殺害する本能(終)
極北から海を越えてやってきた銀色の風が大陸を覆っていく。何者も抗うを許さぬ凍結する風に呑み込まれていく。ブリザードだ。風に舞い上がった氷片が轟ッと吹き荒れ、視界は銀色を映すのみ。
太陽神ストラの現身たる太陽さえも遮る白濁した日。誰の足跡もない真っ白な降雪の森に子供の泣き声がある。
「ねーちゃん……ねーちゃー……ん……」
泣き声は弱々しく、今にも息絶えようとしていた。
死に往く子供は心で何故と問いかけていた。何故こんなことになる? 何故こんなことで死ななくてはいけない? 何故と何度問いかけようと誰も答えてはくれない。
走馬灯みたいに蘇った何人かの顔。ショボくれてはいても優しかった養父、どうしてかいつも親切にしてくれる熊みたいな冒険者のおじさん、痩せて今にも命尽きそうなのに柔らかに微笑む名前も知らない女性、そして目つきは悪いのに優しい姉ちゃんの微笑み。
恋焦がれるみたいに愛した姉の姿を思い浮かべながら、流す涙さえ凍りついた。
吹雪の日に外に出てはいけない。それでも出てきたのは愛する姉に会いたいだけだった。
(ねーちゃん……)
会いたい。心で繰り返す都度に思慕は募り、会えない理由を裏切りに変換する。
それはただの逆恨み。それはただの子供のワガママ。そんなことくらいわかっている。でもどうして会いに来てくれないのかという思いを激情が憎悪へと変換する。
ワガママなこの想いは逆恨み。そうとわかっていても思いは憎悪にすり替わる。彼にそれを止めることはできない。想いは呪いみたいに自分勝手に憎悪へとすり替えられていく……
ボゥッと燃え盛る憎悪が心に生まれた時、彼の心の奥底に不思議なちからが生まれた。
裏切られ、死に往くほどの窮地の中でのみ発芽するスキルが今にも息絶えようとしていた彼にわずかなちからを与えた。
重く圧し掛かった積雪を振り落とし、爪が割れるほどのちからで地面を掴んで前進するちからだ。
生きたい、死にたくない、その種のちからではない。
復讐する、目にもの見せてくれる、怒りと憎しみを原動力に無限にちからを与えるちからだ。
愛は儚く、憎悪から生まれるちからはあまりにも強すぎる。愛を食い破り殺害するほどに。
闘争本能は人間の本質だ。幸せは停滞を生み、憎しみを糧に進歩する。人は殺害する本能に従い、獣も亜人も竜も神さえも殺して地上を制覇した。今また一人憎悪に目覚めた。
深い積雪の森を這いずる少年が叫んだ。声にもならぬ声で憎悪を叫んだ。
轟々と荒れ狂うブリザードに押し流された声に耳を傾ける人はいない。人はいない。それは確かだ。彼らは人ではないのだから。
腰巻にサンダルだけの簡素な出で立ちをする美貌の大神と、彼に寄りそうように佇む幽鬼のような美貌の女神。彼らの眼差しは切なさを通り越して憐憫を宿している。
「哀れな、人はいつも気ままに死にかける」
「気ままですか?」
「気ままに生きて気ままに死ぬものだ。永遠の生命に呪われた余とはちがい、なんとも羨ましいではないか。思い立った時に死ねるというのは幸福であろう?」
「兄様に死なれては困ります」
「余は困らぬ」
時の大神は足元で虫けらみたいに死に往く子供の背に触れ、呪詛のごとき暗黒の光を与えた。それは活力と呼ぶにはあまりにも邪悪であり、呪いと呼ぶ他にはなかった。
「起点とするならばこの時間軸であろ。因果律をこの瞬間で固定する。父よ、精々あがいて見せてくれるがいい。八つのフラグメントを踏む時、褒美として余が手ずから殺してやるぞ!」
吹雪の森に邪神の哄笑が轟き、物語の時計針がカチコチと音を立てて進み始める。




