第17話 老いぼれファウストを尋ねて
店主の勧めにより、ビッグマハルの初日をラガー・ボーダーで過ごした一行。
フォードとレイジは、朝焼けの街を走り始めた。ほぼ丸二日、フォードは身体をロクに動かせなかったストレスがあったのだ。
涼しい風が、身体を吹き抜けている。フォードには、心地のいいものだ。一方で、レイジは、もう額に大粒の汗を浮かべている。フォードの背中を見失わないようにするので精一杯だ。
「おい、レイジ。大丈夫か?」
「ちょっと、キツいよ……」
レイジは息が切れていて、かすれそうな声で答えた。
「しかたねぇな……。ほら、歩けるか?」
フォードは、レイジに肩を貸した。
「号外、号外ー!」
朝早くから、新聞売りが見境なく号外を配りまくっている。快楽殺人鬼J・Jが、再びディーニに現れたのだ
フォードたちも走りながら、号外を受け取った。決まって新月の夜に現れては、チェーンソーで女性を狙う。それがあの殺人鬼の犯行なのだ。
世に現れてから、昨日で10回目。ディーニ市警も、J・Jの足取りさえ掴めずにいる状態だ。
そして、昨日の出現により、J・Jの懸賞金がさらに上がったのである。昨夜までの段階で120万ルドだったのが、さらに30万ルドプラス。
神出鬼没の殺人鬼に、市民は震えている。それを黙って見過ごせないのがフォードの悪いクセだった。
「おい、レイジ。このJ・Jってヤツ……懲らしめてやろうぜ!」
「また、勝手に……」
レイジは、呆れていた。そもそも、この国に来た理由は、魔法の修業をつけてもらうこと。殺人鬼の噂を聞きつけ、倒すことではない。
「いいじゃねぇかよ。また現れるのは、次の新月だ。まだまだ一か月先のことじゃねぇか。それとも、レイジはビビってんのか?」
「……ちょっと、怖いかな」
レイジが正直にそう言うと、フォードは笑い飛ばした。
「大丈夫だ、何があっても俺がいるんだからよ」
自信たっぷりなフォードの表情を見ていると、やっぱり勇気が出るレイジなのであった……。
朝のランニング……といっても、後半はレイジがバテたせいでウォーキングになったが、それを済ませた二人は、アザミを迎えにラガー・ボーダーに戻った。
午前6時、アザミも起きていた頃だった。そして、朝食がすでに並んでいる。フォードは、早速がっついた。
「二人とも、こないに汗かいてもうて……何があったんや?」
「……漢の特訓ってヤツだよ。な、レイジ!」
「お、おう……!」
とっさにフォードと口裏を合わせたレイジ。しかし、あえて追及するつもりこそなかったものの、アザミの目にはバレバレだった。
レイジは、パサパサのコッペパンを紅茶で流し込むように食べる。その途中で、アザミが話を切り出した。
「で、この恰幅のいいお兄さんが言うとったんやけどな……街外れに、ヨハネス・ファウスト言う人物がおるんやって」
「……噂に聞いたことあるぜ、その偏屈なじーさん」
ヨハネス・ファウスト。御年120歳にもなる、ご長寿さん。様々な魔術に精通していることで有名。しかし、その性格にはかなりの難があり、悪魔と契約したとも噂されている。
炎の力に目覚めつつあるレイジには、これ以上ない人物かもしれない。魔術のイロハを教えてもらうにはもってこい。
一行は、メタボ店主に宿代と飲食代、そしてチップとして合計で500ルドを払った。そして、ファウストを訪ねるために街へと繰り出す。
ディーニの街を電車で移動して一時間ほどで、ベッドタウンに着いた。ここまで来たら、ディーニ中心街よりは建物は密に建てられていないようだ。
というより、中心街がおかしいくらいだ。壁一枚隔てれば別のお宅、なんて状態だったのだ。ここに建っている家には、垣根もあれば、庭もしっかりある。
◆
「……おじいちゃん、おはよう」
若い女性が、朝食を運んできた。緑色のさらさらした長い髪は、ランタンの光を受けて、エメラルドのように輝いている。
この部屋にあるいくつもの本棚は、どれも天井までの高さである。それでも収まりきらない本が積みあがっている。
「おはよう。えーと、誰じゃったかな」
爺さんは、しゃがれた声で訊いた。すぐそこまで来ているのに、思い出せないもどかしさを感じているようだ。
顔はシワだらけで、ヒゲは伸び放題で手入れが行き届いておらず、すでに歯は全部が入れ歯になっている。
「もう! 玄孫の名前を忘れるなんて、ひどい! 私よ、エマよ!」
若い女性が呆れながら答えた。たおやかで儚げな見た目とは裏腹に、言いたいことはハッキリ言う気質の持ち主のようだ。
「おお、そうじゃった。エマちゃんじゃ! ……最近、物忘れが激しくていかんな」
相当長生きしている爺さんだが、ここに来て体力だけでなく、記憶力にも衰えがきているようだ。
「毎日顔を合わせてるのに……。で、おじいちゃん! 本を整理しなさいよ。今に雪崩が起こるわよ」
エマは、部屋の惨状を心配していた。本のジャンルどころか、サイズさえもまばらに積み上げているのだ。
彼女は、テーブルに朝食を置くと、本を整理し始めた。いくつもの魔導書に加えて、錬金術に関する本。さらには、悪魔の図鑑なんてものまで。
まずは、それらをジャンルごとに仕分けることから始めた。しかし、じいちゃんは、口をへの字にしていた。
「おお、やめとくれ……どこに何があるか、分からなくなるじゃろ」
「今の方が本の位置が分からないでしょ! おじいちゃんも、食べたら早く整理手伝ってよね」
「別に誰が来るでもないじゃろうに……」
おじいちゃんは、呆れていた。この男、かなりガサツなようである。山積みされた本の中には、すっかり日焼けや虫食いが発生しているものも。
ただただ本に囲まれることが好きなだけで、一度読んだものについては、中身や状態については大して気にも留めていないのだろう。
おじいちゃんは、朝食をさっさと食べると、しぶしぶ玄孫の戯言に付き合うことにした。