世はすべて事もなく
辛い時ほど明るく振る舞うリリウス君。
彼の心にはラキウス兄貴が施した弱者は食い物にされるだけという教えが刻み込まれているのです。
二月九日は俺ことリリウス・マクローエンの誕生日!
今まで十二歳って言ってきたが本当は本日で十二歳なのさ。
誕生日は内輪ではあるがバートランド公爵家で盛大に行われた。ロザリアお嬢様とデブは言うに及ばず、ファラやリリアそれにルドガーも参加してくれた。くそっ、涙が止まらねえよ!
「みんなありがとう! 俺誕生日祝ってもらったの生まれて初めてだよ!」
「リリウス君マジ不憫すぎる……」
「ひどいわね……」
「ありえない……」
「マクローエン家どうなってんの……?」
一斉に疑惑の眼差しを受けたルドガーが居たたまれない感じで小さくなったが、それはわりとどうでもいいぜ。なんだかんだこいつも来てくれたしな!
閣下もプレゼントを手配してくれたぜ。俺がいては場も盛り上がらないだろうというユーモラスなカード付きさ、みんな青ざめながら苦笑いしてるぜ。他にも騎士団一同から訓練用のシューズやグローブが来たんだ! もっと走れってことですねドSすぎる!
プレゼントを貰ったり豪勢な食事を食べたり色々しゃべったりと楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去り―――
深夜、みんなが寝静まった頃に俺はステルスコートを使って屋敷をこっそり抜け出した。積み重なった雪壁に閉ざされた帝都を歩く者はなく、吹きつける吹雪の中とある屋敷に堂々と正門から侵入する。
間取りも何も調べていない。その人物が描かれた肖像画だけを頼りにただ直感だけで部屋を探し当て、見つけた。
予備知識はあったんだ。地下室で女をいたぶるのが好きな変態ってだけでそいつの居場所を探り当てるのは簡単だった。
鎖に繋がれ血だまりの中で眠る裸の女性のいる部屋で、豪快ないびきを掻いて眠っている白髪のタヌキオヤジは俺に気づいた様子もない。
俺は何のためらいもなく一刀で首を落とした。
「人殺しなんてのはもう少し動揺したりためらったりするもんだと思ってたが案外簡単にいけるもんだな」
俺の意識は切り離したばかりの生首ではなく血溜まりの中で眠る女へと向かい、ほんの少し想像力を働かせる。彼女の未来に待ち受ける謂れのない罪への想像力だ。俺がこのまま姿を消せばフラメル殺しの咎を受けるのは彼女だ。
彼女を助けることはできる、ステルスコートを使えば誰にも見られることなく屋敷から出られる。そこは問題ではない。問題は彼女に俺の面が割れる可能性だ。
閣下との密約があるとはいえ騎士団は形だけでも捜査をするはずだ。捜査を始めればすぐに彼女にたどり着き……彼女は尋問に耐えられないだろう。もしかしたら耐え抜くかもしれない、命の恩人を必死になって守り抜いてくれる可能性もゼロではない。もちろんそれはフラメル殺しの咎が自らに降りかからねばの話だ。貴族を殺した平民を待つのは死罪だ。
俺は彼女を信じられない。俺でさえリスクを恐れて彼女を救う手を躊躇うのに、どうして他人の献身を信じられるのか……
俺はヒーローじゃない。見ず知らずの誰かのために命を賭けられる大層なやつなんかじゃなくて、自分の痛みばかり気にするちっぽけで矮小な小物だ。見ず知らずの誰かのために命を賭けられるのはきっと閣下のような高潔な魂の持ち主だけなのだ。
絵本の中の英雄ならどんな困難も押しのけて全員を救うのだろう。
高潔な心と理不尽を覆すちからで世の理不尽をぶち壊してくれるのだろう。……俺には無理だ。
俺は……ヒーローにはなれない……
俺はただの人殺しだ……
何も見なかったようにすべてに目をつぶり屋敷に戻って眠った。本当にそれだけだ。
翌日の帝都はいつもより少し騒がしく、三日ほど経ってから財務長官フラメル伯死去の報が社交界で囁かれるようになった。
「殺しらしいぞ」
「あの方であれば怨恨かな?」
「騎士団はなんと?」
「調査中の一点張りらしいですな。やれやれ我らも枕を高くとはいきませんな」
「なるほど身に穢れのある者ほど恐れるものです」
「ははは、これは手痛い」
フラメルの死など社交界の話の種の一つでしかない。フラメルと共にいた女性など話題にさえ挙がらない。結局のところ人間一人なんてその程度のものなのだ。一応同派閥ということで葬儀にはマクローエン家も参加した。形式的なもので帝都にいる中で最年長のルドガーが親父殿の名代として列席したらしいが後は知らん。話など聞きたくもない。
葬儀の翌日、俺は騎士団長の執務室に呼び出された。
「やったな?」
「なんのことでしょうか?」
「いや、よい。そう答えなくては俺も立場上無視はできない」
「閣下のご厚情に感謝しております」
俺は靴紐を噛むほどに深く頭を下げる。
誰かにこんなにも感謝したのは二つの人生において初めてかもしれない。
「往くか?」
「春にでも」
「そうか。達者でな」
引き留める気もないのか……
最後に尋ねようかとも思った。たぶんこの場が最後のチャンスだ。閣下はなぜこんな野良犬に良くしてくださるのでしょうかと尋ねる機会はこれが最後だ。
だが俺は無言のまま頭を下げて退室した。
何もかも白日の下に明らかにするのは無粋だろう。たまには真実ってやつが月のように柔らかな光の下にあってもいい。
閣下、あなたは俺にとって本当に頼りになる兄貴のような人でした。
もし今従えと命じられたなら忠誠ってやつを捧げたくなるほどに慕っています。
だから俺は旅立ちます。あなたがくれたのは束縛ではなく自由だから。
俺はただ黙々と帝国を去る準備をした。