EP8 異邦人と修業
ハナノメ組のソメイ親分に一撃でノックアウトされ、島流しに遭ったキリュウ一派。流れ着いたのは、東ザポネ海のはるか南南東に位置するキビルの島。
砂浜に打ち上げられたキリュウは、うなされながらも目を醒ました。
「はは……生きてやがった」
自分のしぶとさに、思わず乾いた笑みがこぼれる。
だが、それは見逃してもらったにすぎない。あまりにも弱いので、切り伏せるに及ばない。あの一刀から、そう言われたような気がした。
一気に、キリュウの顔が険しくなった。日本じゃ二種目で負け知らずだった男も、ザポネじゃヒヨッコ同然。その事実に、キリュウは気づいてしまった。
「うああああああ!!」
キリュウは、目いっぱい砂を蹴り上げた。
叫んでは、砂を蹴り上げて……。やればやるほどに、悔しさで頭がいっぱいになった。
「き、キリュウ?」
あまりの怒号に、ランがたまらず目を醒ました。続けて、ダーレンも起き上がる。
ランは必死にキリュウを取り押さえようとするが、キリュウは簡単に振り払った。ダーレンは、たまらず腰を抜かす。
「お、おお……」
ダーレンの唇が変色した。
「ぐうううう!!」
キリュウは、歯ぎしりしながら叫んだ。
一撃で倒されたトラウマを振り切ろうと、何度も首を横に振った。
「だ、ダンナ……」
「とにかく、落ち着かれよ」
起き上がったミカミたちは、キリュウの異変に気付いて、止めにかかった。
180cmを超える巨体は、ランとミカミとイーキャの三人がかりでもなお、抑えが利かない状態。
「みんなが無事だっただけで、今は十分っすよ」
ミカミは、耳元で叫んだ。その一言にハッとなったキリュウは、ひとまず落ち着いた。
それから、流れ着いたこの島を探索することになった。
小さな港に、いくつかの漁船。さらに、かやぶき屋根の家が点在しているのが見えた。
帝都のモダンな雰囲気から一転、今度は昔話に出てきそうな雰囲気の島である。
「つかぬ事を聞きやすが、ここはどこっすか?」
「ああ、キビルの島だよ」
「キビル……って事は、ザポネっすね」
「って言っても、本土から遠く離れた島だがな」
海をどんどんと離れ、今度は山あいの河原。滝が轟々と落ちる音を背に、キリュウは素振りに勤しんでいた。
誰にも負けない剣士になるべく――朝から晩、晩から朝。寝る間も惜しんで、自分を徹底的に追い込んだ。
髪がどれほど乱れようとも、お構いなし。というより、キリュウのムロト丸の振り方には、どこか焦りのようなものさえ感じられた。
「その一振りでは、何も斬ることは出来まい」
森の奥から、40代後半と思われる男が現れた。
オールバックと歴戦の経験が刻まれたシワには、しじら織の着流しが良く似合う。
腰には、長さの異なる三本の刀。恐らく、相手によって使う得物を変えるのだろう。
「てめぇ……何者だ!」
キリュウは、いつになくピリついていた。
ムロト丸の切っ先を男の喉元にあてがうが、相手は涼しげな顔をしている。
「まずは、貴様から名乗るのが礼儀というものであろう」
「……キリュウ。冒険団“キリュウ一派”のリーダーだ」
「俺はスメラギ。キリュウよ、聞かぬ名だが、どこから来た」
「日本だ」
「ニッポン……どこかは知れぬが、またしても異邦人か」
スメラギは、視線を下にして苦笑した。
「異邦人?」
「ああ。俺は、過去に三人、刀を教えてきた。そのいずれも異邦人だった」
「さて、キリュウよ。一つ、問答といこうではないか」
「貴様は、なにゆえに刀を振るう?」
「ハナノメ組の親分を倒し、理不尽に取られた市民の金を取り戻すため……」
「目先の事しか考えられぬとは、呆れた男よ」
スメラギは、脱力ともとれるため息をついた。
「俺は、過去に3人……剣を教えてきた。一人は、メルドベラの赤い髪の男。もう一人は、シバレーの青い戦士だった。そして、そのどちらも、友の横で戦うために振るうと答えた」
スメラギは、さらに続けた。
この二人は、己の弱さに真摯に向き合い、己を厳しく戒めて修業に明け暮れたという。
一人は、斬れぬ相手で叩き割る剛の剣の使い手。もう一人は、揺蕩う水の剣の使い手で、左利きの逆手持ちが特徴だった。
どちらも、二番手になることを自ら望んだそうだ。自分よりも大事な者のために――両者ともに、そう言って聞かなかったらしい。
そして、今年になって、二人とも冒険団のルーキーとしてようやく芽が出たのだとか。
「最後の一人は、どんな奴で、どう答えたんだ?」
「その者は、海賊衆に成り下がった男で、己が限界に挑むため――そう答えた」
スメラギは、キリュウから視線をそらし、険しい顔で応えた。
キリュウは、目を丸くした。その海賊衆と同じ思いを、少なからず持っていたのだ。
「俺も、剣を捨てて一度は外道に成り下がった。こんな俺でも、もう一度強くなれるだろうか」
「……貴様の心意気次第、とだけ答えておく」
スメラギが答えると、キリュウは口を閉ざしたまま唸った。
「ダンナ……すぐにでも帝都に戻りたいんじゃ?」
「今の俺たちに、勝てるような相手じゃねぇ!」
キリュウは、凄みのある目つきで、ミカミを黙らせた。
「私も、同感」
「ちょ、ランさんまで……!」
「そこの神主よ。心は決まっているらしい」
キリュウ達は、ここキビル島に残り、打倒ソメイ親分のためにスメラギに師事する事にした。
世間にその名を轟かせる剣士を輩出しただけあり、その手腕は無条件でキリュウを納得させるだけのことはあった。
厳しく、優しく――朝から晩まで、修業に明け暮れる日々。特にキリュウは、ムロト丸をこの手になじませようと、わずかな休憩を惜しんで素振りに勤しんだ。
数日後。その中でキリュウに言い渡された新たな課題は、彼を驚かせた。
「妖刀ムロト丸で、この紙を斬れ」
スメラギは、懐から和紙を出した。そして、手で縦に引き裂いた。
キリュウは、余裕だと言わんばかりに鼻で笑った。
「何てことはねぇな」
「果たして、そうだろうか」
スメラギは、キリュウを試すかのように眉を動かした。
スメラギの手から、紙が投げられた。キリュウは、ムロト丸を振り下ろした。
紙は、ムロト丸の刃にかすることすらなかった。そればかりか、ムロト丸を振り下ろした風圧で、ヒラヒラ遠くへと舞った。
何かの間違いだ、とキリュウは追いかけようとした。しかし、スメラギは、その肩を掴んでキリュウを止めた。
「今のままでは、何度やろうとも同じこと。お前たちの組み合わせではな」
「まるで、この刀の特性を熟知しているかのような言い方だが?」
「当然だ。同じような刀を何度も見てきたのだから」
スメラギは、鋭い目でムロト丸を握る手を見つめる。
「言ったはずだ、過去に何人も教えてきたと。特にメルドベラの剣士とシバレーの剣士は、この課題……簡単にこなしたぞ」
兄弟子たちと比べられて、キリュウは歯ぎしりした。
何度もムロト丸を振るうキリュウ。紙を吹き飛ばすたびに、スメラギの表情が険しくなる。
過去に彼に師事した者たちも、同じようなことをしたのだろうか。人のマネで強くなれるわけがない――その憤りは、かえって紙を捉えにくいものにした。
◆
ムロト丸で紙を斬る修業を始めて、三日。ムロト丸とキリュウは、一度も紙を斬ることができずにいた。
ヒラヒラ舞う動きに合わせても、一思いに振り下ろしてもダメ。
「なぜだ……なぜ、上手くいかねぇ!」
再び振るう。紙は、ムロト丸から出たわずかな風圧を受けて、遠くへ飛んで行ってしまった。
島の中心部に位置する湖。キリュウは、そこに連れてこられた。
わずかな波もなく、水面には鏡のように顔が映る。その顔を見たキリュウは、自分が荒んでいることに改めて気づかされた。
「キリュウ。刀を振ってみろ」
スメラギは、キリュウに目配せした。言われるがままにキリュウは、ゆっくりと水平に振り抜いた。
すると、水面が激しく揺れた。鏡だった水面は。
「そうか! 風を出さなければ、斬ることはできるかもしれねぇ」
「ようやく気付いたか。この風を制御できねば、この修行は完成できぬ」
スメラギの指導は続いた。何枚、何十枚と紙を斬ろうとするが、やはり捉えることはできない。
理屈がようやくわかったキリュウは、それで取り乱すことはなかった。再び心を落ち着けて、もう一度試すのみ。
その傍らでスメラギは、過去に教えた三人よりもずっと手間がかかる、と愚痴をこぼしていた。
スポーツで握る剣とも感覚は違う。さらに、時代劇で見た殺陣のように上手くいかない。キリュウは、真剣を扱うことの難しさを改めて思い知った。
この修行を開始してから、十日ほどが経った。
「落ち着け、ムロト丸! 今は、お前の風はいらないんだ!」
キリュウは、ムロト丸に言い聞かせるように言った。
「やはり、悪戦苦闘しているな。ニッポンの剣士よ」
「理屈は、分かっている。ただ、想像を絶するくらい繊細だ」
スメラギは、紙を投げた。ひと呼吸おいてから、キリュウは刀をゆっくり振る。
一瞬、刀の芯に紙が当たった。キリュウが軽い力で振り抜けば、紙は真っ二つ。
さらに、手首を返して一振り。宙を舞う二枚の紙は、四枚に。
「マグレか?」
振った自分が、一番呆気に取られていた。
その顔を見たスメラギは、もう一度やってみろと言わんばかりに、紙をもう一枚投げた。
心を落ち着かせ、もう一度。結果は、先ほどと同様であった。
修業の第一段階、クリア。キリュウは、左手で小さくガッツポーズした。
赤と青の剣士に追いつけ追い越せ。修業は、さらに過酷さを極めた。
その途中、レイジがJ・Jを倒す大金星を挙げた事を知った。キリュウの心に火をつけた。
モンスターの討伐に、スメラギとの実戦訓練。さらに、精神を鍛えるために水垢離に護摩行。
どの修業も、ムロト丸の風を完全に制御下に置くため。キリュウは、もがいた。己を追い込んだ。
6月の頭。雨の降りしきる磯辺で、キリュウ達は一騎打ちの勝負。
その撃ち合いの中で、スメラギはキリュウの剣に厳しく当たった。
「お前の剣術はそんなものか! メルドベラの剣士は、もっと一振りに威力があった!」
キリュウの一振りは、スメラギの短剣に軽くいなされた。スメラギが手首を返せば、キリュウの身体が宙を舞う。
すぐに体勢を直したキリュウは、逆手持ちで刀を振り抜いて風を起こす。しかし、それもスメラギの剣の一振りの前に散る。
「ニッポンの剣士というのは低俗なのか? シバレーの剣士は、もっと繊細な剣さばきをしていた!」
撃ち合いと説教は、しばらく続いた。
どの一撃も、キリュウには重く、そして真似ることの難しいものだった。
どの言葉も、キリュウの胸に突き刺さる。
「大和魂を、日の本一の剣士を……ナメるなッ!!」
キリュウは、大きく踏み込んで鋭い突きを放った。すると、ムロト丸の切っ先から、風の弾丸が飛んだ。
スメラギは、それを弾こうとした。しかし、風の弾丸は、剣の根元を穿ち、水平線へと消えた。
「その一撃を待っていた。あの男たちには無い、お前だけの武器を」
魂のこもった一撃に、思わず笑みがこぼれたスメラギ。
新たな技を取得したキリュウとの決闘は、夕暮れまで続いた。
◆
あれから一週間ほど。雨の季節にあるキビル島だが、今日は珍しく晴れている。
港には、辺鄙な島には似つかわしくないフリゲート。この島に物資を届けてくれる船のようだ。
「行くんだろ、キリュウ一派」
「ああ」
スメラギが訊くと、キリュウはうなずいた。
船に乗り込むキリュウの顔は、流れ着いたときから精悍なものに。手を振ることもなく、スメラギは腕組しながら見送る。
「やはり、アレを成すためか?」
「ええ。俺たちは、そのために本土に戻るんすよ」
ミカミは、クールに返すと、ランたちとともに船内へ。
彼ら5人を乗せたタイミングで、船は就航した。スメラギは、船の後ろ姿をただ見送るだけだった。
「また、とんでもない大物を育てたかもしれぬな」
白い糸切り歯を見せ、スメラギはクルリと船に背を向けた。