第3話 豪快な漢
異世界での初日は惨憺たるものだった。悲しみと怒りを背負い、レイジは身一つで元アイン村を後にした。
村から少し出れば、木々が鬱蒼と生い茂る山だった。デズモンドの行方につながる手がかりもなければ、登山やサバイバルの知識もない。
毒に侵されてもケガをしてもアウト。何かを少しでも間違えれば、それ即ちジ・エンド。ボンボンの劣等生には、山一つさえも試練なのである。
慎重に一歩ずつ進んでいると、レイジよりも明らかに大きなウシガエルのような生き物と遭遇した。これが第一魔物発見の瞬間である。
「なんなんだ、こいつは……」
レイジは、その大きさと見た目に腰を抜かしてしまった。巨大カエルのほうは、レイジのほうをただの餌としかみなしていないらしい。
大正義によるテロから一夜、今度は食物連鎖に巻き込まれてしまった。逃げるか戦うかしなければ食われる状況で、レイジは逃げようと考えた。
しかし、カエルの跳躍力をナメてはいけない。自身の体長の数倍をひとっ飛び出来てしまうのだ。それが体長3メートル級の巨大カエルともなれば、レイジに追いつくことなど簡単だ。
レイジは、それでも足場の悪い山道を走り続けた。なぜこんな山のド真ん中にドデカいカエルがいるのか、不思議でたまらないが、ここは何でもアリのぶっ飛んだファンタジーなのだろう。
「ちくしょう! なんだってんだよ!?」
カエルに追われているかと思えば、今度は真正面から戦闘機ばりに巨大な鳥が現れた。プテラノドンのような見た目に鶏のトサカが特徴の、これまた空飛ぶ怪物である。
その鳥の翼はよほど鋭いのか、触れた木がスパスパと切れては倒れていく。これはさすがに危ないと、レイジはとっさに伏せた。
しかし、伏せた場所が悪かった。巨大な鳥が翼で切った大木がレイジに向かって倒れていく。
後ろからはカエル。動きが止まったレイジめがけて、渾身のジャンプ。もう、絶体絶命だ。
「俺って、本当に何もできないんだな……火事場のクソ力も出やしない」
肉がスパッと切れる音がした。あまりにも痛々しい音に、レイジは目をつぶってしまった。
「ケロロ~ン……!」
しかし、大木の下敷きになっている痛みのほかに、特に痛い場所はない。カエルがあの鳥に切られたらしい。
鳥は、先ほど切ったカエルの肉をくちばしでつついている。気を取られているうちに……と言いたいところだが、今動ける状態ではない。
しかも、この鳥、飛ぶのも早ければ食うのも早い。今度は大木の下敷きになっているレイジに狙いをつけてきた。
せっかく転生してきた世界で、わずかに二日目。ピンチの連続に、レイジの心は折れそうになった。
もう、誰の助けも借りることができない。諦めて、自暴自棄になった。その時、不思議な事が起こった。
ズドン、と重低音が全身に響いた。襲い掛かろうとしてきた鳥が、煙を吹いて倒れた。
ひとまず、危機は去ったようだ。レイジは安心のあまり、力が抜けてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「ぅ……うう……」
「踏ん張ってくれ、すぐに助ける!」
レイジの目の前に現れたのは、金髪を短く切りそろえた体格のいい好青年だった。二の腕に力こぶを目いっぱい作って、大木を持ち上げてくれている。
レイジは、背中の痛みをこらえながら、何とか這いつくばって2メートルほどを進んだ。それから、青年は、適当な湿布と包帯で応急処置を施した。
「今は、適当な手当てしか出来ねぇけどよ……少しの間ガマンしてくれよ」
「……別に良かったのに」
「あ? 今、何つった?」
青年の優しそうな笑顔が一転。ふいに出たレイジの悪態に、青年の目つきが変わった。怒らせてしまったのだ。
彼の服装、黒のタンクトップに迷彩柄のパンツを見るに、おそらく軍隊かレンジャー部隊の類であろう。そして、バズーカのようなものを肩に担いでいる。
さらに、彼の隣にはメタリックな歯車に手足と翼が生えたようなような物体が浮いている。明らかにSFチックなロボットだ。
明らかにケンカを売ってはいけないような相手だ。それでもレイジは、この青年には何かウラがあって助けたようにしか思えなかった。
「俺を助ける価値なんてないのに」
「別に、価値があるかどうかなんて、どーだっていいじゃねぇかよ。お前が野垂れ死んで泣く奴がいるだろ」
「いない。みんな、俺には冷たい奴だった。泣くとしたら、それくらい喜んでしまうってことだろう」
このレイジという男、一周回ってすがすがしいレベルでネガティブだ。怒っていた青年も、怒る気力が失せて呆れてしまった。
友達も恋人もいなかった、敵だらけな16年間を傷つかぬように生きてきた証左だ。
しかし、向こうからすれば、レイジのそんな事情などお構いなし。容赦なく我が強いところを見せてくる。
「困ってる奴は、誰だって助けずにはいられねぇ。これが、このフォードの悪いクセだ」
「悪いクセなら治せばいいのに」
「バッキャロー! 良いクセでもあんだから、治したくねぇんだよ」
あまりにもフォードの熱量というか圧力が高かったので、レイジは反論する度胸がでなかった。
フォードは、何が何でもヘソ曲がりなレイジを助けることを決めた。そして、吠える。
「だあああ! もう決めた、俺は絶対にお前を助けてやる。漢の意地ってモンだ、漢が自分のの主義曲げられっかってんだ」
そう息巻いたくせに、次にフォードがとった行動は、レイジをその辺の木に括り付けることだった。
助けたい人間に逃げられたくなくて、そうしたのだろう。それにしても、やり方が荒すぎる。
それからフォードは、木から離れられないレイジの前にいくつかの缶詰を開けて手渡した。
「ほら、腹も減ってんだろ? 食えよ」
「これって……」
「俺の分は平気だ。さっき撃ったケツァルカタナスの手羽先があるからよ」
レイジは何か毒物が入っているのかと勘ぐっていたが、フォードの口ぶりからその可能性は消えた。
缶詰の中身は、肉のロースト、魚の水煮、野菜の漬物のようなものだった。
ここに来てからというものの、何も食べていない。レイジは、がっついた。味わうことも忘れて、がむしゃらに食った。
あっという間に缶詰を平らげたレイジを見て、フォードははにかんだ。それから、横にいるロボットに話しかける。
「ヘイ、ギア! バルカンのアニキと連絡をつないで」
『カシコマリマシタ。アニキニ接続中デス……』
ギアと呼ばれたロボットが、ゆっくりボイスで応答した。その後、黒電話みたいに歯車部分が回った。
誰かと連絡を取ることができて飛ぶこともできるロボットを見て、アニメじゃないのだなとレイジは思った。
デカいカエルに、刀のような翼の鳥。そして、メカメカしい電話ロボット。もう何があっても不自然ではないくらいに、ここはカオスな世界だ。
「こちら、ドゥバン。フォード、なんの用だ」
「アニキ、こっちで青年を一人救助したぜ。多分、アイン村の生き残りの一人かもしれねぇぞ」
「そうか、すぐに衛生班を向かわせる。そこで待機だ」
「おう!」
レイジの思った以上に、事が早く進んでいる。面倒なことは嫌いなレイジは、身体をくねらせてロープから逃げようと試みた。
しかし、さすがはレンジャーか軍隊。拘束が厳重である。もがいても、緩まるような気がしない。
「逃げようってのも無駄だぜ。大体、アテもないうえに重傷だ、どーするつもりなんだ」
四苦八苦しているところに、フォードが相変わらずの圧力でけしかけてきた。
レイジの最も苦手なタイプだ。他人の事情を細かいことだと決めつけて気にせず、ただ己の主張だけを押し通すタイプだ。
何が何でも助けると息巻いて、仲間を呼び寄せてきたのだ。これ以上の面倒ごとは避けたくなったレイジは、叫んだ。
「俺のことは放っておいてくれよ! お前の力が無くたって……一人でやっていけ、る……んだ」
「じゃあ、だったら何で泣いてるんだ? 声が上ずっているんだ? 適当なウソついてんじゃねぇよ! 本当は誰かに頼んなきゃダメなんだろが」
いわれてみれば、この世界のことは何も分かっちゃいない状態だ。右も左も分からぬまま、村を飛び出してきたような状態だ。
レイジは、自分が思っている以上に無力な16歳。身体能力も頭脳も、底辺。成功も失敗も同い年の子と比べれば、経験値は明らかに少ない。
何もやってこなかったのだ。だから、何もできなくなったのだ。だから、何をするにも意欲も無ければ、度胸もない。
そのくせ、まるでこの世の真理に行き着いたかのように、ビッグマウスでプライドの塊。いじめられて、不遇に扱われてしかるべきなのだ。
「やっていけるんだ! オレは、生まれ変わって……強くなったんだ」
相も変わらず見栄っ張りだった。どこからその自信が湧いてくるのか、フォードには不思議でたまらなかった。
フォードは、腕を組んだ。深く息を唸らせながら、何か考えているようだ。
「ひょっとして、お前……チキュウっつー場所から来たのか。何度か噂に聞いたことがあんだよ」
「そうなんだよ。俺は、レイジ。もともと地球人というか日本人で……」
「なるほどな。そのチキュウ人っていうのは、神様から何かしら特別な才能を与えてもらって、このカルミナって星に来るんだとよ」
フォードの目が輝いた。まさか噂程度にしか知らなかった地球人に出会えるとは、夢にも思わなかったのだろう。
しかし、レイジは神様から喝をもらったくらいで、特別な能力を得たという自覚はない。
「期待裏切るようで、ゴメン……。別に、何かスゴイ物を持っているわけじゃないんだ」
「はーっはっはっはっは!! 無いなら作りゃいいじゃねぇか! 今からでも絶対に何かにたどり着く」
「そんな簡単に言うけどさ……」
フォードは、豪快に笑い飛ばした。レイジにとっては重い悩みだが、彼からすれば本当にちっぽけな悩み事なのだろう。
明らかに笑われているのだが、レイジは不思議とイヤな気持ちにならなかった。
こんなひねくれ者にも、面と向かって付き合ってくれている。この男の優しさと厳しさは本物なのかもしれない、と肌で感じ取っている。
「そういえば、言い忘れたことが二つあった。一つは、助けられたら、まずは“ありがとう”だぜ」
「そうは言うけど……何かウラでもあるんじゃないのか?」
「ウラ……? んなモン、考えたこともなかったなぁ。あるとすりゃ、世界中の人間が笑って暮らせるため……かもな」
とんでもないキレイ事に聞こえた。そんなことができるわけがない。子供でも分かることだ。
それでもフォードは大まじめにそう答えた。本当に自分の事とか見返りだとか、そういったことがどうでもいいのだろう。
明朗快活な見た目の印象とは裏腹に、豪快な熱血漢だ。小さな悩み事を全く気にしないほどに度胸があるやつだ。
「スゴイ事考えるんだな、フォードって。俺は、ただ……デズモンドの社長をぶっ飛ばしたい。罪もない村を滅ぼしたことを絶対に許せないんだ」
「お前、とんでもない相手にケンカ売るつもりなんだな。ありゃ、ただの社長じゃねーぞ。世界の富の2割はアイツのモンで、最近じゃ遥か東のロンブルム同盟の鎮圧をしたくらいだぞ」
フォード曰く、ロンブルム同盟は複数の有力な貴族たちによって治められていた広大な土地であり、この同盟が保有している軍隊は総兵員140万を誇る世界最大規模の軍隊だったという。
戦艦1200隻、戦闘機6000機を誇り、鋼鉄の軍隊とも称されたロンブルム同盟軍。しかし、デズモンド社長本人と幹部5人が率いる6つの小隊に敗れたというのだ。
そのデズモンド社の力のほどは、まさしく大正義であり死の商人を名乗るにふさわしい。間違っても、しがない地球人が一人で逆らってはいけないレベルだ。
レイジは、恐怖で震えた。
「あと、お前はデズモンドがアイン村を滅ぼした……昨日の隕石は嘘だったみたいな口ぶりだったが」
「あの事件のあと、天災にするように根回しするみたいな話が聞こえた。アレは、隕石なんかじゃない。デズモンドの魔法だったんだ」
「そうか……。でも、隕石がホントかどうかを調べるために、俺たちはここまで来たんだけどな」
できることなら、一刻でも早くあの惨状を見せてやりたい。レイジはそう思った。
アレは、ニュースで流れているような天災ではない。デズモンドが保身のために起こした人災だ、と知ってほしかった。
レイジが話そうとすれば、さらにフォードは自分の話を続けた。
「それと、言い忘れてた事のもう一つは……このケツァルカタナスの手羽先、生でもバッリバリでうめぇぞ! もう一個のほうは、お前にくれてやる」
「そうだ、俺も言い忘れたことがある。さっきはありがとうな」
「……やっと言ってくれたな。どういたしまして、だぜ!」
レイジに抵抗する意思がないと見たのか、フォードは縛っていたロープをほどいた。