暗夜行
シェーファは最近暇してる。というのもやることが何もないからだ。
彼を飼い始めた女将校は夜になると戻ってきて酒を飲んでは愚痴を放言して抱かれて寝る。どうやらストレスで一杯一杯らしい。
だからシェーファは優しくしてやってる。彼の生来の愛情深さと面倒見の良さのせいかエストヴェルタが日に日に元気を取り戻していく姿には満足もしている。でも心のどこかでヒモをやってる自分を疑問視してる。
なぜかは謎だがシェーファには自由が与えられている。軍服を用意されて、朝昼晩と食堂に出て勝手にメシ食っていいみたいな話に何故かなってる。おかしいとは思いながら普通に食堂でメシ食ってるのである。
食堂にいた他の女士官から聞けば聯隊長殿のペットという感覚らしい。ちなみに囚人三点セットである手錠や足枷の類はとっくに外されている。監獄は腐敗している。
それどころか士官の制服を着ているので事情を知らない一兵卒からは士官に間違えられている。たまに稽古つけてくださいって来る奴には本当に困る。告白に来る子はもうちょっと相手の来歴を調べてからにしろといいたい。
「監獄なのに緩すぎないか?」
「お前を見て囚人だと思う奴はいない。人品卑しかざるというかどこぞの王族に見えるからね、大方選帝公家のボンボンと間違われているんだろ」
実際聞いてみたら隷属国の王族だと思われていた。実際にドルジアの王族なので何も間違っていなかった。
サリフたちの様子が気になるので監獄フロアに行くとなぜかリリウスがキングになってる。キングキングと胴上げされてる馬鹿どもを見つめながら、シェーファは監獄ってもっと陰惨なところだったようなと首をひねっている。
ま、なんか元気にしてるみたいなんで接触は避けた。
三日目らへんからエストヴェルタの副官として普通に練兵してる。ふっつーに教官殿とか呼ばれてる。たぶん大佐の階級章のせいだ。
エストヴェルタにはたまに物陰に連れ込まれてイチャイチャさせられたが別に不愉快ではなかった。すがるような瞳から目を逸らすよりも抱き留めてやる方が気分がいい。同じ妾腹の立場が親愛にすり替わっているのかもしれない。
夜になると貪るように肌を重ねた。情報を聞き出そうとした、というよりも愚痴を聞いてやる役割に甘んじ続けた。
とある夜、手紙受けに入っていた便箋に目を通す彼女はいつも沈んだ顔をしている。
「これか? 軍を辞めてお見合いをしろって催促だ」
「けっこうな話じゃないか」
彼女は愛情深い女性だ。剣を握るよりも子供に愛を注ぐ方が向いているにちがいないからけっこうと言ったが、どうも傷つけてしまったらしい。
「五十男の後妻なんてマッピラさ。うちの国は不安定でな、馬鹿親父はバーネット派と縁故を持ちたがっているんだ……」
昔はこんな国じゃなかった。そういう切り出しから始まった昔語りは少女時代の思い出。皇位継承にまつわる動乱の時代の生き証言。
六つの公爵家は帝位簒奪がために二つに分かれた。勝者の側はいい、そのまま勝ち馬に乗るだけのウイニングランだ。だが敗北したクライスラー家とルーデット家に近い家は生き残りのために微かな縁故を手繰っていた。
バーネット派でない者は粛清に怯え、他家へと書いた手紙の返信を祈りながら待つ日々だった。横柄な父は意に沿わぬ手紙を受け取る度に不機嫌になりエストヴェルタにまで怒鳴り散らした。時には意味もなく杖でぶたれることもあった。
「紳士的とは言い難いな」
「私の家は貴族といっても下も下、吹けば飛ぶような小さな家さ。生き残りに必死だったのだろうな」
エストヴェルタの家は運がよかった。姉の嫁いだ家の大奥様がたまたまラザイラ選帝公の分家ご子息の家庭教師の職を得ていたおかげで、派閥に入れてもらえる運びとなった。
そうでない家はみんな粛清の対象となった。
「当時は何と見苦しい男だと思っていた。矮小で生き汚い、臆病な小男だとな」
「優れたお父上であるように思えるがね」
「今ならそう思ってやれるかもしれんな。だが当時の私はそうは思わなかった。少女ってのは潔癖な生き物なのさ」
息苦しい時代だった。苦労して手に入れた安心の価値を疑わねば生きていけない、その身の潔白を疑われた者は友でも切り捨てないといけない時代だった。
エストヴェルタは海軍の士官学校に放り込まれた。妾の子というプロフィールさえ黙っていれば忠誠の証として充分機能する。人質としてもだ。
「忠誠を買う貢ぎ物にされたんだ、恨むくらいは許してほしいな」
一杯のブランデーが彼女の気晴らしになったらしい。それとも愚痴を聞いてもらえたのがよかったのかもしれない。
「だが召使いも同然の妾の子が人並みに生きていこうと思えば軍人は悪くない。高給取りだしな」
「そうらしい」
高級品ばかり並べた酒棚を見れば儲かるのはたしからしい。二十四の若さで大佐という階級を考えれば才能があったのだろうし、不断の努力のたまものといえる。ルーデット・クライスラー派の軍人がごっそりいなくなった後という時の情勢もあったのだろう。
お家の思惑はどうあれエストヴェルタは優秀な軍人として忠誠を示し続ける事ができた。その結果海軍府のお偉いさんの目に留まり、実家を通じて縁談なんてものを持ち掛けられた。
フェスタはすでに次の時代への移行期に入っている。バーネットを筆頭とする四公爵時代からバーネット一強時代への変革期にある。六選帝公制度を廃止しバーネットが永世皇帝家となるための、産みの痛みの時代だ。
生き延びるため、実家もエストヴェルタもバーネットとの繋がりを得るしかない。だから彼女はシェーファを抱き、酒をあおる。そうでもしないと大きな不安に押しつぶされてしまいそうになる……
「いやはやお笑い種だ。使用人同然の人生が嫌でなりふり構わず頑張ってきた成果が偉いさんの女になれってんだ。自棄になったって仕方ないだろ?」
結論はすでに出ている。軍人として生きるなら上には逆らえない。貴族として生きるなら実家に逆らえない。運命を覆すために努力してきたのに、結局のところエストヴェルタは下級貴族で軍人で、上からの意志に振り回されるしかない。
「まったく笑うしかないよ、華刺剣のエストヴェルタ大佐も結局のところ屋敷の床を磨いている小娘でしかないんだ」
「乾杯でもするか?」
「何に?」
「我らの報われない人生に、っていうのはどうだろう」
「辛気くさいな」
「では明るい未来へ?」
「それはいい。なあ全部忘れさせてくれないか? お前が嫌でもいいよ、でも今夜だけでいいからお前の妻にしておくれ」
(悲しいな。たくさんの国を回ってきた、でも理想郷なんてどこにもなかった。雪に凍えて死んでいったあいつらが生まれ直してもいいと思ってくれる国なんてどこにも……)
遥かな昔に恋をした。雪上で踊る裸足の少女に恋をした。
初恋という言葉さえ知らないうちに恋をして、これが恋だと知る前に彼女の亡骸を抱いて慟哭した。
死んだみたいに凍りついた町。夜景に浮かんだ煌々と輝く王宮を睨み上げ、あいつらだけは許さない!と復讐を誓って帝国を出た。……もう五年になる。
傭兵として幾多の戦場を渡り歩いた。幾つもの国を渡り歩き、幾つもの不幸を目にしてきた。大勢の不幸と大勢の末路、中には友と呼べる男もいたが、大抵はその最後に土の下に埋めてやるしかなかった。
シェーファは優秀な剣士だったし、大抵の奴はついてこれなかった。何より彼が求める戦場はあまりにも苛烈すぎた。
とある陰惨な戦場で出会った手強い敵からは死に急いでいると言われた。
『復讐を誓った身だ。死ぬ気はない』
『自棄になっていることさえ気づかんか。重症だな』
『お前に私の何がわかる……!』
反発はしたが心の奥ではきちんとわかっていた。
復讐を諦めたわけではない。でも年を経る毎に成長する知性がガキの頃に誓った復讐を否定してきている。己の心からやってくる馬鹿な夢を見るのはやめろという声から耳を閉ざし続けた。知らず心を病むほどに。
ライカンスロープの族長ナバールとはそれからも度々やり合った。ほとんどが敵でたまに味方で、時に同じ捨て駒にされて、結託して逃げたりもした。
そのうち娘のサリフの婿になれと言われたが彼女からは嫌われているらしい。
彼らと共にクラン銀狼団を結成して多くの国を回った。欲得に塗れた貴族どもの間を泳ぐみたいに金を稼ぎ、相応に心をすり減らしてきた。
シェーファは心のどこかで理想郷を求めていた。でも誰もが傷つくことのない平和な国なんてどこにもなかった。貧困と差別はどこにでもあって、いつでも誰かが泣いていた。
誰かを救って満足していた心はいつの間にかその意味を問うようになっていた。問題の根幹は根深く、一時シェーファが手を差し伸べたくらいで解決するものではなかった。
山賊に食い物にされていた村を救い、でもその村は次の年には山賊化して他の村を襲っていた。
山賊の原因は怠惰と貧困で。貧困の原因は重税と自然で。重税の原因は無能と国家。怠惰は人の本性だ。自然に抗えるはずもない。
(復讐に何の意味がある? 未来なんて無いのに……)
まるで暗夜行だ。どこで何をすればいいのかさえわからない。
銀の犬は終わらない夜の中で朝日を求めて彷徨っている。暗闇に慣れたその瞳は偽りの光を朝日と勘違いするほどに……




