちゃ仲が悪いんだ。たぶんこのエピソードが関係してんだろ。


 俺ら手下二人が途方もない大金に夢を馳せていたが……


「慰謝料として今日一日わたくしたちの警護をしていただきましょう」


 あ、そういう流れ?

 たしかにそういう話をしていたけどリリウスくんには大金でもいいのよ? 大金でしか癒せない心の痛みもあるの!


「それは随分と高くついたな」

「ご自身を心配する者を泣かせたのです、妥当なところでしょう」

「そうだな。わかった、今日はお前達に付き合おう」


 俺の涙ながらの説得を一蹴した鉄のドケチがあっさり陥落した。可愛い妹とかいうチート職業が最強すぎる。


 お嬢様がウインクしてきた。作戦大成功って感じだ。まったくすげえ人だよほんと。

 俺なんて所詮他人なんだなあってがっくりきてんのにね。



◇◇◇デブSIDE◇◇◇ 



 鉄の男が陥落した。意外にも身内には甘いのかもしれないと対ガーランド用の交渉知識の増加に満足するバイアットがロザリアへと声をかける。いつものヨイショだ。ヨイショは大事だ。


 バイアットの役割は次代のバートランド公爵ロザリアの側近として実家のセルジリア伯爵家とバートランド両家の関係を良好に保つというものだ。現在的にも将来的にもロザリアの好感度を高く保っておく必要がある。それが父バランジットからの命令である。……父の命令に疑問などあるはずもなかった。


 貴族家の末子に生まれたバイアットにロザリア姫の側近以外の選択肢などなかった。セルジリア伯爵家が保有する九つの爵位はバイアットが生まれる前に上の兄貴どもの頭上に輝いていた。

 生まれたのは幸い金満伯爵家なので何不自由なく育てられた、そんな自分だからこそ御家の命令に逆らうなんて選択肢は考えつきもしなかった。


 セルジリア本家に生まれたことは幸運だ。裕福な生活と自由の対価としてたまに御家から命じられる所用をこなしていれば文句など言われもしない。バイアットはこの世には天国と地獄があると知っていて、貴族身分ではないという事そのものが地獄なのだと理解している。


 彼が初めて地獄を見たのは五つの歳で、馬車のガラス窓の向こうに広がる光景こそが地獄であった。もちろんはそれはただの比喩表現であり、彼が見たのは地獄なんて恐ろしいものではなくて一般的な町の光景だ。

 パッチワークのされた麻布の服を着た痩せた子供が同じような格好をした母親に手を引かれて歩いている光景や、何日も洗っていない汚れた服装をした小汚い大人達が昼間からビールを酌み交わしている光景で、ニッカリと笑う大人たちの口内に見えた黄ばみや何本も欠けた歯が幼い彼の目にはホラーテイストに見えた。


 幼い彼は侍女に向けてあれこれと質問をした。


「あのような粗末な衣類を繰り返し修繕して着回すのは庶民には当たり前のことでございます。きっとあの子の服はもっと大きな兄弟からのお下がりなのでしょう。……なぜ、でございますか? 庶民には新しい服に買い替えるよりももっと優先度の高い支出があるからと申し上げればよいのでしょうか……」


「悪臭でございますか。この領都メトセラの庶民街は余所の町に比べれば随分と慎ましいものですよ。坊ちゃまが悪臭だと感じるのは貴族街が綺麗だからなのでしょう」


 返ってきた答えはどれもこれもが恐ろしく、幼い彼の心に貴族ではなく庶民であることは地獄なのだと刻み込んだ。


 貴族じぶんは天国にいる。この権利を手放してはならない。あの時の恐怖心は今もバイアットの心の原風景になっている。

 だから男爵家を出るとか俺は冒険者になるとか都会に出てビッグドリームを掴んでやるとか放言するリリウスのことを見下している。現実の見えていない馬鹿だと思っている。天国への大罪を許されているのにわざわざ好きこのんで地獄に落ちようとする馬鹿だ。……たまに唐突に殴られるのはそういう空気を出してしまっているのかもしれない、とは思っている。


 リリウスは現実の見えていない馬鹿な子供だ、なのに周囲からの評価が高くて困惑する。自分の生き方とは真逆の振る舞いをする者への高評価はバイアットの心を波立たせ続けてきた。


 それはそれとして今日もバイアットはヨイショの日々である。


「もしゃ。さすがお嬢様、鉄の男を落とすなんてすごいよ。もしゃもしゃ」

「ええ、さすがだわ」


 ヨイショしたら赤毛の少女がさすがって返してきた。

 ニュアンス的に自画自賛ではなさそうだが文脈的には自画自賛であるように思えるので彼は小首をかしげてしまった。


「自画自賛?」

「リリウスのクリティカルヒットのことよ。普段はずるい手ばかり使う子の泣き落としには驚いたらしいわね。動揺したところを突けたから何とかなったわ」


 かしいだ首がますます傾く。


(リリウスくんがあの鉄の男を動揺させたって? まさかそんな馬鹿な。非情で知られるガーランド・バートランドが動揺なんてするはずがない。ましてやリリウスくんの涙でなんて……)


 ありえない、と言い切れるだろうか?

 ガーランドはたしかにリリウスに執着している。だがそれは人材として見た話で、使える手駒を一枚増やしたいだけだ。


 それだけのはずだ。あんな奴が構ってもらえる理由なんてそれだけのはずだ。

 それだけのはずなのに……


「おにーさまが言っていたの。騎士団なんて報われない職業だ。帝制を堅持するために必要な組織であるのに貴族階級からは嫌われる。帝制存続のために領政の引き締めや監査を行うためだ。かと言って団員を平民から募れば武力的均衡が崩れて貴族制度の崩壊を招きかねない。この制度は最初から大きな矛盾を孕んでいるのだ」


 いかにも言いそうなセリフだ。

 あの男は冷徹な哲学者のような頭脳を持つ国家の守護者だ。己の職分の善しと悪しを完全に分離して自分の都合のいいように解釈する悪魔的な天才だ。騎士団長という国軍を顎で使える立場にありながら諜報機関を私費で創設するなんて発想もこのセリフに表れている。

 ガーランドは騎士団員の実家ないしは縁故関係また友人へのリークのリスクを許容している。それらが必ず発生すると理解していながら信用のできない団員を率いている。


「そんな嫌われ者にすり寄ってくるのは利権目当てのロクデナシだけなんですって。表面だけ愛想の良いフリをして近寄ってくる人たちなんてわたくしも嫌だわ」


 不意にナイフで胸を突かれた気分だ。

 表面だけ愛想の良いフリをして近寄ってくる人達なんてまさに彼のことだ。例え彼女にそんなつもりはなかったのだとしても、その言葉はたしかにバイアットの心を突いたのだ。


「何の算段もなく、ううん、だからこそか、おにーさまを動揺させたあの子はすごいわ。だってわたくしにはできないことなんですもの。……まぁ詰めは甘いけどね」


 なんて微笑むロザリアが……


「あれ、でも何の算段もない涙だったから油断させられたのよね。じゃあ詰められないのは当然かな?」


 なんて考え込んでしまうロザリアへのヨイショなんてできるほど心に余裕はなかった。

 広場のはしっこの屋台で売ってる果実水を難癖をつけて値切っているガーランドと「恥ずかしいから銅貨の四枚くらいで本気出さないでください!」って泣きついてるリリウスの姿がどうしてもそれだけの関係に見えなくて……


 心がざわめく。それは己の生き方に初めて抱いた疑問が起こした小さな波によるものかもしれない。



◇◇◇◇◇◇ 



 なぜこの人はたかが銅貨四枚の果実水四杯を全力で値切るのだろう……?

 しかも我が国の騎士団長という役職にありながら、さらには広大な領地を持つ伯爵の身でありながらなぜ……


 俺も閣下の名誉を守るために全力で抗ってみたが無駄だったぜ。つか帝都中の商人から出禁扱いされてる人間に守るべき名誉なんて無かったわ。


「閣下ぁ、祭りの日くらいドケチ精神を忘れましょうよ」

「うるさい、祭りの楽しみ方は人其々だ」


 正論っぽいのが腹立たしいな……

 そんな困った一幕がありつつもお嬢様とデブと合流して祝祭のイベントが行われる大聖堂に入る。


 イベントなんて言っても大したものではない。ただの神話演劇だ。普段はそこそこの寄付金を出さなきゃ入れない大聖堂に無料で入れる物珍しさもあって、ご近所の人々が集まっているだけの、しょーもない演劇だろうぜ。


 そんな気分で大聖堂に入ると教会とは思えない下劣な大声が聞こえてきた。


「そっ、その胸の聖痕はぁ~~~!?」

「おい、俺の名前を言ってみろ」


 壇上には二人の男がいる。両方とも僧侶の人なんだろうけど片や聖者のような純白の方位を纏い、もう片方は海賊っぽい扮装をしている。はて神話演劇に出てくる海賊とはいったい……?

 聖者さんが拳の骨をバキボキ鳴らしている。それは海賊の側の演技だろといいたい。


「天を仰ぎ見ろ、天に太陽ストラがあり、この大地にはアル・ディーンがいる! この理があるかぎり悪は滅びるのだ!」


 聖者さんがパンチを放ち、演劇を見ている子供たちがヒートアップだ!

 え、ノリがヒーローショーじゃん神話演劇とはいったい……


 そしてヒーローショーによくいる司会のお姉さんがナレーションしてる。


「こうして悪の海賊王ルーデットは救世主さまの拳で滅びたのです。大地に悪の栄えたためしなし、太陽ストラはいつだってわたくしどもを見守っておられるのです」


 最後に名言っぽいセリフを足してもヒーローショーの風味は消せねえよ。そもそもヒーローショーってそういうものだし!


 司会のお姉さんいわく次の演劇は15分後にやるらしい。第二回公演ではイケメンで有名なグレゴール神父も参加するらしいので期待してほしいとのことだ。あの司会のお姉さんと神父がデキてたとしても不思議には思わないね。

 つかファミリー連れのお母さんたちの目的はグレゴールじゃん。だって一斉に黄色い声があがったし。


「せっかくであるし次の公演を最初から見物するか」


 もう座れる席はないので木製の階段を使って二階にあがる。先頭はもちろん閣下だ。我が国最強のラッセル車だ。最強のフィジカルで人ごみを突き進んでくれるぜ。


 混雑の中をのっしのっしと行進する閣下の後ろを歩きながらお嬢様に問いかける。


「あの神話の内容ぶっとびすぎてやしませんかね?」

「神話に文句をつけられてもわたくし困ってしまうわ」


 そりゃそうだ。逆の立場で「あの神話おかしくね?」なんて言われたら俺に言われても困るわってなるわ。

 それとギリシャ神話とかインドの神話もだいぶぶっとんでるし、よく考えたら神話なんて大概ぶっとんでるのかもしれない。そう納得しかけた時だ。 


「下手な大衆演劇よりもぶっとんだ内容であるのは確かだ。俺が子供のころは生真面目な内容だったな」

「そうなんですか?」

「うむ、随分と説教くさい内容でな、あまりにも退屈なので途中で抜け出した記憶だけはある」

「おにーさまにもそんな時代があったのねぇ」

「俺だって昔は無垢な子供だったのさ」


 やべえ、噴き出しちゃった。でもお嬢様も同じくけらけら笑い出したのでセーフ。不敬でもお嬢様と一緒なら怖くないね。


 二階のホールは談話室のような感じだ。ソファが並んでいて、火をいれた暖炉の前に人が集まっている。演劇に夢中な子供たちとはちがって大人達が寛ぐ場所のようだ。

 閣下が僧侶に何かを言いつけている。


「最新の物を」


 あのドケチが金貨を三十枚も渡してんだけど!

 教会のお茶やお菓子ってそんなすんの? あのドケチならボッタクリだと騒いで剣を抜きそうなもんなのに素直にかねを払うとか超違和感!


 一旦裏に引っ込んだ僧侶のあんちゃんが本を持って出てきた。立派な装丁の施された分厚い本だ。

 で、それを手渡されてしまった。


「これは出世払いにしておいてやろう」

「利息はつかないんでしょうねえ?」

「古来、口は余計な災いを招くというぞ。素直に受け取っておけ」


 普通にプレゼントだったか。

 タイトルは……


「太陽の神話ですか……」

「ドルジア貴族であれば社交の場においても神話の引用が出る。読んでおいて損はない」


 さっそく読んでみよう。


「へえ~、小難しい古代語とかで書かれているわけじゃないんですね」

「そんなもの誰が読めるのだ。読めなければ意味がない」


 ラテン語以外の翻訳を厳格に認めなかったカトリックってやっぱちょっとおかしかったんだな。


「まあそこは知識階級の知識の水準を保つためとか平民には読めない文字を習得していること自体が利権になったりするんですかねえ」

「……なるほど」


 何がなるほど?


「いや、よい、さあ続けろ」


 やべえ、やべえ人にやべえ知識を渡しそうだぞ!?

 なかったことにできねえかな?


「今のは忘れてもらえるとありがたいんですが?」

「忘れるなどトンデモナイ話だ。詳しく聞かせてくれ」


 クソが! 興味津々じゃねーか!

 油断したらすぐこれだ。やべー奴にこういう知識は渡しちゃいけねえんだよ。


「いやだー、あんたが興味を示した時点でこいつがやべー情報だってのはアホな俺にだってわかるんだ。絶対に話さないからな!」


「やばい情報なんてトンデモナイ、これは我らが階級にとって福音になるかもしれない話だ」

「普段の会話では聞いたことのない福音って単語がもう怖すぎるんだよ!」


「そうだ、何か欲しいものはないか、何だって買ってやるぞ」

「誰もピンとこないかもしれないけどそのセリフの怖さは過去イチだからな!」


 閣下が俺に何でも買ってやるとか絶対言わないセリフだろ。対価か、対価のつもりか!?

何だって買ってやる権利が妥当だと本気で考えてやがるんだな。怖いわ!


 騒いでたら僧侶が駆け寄ってきた。間もなく公演が始まるのでお静かにって怒られたわ。反省しろよ!


 二回目の神話演劇が始まる。

 教会内が一斉に真っ暗になった。


「神話の時代が終わりを告げ、神々の去った世界は闇に包まれました」


 氷河期かな?


「暗黒の大地を怪物が練り歩く。闇の世界は彼らのものでした」


 怪物の鳴き声が聞こえてくるけどゴブリンの鳴き声がゴブゴブなのはおかしいだろ。オォォォークって叫ぶのはまだいいよ。でもオーガー!って叫ぶのは雑すぎやしないか?


「ですがヒトは、あぁヒトは!」


 窓を遮っていたカーテンが一斉に開かれ、祭壇の上に太陽が現れる。ありゃあファイヤーボールだな。


「滅び去ったわけではなかったのです!」


 そして颯爽と壇上に駆け上がってきた十三人の男達。

 まんなかの一人だけ目立つ純白の法衣の男が声を張る。


「我が父ストラよご照覧あれ、アル・ディーンは地上をヒトの手に取り戻すまで戦い続けます!」


 そして周囲のサブキャラたちも声を張る。


「「我ら十二使徒も救世主さまにご助力いたす。天なるストラよ、どうか救世主さまに大いなる光の加護を!」」


 特撮だったらここでタイトルがでかでかと出るんだろうな。

 何だろう、たぶん偉人の伝記ふうな神話じゃなくてバトル物なんだろうな……



◇◇◇◇◇◇ 



 救世主が汚職を働く市長ゴブリンを見つけた。市長ゴブリンってなんだい? ひょっとしてゴブリンの町の市長さんかい?

「救世主さまは仰られた。俺の青筋が三本立つ前に悔い改めよ、さもなくば―――改心が遅え!」

 十二使徒の何とかさんがゴブリン市長を殴った。それで万事解決らしい。筋肉解決すぎる。



 一人の女を巡って争う兄弟がいた。普通の聖書ならありがたい説法をして解決させるんだろうが……

「この女がいるから貴様らが争うというのならこの女は俺が貰ってやろう!」

 あろうことか救世主さんは兄弟を殴り倒して女を自分のものにしてしまった。うん、なぜか途中からオチが見えていたよ。



 沈没した船の破片にしがみつく船乗りたちが浮き輪になる大きな破片をめぐって蹴り落し合っている。そんな場面に遭遇した救世主が海に飛び込む。

「軟弱な! 他人を蹴落とす元気があるなら岸まで泳げ!」

 救世主は見事七人の船乗りを背負って海を走って陸まで戻ってきた。救世主なら奇跡のちからで海くらい割れよ。いや、なんか拳で割りそうな気がしたからやっぱいいや。



 これは勧善懲悪なんて生やさしいものじゃない。言うなれば完全超悪の救世主だ。すべて筋肉とマッチョな思想で解決している。すでに妻が八人くらいいるけど救世主だから問題ないとか言いそう……

 

 意外にもみなさん面白そうに観劇しているんだよな。不思議だ。


「お嬢様、あの救世主って中々やべー奴っすね」

「そお?」


 何も疑問に感じておられないご様子なのに軽く驚きつつも不意に胸にすとんと落ちるものがあった。

 北部ドルジアの鉄と戦士の教えとノリが似てるんだよ。


 おぉ戦士よ、そなたが戦場で朽ちる時、まさに朽ちる瞬間に天より降りてくる戦乙女の招きこそが真なる幸福である。

 ヴァルハラには終わりなき闘争と美しい十人の妻が待っていて、そなたは永遠の幸福を得るであろう。っつー女性側の人権とか倫理観に甚だしく欠ける頭のおかしい教えだ。


 このクソ神話がドルジア人に受け入れられた理由はこれだろ。



◇◇◇◇◇◇ 



 神話演劇が大歓声に包まれながらフィナーレを迎えた。半分くらいはイケメンのグレゴール神父に送られたものであり、彼の熱演は奥様がたのみならず子供心を掴んだようだ。彼は戦隊ものならレッドに抜擢される熱さだったよ。必殺技も格好良かった。堅苦しいことを考えずに頭を空っぽにして見たら普通に面白かったよ。


 さて、次のイベントは……


「お嬢様、次は何をやりますか?」

「夜には花火があるわ!」


 薄いなー、でも中世のド田舎国家の祭りなんて出店とパレードと花火くらいだわな。


 メインストリートである聖オルディナ通りでは十二使徒に扮装した松明を手にして大通りを練り歩いている。神話に焼き討ちのシーンとかあんのかなあ……?

 あの連中ならやりそうだ。救世主とその弟子を名乗る十三人の無法者集団やぞ。


 パレード見物もそこそこに切り上げて居候先である侯爵邸に戻り、談話室で聖典を読む。夜の花火に向けて英気を養っている感じだ。


 お嬢様も俺の隣に座って聖典を読む俺を見ている。きっとわからない単語があったら教えてくれるおつもりなのだろう。くっ、俺が珍しく弱みを見せたものだから世話を焼きにきてやがる。


 デブは何もせずに座っている。ポップコーンに手をつけもしない。変だ。

 さっきからずっと何も言わないしポップコーンだって食べない。変すぎる。


「なあデブ」

「リリウスくんはッ」


 同時に呼び掛けてしまったのでどうぞどうぞのジャスチャーを送るが、向こうもどうぞどうぞだ。これは俺が遠慮したら無限ループするな。


「なあデブ」

「な…なに?」


 怯えた感じの返答だ。さっき殴ったせいか? 贅肉バリヤーのおかげでそれほど効いてないと思ったが俺のパワーも日々アップしているからな。許せデブ。


「ごめんごめん、さっきは殴って悪かったな。唐突にお前を殴りたくなってよ」

「謝罪と同時に明かした理由がひどすぎて許す気も起きないよ」

「そういうなって。ほらデブ、お前のお腹のように大きな心を持てよ」


 デブのお腹をパンパン叩く。相変わらずイイ音が鳴るぜ。コイツには野球部の坊主頭並みの人気者になれる素質がある。


「それで用件は?」

「おまえ変なもん食った?」


 デブががっくり肩を落とす。俺の優しさに大してその反応はナックル一回分に相当するぞ。


「変なものなんて食べてないよ」

「そうかい。で、お前の用件はなんだよ」

「リリウスくんはさ、その……」


 言い出しにくそうだ。うーん、もしかしてあの件か?


「もしかしてアレか、お前が俺のことを下に見ているのに気づいているかどうかとか?」

「……」


 当たらずとも遠からずって反応だ。まぁここから本題を引き出してみるか。


「どうしてわかったの……?」

「その問い自体がどうしようもないほど俺を馬鹿にしてるんだよ。お前もけっこうな馬鹿なのに自分のことを賢いと考えてる、それは早めにやめとけ、誰からも好かれない人間の典型だ」


 わお、いつか指摘しようと思っていただけあってスラスラ出てくる。

 デブのためを思えばさっさと言ってやるべきだったが言ったら最後の人間関係破壊スイッチみたいなもんだから躊躇っていたが、ちょうどいいので吐き出してしまおう。


「お前が思っているほどお前は賢くないし、お前が馬鹿にしているほど他人だって馬鹿じゃない。要領の良さや記憶力の高さを誇るのは構わないがそれを理由に自他に優劣をつける奴は大抵嫌な奴で、今のおまえはまさにそれだ」

「……はっきり言うんだね」


「いい機会だからな。人は弱い時に打てというだろう」

「言わないよ。……でもそうだね、効いたよ」


 人は弱っている時のほうが説得しやすいからな。自分が信じられない時、人は他人か宗教に頼るもんだ。

 デブに厳しいことを言ってるとお嬢様が俺のズボンの膝を引っ張ってきた。その仕草にきゅんです。


「ねえ、ケンカ?」

「いえ、言うなれば愛の鞭です」

「そう、ならいいわ。……ほどほどにしてあげてね。別に悪気があってしているわけじゃないんだから」


 そう小声で呟いたお嬢様の反応で察した。お嬢様もこいつの悪癖が気になっていたんだ。

 気になっていたけど言えば傷つくのがわかっていたから言えなかっただけなんだ。


 デブ、てめえがガキなのは仕方ねえけどお嬢様を悩ませていた罪状は重いぜ。



◇◇◇◇◇◇ 



 デブを泣かせた後、バートランド公から呼び出しがあった。

 断固として俺は悪くないの精神で向かった公の執務室で、公はニコニコしていた。これ怒ってねえやつだな?


「俺は悪くねえ」

「あれ、ボクの顔見えない? ほらほら笑顔笑顔」


 相変わらず人を食ったようなおじさんだな。


 なお公は親父殿と同い年のはずだがまだまだ若々しく、閣下と並んでいても兄弟に見えるレベルだ。いや顔の系統はまったく似てないんだが。まだ貴公子で通じる細面のイケメンなんだよこのおじさん。


「リリウスくんの仕事には満足しているよ。これからもこの調子で頼むよ」

「俺の仕事…ですか?」

「ロザリアの遊び相手という役目には護衛や相談相手や人間関係の調整なんかも含まれているってことだよ」


 そうらしい。初耳だ。まぁそれくらい言われなくてもやるけどな。

 ただデブを叱ったことを仕事だと言われるのはなぜかイラっときた。


「彼は少しばかり頭でっかちで他人を見下すところがあった。自分で気づいてくれるのを待っていたけど、待ちすぎてしまったようだ。キミの手を煩わせてしまったね」

「大人が上から言ったって素直に聞きやしませんよ」


 ぶっきらぼうに言い返してしまうのはイラダチのせいだろう。


「奴が見下している俺が言ったから効果があった。そう思いたいです」

「辛い役目を負わせてしまったね。改めて謝罪をさせてほしい」


 公が小さな巾着袋を放ってきた。銀貨が十枚ってところか。

 迷惑料か先ほど言った仕事への報酬か。まぁ素直に受け取っておこう。苛立ちはあるが正直現金収入は嬉しい。


「バイアットを毛嫌いしているのだと思ったけどちがったね。嬉しいよ」

「嫌いですよ」


 デブは嫌な奴だ。いいところなんて一欠けらくらいしかない。

 だがそれでもあいつを傷つけた時に感じた嫌な痛みは、あんな奴でも一応は俺のダチ公だって、誰が思わなくても俺だけは思っていたってことだろう。



◇◇◇◇◇◇ 



「で、それは何の本だい?」

「閣下からのいただき物です」

「聖マルコの祝祭に? やれやれ、父親として中々に心配になる出来事だ」

「なんでですか?」

「一般的には意中の異性や妻に贈り物をする日だからね」


 あ、地球でいうところのクリスマスみたいな文化だったのね。

 閣下すんません、俺にはお嬢様という心に決めた方がいるのでフりますね。


 公に太陽の聖典を手渡す。


「へえ、これはまた教育的な贈り物だ」

「社交の場で引用が出るから覚えろと言われました」

「うん、必須教養だからしっかり読んでおくといい」


 公が聖典をパラパラめくり、やがて噴き出す。そして腹を抱えて笑いだした。読むと爆笑する聖書ってマジでなんなんだよ。


「また随分と面白い内容になっているね。ほら、これが当家の聖典だ、おそらくは三年ほど前に新調したものだね」

「へえ、聖典も時代と共に変わっていくものなんですねえ」


 それは軽い気持ちだった。以前のと今の聖典を読み比べようなんて気はなくて、本当に軽い気持ちで読み始めたのだ。



 ―――イシュトの子スーティは主のもたらした黄金の種に祈り続けた。

 

 彼の真摯な祈りにより種は瞬く間に芽を出し、やがて田畑は黄金に輝き出した。

 黄金の畑を目にした村人は何が起きたのかと彼に問い、彼もまた正直に答えた。これは救世主さまより授かった奇跡の種であると。

 村人はこれまでの行いを謝りて種を請う。スーティは村人を許し種を分け与えた。

 だが心の汚れた村人の田畑に奇跡は起こらず、心清きスーティの畑だけが実りを甘受した。


 え、超まとも……


「あの世紀末のヒャッハー軍団は?」

「ぷくくく…すごい解釈だよね」


 公はまだ笑っておられる。いや俺の反応で笑いがぶり返したらしい。まるで腹痛に苦しむような腹を抑えて笑いを押し殺している。


 聖典を読み進めてみる。すごい、すごくまともな聖書だ。俺が求めていた御立派な教えを記した厳格な聖書だ。


 おいおいおい、これはよぉ……

 許せねえよなあ!

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