第24話 アニキとしての器
レイジは、走った。アテもなく、どこまでも。
今は、誰の顔も見たくなかった。というより、今の自分があまりにも情けなくて、誰にも顔向けできるようなものではない。
「はぁ……」
ここ一週間で溜まった修業の疲れが、ドッと体に出てしまった。思いっきり走ったつもりだが、まだ郊外を抜けたわけではなかった。
雨に打たれながらボーっとしていると、アニキとケンカした事を急に思い出してしまった。
そんな事を忘れたくて、ファウスト邸から出て行ったというのに……。レイジは、首を強く振った。
また、歩き出した。独りになれるなら、どこへでも。そう思いながら歩いていたのに、市街地についていた。
ディーニの午後。雨は、より一層強く降る。傘を差した市民たちが行き交う通りを、レイジは濡れて歩いた。
「……クシュン!」
ずっと濡れていたせいで、クシャミが止まらない。いつしか、足は止まってしまった。
「おお、お前は……いつぞやのボウズじゃねぇか。今日は、一人なのか?」
「あなたは……」
薄毛のメタボが、レイジに傘をそっと渡してくれた。彼は、冒険者パブ“ラガー・ボーダー”のオーナー。先週ファウストを紹介してくれた男性だ。
左手には、食材が詰まった紙袋をいくつも提げている。おそらく、買い出しの帰りだったのだろう。
偶然戻ってきた街中とは言え、ここで顔見知りと会うとは思わなかった。レイジは、傘をそのまま突き返した。
「今は、アニキなんてどうだっていいだろ」
「冒険者同士のケンカってのは、よくあるこった。お前たちなら、いつかは仲直りできるだろーな」
オーナーは、しっかりとレイジの言質を取っていた。そのうえで、笑っていた。
仲直りなんてできやしない。今、フォードたちがどこにいるのか、手がかりさえない状態なのだから。
「シケた面してねぇで、立てよ。俺の店、来るか?」
「断る。手持ちがないから」
レイジは、オーナーから視線を外した。今は、アザミが持たせてくれていた40ルドしかないのだ。
「別に料理注文してくれ、なんて言わねぇよ。こんな所じゃ風邪引くから心配してんだよ」
「だったら、少しだけ……」
レイジは、荷物持ちを手伝うついでにラガー・ボーダーへと向かった。
◆
ラガー・ボーダーの店内には、オーナーとレイジの二人だけ。レイジは、カウンターに座りながら、憂鬱そうな顔で事情を話した。
少しだけ厄介になるつもりでいたが、オーナーは気前が良かった。親身になって話を聞いてもらえるばかりか、着替えまで出したのだ。“舌出した博士の顔”がプリントされたTシャツは、レイジには少しだけダサかった。
話を一通り聞いたオーナーは、顎のぜい肉を揺らしながらうなずいた。
「そうか……お前、修業に失敗しちまったんだな。それでアニキと慕うやつとケンカしたと」
「そうなんだよ。それで居づらくなって出て行ったんだ。せっかく紹介してくれたのに……」
「気にすることねぇさ。まぁ、お前に言えることはひとつだ。度胸が足りねぇな、度胸が!」
オーナーは、自分の胸に親指を当てながら言った。
「簡単に言ってくれるよな……」
レイジは、頬杖をついた。度胸でどうにかなるのなら、すでに何かしらのアクションは起こしている。
度胸が出ないから、アニキを追うこともなくファウスト邸を出た。
「簡単じゃねぇのは分かってるさ。でも、現状を打破したきゃそれなりの度胸がいる、ってのが世の常なんだぜ」
「打破したい現状……」
「ボウズにもあんだろ? 話すだけならタダだぜ」
レイジは、思いのたけすべてを話した。これまで何もできなかったコンプレックス、今やっている修業は絶対に完成させたいこと。そして、アニキにもう一度会いたいことを。
オーナーの目頭には涙。ちっぽけだと思っていたボウズが、実は一本芯の通った男だったのだ。なんとかしてやりたい、と親心のようなものさえ芽生えた。
「俺、どうすればいいんだ……」
「どうすればいいかって? そんなもの、もうとっくに答え出てるんじゃねぇのかい?」
やるべきことは一つしかない。……アニキとの仲直りだ。
「一つ訊きたいんだけど……どうして、俺なんかのために」
「答えはシンプル。冒険者のシケた面なんか見たくねぇからだよ。ボウズがまた笑えるってんなら、何だってやってやる」
「だったら、ちょっとやってほしい事があるんだけど……」
レイジは、それまでのお礼を兼ねて30ルドをオーナーに持たせた。オーナーは、紙とペンをレイジに渡した。
◆
雨に濡れているのは、レイジだけではない。フォードは、昨日エマと話をした公園にいた。
フォードは、黒タンクトップの裾をギュッと絞った。それから、ふーっと息を吐き出す。
彼の目に焼き付いていたのは、まったく覇気のなかった今日のレイジの目だった。アイン村近辺で助けたときと、同じような目。忘れたかったが、忘れられない。
「フォードはん、随分探したで!」
「なんだ、アザミか……」
フォードは、無愛想に返した。
「なんだ、ってなんやの! こっちは心配や言うのに」
アザミは、詰め寄った。フォードが思わず後ずさりするほどに、勢いがあった。
「それは悪かったな……」
フォードの口は、相変わらずへの字だった。まだ、どこか意地を張っているように見えた。
彼は、ベンチまで歩くと、大きく足を開きながら座った。アザミは、彼の右にそっと腰掛ける。
「……ほんで、頭は冷えたんか」
「心配かけちまったが、もう大丈夫だ」
大丈夫だとかそうでないとか、と話が進みそうになかったので、アザミは追及しなかった。
「せやけど、アンタ……なんで、あんなことを?」
「アイツが真剣な目をしてねぇから。それに尽きる」
フォードは、思い出していた。今朝のレイジの目に覇気がなかったことを。
しかし、何故そうなっていたのか、そこまでは発想は行かず、つい感情的になったのだ。
「確かに、今日は元気あらへんかったで。せやけど、その理由も聞かんと怒ったらアカンて……」
「弟分の気持ちも汲んでやれねぇで、俺は……アニキなんて呼ばれる筋合いはねぇな」
ひどいことを言った。3回連続で失敗したとき、訊いてみるべきだった。上手くいかないことには、何かウラがあったと勘付くべきだった。
レイジに愛想尽かされただろうな、と思ったフォードの口からは、珍しくため息。普段は明るい兄貴分が、ここまで思い詰めているのも初めてだ。アザミは、そう思いながら優しく話を続ける。
「アニキいう資格があるかどうかは、アンタが決めることやない……」
「アイツが決めること、ってわけか」
「そういうことや。あと、アンタ……失望した、言うてたな」
「確か、言ったな。それがどうしたってんだよ?」
「どっかでレイジはんに期待してたんやろ? そうやなかったら、失望なんか出来ひんで」
「それもそうだな。ただ……」
「どないしたんや?」
「口ではああ言ったけどよ……まだどこかで、レイジがやってくれんじゃねぇか? ……そう思えてならねぇ」
「ウチも同感や。ほな、気も済んだみたいやし、帰ろか?」
フォードとアザミは、互いの顔を見て笑いあった。
帰ろうとした矢先のことだった。鳥のような羽根と竜のような羽根を持った巨大な生物が、フォードたちの真上を飛んで行った。
風が吹き荒れた後に、手紙が一通、降ってきた。“アニキへ”と書かれている。フォードは、封筒を開ける。
――アニキへ
今朝は、本気になれなくてゴメン。でも、もう大丈夫。
アニキに見てほしい本気がある。22時にレテング公園に来てほしい。
俺は、アニキを倒す。逃げたら、承知しない! レイジ
「レテング公園と言えば、ここじゃねぇか。……アイツ、随分と憎いことしやがる」
フォードは、手紙を読み終えると、口角を上げた。