第137話 もう一人の日本人が来た理由
フォードの一味が、新天地へ向けて出発したころ。キリュウ一派は、大海原をガレオン船で進んでいた。
今は、お昼どき。紫外線は痛い。されど、潮風が火照りをいい具合に冷ましてくれる。
キリュウは、朝から釣りをしているが、何かが引っかかる様子がない。釣り糸もリーゼントも垂れっぱなし。
今日も今日とてボウズ――それを覚悟した時だった。天パの神主のような男が、血相を変えて船室から飛び出してきた。
「大変ですよ、ダンナ!」
「どうした、ミカミ」
キリュウの焦点は、依然として釣り糸のまま。ミカミの落ち着きがないのは、いつもの事のようだ。
「落ち着きなよ、何があったんだい」
「フォードの一味、またまた大手柄ですよ!」
ミカミは、抱えていたブラウン管テレビの画面を軽く叩いて言った。
「あはは……今さら」
小麦色の肌の金髪が、腕立てしながら淡泊に笑った。
「ランさん、そうやって冷たく茶化さないでくださいよぉ」
「だって、毎日みてる……」
ランには、全く相手にされなかった。ミカミは、失意のまま船室にテレビを戻しに行った。
ミカミやキリュウの調子が芳しくなくても、今日も航海は順調だった。順調すぎて、心配になるほどだった。
「大将! 本当にこの方角でいいんだな?」
「何回確認してやがる。俺がいいって言ってんだから、まっすぐ進めってんだ!」
キリュウは、操舵手を睨んだ。
「オデ……怖ぇよ……! だって、このまま進んだら、奈落へ一直線って本で読んだことあるど」
「それ、40回目。カルミナ、丸いから……」
ランは、腹筋しながら冷たく突き放す。
「そうだぜ、ダーレン。ランの言うとおりだ。このまま東へ行けば、いつかはザポネに戻る」
「なんで、チキュウ人のダンナがそんな事知ってんすかねぇ」
ミカミは、細い目でキリュウの脇腹を肘で小突いた。
「星が丸いってのはガキでも知ってる常識だ」
「アンタの住んでたチキュウって星での話でしょ?」
「とにかく、だ! アイツが西に行ってるってんなら、俺らが東に行けばいつかは会える……ってな算段よ」
キリュウは、ミカミの食いつくような眼差しを振り切り、ドスの効いた声で言った。
「それにしたって、どうしてレイジさんに執着するんだい? 他にもライバルは、たくさんいるだろうに……」
ユナは、束ねた長い黒髪を左肩に乗せながら言った。
「それってのは、ダンナがチキュウ人って事と関係あるんすか?」
ミカミがしたり顔で訊くと、キリュウは釣りをやめて甲板にいる仲間のもとへ。
「ああ、関係ある。ただ……」
「勿体ぶらないで聞かせておくれ」
ユナが、目でも催促してきた。キリュウの胸の鼓動は、早くなる。これを打ち明けるのが怖くてたまらない。
船乗り以外の5人の視線が痛い。
「お前ら、何聞いても驚くなよ?」
キリュウが確認を取ると、ユナとミカミが唾をのみ込みながらうなずいた。
「アイツとは、日本にいた頃からの因縁がある。俺は、アイツを虐めて愉悦に浸る日々を送っていた。何度アイツから金を巻き上げ、何度病院送りにしたか……。自慢じゃねぇけど少年院にも入ったこともある」
「おぉふ……マジすか」
衝撃の告白! ミカミは、思わず変な声が出てしまった。
ランもユナも、黒装束の忍者も絶句。
ダーレンに至っては、青ざめながら頭を抱えている。その姿は、まるで考えるAVATARのよう。
誰も「もっと詳しく」と要求していないが、キリュウは話をつづけた。
「俺がレイジを虐める前は、剣道で全国行ったこともあった。趣味で始めたフェンシングでも……な」
「えらく素人離れしてるなと思えば、そういう事だったのかい」
「どのような競技かは存ぜぬが、国に名を轟かせるほどか。ヤクザ相手にあの勝負も納得できよう」
ユナと忍者がキリュウを評価しても、本人は唇を曲げたまま。
「だが、俺はその才能を潰された。先輩に陰湿なイジメを受けた。道場も出禁になった。腐っちまった俺は、剣を捨てた。剣道の先輩も殴ってやった」
「アイツが特急に飛び込んで自殺した日から三日後。俺は新しいターゲットを探していた。その時、暴力団に目をつけられちまった。なまじケンカに自信があったんで、イキって挑んだ」
「でも、こっち来てからも、ザポネのヤクザ倒してるから……。正味、勝てたっしょ?」
ミカミは、肘でキリュウを軽く何度も小突いた。
キリュウは、すぐにミカミの手を振り払った。
「ありゃ、お前らがいたから何とかなったんだ。一人だった俺に、勝てるワケがなかった」
「キリュウが……負けた?」
淡泊な口調をそのままに、ランは驚き戸惑っていた。
「短刀57切り、鉄砲49発、バズーカ4発、火炙り3回。それでもなお、死ぬに死ねなず気を失った。気づけば、ドラム缶にコンクリート共に詰め込まれ、東京湾の底で俺は……」
「もういい、ダーレンが気絶している」
忍者に話を止められたキリュウは、振り返った。確かに、ダーレンがマストの下で泡拭いて気絶していた。
自分の経験談とはいえ、他人が聴いて気分がいいものではない。こうなることが想像できたので、彼は旅する理由を明かせずにいたのだ。
「すまなかったな、おぞましい話をしちまって……」
「ダーレンは拙者が介抱するゆえ、話を続けよ」
「頼むぜ、イーキャ」
忍者・イーキャは、ダーレンを抱えながら船室に入っていった。
「あの後、俺は地獄に行くはずだった。だが、暗く深い東京湾の底、神様を名乗る人物に出会った」
「神様?」
キリュウは、うなずいた。若くしてグレて、極道に目をつけられたのは自業自得だ――あの日、そう言われた。
神様の言うとおりだと彼自身、そう思った。才能を潰され、非行に走った報いを受けたのだと。
その時、真っ先に頭に浮かんだのが、自分よりも頭一つ小さいアイツだった。そして、もう一度だけやり直せるなら――キリュウは、それを切に願ったという。
「神様に言われたよ。本当に俺が望んでいることは全て御見通し、ってな」
「本当に望んだものが、一度は断ってしまった剣の道。それと、あの男への謝罪か」
「で、気づけば俺の神社の祠にいた――ってワケっすね」
キリュウは、ゆっくりうなずいた。あの日、神様に直接何かを言ったわけではなかった。
それでも、神様はやり直せと言わんばかりに、彼に太刀を授けた。そして、気づけばミカミの言葉通り、祠の中。
ミカミが借金取りに追われているところを助けろ、と神様が命じたかのように、二人が出会った。それが、キリュウのカルミナにおける初日だった。
「ぁ……そういえば」
ひと通り話を聞いたランは、思い出したかのように目を見開いた。
「ラン、何か気づいたのかい?」
「チキュウ人、噂……たまに聞く」
「どうしたんすか? もっとハッキリ言ってくだせぇよ」
「チキュウ人、すごいチカラ、持ってる」
口数少ないランだったが、その言葉には説得力があった。レイゾン時代にも、彼女は地球人の話を何度か耳にしたことがあるようだ。
時々、カルミナに来ては、恐るべき力で名声をあげる者がいると。その力を、レイゾンではチートと呼んでいたらしい。ランは、キリュウにその可能性を見出した。
ザポネでハナノメ組を倒した実績を持っている。
「持ってたら、納得っすけどね。というより、あの勝負度胸は、持ってないと無理無理!」
「キリュウ……持ってる? チートなるもの」
ランは、迷彩タンクトップの裾を絞りながら訊いた。
キリュウは、少し唸った。凄まじいチカラの話など、全く聞かされていない。
「さぁな。カルミナに来る前の神様の話じゃ、力は活かすも殺すも俺次第なんだとよ」
曖昧に答える他なかった。託されたのは、一振りの太刀のみ。キリュウは、その太刀を
ランの話も、キリュウにとっては見下していたヲタク文化の一つにしか思えないものだった。
所詮、ウワサなので信ぴょう性はマユツバもの――キリュウがそう答えるのを阻むかのように、ランは目を輝かせた。あの話が本当だと信じて疑わない。
「分からねぇが、俺も持ってるんじゃねぇのか。あの神様が忖度してりゃ、の話だがな」
ランは、へちゃむくれのまま。キリュウは、目を強く閉じ、ため息をついた。これ以上、彼女の求める答えは出せそうにない。
「とにかくだ! 俺の日本時代の話は、これで全部だ。正直、ドン引きしたろ?」
キリュウは、デッキに向かい、潮風を浴びた。マント代わりのトレンチコートが、寂しげにはためく。
「大将がどんな人間だろうと、乗せちまったからには……よぉ!」
操舵手は、舵輪を操作したまま、大きな声で返した。
「こんな俺だが……身勝手な冒険だが、お前らはついて来てくれるか?」
キリュウは、太刀を抱きしめながら言った。その視線の先には、ただただ海が広がるのみ。
「あのねぇ、こんな大海原でやるような話じゃないっしょ? YESとしか言えやせんよ」
「それも、そうだな。だが、俺に失望したなら、次の停泊地に残ればいい。ムリしてまで、俺の旅に付き合う必要はない」
「キリュウ、水臭い」
ランの呆れたような眼差しは、いつもよりキリュウに突き刺さる。
「そうっすよ、ダンナ。俺たちは、ダンナが気に入ったから、一緒にいるんすよ。それ忘れてもらっちゃ、困りやすよ!」
「チッ。お前ら……地獄見たって知らねぇからな!」
ミカミは、鼻を鳴らした。どんな地獄でもかかってこい、と言わんばかりに勝気に笑ってみせた。
「で……リャンソー、ここから一番近い陸地は?」
「24日午後にデライト岬に着く予定だ」
「デライト岬?」
「300年ほど前、初代アグストリアが長い航海の果てにたどり着いた喜びから、そう名付けられたそうだ。それによって、大地平面説が否定された」
「アグストリア……?」
「今でも続く、勇者の家系だ。オルエスに至っては、その稼いだ額、手に入れた宝から“冒険王”とあだ名されている。今は、その孫が第18代当主で、キャプテンを名乗っているそうだ」
「徳川幕府ですら15代、260年の歴史だったのに……」
江戸時代よりもさらに40年長い。キリュウは、アグストリア家の長さに驚いた。
「聞けばそのオールAさん、お前さんと同い年だそうだよ」
「勇者か……叶うなら、一度は剣を交えてみたいもんだ」
ファンタジーの主役にして、屈強な剣の使い手。それが勇者である。
まだ見ぬ強者の名を聞き、キリュウは心を躍らせていた。せっかくカルミナに来たんだ――そう言わんばかりに鼻息を荒くしていた。
「グレる前は、きっと純粋な剣士だったろうねぇ」
鞘を握る左手に力が入っているキリュウに、ユナもニッコリである。