第23話 シケモクHEART
7日目。この日は、雨。レイジは、けだるそうにしながら、一階へと降りた。
フォードとエマの会っているところを見たあの後だった。エマに片思いしていたレイジには、重い事実。
「今日は雨じゃが、ここまで850撃ったお前には、そんな事は関係ないじゃろう」
老いぼれには、若者の惚れた惚れられたなど、どこ吹く風である。
「……そうだね」
「レイジはん、今日……なんか元気あらへん。どないしたん?」
「なんでもないよ。行こう」
レイジは、覇気のない声で返して、いつものように庭へと出た。その目は、死んでいた。
最終日に残されたのは150発。周りに支えられながら、ここまで順当よく来たレイジには、問題のない回数だった。
いつものように、右手を前に突き出して、心を集中させる。
「……“ファイア”!」
威勢のいい叫び声だけが、住宅街にこだました。
ここまでできたことが、まるで嘘だったかのように出ない。手のひらが熱くなることさえもない。
決して、疲れているわけでもない。だが、それでも出ないものは出ない。
「な、なんでや? レイジはん、アンタ……何があったんや!」
アザミは、レイジの上体を揺すりながら問い詰めた。
「こっちが聞きたいくらいだよ!」
レイジは、アザミに強く当たった。
「何かの手違いかもしれんぞ。ほら、もう一度集中するんじゃ!」
レイジは、深く息を吸い込んだ。目を閉じて、炎を出すことに意識を傾ける。
そのうえで最大の障壁となる昨日の逢瀬を振り切りたくて、首を強く横に振った。振り切って、右手を前に突き出した。
「“ファイア”」
しかし、振り切れなかった。手のひらは、雨に濡れて冷たいままだった。
誰もが驚いた……フォードを除いて。その彼は、険しい表情で腕を組みながら、レイジを見ていた。
「はは……今日は調子が悪いんだろうな」
レイジは、乾いた笑い声とともにつぶやいた。
「そうじゃねぇだろ。本気でやってねぇだけだ」
「本気だったさ! でも……俺、こんな事じゃ! デズモンドも、アイツも倒せやしない……! 今やっている千本ファイアもできやしない」
「失望したぞ、レイジ!」
できやしない……この一言が、フォードの逆鱗に触れてしまった。
フォードは、レイジの右頬に強烈なグーパンをかました。レイジは、その勢いで崩れ落ちた。
レイジは、口元を手で拭った。拳に血がベッタリとついた。そして、フォードの方を睨みつける。
「やって、出来なかったから言ったんだ! それの何が悪いんだよ!」
レイジは立ち上がった。拳を思いっきり振りかぶった。ありったけの怒りを込めた。
しかし、素人パンチは、フォードの左手に止められてしまった。
「昨日まで普通に……今までできた事じゃねぇかよ」
二人のすさまじい剣幕に、3人はどうすることもできずにいた。
フォードは、レイジの胸倉をつかんだ。その右手には、はち切れんばかりに血管が浮いている。
「てめぇ、ここまで来たってのに……手を抜くってのか! もう一度やってみろよ、この一週間でやったみたいによ!」
「ああ、やればいいんだろ! それで何も起こらなかったら、信じてくれよな!」
「俺を信じさせたきゃ、本気でやれ……」
フォードは、レイジから少し距離を置いて、レイジの方をじっと見据える。
あまりにも緊迫感溢れる空気。エマは、吐き気さえ感じてしまい、思わず口元を抑えた。
ここで出しさえすれば、すべては丸く収まるはずだ。レイジは、もう一度だけ炎を出そうとした。
「……“ファイア”!」
「お前、わざとやってるだろ?」
フォードは、呆れた。レイジも、決してわざとではないのだ。しかし、今のやけになっている彼では、到底出せるものでなはい。
それを知ってか知らずか、フォードはレイジを再び殴った。さらに、自分の意見を押し通した。
「やりたくねぇ事から逃げ出したくなったんだろ? そんな事じゃお前……何もできねぇ腑抜けのままだぞ!」
「俺はただ……」
「ああ、そうか! だったら、好きにしやがれ! この……ドサンピンが!」
「ちょっと、フォードはん!」
フォードは、出て行ってしまった。アザミも、フォードを心配して追いかけて行ってしまった。
レイジは、舌打ちしながらフォードの背中を一瞥するだけだった。
「……俺に何があったってんだよ。アレは、俺の問題なんかじゃない! 違うんだ!」
レイジは、拳を地面に突き付けた。泥が顔に跳ねる。泣きたくなったが、涙は昨日のうちに枯れてしまったらしい。
どうしても、本気になれていない。昨日の逢瀬が、ショッキングな出来事が頭にのこり続けた。だから、心が冷めてしまったのだ。
「どうしたんだよ、俺……! なんで……なんでだ!」
「さぁ? ……自分の胸に手を当てて聞いてみたら?」
思い当たる節はあった。しかし、アレが大きな影響になるとは、とても思えなかったのだ。
レイジは、分からなかったので首を横に振った。
「悪いが、レイジ君がこの調子では……今日の修業は中止と言わざるを得んな」
「どうしてだよ?」
「今のお前じゃ、どうやっても炎を出すことはできん。それは、お前が一番分かっておるはずじゃ」
レイジの炎は、単なる魔術とは異質なものである。テクマクマヤコンなどと、呪文を唱えて出せるようなシロモノではない。
その心の持ちようによって、いくらでも爆発できてしまう。しかし、失意の中にあるレイジは、もはや木偶の坊でしかない。
「結局、お前は……わしの出した課題ができなかった」
「くっ……! それは、今からでも間に合うだろ?」
何もできない、何もやれなかった。それがレイジの最大のコンプレックス。しかし、それは、もう打破できる寸前だ。
あがいてでも、もがいてでも、千本ファイアに挑戦したかった。絶対に成功させたかった。
ファウストは、そんなレイジの想いをくみ取ったうえで、毅然とした態度に出た。
「どうしても、と強く望むのなら、少しばかり頭を冷やせばよかろう」
「……おじいちゃんの言う通りね。ほら、入って。風邪ひくわよ」
エマは、レイジを心配していた。しかし、レイジは、呼びかけに応じることなく、呆然と立ち尽くしていた。
「レイジ君!」
「今は、一人にさせてほしい。……すぐに戻ってくる」
レイジも、雨の中、ファウスト邸から去っていった……。
心が荒んでいることだけは分かった。エマは、その理由を知りたかった。レイジから、話を聞きだしたかった。
追いかけることも考えたが、彼のただならぬ表情からして、エマは諦めた。
「レイジ君……」
「すぐに戻ると言ったんじゃろ? わしらには待つしか出来んよ」
ファウストは、楽観的だった。というより、今は信じるほかに方法がなかった。
毎度のことながら、読んでいただきありがとうございます。