第25話 恋慕と羨望と気迫と
「ファウストさん、エマさん。遅くなってゴメン」
レイジがファウスト邸に戻ってきたのは、16時を回ったあたりだった。
エマは、彼が戻ってきてくれたことに安堵した。レイジの表情は、いくらか穏やかになっている。
「その様子だと、大丈夫そうね。ほら、上がって」
レイジは、エマに言われるがままにリビングへと上がった。それから、エマからタオルを受け取ると、荒っぽく濡れた頭を拭いた。
彼に残された時間は、たった6時間。残っている課題は、残り150発。こなしたければ、今までよりも厳しいペースで、それもフォードとアザミのサポート抜きでやるしかないのだ。
その前に、レイジはどうしてもエマと話をしたかった。
「エマさん……本当は、何事もなく今日が終わったら、言うつもりだったんだけど……」
「どうしたの? 緊張しないで」
エマは、レイジの肩をぐっと揉んだ。顔が強ばりつつあったレイジは、今一度、深呼吸した。
彼女が優しくしてくれている。今ならどんなことも受け入れてくれそうな、自然な笑顔を見せている。レイジは、彼女の方へと振り返った。
「……俺、エマさんの事が好きだったんだ。初めて会った時に、こんなに綺麗な人がいるんだなぁって」
「なんと! エマにぼーいふれんどとな!?」
ファウストは、驚いていた。しかし、若者たちの話は、老人を差し置いて続く。
「そうなんじゃないかな、って思ってたわ。あなた、フォードさんにだけでなく、私にもイイところ魅せたかったんでしょ?」
生まれて初めての告白。しかし、想いは筒抜けだった。
イイところなんて魅せられなかった。この一週間、ずっと醜態さらしてばかりだった。ずっとカッコ悪いレイジのままだった。
そればかりか、エマの想いがレイジに向いていないと知ったのだ。レイジは、それを思い返してシュンとなった。
「確かに、振り向かせたかった。でも、エマさんは、アニキのことが……」
「……見られてたんだ。それで、どこまで知ってるの?」
エマは、苦笑いした。
「告白を見た後、すぐに逃げた」
「あの後のこと、ちゃんと話さなきゃね。フォードさん、あなたの事、ずっと気にかけてた」
「……俺を? アニキが?」
レイジの声が、思わず裏返った。
「そうよ。本当の弟みたいにね。……旅にご一緒できないか、訊いてみたんだ」
「俺だったら、歓迎だよ! ぜひ、来てくれよ!」
レイジからすれば、願ってもみなかったことだった。レイジは、エマの手を取りながら、喜びながら仲間に引き入れようとした。
しかし、エマは困ったように眉を下げた。
「あなたがよくても、フォードさんがダメだったの。仲間として好きじゃなきゃ、ってね」
レイジには、わけが分からなかった。
「あなた……私の事を、一人の女性として見てるんでしょ?」
レイジは、首を縦に振った。美人であることに加えて、気立てがいい。その性格を考えれば、仲間になる資質は十分なように思えた。
一人の女性として見ていることの何が、仲間の条件に引っかかるというのだ。レイジには、なおさら分からなかった。
「そんな甘い関係じゃ、アニキに迷惑かかるじゃない! 何よりも、あなた自身が困るから」
「俺自身が……?」
「そう、あなたの目的よ。大正義を倒すんでしょ? 生半可な信頼じゃ勝てる相手じゃないわ。それと……」
エマは、レイジに今朝の新聞を見せた。一面には、エルトシャンが魔人ルシファーを下した快挙が載っている。
報奨金は120万ルド。同じ旅立ちから一週間ほどで、ここまで溝を開けられているのだ。悔しくないわけがなかった。
さらに、一枚めくった。超ルーキーのキャプテン・オールAが、相変わらず八面六臂の大立ち振る舞いだ。
「アイツら、すごいな。俺も負けちゃいられない!」
悔しいとは思ったが、それと同じくらい感心していた。
「ふふ……何だか、あなたが羨ましいわ」
エマは、急におかしくなって笑い声を出してしまった。
「……どういうことだよ? 俺のどこが羨ましいのさ?」
レイジは、眉間にシワを作りながら訊いた。
「男の子ってみんな、ライバルができると負けたくない思いで頑張れるんだよね……それがいいなって」
「それと、もう一つ。勘違いからだったけど、本気でケンカできる二人は、なんだか本当の兄弟みたいだった」
エマは、一人っ子だった。兄弟げんかなんて無縁だった。
無論、ファウストと意見が衝突することもある。それでも、他人を巻き込むほどハデなものはやった事がなかった。
そもそも、ケンカというものは、互いに譲れぬ意見があってこそ。だからこそ、エマは羨ましかったのだろう。
一通り、話したいことを話せて、聞きたいことを聞けてスッキリできたレイジ。
「……ありがとう、エマさん。俺の話を聞いてくれて」
「こんな俺だけど、今からじゃ間に合わないかもだけど……もう一度だけ俺に付き合ってほしい」
「……ようやく、平常心を取り戻したみたいじゃな! 今なら再開してもよかろう」
「レイジ君、約束して。もう、ここからは音を上げないって!」
エマは、レイジと指切りげんまんをかわした。
◆
レイジは、いつものように庭に出た。千本ファイアの残り150発、再開。
右手を突き出し、精神を集中させる。レイジの右手に、再び火が灯った。小さいながらも、雨に負けない火だ。
「おお、調子が戻ってきたか!」
「はああああ!!」
852発目。左手を勢いよく突き出して出されたのは、野球ボール大の炎。
レイジの身体中に、汗がほとばしる。雨も吸い込んだTシャツは、すでに重くなっている。
それでも、レイジは、間髪入れずに両手に神経を集中させた。
「ぅおあああ!!」
今度は、バスケットボール大の巨大な炎。853発目は、これまでにない大きさの炎だった。
さらに、右手を突き出して一発。大きく一歩を踏み込みながら、左手から一発。
長く長く、そして地道で暗い修行。だが、一発ごとに、ゴールに近づいている。レイジの目は、かつてないほどに輝いている。
「なんという気迫じゃ! このペースなら、本当に間に合ってしまうやもしれん!」
「うおおおお……おぉ」
900を超えたあたりで、レイジが膝をついた。息も乱れており、うめき声とともに呼吸しているほどだ。
まだ、空は暗くなっていない。予定よりも早く完成する勢いだった。
「レイジ君、ちょっと飛ばしすぎ! 別に、私の前でもカッコ悪くたっていいじゃない!」
エマは、ボトルを渡した。しかし、レイジは、エマの顔の前に右手を伸ばすと、首を横に振った。
「……エマさん、止めないでくれ。俺は、今……サイコーに燃えているんだ!」
また止まってしまえば、また冷めてしまうかもしれない。この熱くたぎる魂を維持するためにも、レイジは飛ばしているのだ。
レイジは、再び立ち上がった。すでに、精神力だけで立っているような状態。それでも、目は死んではいない。
Tシャツの裾をギュッとしぼり、袖を捲る。気合は十二分だ!
「まだまだ……!」
レイジは、炎に思いを込めた。
デズモンドを探して、アイン村のかたき討ちをしたい思い。さらに、6色の魔法を巧みに操るエルトシャンに対する負けん気。
さらに、まだ見ぬ猛者たちへの対抗心。さらに、今まで何もしてこなかったがゆえに何もできなかった自分への戒め。
さらに、一度はケンカしてしまったアニキを、何が何でも見返してやりたいという強い意志。
さらに、さらに……!
「998……999……! あと一発じゃ!」
レイジは、手の甲で汗をぬぐった。残り一発のところで、あえて中断した。
精神力だけで立っている状態は変わらない。レイジは、上体を激しく上下させながら、呼吸を整えた。
時刻は、20時を過ぎたあたりだった。それでも、フォードたちが戻ってくることはなかった。
「ファウストさん、提案があるんだけど……最後の一発は、アニキの前でやりたいんだ」
レイジは、拳をぐっと握りながら言った。明らかに体は疲れ果てているのに、すがすがしいほどの笑顔を向けている。
「フォードさんの前で……って気持ちは分かるけど、アテはあるの?」
「挑戦状をたたきつけたんだ。もう、そんなに時間がない。急ごう!」
ラガー・ボーダーに行き着いたとき、レイジはフォードへの手紙をしたためた。
それをオーナーの伝手で、フォードに届けてもらっていたのだ。
「挑戦状とな……なかなかイキな事をしおる」
ファウストは、歯茎が見えるほどの笑顔でレイジの肩を叩いた。