第136話 セカンドライフの始まり
17日、夜。仕事の引継ぎも終わり、必要最低限の荷物をジャンク・ダルク号に詰め込んだアスクレーは、カーダのいる総合病院を訪ねた。
ここに来るのも、17年前の事件以来。カーダの診察室が近づくにつれ、その歩幅も短くなっていく。口から心臓が出そうだ。
「誰かと思えば、お前か。随分とシワが増えたな」
「そういう君だって、髭が伸びてきたね」
お互い、老けてしまった。どちらがより老けたか、そんな事で争う気が起きないくらいに。
それが、第一印象だった。互いに、自分の方がより老けた――そう思った。兄弟子は経験値の量を根拠に、弟弟子は苦労の重さを理由に。
「そんなどうでもいいことを言いに来たわけじゃないだろ」
「で、フォードの一味はどうだった?」
「かなり愉快な人たちだった。君が拒否する理由が、彼らに見当たらないくらいには」
カーダは「惜しいことをしたかもな」と、消えそうな吐息に乗せてぼやいた。
「何か、言った?」
「アイツらは、俺にはもったいない集団だ。アイツらの旅に付き合えそうなのも、お前くらいだ――そう直感しただけだ」
「君がなぜ断ったのか、何となく分かる。同じ過ちを……」
「うるさい。そんな余計な事、言いにきたわけじゃないだろ」
「そうだった……大事な報告を忘れていたよ。私は、フォードの一味になる。紹介してくれてありがとう」
カーダは、鼻でため息をついた。純粋に感謝の意を伝えるものだと分かってはいるが、どうしても皮肉めいて聞こえた。
そもそも、推薦したのは自分だ。過去の旅の実績とフォードの身分から、適任だと直観したのは自分だ。
「君の心も体も身軽だったら、フォードの一味に加入していたかい?」
「知らん。“たられば”の話なんて興味ない」
カーダは、テレを隠すように椅子を半回転させた。つれない彼の態度に、アスクレーは苦笑い。
贖罪が終わっていたならば、加入するつもりだった――態度でそう言っているようにしか見えなかった。デスクに向かっているカーダは、必死に手紙をしたためていた。
その背中に、かけてやれる言葉はない。アスクレーは、お一人様の背中を見つめるしか出来なかった。結果、手紙を書き終えるまで、二人の間に言葉は交わされなかった。
「タバコ、吸っても?」
沈黙を破ったのは、アスクレーのどうでもいい事だった。
「なんだ、そんな事か」
カーダは、重い腰を上げると、部屋の窓を半開きにした。
夜も遅いというのに、生ぬるい空気が入り込んできた。それを肌で感じたアスクレーは、タバコに火をつけた。
「何か、他に話題でも?」
「別に? 何もないさ」
「俺が気づかんとでも思ったか? お前がタバコを吸うときは、決まって何かをじっくり話したいときだ」
カーダの三白眼は、アスクレーの飄々としたウソを看破した。
「バレていたのか」
「修業時代からの縁だ、気づかんわけないだろ」
カーダは、いつも以上に無愛想な低い声で毒づいた。
「……じゃあ、手短に」
アスクレーは、残念そうに言った。
もったいぶらずに早く言え、とカーダは目で催促した。
「これから、どうするつもりだい?」
「何の話だ?」
カーダは、睨みつけた。思わず委縮してしまいそうな目つき。
しかし、アスクレーは気にも留めなかった。我が物顔でタバコを赤く光らせる。
「噂で聞いたよ。もうすぐ、払いきるんだって? 慰謝料700万ルド」
「ああ。今年の分で払い終わる。17年……思った以上に早かった。話というのは、そのことか?」
「当たらずとも遠からず、だね。払いきった後、どうしたいか……それが訊きたくてね」
「悪いが、考えられん」
人生に疲れた男は、天井の照明を見上げていた。
ただただ、義弟親族のためだけに17年間。妹夫婦の命は、自分の失敗はたった700万ルドで済む話なのか――それを考えているうちに、ハゲた。
最近では、白髪もヒドい。目を細めながら悩んで作ったシワは、もう消えない。
老いてしまった今となっては、セカンドライフを考えるヒマもなかった。カーダは、背もたれに体重を預け、虚ろに窓の上のほうを見ていた。
「仲間の一人に言われたよ。生きていれば、どこかでやり直せる機会が来る――ってね」
アスクレーがにこやかに言うと、カーダは鼻を鳴らした。
「どうせ、連中で一番若いヤツに言われたんだろ。だが、俺は……」
もうすぐ50になる。人生80年もとっくに折り返している。
今さら足掻いたところでどうにかなるとも思えない歳だった。
「贖罪のためとはいえ、17年の年月を不意にしている。君もやりたい事、いっぱいあったのでは? 例えば、結婚だって……!」
「冗談もほどほどにしろ。誰が殺人鬼で債務者の俺なんかと結婚できるってんだ」
「じゃあ、何故ユリアちゃんを引き取って育てたんだい? あったかい家族に憧憬を抱いていたんじゃないか」
「単に懐いていただけだ。だが、そのユリアも10年前に……」
「そのことは致し方ないさ。遅かれ早かれ、子供はいつかは一人立ちする。ユリアちゃんは、一足先にそうなったと思えばいい」
カーダは、目を細めた。その視線の先に、アスクレーはいなかった。
彼は、ヌルくなった甘ったるいコーヒーを身体に流し込んだ。
「カーダ、君にも知ってほしい。人生とは」
「探求の連続……耳にタコができるほど聞かされた、クサいセリフだな」
「クサかろうが何だろうが、それは私の信条だ。誰にも笑われたって、私はそれを貫く覚悟がある」
「…………」
カーダは、窓の外を見つめた。兄弟子の説教で、敗北感に悩んでしまった。
昔は、互いに競い合った。どちらかが功績をあげれば、負けまいと夜通し勉強した。
あの頃は、若かった。カーダは、もしも時が戻るのなら――とありもしない事に思いを馳せては、乾いた笑いを浮かべた。
「俺をあざ笑うか? 俺を見下すか?」
「誰かの人生に貴賤なんてない。空虚だって言ってしまったけど、17年も必死にもがいた。もう、自分を赦してもいい頃だろう」
「何の皮肉だ?」
「真っ当に贖罪をこなした君への、少し早い称賛だ」
別に褒められるような事ではない。そう思ったカーダは、称賛を鼻で吹き飛ばした。
つれない態度に、アスクレーは口元を歪ませた。
「もし、ユリアに会うようなことがあれば、これを……」
「分かった」
アスクレーは、カーダがしたためた手紙を受け取り、うなずいた。
「旅の無事を祈っている」
「ありがとう。君の人生に幸あれ」
アスクレーは、ユリア宛ての手紙をデニムのポケットに入れると、診察室を出て行った。
気まずくなるという予想は的中したが、自分が思う以上に淡泊なものだった。あの胸のドキドキが、急にバカらしく思えてきた。
総合病院を出ると、目の前にはジャンク・ダルク号が停まっていた。アスクレーが乗ればすぐに出発する――そう言わんばかりに、エンジン音を夜空にこだまさせている。
レイジは、ジャンク・ダルク号から降りてきた。新しい白衣を大事そうに両手に抱えながら。
「カーダさんとの挨拶は、もういいのですか?」
レイジは、アスクレーに新しい白衣を渡した。
「仲間なんだから、気さくに頼むよ」
アスクレーは、新しい白衣に袖を通しながら言った。左胸のエンブレム――燃えるFの翼、そして7の数字が輝く。
そのエンブレムを誇らしげに見ると、アスクレーは仲間入りしたことを改めて実感した。
「そうだね。よろしく、アスクレー!」
レイジとアスクレーは、アツく握手をかわした。
「やり残したことはねぇな?」
「ああ。すぐにでも出発してくれ」
アスクレーが乗り込むと、ジャンク・ダルク号はエンジンを吹かし始めた。
「ほな……!」
「医者を仲間にしたし、行くぜ! タズン島!」
背番号7・アスクレーと共に、フォードの一味は新天地を目指す。
◆
「見送らなくてよかったんですか?」
今度は、カーダの同僚が彼の部屋を訪ねてきた。
「いや、構わん。今生の別れじゃあるまい」
カーダは席を立つと、そのまま部屋を出ようとした。
「カーダさん? こんな時間にどこへ?」
「夜風に当たってくる。今日は眠れそうにない」
「もぉ……コーヒーの飲みすぎですよ!」
同僚は、せかせかと廊下を歩くカーダを小走りで追いかける。
「……俺にも、第二の人生を歩む権利はあるだろうか?」
カーダは、思い出したようにつぶやいた。
「何なんですか、急に?」
「もうすぐ、払いきる……その後の話だ」
「……あなた次第では?」
同僚は、半分呆れたように、半分諭すように言った。
カーダの職場から40分ほどの距離に、霊園がある。真夜中だというのに、カーダは訪ねたくなった。
本当ならば、完全に慰謝料を払いきってからにするつもりだった。しかし、アスクレーに説教されたのが影響したのか、衝動的に来てしまった。
「……ここに来るのも、随分と久しぶりだな」
カーダは、墓の前であぐらをかくと、一升瓶と二つの盃を置いた。
安い酒を注ぎ、合掌。涙が一筋、また一筋……。
「何もないわけじゃなかったんだ」
溜めていたものをゆっくり吐き出す。
「妹よ、義弟よ……もし、許されるのなら、新しい道しるべを俺にくれ。こんなにくたびれた俺に、新たな生きがいを!」
どれほど嘆こうが、兄弟が答えるはずがない。分かっていても、そうせずにはいられない。
墓前で泣いて嘆いて、ひたすら涙を拭きとったカーダ。帰りは、亡霊のようにトボトボと――。
願わくは、折り返して久しい彼の余生に潤いがあらんことを。