夏は恋の季節よ
その日は朝から蒸すような熱気の日であった。
「そうれ!」
ロザリアお嬢様を筆頭とする未来の噛ませ犬三人衆は真っ白なビーチでキャッキャウフフのビーチバレーで遊んでいる。
「お嬢様いきますよ、アターック!」
勇ましい掛け声とは真逆のゆるーい攻撃だ。
ポーンと緩い球をお嬢様がはしゃぎながらトスして、高く上がった球を目掛けてデブが飛ぶ。
「貰ったよー!」
「てめえの命をな!」
デブのスマッシュをリリウスが同じくスマッシュで叩き返す。
先ほどのアタックが霞むほどの剛速球がデブの顔面にめり込み、倒れた。
動かなくなったバイアットの顔面を覗き込むと目を回して気絶している。
「…………バイアット大丈夫かしら?」
「大丈夫です、些かの手加減も加えてません!」
「手加減してっていうのもおかしいけど顔面は狙わないであげて」
「お嬢様が笑ってくれるなら俺は悪にでもなる!」
「笑ってはいないんだけどぉ……」
「悪にでもなる!」
リリウスがデブをジャイアントスイングで振り回し、浅瀬に放り込む。
どぽーん!
大きな水しぶきがあがった部分からデブが起き上がり……
「おやつまだかなぁ? あれ、僕なんで海に入ってるの?」
「「記憶とんでるー!?」」
子供三人組はとても楽しそうにビーチを満喫している。
リリアとファラの大人な二人組は、浜茶屋の木陰でトロピカルジュースを楽しんでいた。
ビーチベッドに横になってどちらも水着にサングラスと浮かれ気分である。
「あの子達も元気だなぁ、よぅしまた混ざりにいこっか!」
「もうちょっと休憩しましょ」
というファラだが視線は彼らに釘付けだった。というよりも三馬鹿の一人に釘付けだった。
だから遊び足りないのだろうと気を利かせたつもりなのに断るとはよほど疲れているに違いない。よく見れば顔も赤いし目も潤んで……
「風邪かい?」
「そーゆーんじゃないかな」
じゃあなんだろ。リリアは訝しんだ。
「恋しちゃったって感じ。胸の切なさが止まらないっていうか、夜会の後くらいから急に来ちゃって戸惑ってる感じだわ」
ガタッ!
「まさかファウストか!?」
「どーしてファウスト・マクローエンの名前が出てくるのよ……リリアあんたまさか?」
「いやいや違うよ、でもちょーっと恰好いいかなぁってさ。どうしてそんな冷めた目つきするんだ?」
「だってファウストってバトラのうんち食べちゃった人じゃん」
「あ、あれはリリウス君がスプーン突っ込んだからで! 彼は紳士だ、涼やかで優雅でそこいらには中々いない本物の貴公子で……」
リリアが必死になってファウストの良いところを教えてくるが頭には何も入ってこない。
ファウストの顔を思い出そうとするとついでに悲壮な顔つきのバトラまで付いてくる。
(ってことはリリアは彼とキスする度にバトラの排泄物ともキスしてることになるわね……ありえない、吐きそうだわ)
リリアの並べる良いところが例え百あったとしてもファウストだけはない。バトラはもっとない。
「リリア」
「ようやく彼の良さを理解してくれたか?」
「女子寮に戻っても絶対に私のコップや歯ブラシ間違えて使わないでね。使ったら絶交だからね」
「そこまで嫌がるか!?」
「嫌に決まってるじゃない……あいつら私の目の前でなんて言ったと思う? 野良犬よ野良犬、マクローエン男爵だって息子がそう呼ばれてるのに怒りもしない! マクローエンはみな狂人揃いよっ、彼がなんであんなこと言われなきゃいけないの!?」
「……そりゃそうかもしれないけどね」
「あなたがファウストとお付き合いしたいってのは理解したわ。でも私の前ではマクローエンの話をしないで」
「いやいや、まだ付き合うどころかきちんとお話したことないし……というかファラからこの手の話題になるの珍しいね?」
「あら、たまにはいいじゃない」
ファラは以前から美しい少女だった。そして恋をしない少女だった。
男の目線を誘うグラマラスな身体つきに反して小生意気に吊り上がった目も、淑女らしからぬ短く切りそろえた髪も、その高慢な態度も、男性への拒絶であるかのようだった。
でもその拒絶という名の強固な一途さを一人に捧げようとする姿は、女神も怯むほどに美しくどこか妖しいものに見える……
「夏は恋の季節よ」
食い入るような視線で五つ年下の少年を見つめるファラが己に言い聞かせるようにそう言った。
面白くなってきたのでリリアは手元のジュースを一気飲みし、子供達に混ざるために駆け出した。
すでに夏の盛りを迎えていた。
◇◇◇◇◇◇
快適なリゾートライフであるが夜の寝苦しさだけは辟易する。
雪国に完全フィットした俺からすればラタトナの地中海性気候は少し辛い。つまるところちょっとした夏バテってやつだ。
一人寝には豪勢で身にあまるキングサイズのベッドで眠れぬ夜を過ごしているとドアがキィと小さな音を立てて開いた。バトラか!? バトラなのか!?
野郎また奇襲にきやがったのか!
「起きてる? ってなんで小踊りしてるのかな?」
「リリアか、どしたの?」
ふぃ~~~マジで焦ったぜ。焦り過ぎて盆踊りみたいな動きしちまったぜ。
ステルスコートは無双はできても奇襲には弱いんだ。不意打ちされたらマジで殺される自信あるぞ。
「ちょこっとお話……いいかな?」
「ウエルカムさ」
冗談めかして両手を広げてハグのポーズ……冗談だよ? マジでハグしてくれるの?
……俺はなぜ押し倒されているのだろうか? どっきりかな?
「あの?」
「ふふふ、まぁ任せて任せて。おとなしく天井の染みでも数えてなよ」
「そのセリフ男らしっ! 待って待って俺の身に何が起きるの!? 目が血走ってて怖いよ―――ふぐっ!」
唇を唇で塞がれてしまった俺は本当に天井の染みを数え始めた……
みなさん犯罪はダメです、無理やりはダメです怖いから。
本当なら嬉しいハプニングなのに脳が混乱の二文字で埋め尽くされているんだ。
普段は武勇伝語っちゃう系のイキリ野郎なのにいざって時にヘタレちまうやついるよね? はい俺です。リリアって男らしい気質だから経験くらいあるんだろうなーって想像してたけど手慣れすぎててね……
「ごちそうさま♪」
天井の染みを一万ほど数えた頃、額に玉の汗を浮かべたリリアが満足した発言である。
俺はなぜか心の中で中原〇也の詩を吟じていた。よごれっちまった悲しみよ。
「いやー、思ったよりエキサイトしちゃったな。ご感想をどうぞ?」
「経験人数は何人なの?」
「黙秘するね」
ショック、つまり口にするのも憚られる程度にはいるのか。
「他には?」
「この行いに愛があるかについてぜひ尋ねておきたい」
「愛はないかなー」
ダブルショック!
好感度いい感じに稼いでいたと思ったのに!
「ま、優しい先輩の小粋なプレゼントって感じかな」
心をザックリやられたわけですが?
「ファラはこーゆーの経験ないからさ、リリウス君の方からリードしてやってほしいってわけ」
「……ホワイ?」
「明日はファラが来るよ。じゃあね~、頑張りたまへ!」
リリアが快活なガハハ笑いで去っていく。
翌日、俺は朝からそわそわしっぱなしだった。
お嬢様やデブと遊びながらもそわそわしてて突然奇声を発するまであった。
「リリウスがおかしくなっちゃった」
「もしゃもしゃ、リリウス君は元々おかしいよ……あ、やめて、叩かないで!」
夕食はいつものように国営レストラン。
何日か前に自炊というかBBQもしたんだけどね、女子が三人もいるのに誰一人料理できないのが発覚したんだ……火おこしから具材の下ごしらえまで全部俺がやらされたよ!
国営レストランからの帰り道、気がつくとリリアとお嬢様とデブが消えていた。
お膳立てバッチリじゃねえか、リリアさんマジかっけえ……
満天の星灯の下、ファラと二人で軽く散歩コースに寄り道してから別荘に帰り、互いに互いの部屋に戻った。正直に言おう、楽しみすぎて動悸がやばい。
部屋で待つ時間は長く、まるで時間が止まったみたいだった。
何十分経っただろうと懐中時計を確認してまだ三分しか経ってないのを二十回繰り返した頃、まさかのファラ疲れて眠っちまった説が脳内に浮上。いやもしかしたらヘタレてまた今度説かもしれない!
(ここは! 俺から押しかけるべきなのでは!?)
だがもし仮に昨晩のアレがリリアの悪戯だったとしたら?
もしこれが壮大などっきりでファラの部屋に押しかけた瞬間にクラッカーを鳴らされてお嬢様やデブや親父殿が出てきて、どっきり大成功とか言い出したら?
いやそもそもファラみたいな美少女が俺に惚れるか? ありえないだろ、そもそも良好な関係を築けているだけで感謝すべきだ。いたいけな少年と認識されている俺が夜這いになど行けば幻滅され、この関係が終わってしまうのでは?
悩ましい……
「うう~~~む、寝るか」
俺はヘタレた。色々考えに考え抜いた結果、現状維持を選んだ。昨晩は何も聞かなかった。俺とリリアとファラはオトモダチだ。うん、それでいこう。
「よっしゃ寝るぞ! もう寝ちまうぞ!」
「待って!」
寝る宣言からゼロコンマ二秒でファラが押し入ってきた!
なんだと!? いったいどんなタイミングだ!
寝間着のファラは目を合わせもせず、視線は床の右へ左へと彷徨ってる。
「そのぅ……怖くて」
どうやらファラヘタレ説が的中していたらしい。
部屋の前まで来てヘタレていたのね……
二人してヘタレて時間を浪費していたわけね……
「勘違いしないでほしいのだけど、私はしたない女じゃないの」
「知ってるよ」
「それにたぶんリリウス君が思うほど大人じゃないの」
「ファラ」
「なに?」
「綺麗だ」
精神力の全部をつぎ込んだのがこの一言。ファラは笑っている。
「知ってるもん」
「好きだよファラ」
「……それは、知らなかったかな?」
ファラを抱き寄せる。
二人で一つの命みたいに重なり合って満天の星空を見上げる。
この日、俺は宇宙と生命の神秘に関する哲学的な経験をした。