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悪役令嬢の手下Aだけど何か質問ある?  作者: 松島 雄二郎
この何でもない日々に寄せて 編
218/713

記者として、人間として

 黒板に描かれた発行部数を示すグラフがとある日を境に急上昇している。それまで地を這っていた白線は七月二十日を境に急上昇し、本日発行の七月末日号ではなんと三万部! これは王都ジャーナルを発行するルーデル新聞社開業始まって以来の発行部数だ。


 先ほどまで隔日新聞紙を求める市民で大騒ぎだった社内は浮かれ気分だ。記者たちは朝なのにビールジョッキ片手に談笑してやがる。


「義賊様々だな。見ろよ、奴の記事載せてからウナギのぼりだぜ!」

「やっこさん帰ってきてから増々活動的だからな、記事には事欠かねえ」

「この調子だと来年には十万部到達するんじゃねえか?」

「そしたら俺らの給料も爆上がりだな! ガハハ!」


 この現状をまったく良く思わない者もいる。編集長のガイウスだ。


 ガイウスは叩き上げのジャーナリストなので、くっちゃべってる暇があったらスクープとってこんかいボケェってずっとイライラしてる。


(発行部数が伸びているのはめでたい、それは認める。ジャーナリズムの敵は第一に横暴な官憲、第二に貴族社会の秘密主義、第三に資金だ。カツカツじゃ社員どもを食わせていけねえ、だからそこだけは認めてやる)


 ガイウスが深呼吸する。例え記者どもが朝から浮かれ気分でビール飲んでたっていいじゃないか。入稿開けなんだそれくらい大目にみてもいいじゃないか。


 いいじゃないかの精神で深呼吸する。でもやっぱり無理だった。


「てめえらぁぁぁぁ!」


 編集長(デスク)の投げた万年筆が若い記者の顔面に命中して、ひっくり返った。日頃ペンは剣より強しって言ってるだけあって中々の破壊力だ。


「義賊義賊義賊、ジャーナリストとして恥ずかしくないのか!? こんな馴れ合い記事書きやがって、てめえらジャーナリスト魂をどこに置いてきやがった!」

「しかしデスク、インタヴューは真実(ノーカット)です!」

「朝から飲むビールはそんなにうまかったのかジェイムズ。この緊張感もへったくれもない記事の! どこに! ジャーナリズムがある!?」


 デスクは熱い男だ。時にムショに入れられ、時に海外で人質にされ、貴族の屋敷に潜入したのがバレて秘密の地下牢に入れられたこともあったが信念を曲げたことは一度だって無い。十三歳からの四十年間をジャーナリズムに捧げてきた。結婚だってしていない。


「取材は記者とネタ元とのガチンコ勝負だ。戦いなんだ! なんだこの真実をほじくり返す気のない馴れ合いはッ、ビビってんのか!? そんなに義賊が怖えのか!? 痛いところ突かねえと真実は出て来ねえぞ!」


 記者たちは超しょんぼりしてる。

 デスクがガチギレしている時は何を言ってもどうしようもないので、みんなして黙って嵐をやりすごす気なのである。つまりこいつら何にも反省してねえ。


 しかしユーノはちがった。入社二年目の怖い者知らずの女性記者ユーノは義賊を最初から追いかけている自負があり、デスク相手に噛みつくのである。


「デスクのやり方は古いんですから!」

「よし、言ってみろ!」

「対象と仲良くなって何が悪いんですか。どんな人間だって警戒させるよりも安心させた方が口が軽くなるものですから。お前の真実を暴いてやるぞなんて言ってる人間に誰が心を開くっていうんですか!?」

「意外に正しいことを言ったなぁ!」


 どーん!


 ぺーぺーの新米記者が意外と正論言ったけど、大方の予想通りやっぱりデスクナックルが炸裂したのである。真の男女平等主義者であるデスクは女性の面だってグーで殴れる!

 ペンは剣より強いんだから弱い方でやってるんだから何も問題ない!


「うぅぅぅぅジャーナリストは暴力には屈しないから……」


「主張は悪くなかった。お前が何を間違えたかと言えばデスクに面と向かって堂々と逆らいやがっただけだ!」

「……ひどいです」


 ユーノは意見は認めてもらえたかな?って思っているが言葉の綾で、実際彼女ははき違えている。デスクの熱い説教を何も理解していない。


 つまりデスクが殴った理由は反抗されてムカツイタっていうのと、入社一年目のペーペーでも知ってる持論を世の中の真理みたいにほざいたせいだ。自分のやり方を主張したいのならキチンとした記事が書けるようになってからにしろって奴だ。


 だがデスクはここで冷静になる。


(こいつは番記者には向いているかもしれんが危ういな。経験不足なせいで視野狭窄を起こしてやがる。取材対象を間違えたら一発で帰らぬ人になるぞ)


 ひと口に取材といっても様々な手法があるが新人はとにかく成功体験に固執する。TPOを弁えない取材のせいで帰ってこなかった記者なんて幾らでもいるし、デスクも何度も失敗して命カラガラ生還することで学んできた。


 記者なら請わずに観察しろと言いたいところだが、デスクも鬼ではない。ヒントくらいは与えてやるべきだ。


「そういえばお前に俺の取材を見せてやったことはなかったな?」

「は…はぁ……」


 正直この流れはまずいと思ったがユーノはすでに学んでいる。


(うぅぅぅ先輩方みたいに買われた羊みたいな態度でやり過ごすべきなんだ。だってデスクは新聞社のボスなんだから……)


 ジャーナリズムが一発のパンチに負けた瞬間である。


「今日一日義賊を追い回す。奴の化けの皮をひっぺがしてやるぞ!」

「はい!」


 ジャケットを肩にかけたデスクが颯爽と取材に出かける。真のジャーナリズムを見せつけてやるためにだ。


 つまりこれから始まるドタバタ騒ぎのきっかけはユーノの不用意な発言だったのだ。



◇◇◇◇◇◇



 義賊の定宿は中層と下層のちょうど中間らへんにある安宿だ。冒険者ギルドと提携している宿なので冒険者であれば半額で宿泊できる。前金で一月分支払えばもう少し安くなり銀貨五枚で借りられるため、ちょっと目端の利く奴なら普通にアパルトマン借りた方がいいことに気づく。


 とはいえキチンとした物件を借りるには市民権を持つ保証人と一年分の前払いが必要となり、大抵の冒険者はそれを用意できないので割高でも宿に宿泊している。


 女将の証言によれば義賊は仲間と合わせて一月分の銀貨十枚をポンと支払っている。……財布に余裕がある、つまり不正な資金源があると見るべきだ。


 そんな義賊は鼻歌を口ずさみながら騎獣のお世話をしている。

 真っ白い毛並みのガイアルビーストだ。アルビノのガイアルビーストは貴重だ。マーケットでは金貨百枚から入札が始まる高額資産だ。


「見ろあれを、やはり騎士団との癒着が濃厚だ」

「たしかに……」


 デスクとペーペーは現在厩舎の水瓶に隠れてこそこそ覗きの真っ最中。

 デスクアイが見定めたところ装備は総額で金貨三十枚前後と正直大したことがない。中堅どころの冒険者相当なのに、騎獣だけ豪華というのは考えにくい。何者かからの贈答品と考えるべきだ。


 そこへ騎士団が押し入ってきた。


「義賊はいるか!」

「いやああああ!」


 電光石火の早業で騎獣が持っていかれた。どうやら盗品の押収に来たらしい、だが騎士団の対応が慣れていたので、まだまだ疑いの余地はある。


 義賊はしばらく泣いていたが、すぐに元気を取り戻して出かけていった。

 大きな水瓶の中に潜んでその姿を観察していたデスクと新米が頷き合う。


「どんな些細な出来事も見落とすな、そいつの性格は日常の行動に出てくる。すべてを観察し尽くせ!」

「はいデスク!」


 10:30時、義賊は一人でカームツール大通りを南下していく。


 10:40時、女性物の衣料品店に入店。小一時間ほど悩んで店を出る。購入物はなし。


 11:20時、女性に絡んでいた職人の徒弟を成敗。いずれもスプーンによるひと刺し。その後その女性に声をかけていたがすぐに待ち合わせの男性がやってきて、泣きながらその場を後にする。


 11:25時、義賊が財布を拾う。物陰に隠れてこそこそ中身を確認していたが満足のいく金額ではなかったらしい、中を盗らずに道に置き直す。


 11:40時、買い食いをしながら公園へ。ベンチに座る女性のスカートが短いのを確認した後で数メートル離れた対面のベンチに座り、ノゾキを敢行する。失敗。物を投げられたために逃走。見失う。


 12;00時、市内で臀部にスプーンねじ込まれている少年たちを発見。いずれも恍惚の顔で気絶している。


「デスクぅぅぅ、義賊には追いつけっこないですよぉぉぉ!」

「スプーンはまだ温かいな、この近くにいるぞ」


 12:02時、再び義賊を発見。チンピラと思しき連中をジャンプさせて小銭をせしめている。観察を再開する。


 12:15時、裏社会の構成員にイチャモンをつけて小銭をせしめる。


 12:40時、復讐にやってきた裏社会の戦闘員を吊るして見世物にしている。


「奴は本当に義賊なのか? やっていることはただの小悪党だぞ」

「義賊なのはたしかなんですが……」

「そもそも取材する対象なのかという疑問が出てきたな」


 13:00時、若いカップルの尾行を開始する。トライデントの資金洗浄店の疑いのある店舗への入店を見届け、仲間の下へと向かった。


「ほぅ、やっこさん次はトライデントを押さえる気か。小物感に溢れてやがったが一応本物ってわけか」

「ルーデット家はこんな小さな店にも関わっているんですか?」


「たしかな筋の情報だ。店舗から開業資金、職人まで都合してからの店主の小僧は卿の娘の元交際相手だ。専任職人のジェストは堅実だが良い仕事ぶりをする工匠だ、地下室があるって話だがおそらくは秘密の武器庫になってるのかもな」


 ローゼンパームのあらゆる秘密が書き記されているデスク手帳を見ながら説明する。デスクは叩き上げのジャーナリストだから情報源が多いのである。


 14:30時、仲間と店内に突入する。その際に義賊だと名乗っていたがもしや秘密ではなかったのだろうか? 疑問が残る。大きな騒ぎになっている模様。


 14:35時、店内から客が出てきた。話を聞いたところ突入は誤解によるものらしい。


 15:10時、義賊が店を後にする。仲間の青年ともう一人は店主の交際女性とみられる女だ。状況が見えない。やはり店内の会話も聞いておくべきだったか?


 15:25時、冒険者ギルドへ入る。その際に入り口で置物アーガイルと会話。


「ちょっと格好いい冒険者さんですね」

「見た目は優男だが裏じゃ有名なハイクラスウィザードだぞ。あいつと敵対して生きてるって奴は俺も聞いたことがないくらいのな」

「じゃあ怖い人なんですか?」

「あれも俺と同じプロだからな、金にならない殺しはやらんよ」


 心中でたぶんと付け加え、北の空へと飛んでいった凄腕を見上げる。まだ酔いが抜けてないのかフラついてる……


 義賊は入ったのと同じくらいの時間差で出てきた。どうも彼女をエスコートしてやっただけに見える。


 15:40時、宿に戻り、仲間と組み手を始める。パッと見でわかる実力ではなさそうだ。これまでの戦績から考えるに実力を出し切っているわけではないのだろう。


 交友のある冒険者に対し高度な魔法を披露した。オーバークラスの潜伏魔法の使い手というだけあって、用いる魔法の系統が判別できない。


 18:20時、銀狼が荷車を曳いて合流した。どうやら預けていた品を持ってきたらしい。何らかの魔獣の皮だと思われる。ハンス服飾工房に依頼するのだろうか。突入の詫びとも考えられる。


「恰好いい冒険者くんですね」

「あれも危険な男だぞ。あの若さでAランカーを二十人も抱える大手クランの首領だ。抗争、破壊活動、暗殺、人身売買、あらゆる悪徳に手を染める悪辣冒険者だ。……Aランカーでも札付きの危険人物ばかりと交友がありやがるな」

「やはり義賊にも裏の顔があるんでしょうか?」

「義賊の時点で裏側だぞ。だが読めん、奴が読めない。相当な危険人物なのはたしかなのにどうして小物に見えるんだ……?」


 デスクは戸惑っている。


 18:25時、ハンス服飾工房に戻る。やはり防具の作成依頼のようだ。ジェストと軽く歓談している。


「そうか、あの荷車にはトライデントの密輸品が!」

「折り畳んだ皮だけに見えましたが……」

「書類なら隠せる」


 18:30時、ジェストとの会話の間に豹変した義賊が走っていった。事件の香りがする。義賊は商業街のビルの屋根へとあがり……


「俺はユルサナイ! ゼッタイゼッタイ、ぜぇぇぇったいにユルサナイ! あいつだけ彼女とよろしくやるなんてユルサナイ!」

(小物だァー!?)


 ビルの配管を伝って屋根の付近まであがり、こっそり盗み聞きしていたデスクがこれまで感じていた違和感に結論を出す。こいつはマジモンの小物だ! 義賊じゃない、ただの嫉妬野郎だ!


 この瞬間これまでの違和感のすべてがつながった。


 たまに無実のハンサムな男性が吊るされる× ハンサムだから吊るした〇

 暴行されそうな女性を助ける× ナンパ目的だった〇

 正義のために悪党を倒す× カツアゲ目的だった〇


(こいつッ、ただのチンピラだ!)


 デスクは真実にたどりついた。


 義賊改めチンピラは仲間と一緒に若いカップルの邪魔をするらしい。王都でも指折りの危険人物が揃って小物感溢れる会話を繰り広げている。


 悪辣冒険者の銀狼が仕掛けにいった。で、何もできずに帰ってきた。


「馬鹿野郎、誰が仲良くなれと言った」

「ヘタレが」

「あの雰囲気の中では無理だろ。私だって好意的な子に無茶はしたくないぞ」


(こいつらまさか普通に友達なんじゃねえか?)


 また一つ真実にたどりついてしまった。

 やべー奴らが集まってるんだ、さぞかし後ろ暗い交友関係なんだろうと思ったら普通にはしゃいでる。


 普通に仲の良さそうな友達だ。馬鹿をやらかし、馬鹿に付き合ってやって、一緒に馬鹿を楽しんでる。馬鹿馬鹿しくて後で考えたら何の意味もなかったのに、やってる最中は不思議と楽しくて仕方ない普通の遊びだ。


(……やれやれ、故郷のダチ公思い出したぜ)


 デスクが配管をすぅーっと降りていった。ビルの下で待っていた新米が期待の眼差しを向けてきたが、彼女が期待するような会話など聞けなかった。若者がキャッキャはしゃいでただけだ。こんなもん記事にできるか。


「あいつは義賊じゃなかった」

「デスク?」

「だが悪党でもなかった。ただの調子にのった若僧さ」


 デスクは叩き上げのジャーナリストなのでネタ探しが空振りに終わった夜の虚しさを慰める方法も知っている。そういえば後輩を酒に誘うことも最近はなかったな、なんて思いながら馴染みの酒場へ向かおうとすると……


 肌にピリッときた。争いの香りだ。

 見ればハンス服飾工房の小僧が悪漢に絡まれている。見覚えがある、ヘルデバウ商会に雇われて汚い仕事をやってる冒険者あがりのゴロツキだ。


 このダーティスタッフってのはピンキリだが基本的に商売敵の邪魔が目的だ。誘拐、殺人、荷物の強奪、そういう仕事で食ってる連中だ。


 そういえばと思って手帳を確認するとやはりだ。ヘルデバウ商会はジェストの債権者だ。彼の借金は病気の娘の治療費という話だが……


(その病気ってのも怪しいもんだな。商人は本当に何でもやる、恩を着せて金を貸すのも町医者を紹介するのも全部ジェスト獲得っつー仕入れパッケージなのかもしれん……)


 現在ジェストを握っているのはハンスだ。彼という職人の腕を手に入れるために娘を毒殺した連中が再び動き出したのなら……


 ハンスは拉致された。ようやく動き出した義賊たちは楽観視している。助ける必要はない、そんな雰囲気だ。


 いまならまだ間に合う。だがひと晩の後にはあの若僧は死体に変わっているかもしれない。いまならまだ!

 ……だが助言はジャーナリズムに反する。これは信念の問題だ。


(ジャーナリズムの本質は客観性だ。主観なき報道など存在しない、だが主観を限界までそぎ落とすことこそが求めるべき極点のはずだ! だが……ジェストにもう一度失わせるのか?)


 手帳にはジェスト工房の詳細も書かれている。育てていた幾人かの弟子は酒の席で刺殺。娘は病死。妻は行方不明だ。順調だった店は坂道を転がり落ちるように閉店。そんな男からまた……


 これは信念の問題だ。記事はお詫び付きで撤回しても信念だけは曲げられない。その末路を知っているからだ。


 一度信念を曲げればこの先何度でも曲げてしまう。あの時も曲げたのだから今回もいいだろうって悪魔の囁きが聴こえるようになる。この先の人生に何度試練がある? 悩み苦しむ時ほど悪魔の囁きは甘美に聴こえるというのに……


 困ったデスクは視線にひっかかった新米に目を留めた。まだ子供だ、ジャーナリズムの何たるかも知らない少女だ。だからデスクはハンスを見捨てる。彼女にジャーナリズムとは何たるかを身をもって教えるための教材としてだ。


「あの小僧は死ぬぞ」

「へ……大変じゃないですか!? え、ええええぇ!? 追わなきゃ―――助けないとダメじゃないですかあ! 煙草に火を点けてる場合じゃないですよぅ!」


「覚えておけ、ジャーナリズムの本質は客観性だ。ジャーナリストは当事者ではない。事件を映した一台のカメラであるべきなんだ」

「ですが記事を書くのは人間です。客観性なんてどこにもありませんから!」


「無いものを追い求める情熱があるから、そこに真実があるから俺らはこんな大変なばかりで儲けも少ない仕事をやってるんだ。ジャーナリストは物語の担い手じゃねえ」

「正義のない報道に何の意味があるんですか!?」


「騎士の正義とジャーナリストの正義はちがう。俺らの正義は真実だけだ」

「誰も喜ばない真実なんて誰も読みません!」


 デスクは困った。

 意外にまともなこと言うじゃねえかって奴だ。彼女には数字という説得力があり、たしかに義賊の記事を載せてから部数はうなぎのぼりだ。


 だが新聞は例え誰も読まなくても真実を記載するべきだ。貴族が発行する官報だけの社会など彼らにとって都合がいいだけのデマカセに満ちた暗黒社会だ。


「今回は殴らん。だがこれも覚えておけ、主義主張がしたいならデスクになってからにするんだな」

「デスクは間違えてます。もう十九時です!」

「……うん?」


 デスクがポカーンとしてる。

 新米に説教とお勉強させてやってるのに時間の話になったんだ。流れがおかしいというレベルではない。


「もう退社時間です。もうプライベートなんです。わたしもデスクももうジャーナリストじゃない、一般人ですから! 職業倫理を説くのなら人権も尊重してください。わたし義賊に教えてきますから!」


 あー、なるほどって感じである。

 こいつ記者としては半人前だが理屈をこねさせたら中々のもんだ。地頭が良いに越したことはないが、じつはけっこういい記者になるかもしれない……


「記者である前に一人の人間として行動しろってか」

「わたし行きますよ、後で殴られたって絶対に行きますからね!」


 デスクが思わず噴き出してしまった。ビビリながら言わなきゃ説得力があったんだがなあって奴だ。


「お前じゃどこに行けばいいかもわからんだろ。俺が行く、俺が人間としての正義を実行する。……でもお前あとでゲンコツな」


 新米の悲鳴を背中に受けて、デスクはこの後人間として正しい行動をした。


 そして翌日、完成した原稿を前にデスクは呆然としてる……


「まさか何の関係もなかったとはな……」


 ハンス服飾工房のハンス(14歳)拉致事件はゴロツキの小銭稼ぎであり、翼をもがれたエンジェル会なる変態集団の社交場に連れていかれただけだった。


 ハンス氏の営利妨害拉致の疑いで騎士団から家宅捜索を受けたヘルデバウ商会からは色々と怪しい疑惑が出てきて、すでに逮捕状が回っているらしいがこの一件に関しては白。きっぱりと断定できる。

 だってあの変態集団きちんと説明してお金渡してるんだもん。撮影会の後にだけど……


 無理やり被写体にさせられた子供の中にはお小遣い稼ぎに何度も参加している者もいるし、その安否の確認も取れているのは何年も前に取材した時に確認している。


 つまり陰謀も何もなかった。

 ただみんなで勘違いして騒いで、最後に義賊がドタバタ騒ぎを起こして大量に吊るしただけだ。


 社内では新米のユーノが昨夜の出来事を記事にしようとしてうーうーうなっている。タイトルは密着義賊の一日らしい。きちんとした出来なら載せてやるとは言っておいたが苦戦しているらしい。いや昨夜の深酒のせいで頭痛がしているだけか。


 デスクはデスクで拉致事件を扱った小見出しとした。こんなもんだろうって思ってる。


「一人の人間として正しい行動をしたんだ、この上ジャーナリズムまで求めるのは欲張りってもんだろうな」


 デスクは不思議と晴れやかな気分で笑った。何の罪もない(現在のところ)少年が無事だったんだ。だから笑った。


 それは人間としてとても当たり前な感情だ。

 ジャーナリストは真実を照らす鏡だ。だがジャーナリストを志したのは一人の人間としての正義感からだ。


 どうやら視野狭窄を起こしていたのは俺の方だったらしい。そんなことを思いながらデスクは苦いコーヒーをすすった。

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