なぜ悲しいのかわからないのに泣いてる夜はこんな感じ
そのおんなは
毎日
しにたい、といった
毎日よっぱらって 泣いた
泣いていないときは
むかしの話をする
さびしかった 小さいころ
やさしくて おともだちみたいな おじいちゃん
きびしいけれど あいしてくれた おばあちゃん
おかあさんには きらわれて
おとうさんには あいされた
けれども おとうさんは うわきもの
おとうさんも おかあさんも
ほとんど いえに いなかった
いえに いたら けんかした
なかのいい ともだちが いて
いっしょに いたずらを して
おなかを こわした
ひとりで おじいちゃんの かいごをした
おじいちゃんのために にわとりを そだてて たまごをとった
いぬといっしょに ねむった
いつも ひとりぼっちだった
楽しかった 若いころ
たくさん 勉強をして ほめられた
苦手な科目の 先生とは 仲良しだった
いつも仲間が遊びにきていて
一緒に飲んで騒いで好きだといわれた
一人になりたい明け方は歩いて海を見に行った
男の人と手をつないで歩いて
美味しいお酒をおごってもらった
けれど
いつも ひとりぼっちだった
つらかった 結婚後
旦那様は 酷い人
毎日 嫌がらせをされた
毎日 帰りが遅かった
あの人が ワタシを嫌いだから
ワタシも あの人のことが好きになれないの
ワタシのせいじゃないの
あの人のせいなの
あの人が、わからない
離婚したら?
と私は言った。
毎日、毎日、死にたいといわれて
毎日、毎日、悪口をきかされる。
離婚してくれた方がマシだと思っていた。
すると、その女はいつも言う。
子供たちがいるから離婚できない。
そうか、と私は思う。
私のせいでこの女は不幸なのだ。
せめてものつぐない。
その女が、
誰かのせいで悲しめば、ひどいね、と私は言う。
つらい話を聞くときは、つらそうな顔をして。
大変だったね、つらかったね、とあいづちを打つ。
楽しい話を聞くときは、いかにも楽しんでいるように笑ってうなずく。
死にたい、と言われれば、
その時には一緒に死んであげるからね、と答える。
ねぇ、お母さん。
私は今日、こんなものを見たよ。
こんなことが嬉しかったよ。
こんなことを言われて、とても心が傷ついたよ。
本当に話したかったことは
飲み込み続けているうちに
どんどんどんどん、減っていった。
嬉しいことも楽しいことも
私とは関係のない世界で起こる。
心はいつの間にか捨てたから
もう悲しくないし傷つかないし
痛くもない。
ただ 憎しみだけが 大きくなる。
その女が
誰かのせいで悲しめば、
ひどいね、と言う。
つらい話はつらそうに。
楽しい話は笑って 聞く。
育ちきった憎悪を、隠して。
死にたい、と言われれば、ふうん、とうなずく。
一緒に死んであげる、と言わなくなった私に、女は悲しそうに言う。
「あなたは前は優しかったのに」
憎悪はまだまだ、育つらしい。
やがて私は大人になった。
女と離れて、
捨てた心をもいちど拾う。
小さく縮んでいた心を、
ゆっくりゆっくり
育てなおす。
憎しみよ。
お前もここにいていいのだ。
お前だけが私であったこともあったのだから。
私はお前を捨てはしない。
お前なくして、私は私であり得ない。
覚悟を決めて
憎しみも 抱きしめる。
それゆえに、
女と会うときはいつも、
吐きそうになる。
吐きそうになりながら、笑い、楽しむふりをする。
また少しの時が経ち。
女は死の床につく。
やっぱり吐きそうになりながら、
私は、
せっせと見舞い
優しい言葉をかけ
疲れきる。
女の命が終わる時
果たして泣けるのだろうかと訝る。
そしてその日はやってきた。
病院の人たちの前で私は笑った。
母の顔を見て
「苦しかったね。楽になれてよかったね」と話しかけた。
化粧をほどこして
「あら、ちゃんとキレイにすれば美人じゃないの」と言った。
病院の人たちが 泣いてくれた。
その次の日。
私は ひとりで 泣いた。
まだ その女を憎むようになる前の 遠い母の思い出の ために。
そして もう 泣くのは 終わった と思った。
母の友人と親族がきて 泣いた。
私は 笑った。
その後 母は
煙と 灰と 骨と 人工軟骨になって 消えた。
あかるい日差しの下を歩くと
子供が「おばあちゃんに会いたい」と言う。
私は「きっと今あなたの隣にいるよ」と笑う。
私の中の憎しみが
行き場を無くして
心の中をぐちゃぐちゃに引っ掻く。
ふとした瞬間に
涙が止まらなくなる。
そんな夜に。




