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奇譚 砂の王子

 砂のジベール第三王子イルドシャーンは砂の君主アルトゥール・ドゥバンの子ではありません。

 時のイルド太守アハマドとその娘ナディアの子です。輿入れする姫に子種を与えて王の下へと送り出したのです。


 ドゥバンは当初素知らぬを装い、ナディア姫を可愛がりました。ぜひにと申し出てようやく得られた妻です、一目ぼれです、それはもう愛してやりました。彼女が心の奥底で自らを拒絶しようがです。


 彼女が嫁いで十月十日になるやならずの頃、ナディア姫は立派な男児を産みました。

 ドゥバンはそれを大層喜び、名をイルドシャーンと名付けました。その時の姫の恐怖はいかほどだったのか、それは誰にもわかりません。


 かつてジベール東方にはナルザシャーン大要塞なる国防の要がありました。現在はフェスタに占領されています。


 つまりイルドシャーンとはイルドに寝取られた末の子を意味します。


 太守アハマドと娘のナディアに親子以上の愛情があったかはわかりません。当時のドゥバンには七人の正室側室がいて、子供はたった四人だけだったので子宝に恵まれない可能性を危惧しての蛮行だったのかもしれません。


 生まれたばかりの子を抱きあげるドゥバンへと寵姫が言います。


「あなたを裏切りません。あなたに尽くします」

「わたしの奥さん、覚えておきましょう」


 夫婦になる誓いの言葉をここで再度唱えたのは恐怖心か、それとも芽生えたばかりの子への愛情が決して冷遇してくれるなと庇ったのかもしれません。


 ですが願いも空しくイルドシャーンは冷遇されます。ドゥバンは決して我が子を顧みることはありませんでした。切望した女の裏切りは彼の君主の広大なる度量でさえ受け入れ難かったのです。


 ナディア姫は後年イルドキアを産み、傍目には王と和解したように見えます。ですがその心は今も恐怖に震えているでしょう。王はイルドキアにさえも目も向けぬからです。


 何も知らないはずのイルドシャーンですが、幼心に「ごめんなさい」と抱き締める母の姿に勘づいていたようです。父の子ではないと。


 イルドシャーンは努力しました。子でないのならせめて有益な手駒であろうと研鑽を積み、英才の名を欲しいままにしました。ですが王は決して見てくれません。当時の醜聞を知る宦官や官僚もイルドシャーンを王子とは扱いません。


 放置されて強くなる憎しみもあるでしょう。ですがイルドシャーンの中には徹頭徹尾父への愛情しかありません。愛無きゆえに愛が彼が強くしました。


 そして現在イルドシャーンは多くの名声を得て次代の君主と呼ばれるほどの人気を得ました。こうなってはかつて彼を見捨てた官僚も放置はできません。イルドシャーンにお伺いを立て、不興を買わぬようにと務めました。……内心で野良犬めと叫びながら。


 イルドシャーンと対照的だったのは当時は第十王子であったムハンマドです。顔立ちも後ろ姿もまことドゥバンの生き写しであるムハンマドは王が手ずから教育するほどの可愛がり様です。


 実際ムハンマドは天才です。ジベールの母なる大地のように教えたすべてを吸収し、十を数える頃には王が助言を求めるほどでした。ですがその性は怠惰にして悪質。邪悪な悪魔の子ではないかと噂されるほどに残忍で冷酷であっさりしていました。


 ドゥバンは我が子の気質をしてこう言います。

「このドゥバンから外面を剥ぎ取った姿こそムハンマドだ」


 そんなムハンマドとイルドシャーンは不思議なほど馬が合いました。六つも年上のイルドシャーンはムハンマドに父の面影を見出し、またムハンマドはその想いに気づきながらも兄を慕いました。


 すべては心の問題です。

 妻の愛を疑う君主。父の愛情を求める子。またそんな兄を憐れむ弟。心の不和はやがて破滅を導くのですが今はまだ語る時ではありません。


 天才なるムハンマドはこの国を良くするプランを幾つも持っていました。ですが心情の問題で変わらぬと断じて放り捨てました。その放り捨てた中には愛国心もありました。愛想を尽かしたと言ってもいいのでしょうね。


 英明なるイルドシャーンはこの国を良くする幾つものプランを実行する気でいます。最初に打ち明けた相手はムハンマドです。ですが反応は悪いものでした。


「人は変わらん。国も変わらん。変わる必要を感じておらぬ者がどうして変わるリスクを負えるっていうんだい?」

「変えて見せるさ。俺が君主となり号令をかけ、ジベール全土に触れを出せばな。ちからを貸せ」

「それは理想だよ……」


 イルドシャーンは中央集権政治を執政するジベールをそのままに開かれた官僚制度を導入したいのです。官僚の世襲を禁じ、全国から優れた人材を雇用する富国強兵を指針とし、ダージェイル大陸の覇者となろうと考えます。


 ムハンマドに言わせれば特権階級には危機感が足りていないのです。なまじ裕福な国家であればこそ、目に余るほどの不正が横行していても何の問題もなく大国の地位を維持していられる。むしろ反発による内乱を恐れ、フェスタの動静を恐れていました。


 両者の言い分は短期的視野と長期的視野の問題ではなく、優れた頭脳が導き出した結論の相違によるものです。どのような頭脳であれ未来を見通すことは叶わない限り、両者の結論が覆ることはありません。


 イルドシャーンは再びムハンマドと手を取り合える日を信じています。

 彼の生来の善良さがその英明なる頭脳を曇らせたのです。


 ムハンマドはすでに動き出しています。彼の言葉を逆さに読めば、危機感さえ与えれば変わるリスクを負う気になるという意。

 国が滅びるほどのダメージを負った時に人はこれまでの政治を踏襲しようと考えるでしょうか?


 ですがこの理屈を実行するには問題があります。その最たるものは外圧でしょう。

 ジベール一国のみ存亡の危機を迎えるわけにはいかない。西方五大国いずれも同程度のダメージを負わなければ、ムハンマドの理論は成り立ちません。それゆえにライアードの手を取りました、等しく滅びを迎えるために。


 すべては心の問題です。

 イルドシャーンは生来の善良さから最も犠牲の少ないプランを考え出しました。

 ムハンマドは生来の悪質さからすべてを犠牲にするプランを考え出しました。


 愛されて育った子と愛されずに育った子、どちらが愛を尊ぶかは誰の目にも明らかです。ムハンマドにとって愛は砂粒に等しい価値しかないのです。

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