第2話 大正義
不遇だらけの世界に嫌気がさして、特急に突撃をキメたレイジ。しかし、レイジはなぜか見知らぬ場所に立っていた。身体も、特急事故を起こす前の状態だ。
ここは、自然豊かな山あいの村。見渡せば畑、田んぼ、時々かやぶき屋根。まさに“むかーしむかしあるところに”の枕詞が似合いそうな田舎村。
神様なる人物の言葉から察するに、ここが苦難に満ち満ちた世界らしい。だが、のどかなこの村で野鳥のさえずりを聞いていれば、とてもそんな風には感じられない。
いつかレイジが思い描いていた中世ファンタジーとはまた趣が違う場所を選んできたあたり、あの仁王像のオッサンらしいとも思えてくる。
ここでいつまでもボーっとしていてもラチが開かないので、レイジは村の散策のために歩き始めた。
「大体あのオッサンはなんだったんだよ! ちゃんと、苦行のなさそうな世界があるじゃないか!」
アテもなく歩いていれば、あの神様に対して、文句のひとつやふたつも出てしまう。レイジは、声を思わず荒げてしまった。
一度ストレスの塊を吐き出してしまえば、堰を切ったようにあの神様への愚痴が出るわ出るわ、やめられない止まらない。
「苦行のない世界がないなら、天国なんて本当にないんですかっての!」
これだけデカい独り言にも拘わらず、聞いてくれるような人物は見当たらない。そればかりか、愚痴がやまびこする始末。
「だったら、上等だってんだよ! 地獄すらヌルいならやってやろうじゃねぇかよ!」
もはや、一種の開き直りである。そうでもしなければ、この先やっていけない。地面を強く踏みしめながら、鼻息荒くあぜ道を進んでいく。
村を青く彩る稲は、今はレイジの膝丈にも満たないくらいだが、風を受けてなびいている。このことから、おそらく春の終わりくらいのことだろう。
どこまで行こうと、のどかな田園風景が続くばかり。神様の言葉がウソに思えてきたとき、彼にとっての苦行は訪れた……。
「なぁ、あの若者だけどよ、見慣れねぇナリしてねぇか?」
「本当だな。ありゃ、きっと都会モンだろ。ちょっと手ェ振ってみっか!」
第一村人、発見。農家の二人は、レイジのことを物珍しそうに見ている。彼には、その視線が耐えられない。後ろ指を指されたような気がしてムッとなった。
そのまま通り過ぎようとしたが、一人が手を振ってきた。話を小耳にはさんでいたレイジには、悪意に満ちた手の振り方に見えた。
「おーい! お前、この村は初めてだか?」
レイジは、無言で走り出した。純朴で優しそうな農家に返事しなかった、できなかった、したくなかった、する度胸もなかった。
人と接することが、とにかく怖い。見ず知らずの土地で、見知らぬ人物に話しかけられたら、なおさら。
家族からは軽蔑のまなざし、クラスメイトからは関わってはいけないキケンな奴扱い。不良からはカツアゲのカモにみられる。日本にいたころは、どこに行こうと不遇な扱いを受けてきたのだ。
そうしたニンゲンどもの冷たい扱いによって、レイジの心はとっくに捻くれてしまったのである。
外野からみれば、被害妄想も甚だしいところかもしれない。だが、他人とは極力関わり合いにならないようにすることが、レイジにとって傷つかないための処世術の一つ。
久しぶりに都会の若者に出会えた農家を傷つけたことだろう。しかし、レイジにとっては、そのようなことは問題ではない。
「おーい!」
「…………」
「お前、ひょっとして迷子でねぇが?」
「ほっとけよ」
レイジは農夫に聞かれぬように毒づいた。
「けっ……最近の若ぇのは、はいからだかなんだか知らねぇけんど冷てぇだな」
農夫は地獄耳だった。
第一村人から逃げるようにして走ること数分。運動もろくにできなかったレイジは、息が切れるどころか肺の底が痛むほどに疲れていた。
なので、適当な木に寄りかかりぐったりと息を整えることにした。世界が変わろうとも、恵まれた家系から酷いスペックというものは変わらないらしい。
神様は、あえてこのスペックのまま、この世界に放り投げたらしい。レイジは、ますます怒りが込み上げてきた。苦行だらけの世界というならば、それなりの施しを与えてもいいだろう、と。
ストレスを発散したくて、木を殴った。葉が数枚落ちるくらいで、びくともしなかった。そればかりか、拳がジンジン痛んでずっと疼くだけだった。
劣等な地球人という現実は変わらなかった。無力な自分にさえ腹が立ってきた。
あまりのストレスで疲れが思うように取れないなか、またしても奇妙な二人組に遭遇してしまった。
レイジは、すぐに木の陰に隠れて二人の動向を目でコッソリ追った。
「しかし、ジイさん。なして、こげなところまで来たと?」
「先日の予言を真に受けた老いぼれの付き合いと思ってくれて構わん。このアイン村なる場所にて、私の脅威になりえる人物が、今日現れるらしい」
「しかし、あんたの脅威になるような人物がいるとは思えんと。万に一つの可能性もなかろうに……」
レイジの前を通り過ぎたのは、2メートルを超える筋骨隆々なアラサーと、紫のローブに身を包んだ80センチくらいの小さな老人だった。
老人は、石橋を叩いて渡るほどの慎重派。自分に降りかかる火の粉は、たとえ可能性の段階であっても振り払うほどの行動力の持ち主のようだ。
一方で、アラサーのほうは、そんな爺さんの戯言に付き合わされていて、少しばかりイライラしているようだ。
「たとえ万に一つの確率だろうと、この私の安寧を脅かすのならば……それは途方もなく高い確率なのだよ」
「……あんた、いくつまで生きると?」
レイジは、あの爺さんの言葉に妙に納得がいった。自分もリスクは徹底的に避けて通るタイプの人間だからだ。
例えば、飛行機事故。その確率はおよそ10万分の1とされているが、生死を天秤にかければ確かに高く感じられるだろう。
高いところが怖いという理由に加えて、この死亡リスクで飛行機を嫌う人がいても不自然ではない。
もう一つ気になることがあった。あの爺さんもよそ者ではあるが、その目的は危険人物の排除。
今いるアイン村の規模は、レイジのいた日本における限界集落とほぼ同じくらい。したがって、人の往来も決して多くはないだろう。
そんな村に今日現れた人物となれば、それが誰なのか特定も簡単だろう。そう考えたときに、レイジの背中に電撃が走った。
「まさか……」
レイジの視界が流転した。地獄かもしれない世界とはいえ、来て早々に二回目の死を迎えてしまう可能性を考えてしまった。
いやな汗が止まらない。呼吸が徐々に乱れていく。落ち着け、落ち着け……とレイジは必死に深呼吸を始めた。
「大丈夫だ、考えすぎだ……。俺なわけがない」
自分が爺さんにとっての危険人物でないと強く言い聞かせたのち、レイジは再び歩き始めた。
「なんだか知らんけど、デズモンド社の社長様が来てるらしいだよ」
「こんな村に一日に二組も来客なんて、ほんと珍すいだな。明日は大雨だか?」
もうしばらく村を探索していると、デズモンド社なる企業のトップが訪れていることで話題が持ち切りなことが分かった。
話から察するに、レイジが木の下で休んでいるときに見かけた人物の事で間違いないだろう。
「相手はデズモンド社の社長様だ、手厚くもてなさねぇとだな!」
「ああ、村全員でもてなさねぇといけねぇべ」
デズモンド社は、このような田舎村でも知らぬ人はいないくらいに有名な企業のようだ。その規模は、間違いなく世界屈指であり、商談一つで兆単位で金が動くほどだという。
村人たちは、この村で一番大きな建物である村長の家に向かっているようだ。レイジも、何となくで村人の流れに乗った。
村長の家に入れば、すでにデズモンドなる人物が来ていたところだった。そして、その姿はレイジが休憩中に見かけたおかしな二人組と同じだった。
村人たちは有名人の来訪に狂喜乱舞している。まさか有名人に生で会えるとは、夢にも思わなかったのだ。無理もないか、とレイジはすっかり外野気取りだ。
「では、デズモンド様。アイン村の皆様にお言葉を……」
「ご紹介にあずかりましたデズモンド社の社長、“大正義”アルシー・E・デズモンドでございます」
「そして、私がその孫・ヒーゴと申します。本日は、高いところからではありますが、祖父から皆様に話があります」
「よりよい世界を作り上げるためには、皆様の助力が必要不可欠でございます。そのためにも……」
一瞬、デズモンドの目がギラリと光ったような気がした。レイジは、あの目のイヤな輝きに“カツアゲに来た不良の姿”をダブらせた。
皆まで言わずとも分かってしまった。レイジだけが我先にと、走って逃げた。
「我々デズモンド社の安寧を揺るがさんとする者を排除せねばなりません。そして、その者は、ここアイン村に……」
あのデズモンドと名乗った男は、本当にやりやがった。
デズモンドが指を鳴らせば、どこからともなく隕石が降ってきた。その隕石は、村長鄭よりも大きく、一瞬で集会の場を火の海へと変えた。
とにかく遠くへ、遠くへ――そう思っていたが、疲れと恐怖から足は限界に近かった。そこで、手近にあった井戸へと飛び込んだ。だが、この井戸は既に枯れていたらしく、レイジは強くしりもちを突いた。
井戸の底は、想像以上に広くてやや入り組んでいた。地下水脈そのものが枯れてしまったらしい。とにかく逃げて隠れたかったレイジは、奥へと進んでいった。
それから少し経ってから、何かが爆発するような音がした。さらに人々の悲鳴が聞こえてきた。
このアイン村に自分の脅威になる人物が現れることを恐れ、本気で村人を全滅させるつもりだ。
爆発音の次は、嵐が吹き荒れた。雷がとめどなく落ちる音がする。その中に「助けてくれ」と切実な声が聞こえてくる。
ひねくれ者ゆえに、真っ先にデズモンドの悪意に気づいて逃げ出したレイジに、だれかを助ける勇気などあるわけがない。
村人たちの断末魔が止まらない。聞くに堪えないので、レイジは耳をふさぎ、目を強く閉じる。
こんな無差別テロのような惨劇は、ニュースの世界……所詮は他人事だと思っていた。
しかし、これはあまりにも無残な現実。これは確かに平和な日本がヌルかったと感じざるを得ない。
心が張り裂けそうで、叫びたい衝動に駆られた。しかし、そうしてしまえば自分が殺されてしまう。ただひたすらに耐えるしかなかった。
「しかし、ジイさん。アンタ、むちゃくちゃったい」
「アイン村に巨大な隕石が落下したため、村が滅んでしまった……ニュース屋にはそう報告しなさい」
デズモンドは、自分が巻き起こした事件を完全に隠蔽するつもりである。
この世界においても、人の上にたつ人間は自分がやらかしたことについて隠す習性があることは変わらないらしい。
「これでアイン村の連中は全滅……でよいな」
「まぁ、よかよか」
ヒーゴは、わずかに言いよどんだ。
「もし、一匹だけ残っていたとしても、無力なものよ……」
あれほどけたたましく聞こえてきた断末魔も、知らない間にすっかり消えてしまっていた。
デズモンドたちが去ったことで、騒ぎはようやく収まったらしい。それで緊張の糸が切れたのか、レイジは井戸の底で深い眠りについてしまった。
◆
次の日。目が覚めたレイジは、枯れた地下水脈の洞窟を抜け、井戸から上がって様子を見ていた。
「……こ、これは!!」
昨日まであった緑がまるで嘘だったかのように、村は荒れ果てていた。ガレキの山からは、いまだに黒煙が立ち込めている。
想像以上の惨状。レイジは、言葉を失った。誰かいないか、必死に探し回った。
だが、血だまり時々ガイコツ。「誰か返事してくれ」と叫んでも、虚しくこだまするのみ。
特に、村長邸跡は酷かった。散らばった遺体の山、崩れた屋根や壁。それらに蓋をするかのように、昨日の巨大隕石が転がっている。
レイジは、アイン村壊滅の事実に震えた。
奇跡的に自分だけが助かったことで確信が持てたのだ。自分こそが、あの邪知暴虐の限りを尽くしたデズモンドの天敵であることを。
どこへ行っても人間は勝手だ。自分自身もそうであることを棚に上げて、レイジはデズモンドへの怒りを募らせていた。
「こんなにやる必要がどこにあったんだよ! 何がより良い世界だ! 出てこい、デズモンド! お前だけは絶対に許さない!」
初めて、自分が受けてきた理不尽に対抗してやろうという気持ちがわいてきた。自分が逃げたせいで、関係のない人間を死なせてしまった。その責任の重さを痛感してのことだろう。
こうして、レイジは神様が与えてきた試練、大正義デズモンドへ怒りの鉄槌を下すことを強く決めたのである……。