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時の大神

 後の世においてあらゆる神々の父と伝えられるクロノスは多くの伝承において悪逆の限りを尽くしました。

 地上において最も繁栄する都を一夜にして海に沈めたり、英明なる王に死の宣告を与えたり、また何の慈悲もなく一つの国家を灰に変えたなどと語られています。


 そうした伝承の数々は総じて彼の人間への怒りによるものだとされています。

 一説によれば大神クロノスの父母は人であったとされ、つまらない争いで命を奪われたのだと語られています。であれば彼の時神の悪逆は憎悪によるものかもしれませんが、俗説に真実を求めても意味はないでしょう。


 クロノスの寵姫である夜の女神ニュクスは全能の父をして偏屈者と呼びます。閉じた時の輪に己の部屋をしつらえて、頑なに現世と交わらぬ姿は、生を謳歌する他の神々とはあまりにも異なる生き方に見えたからです。


「人はよいですよ。愚かだが面白い。ととさまもたまには人の世に降りてみませんか?」

「飽きた。それでよいではないか」


 九つの次元世界を統べる時神は全ての過去・現在・未来に偏在しているといわれています。世界の終わりをすでに見ているのであれば、彼の退屈も理解できるかもしれません。


 クロノスは今もいつかも世界の終末の日にも時神の御座で穏やかにまどろんでいるのです。


 時の静止した御座でまどろむ時神は、御座に偶然迷い込んだ影に目をやりました。

 御座には時折こうして形のない影が迷い込みます。神と呼ぶにはちからが足りず、生き物と呼ぶにはあまりに虚ろな不思議な影は幽霊のように現れ、ふらりとどこかへ消えていくのです。


 退屈を持て余した時神は戯れに影の一つにちからを与えてやりました。すると影は光を得て美しい女神になりました。


「お前は何者か?」

「わたくしは何なのでしょう?」

「さて、それは余にもわからぬな」


 すべてを知るクロノスに初めて未知が生まれたのです。

 クロノスは女神を飼ってやる事にしました。


 時の大神はたしかに邪神の類ではありますが決して慈悲を持たぬ存在はありません。その本質があらゆる存在すべてに最後には死を与えるものであっても、心持つ存在あることだけはたしかでした。


 無論どれだけ愛し可愛がろうが最後には必ず死をくれてやるのですが、クロノスは名もなき女神を愛してやりました。


「お前はどこからきた?」

「わかりません」


「お前は何ができる?」

「何もわからないのです」


 クロノスはこれを可能性の具現化ではないかと考えました。因果のみの存在であり、産声をあげることさえできなかった生命の影ではないか、そう考えたのです。


 クロノスは考えました。膨大な歴史を辿るみたいに自らのルーツを思い出そうとしました。おぼろげながら思い出せた優しげな母の顔、不鮮明な父の顔、あれはいつの時代だっただろう?


 全ての過去と現在と未来に偏在する時の大神たるその身は、いずこから産まれ出でたのか?


 考える事は喜びです。未知を既知とする過程にある行動は無限の時を生きるクロノスにとってかけがえのない喜びです。旅をするみたいに時を遡り続けるクロノスは宇宙の始まりまで遡り、それでも己のルーツがわからなかったのです。


「余もまた可能性の存在ということか?」


 可能性だけを提示され、また元の退屈な日々に戻ると名もなき女神がこう言いました。


「名を思い出したのです。わたくしの名は合わせ鏡のアリスリート、世界を渡る虚ろなる影」


 合わせ鏡のアリスリートと名乗った女神はとても面白い権能を持っていました。

 無数の鏡を合わせて映り込んだ鏡の世界へと渡る能力です。並行世界と呼んでもいいでしょう。クロノスはそれを大いに喜びました。まだ知らぬ時空、まだ知らぬ世界、まだ知らぬ起源があることは、全能なる彼には素晴らしき喜びなのです。


「時の始まりを知る旅に出よう」


 こうしてクロノスは己の起源を求め、鏡の女神を連れて無限の世界に旅立ちました。

 それは無限の世界にとって大いなる不幸であることでしょう。


 時の大神の性は邪悪。その強大なる権能は必滅。愛する者も慈しむ者も最後には必ず殺してしまうのが彼の大神の本能。


 幾つもの嘘を並べて父さえも先兵とした時神の目論見が何であれ、最後には必ず殺してしまうのでしょう。時は何に対しても公平なのだから。時は何に対しても最後には必ず死を与えるのだから。


 神の愛は人の愛とは異なります。時を司る神が愛したからといって無限の時を与え不老不死にするはずがありません、愛すればこそ最後にはきちんと殺してやるのです。


 神の愛に容赦はありません。人の幸せとはすなわち神に愛されぬことでしょう。



◆◆◆◆◆◆



 ここは暗くて怖い場所。アシェラの黄金の輝きの下に隠された牢獄回廊。迷宮化した牢獄回廊の経路は複雑なんて言葉でも足りず、まともな方法で突破することは適わない。

 ここは通常空間ではない。女神アシェラの設計した観察の場だ。獲物を閉じ込めて戦わせて戦術と性能を知るための場所だ。そんな場ゆえに出口など存在しない。一度閉じ込められたが最後何をどうしたところで逃げられない牢獄なのだ。


 ここに閉じ込められた少女が一人は泣き暮れていた。彼女とてアシェラ信徒だ、ここがどういう場所なのか鑑定の眼を開けばわかってしまう。

 温情は期待できない。アシェラのご意思に背いた者をアシェラがお赦しになることはあっても、信徒は絶対に許さない。ましてや少女の実家であるエイジア家は王党派だ。

 大砂海の子でありながら砂海の母アシェラではなく王家についた背教者に温情なんて期待するだけ無駄だ。

 だから彼女はここで泣いている。もう終わりだっていうのが悲しくて泣いている。


 しゃがみこんでグズグズになって泣いている。助けは来ない。

 助けは来ない。だが泣き声に引き寄せられて魔が忍び寄ってくる。


 スライムのような不定形の不気味な生き物が狭い通路の天井を這いながらやってくる。こいつらには聴覚がない。だから大気の振動を感じて音源を目指して寄ってくる……程度の低俗な生き物ならまだ希望もあっただろう。


 こいつらは女神が飼う聖位精霊だ。名も自意識もないがちからだけは竜種にも劣らない。どんな方法を用いても滅することが敵わず、何者であっても最後には食らい尽くす餓鬼であり……

 だから少女の運命は決まっている。アシェラ神殿の地下に落とされた者の運命はいつだってこうなるのだ。


「おおっ、ここにいたか!」


 と思ったが大きな声が聞こえてくるとスライム状の聖位精霊が退いていった。その哀れな退き方は太陽ストラに怯えるアンデッドのように情けないものだ。


 泣き止んだ、というよりも驚愕で涙がひっこんでしまった少女が通路の向こうを見上げる。するとそこには黄金に輝くオーラをまとう男がいた。


 見るからに砂漠の男だ。そしてかなり上質な格好をしている。頭には白いターバンを巻き、上等な白いベストと腰巻きにサンダルを帯びている。腹筋や二の腕やふくらはぎが見える格好であるが大砂海における平均的な露出度である。

 この軽装を上質と呼んだ理由は衣類の白さにある。白さは清潔さであり、衣類を清潔に保つ能力があるということは裕福さを意味している。これでお腹がぽっこりと出る肥満体なら大砂海においては大富豪の証明と言えるがその肉体は戦士のごとくムキムキだ。


「何をさめざめと泣いておる。キャラバンを連れたデブとはいかぬが白馬に乗った王子様の登場であるぞ」


 ちなみに大砂海においてはキャラバンを率いた太っちょこそが白馬に乗った王子様なのである。裕福の証明だ。大砂海においてはシュッとした美形よりも裕福なデブ男の方がモテるのである。


 で、そいつが大仰な仕草で肩をすくめてみせる。何だかその大げさな仕草はリリウスに似ている。


「まあ白馬にも乗っておらぬが表現の話よ」

「……あなたは誰ですぅ?」


 少女が問う。


「余が何者かと問う前に鑑定眼を開くがよい」


 言われるまでもなく鑑定眼を開きかけていた少女がいやな指摘にぎくりとしたが、構わず開いてみる。

 結論から言えば何もわからない。鑑定眼に映るものは黄金の太陽のごとき眩しさだけであり、計測されるべきちからの総量さえも不明であった。


 少女が鑑定眼を閉じる。これ以上開いていれば加護が壊れそうな気がしたからだ。

 砂漠の男が快活に笑う。何もかも予想通りに運んでいるからできる表情だ。


「視たとしても何もわからぬであろうがな。ガハハ!」


 男は楽しそうだ。上機嫌だ。計画がうまく運んでいるのだから当然だ。


「ルールズ・アス・エイジアよ、余は神だ」


「……なんとなくそんな感じはしていたのですぅ」

「驚かんのか。現状を把握する知能はある、それは素晴らしいことだ」

「……」


 ルーは賢い少女だ。現状を正しく認識できている。だから恐ろしくて仕方ない。

 助かるためにはこの男の提案を受け入れなくてはならない。……それがわかっているから恐ろしくて仕方ない。

 例え煮えた鉄を飲めと言われるのだとしても、ルーに拒否権はないのだ。


「そう怖がるでない。余は信徒に対しては驚くほど優しいのだ」

「……」


 ルーはそれこそをもっとも恐れている。

 英知のアシェラの身許を離れて、この大砂海で生きていけるわけがない。この恐れは種に刻み込まれた本能的な恐怖である。


「ルーよ、お前には五つの選択肢がある」

「お…多いのですね?」


 ルーは考え直した。もしかしたらこのやべー神は思ったよりもまともな慈悲を持ち合わせているのかもしれない。


「一、生き延びるために余の信徒になる。二、改宗する。三、改宗する。四、改宗する。五、改宗せよ」

「……」


 いや予想通りまともな慈悲など持ち合わせていなかった。

 悪神がずかずかと近づいてきて、ルーの肩をぽんと叩く。


「改宗してくれるな?」

「はいぃ」


 ルーはがっくり項垂れた。この瞬間ルーは怪しげな悪神の手先に成り下がったのである。


「よろしい! お前には新たな名を与える。司教の意味を持つルーデルタールを名乗るがよい!」

「ひえ!?」


 思ったよりも高い位を貰えたのがさらに嫌だ。高い地位には重い責務が付きまとうのも神官の常識だ。……つまりは大きな貢献や奉仕を要求されそうな気がしたのだ。


 悪神が嬉しそうだ。実際に本当に嬉しいのだろう。なにしろ豊作だ。ここにはルーだけではなく多くの人が落とされた。世紀の天才魔導師の名を欲しいままにするコンラッド・アルステルムと銀狼シェーファを収穫できるのだ。他のオマケはともかくだ、こいつがどれほど恐ろしい神であるのだとしてもあの二人は嬉しい収穫のはず。


(ん?)


 だから不思議だ。ルーには何の価値もない。シシリーやリリウスのような有象無象と同じく自分もまたあの二人と比べれば何の価値もないのにどうして……?


「あ…あのぅ、悪神さま?」

「誰が悪神だ!」

「ひぃ!?」


 悪神が怒った。どうやら自覚がないらしい。


「余が誰かもわからぬか。まったく抜けているのは昔のまんまだ」

「むかしって、神様はルーのことを昔から知っていたのですぅ?」

「ふんっ、大昔の話よ。もっともお前にとっては未来の話かもしれんがな」


 悪神の言葉はよくわからない。そもそも神と人で意思疎通が適うわけもない。

 神は人とは異なる存在だ。命を繋ぐのに食事を必要とせず、寿命も存在せず、繁殖もしない。人間なんて語り掛けるだけで発狂してしまう。

 だから神は巫女の身に降臨する。受肉もせずに直接語り掛けるだけであらゆる生物が心を失いかねないからだ。


 そんな存在が何を言ったとて自分には理解できないに違いない。ルーはそう納得した。


「よくわからないのですがルーをお救いくださいました理由はそれなのですぅ?」

「将来性に目をつけたまでよ。お前は今でこそまぁ何もできぬ小娘であるが、誠実で辛抱強くしたたかだ。百年二百年と研鑽を積めば立派なエインヘリヤルとなるであろう」

(……もしかして人として死ぬことさえ許されないのですぅ?)


 嫌な予感が的中しそうだ。最悪だ。


「さあ往くぞ!」

「あの、ここには他にも落とされた人達が……」

「あの者どもならとっくに出してやったわ。お前で最後だ」


 ガハハ笑いをする悪神に連れられて牢獄回廊から脱出する。出る時は不思議な転移魔法で一発だった。

 ちょっとだけ思ったのは、もしかしたらこいつはあの恐ろしいアシェラ様よりもずっとやばい神様なのではないか?という嫌な考えだ。正解だ。


 ここに悪しき時神の手駒が一つ。ルーの懊悩など神は意にも介さない。

 なぜなら神とはそのような生き物であるからだ。

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[一言] 最後に殺すとかラスボスかよ。。君 勝てるのか主人公( ゜Д゜)
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