第138話 勇者と将軍
場所は変わり、旧ロンブルム領より西方・ジェミアース平原。カルミナ最大の平原である。イリアーフとは時差がプラス8時間。
本初子午線を西に超えた先にあるゴレイユ荒野。それが父なる自然であるならば、こちらは母なる自然である。
ある人物を尋ねるべく、オールAたちはジェミアース平原を西へ進んでいる途中だった。
早朝5時、オールAは既に起きていた。というより、ほぼ完徹。
大地にしっかり足をつけて、仁王立ちのまま夜風を浴びていたようだ。
「おはようございます、キャプテン」
「チトアとカトルーアか」
他のメンバーは、ほぼほぼグッスリだったようだ。チトアが、一番元気そうだ。
「キャプテン。最近、調子が芳しくありませんよね。眠れてますか?」
「アル……」
また、オールAの紅茶が濃くなっている。それをためらいもせず飲んでいる姿を、カトルーアは心配そうに見ていた。
「あなただけの身体じゃないのよ、キャプテン」
「そういうカトルーアさんもです」
チトアは、毅然とした口調で言った。
「私も? 特に変化はないけれど……」
カトルーアは、首を右へ左へゆっくりひねった。
チトアは、そんな彼女にカルテを手渡した。様々な数値が健康水準から離れているのを見て、彼女は呆然とした。
「あなたの前では体調はごまかせないのね」
「そりゃそうだろ!」
テントから、もみあげと顎髭が繋がった男が出てきた。彼は、ドルトア――元レイゾンでチームの狙撃手である。
彼は、カトルーアの目元にわずかに浮いているクマを親指で指した。
「お前も、最近は眠れてねぇな? たまに、艶めかしい声が聞こえてくるぜ?」
「ウソ……聞かれてたの!?」
カトルーアの背中に電撃がほとばしる。真白な顔が、すぐに桃色に染まった。
そんな彼女を見て、ドルトアは顎髭をさすりながら大笑い。
「いやいや。気づいてねぇの、お前とキャプテンくらいだぜ?」
「何だ、その艶めかしい声というのは? カトルーア、何か隠してることでもあるのか?」
オールAの青緑の瞳が、カトルーアを見据えた。彼女は、両手で顔を覆いながら首を横に何度も振った。
絶対に何かある――そう決め打ちした眼差しを向け続けるオールAだったが、彼女は答えてくれない。
「キャプテン。乙女の繊細な話ですから……」
チトアは、鼻先に人差し指を当てた。彼女の件は絶対に内緒にしたい――そういう意志を汲んだオールAは、目で追及するのをやめた。
この件で気分を悪くしたのか、カトルーアは、テントで一人。落ち込むしかない。
オンナとして一生の深く。それも、チーム最年長に……よりにもよってオッサンのドルトアに。
この前も、シバレーで共闘したルベールに、キャプテンへの淡い思いを嗤われたばかり。彼女の悩ましいため息は、テントの外からも聞こえてくる。
「いいねぇ! 不純だけど青春してるなぁ。キャプテンと結婚してABCの妄想……ってか」
「ドルトアさん、ちょっと古いです。というより、セクハラです!」
「ちょっと古いで済ませられるお前もお前だけどな」
スーアは、高笑いしながらチトアをおちょくった。
「親しき仲にも礼儀あり、ですよ。スーアさん!」
「キャプテン、ちょいと……」
ドルトアは、手招きしてオールAを呼び寄せた。
「あんまりモタモタしてると、チャンスを逃すぜ?」
ドルトアは、オールAに耳打ちした。しかし、それが何を意味するのか分からず、オールAの頭上にクエスチョンマーク。
しかめっ面で考える彼に、ドルトアはさらに続ける。
「男女の勝負の話だよ。全部終わってから……なんてダサいぜ?」
「ドルトアさん! 青少年に不健全な事を吹き込まないでください」
「いいんだ、チトア。これは、俺と彼女の問題だ」
オールAが毅然と返すと、ドルトアはしたり顔。一方でチトアは、頬を赤く染めながらへちゃむくれ。
そんなチトアの顔を、ドルトアとスーアは面白がって指さした。
楽しそうにする二人を横目に見た後、オールAは青いテントに戻っていった。外の喧騒から離れると、急に頭が重くなった。オールAは、シュラフの上に座るとゆっくり目を閉じた。
「大丈夫ですか、キャプテン。本日は……」
「分かっている。ドゥバン将軍との対談であろう?」
そんな大事な日だと分かっていながら眠れなかった――オールAは、自分の体調管理の悪さにヘドが出そうになった。
フュンファは、静かに怒りを燃やす勇者の姿を見てられなかった。
「予定時刻は14時、ゲルの村です。時間はまだあるので、少しでも……」
休まれますか、と訊くに訊けなかった。何が何でも予定には間に合わせる――その強い意志を、オールAは視線に乗せてフュンファに伝えた。
オールAは、長い溜息を吐き出した後、本日早くも2杯目の紅茶を飲み始めた。それも、先ほどよりも若干濃いものを。
「オールA……」
「スーアか。なんの用だ?」
その声には、眠気も含まれていた。
「限界ギリギリまで寝ろ。カトルーアも正直、ギリギリのところで踏ん張ってる」
「誰の判断だ? チトアか」
「いや、俺の独断と偏見だ」
スーアは、鋭い眼光をオールAに突き付けた。
オールAも、彼を睨み返した。その眼差しは、他人の気も知らずに余計な事を――そう言いたげだった。
「いくら友の言葉だろうと、聞けないな」
「お前がどれだけダダこねようが、今日という今日は無理はさせねぇからな」
「キャプテン。僕からもお願い申し上げます。これは、オルアースの総意です」
断ろうとした矢先、オールAの足元がふらついた。
考えるまでもなかった。オールAは、フュンファとスーアの諫言を受け止めるしかなかった。
◆
現地時間13時半。オルアースの面々は、予定を大幅に過ぎてゲルの村に着いた。
湖のほとりに位置するこの村は、人よりもウシや羊の方が多い。それほど畜産が活発な村であった。
彼らが牧歌的なこの村に着いた頃には、既にレイゾンの部隊が来ていた。彼らが来ることを今か今かと待ちわびている。
「キャプテン、カトルーア。大丈夫か?」
「私は平気よ」
「俺もだ。心配かけたな」
限界まで休ませる方針に従わされたオールA。まだ万全とはいいがたいが、今朝に比べれば身体が軽い。
カトルーアも、まだ頬が赤く熱っぽい。しかし、今朝の事は多少なりとも吹っ切れたらしい。
「時間がない。すぐに来てもらう」
レイゾンから伝令が来た。オールAは、サーコートの上から胸当てとマントを装備し、レイゾンとの対談に臨む。
湖畔の迎賓館。そこが両者の対談の場所だった。オールAは、腕組しながら、将軍が来るのを待っていた。
「先輩、ご無沙汰です」
ドルトアは、押忍の動作とともに頭を下げた。
身長190センチほどの大男が入ってきた。浅黒く焼けた肌と無数の傷跡は、彼自身の戦果をありのままに伝えている。
彼こそがドゥバン将軍。彼の持つ気迫に、カトルーアとフュンファが身構えた。
「久しぶりだな、小僧ども」
「ドゥバンさんも、変わりねぇようで」
一方で、砕けた態度で接するのは、かつての後輩・ドルトア。そして、スーア。
四年前の事件で、スーアとオールAはドゥバンに助けられている。
「オールAだったか、随分とナマイキになっちまったな」
「そ、それは……」
ドゥバンが持っていたのは、オールAが3週間ほど前に送らせた書状だった。
魔王軍、及びデズモンド社と戦うために精鋭を貸してほしい、といった旨が記されたものだ。いわば、同盟への招待状。
ドゥバンは、著者の目の前でそれをビリビリに破り捨てた。
「あの時助けた鼻ッタレが、いっちょ前に書状を使いに送らせるたぁ、良い度胸じゃねぇか。勇者なんて肩書持ってりゃ、高座で胡坐かいちまうもんなのかね」
「申し訳ありません、俺も別件で忙しかったものですから」
「別件ってのは、かつてのダチと馴合う事か? 漢なら、話したいことがありゃ直接会って喋れってんだ!」
ドゥバンの言葉に、ビリビリと迫力を感じたオルアースの7人。
もっともな意見だ。それだけに、真っ向から言われてオールAは自分が情けなく思え、拳を震わせた。
「結論から言おう。何が悲しくて、お前に兵力を貸さなきゃなんねーんだ?」
「と……言いますと?
「俺たち以外にも、戦力になりそうなヤツ……目星つけてんだろ?」
ドゥバンは、オルアースの事が書かれた新聞や雑誌のスクラップを円卓に置いた。
オルアースが旅立ってから三か月ほど。リーダーの血統ゆえか、早くもノート4冊分の量に及んでいる。
「どうなんだ? 黙ってりゃ、分かるモンも理解できねぇだろ?」
今度のドゥバンの声は、さっきと打って変わって穏やか。まるで、若い彼らを諭しているかのようだった。
ある程度オトナに――悪く言えば下手に出たところで、
「ええ、幾ばくか目をつけているわ。例えば、黒飛レイジとか。彼らも、デズモンド社と戦う心づもりでいるわ」
「バハラといい、アスクレーといい……アイツらも、随分な人物を仲間にしたもんだ」
「父上の仲間が何故? 引退したと聞かされていたが……」
「え、師匠が? どうして今になって……」
アスクレーの名を聞いた瞬間、オールAとチトアが驚いた。
事実を教えてやろうとドゥバンが部下に目配せすると、部下は雑誌を持ってきた。
確かに、フォードやレイジと一緒にアスクレーの姿を捉えた写真が載っている。
「閑話休題。書状への返答だが……お察しの通りだ」
「我々の勧誘を断る理由をお聞きしても?」
「さんざっぱら非礼の限り尽くしといて、よく言えたな」
言い返す気にもなれなかった。
最初から直接会って交渉できていれば――その後悔ばかりが、オールAの脳内を埋め尽くした。
ドゥバンもドゥバンで、少し言い過ぎたかもしれない事を悔やんだ。
「そう気に病んでもらっちゃ困る。戦力がねぇわけじゃねぇんだ」
「それは、確かにそうですが……いくらあろうと!」
「お前らは、既に強力な七つの冒険団を傘下に加えている。ロンブルムの跡取り息子とも同盟を組んだ。それ以上の戦力を望む理由が、俺には理解できんな」
「それでは、魔王軍……ひいてはデズモンド社と……!」
オールAは、なおも食らいついた。しかし、ドゥバンは表情ひとつ変えることはなかった。
「少なくとも……自分に自信を持てず、そのグローブで紋章を隠しているうちは話にならねぇな」
ドゥバンは、左手の親指でオールAのグローブを指した。
オールAは焦った。黒い指ぬきグローブで隠した手の甲をさらに右手で包んだ。
「気づかれていたのか」
「アスクレーの話題を切り出した時にな。親父の仲間と言ったろう? アスクレーが仲間になったのは、他にはエークだけだ。そして、そいつもアグストリア家の血統だった」
「ならば、俺がアグストリア家に……勇者の肩書に誇りを持ち、恥じぬ人間になれば」
「それもいつになる事やら」
ドゥバンは、アグストリア家当主の決心さえも鼻で笑った。
会談は、互いの意図が伝わらぬまま平行線。これ以上の話し合いは無駄だと判断したドゥバンは、席を立った。
「あばよ、アルフレッド・A・アグストリア。気が変わったら、また声をかける」
ドゥバンは、出て行った。
まるで、嵐のようにあっという間に過ぎ去った対談。
オールAは、肘をついて両手で頭を抱える。
「キャプテン?」
フュンファがオールAの顔を覗き込むが、応答しない。
「勇者とは……俺の血統とは」
オールAの目はうつろ。壊れたラジオの如く、似たようなことを繰り返している。
まるで、フュンファのことを認識していない様子だった。見かねたスーアは、ドルトアに目配せした。
二人でオールAの両肩を支え、ホテルまで運んだ。そして、そのままキャプテンを横たえる。
普段は、こんな事を赦す彼ではない。数日眠れていないことに加え、ドゥバンに指摘されたことが重くのしかかったのだろう。見ていられないほどに錯乱している。
昔から、その兆候はあったが……カトルーアとスーアは、彼の部屋に残り、身を案ずるのみ。
「スーア……勇者とは、何をも恐れぬ者なのか?」
起きているとも、寝ているとも取れるような声色だった。二人は、どうとも答えることができなかった。
オールAは、グローブを外した。その左手の甲に浮かぶαの形に管巻いたワイバーンの紋章は、今はくすんで見える。