第134話 しがない男の償い
翌日。フォードは、二日酔いの頭を抱えながらカーダの診察室に向かった。
「来れば分かる、って言われて来たぜ?」
「ああ、そこに座れ」
カーダは、変わらず不愛想に言った。
「酒の勢いで忘れてくれていると思ったが……」
「悪いが、俺たちは必死なんだよ。お前を勧誘したくてな」
フォードは、その声に少しドスを利かせた。
「そうケンカ腰になるなら、俺もそれ相応の態度で返そう。俺も、フォードの一味の勧誘を断りたくて仕方がない」
カーダは、甘ったるいコーヒーを飲み干してから言った。
「悪かった。だから……」
「早く本題に入れ、と?」
カーダが流し目で訊けば、フォードは力強くうなずいた。
「結論から言うが、お前らの仲間になる気は欠片もない。未来永劫、変わることのない俺の意志だ」
「俺なんかより腕の立つ医者を紹介しておきたくてな」
そう言って、カーダは一通の手紙をフォードに手渡した。
「何かと思えば、紹介状かよ」
フォードは、手紙を細い目で見た。
「だから、言ったはずだ。仲間になる気はない……と」
「そういや、そうだったな」
「俺たちがソイツに気心が変わったとしても、後悔するなよ?」
フォードがしたり顔で出ていくと、カーダは鼻を鳴らした。
「誰が、自分のやった事に後悔するか」
◆
カーダから貰った地図に従い、フォードとレイジは近くの病院へ向かった。レイジが入院していた病院から徒歩10分ほど。一等地に建っているにしては簡素な造りの建物が見えた。
ケイロン外科。そこに、このカロイ・ラマでも指折りの医者がいるらしい。しかし、レイジの目には、とてもそんな人がいそうには見えなかった。
「先生はいるか?」
フォードは、カーダからの手紙を見せた。
「先生なら昼休憩で外出しております」
「じゃあ、ここで待たせてもらいます」
カーダの太鼓判を信じた彼らは、先生が戻ってくるのを待った。その背中は騒がれた。
結局、一時間近くロビーで暇を持て余すことに。
「先生、お客様がお見えです」
受付がレイジたちを指した。
「ああ、君たちか。時の人のご尊顔を拝めるとは、私の運も捨てたものじゃないね」
短い茶髪をポマードでオールバックに整えた50過ぎの男が、院内に入ってきた。彼の名は、アスクレー・マナセ。
カーダと違って、アゴ髭も整えており、白衣もパリッとしている。とてもカーダの知り合いとは思えないほど、見た目に気を遣っている。
「ずっと待たせて、申し訳なかったね。私はアスクレー。小さいけど、ここの院長をやっている」
「俺たち、カーダから紹介されて、ここに来たんだ。アイツより腕の立つ医者がいる、ってな」
フォードは、紹介状をアスクレーに渡した。
「それは、私のことだね。ならば、話をじっくり聴こうじゃないか。応接室に来てほしい」
応接室にフォードたちを招くなり、アスクレーはカーダの手紙を読んだ。自分の代わりにフォードの一味に加入してほしい、という願いが切実に書かれていた。
また、その旅の過程において、自分の姪であるユリアに会えたら、心配していたことを伝えてほしい。そんなことも書かれていた。
酷なことを頼むなよ、とアスクレーは呆れながらタバコに火をつけた。
「また、冒険者になれ……ってことか」
アスクレーは、どこか懐かしそうな顔をしていた。
「また……?」
レイジは、アスクレーの言葉に引っかかった。すると、アスクレーはうなずいた。
「私の系譜、何故か勇者に縁があってね……」
「冒険王オルエスと一緒だったのか?」
「それは、私の師匠・ケイロンだね。私は、その息子・エークの時。そして、私の弟子・チトアも……」
「フォードくん。君からは、何となく懐かしい匂いがする」
アスクレーに指さされたフォードは、たまらず上着の袖のニオイを嗅いだ。
「アニキ、そういう事じゃないと思う」
呆れながら言ったレイジの言葉に、アスクレーは「うんうん」と頷いた。
「私も、元レイゾン。……と言っても、30年も昔の話だけどね。懐かしいと思ったのは、そういう事」
「勇者の仲間で元レイゾン……肩書と経歴だけ聞きゃ、とんでもねぇヤツだな。そんなヤツと知り合いのカーダもカーダだ」
フォードは、頭の後ろで指を組んでふんぞり返った。にわかには信じられない、とぼやいた。
「それで、訊きたいんですが……」
「ああ、彼は、私の弟弟子だよ」
「アイツも、勇者の仲間の弟子だったのかよ」
フォードの開いた口がふさがらない。
「だったら、カーダさんは俺たちからすれば……」
「そうだぜ、あれ以上ない優良案件だったのによぉ」
「君たち、どうしてカーダが断ったか……本人から聞いたかい?」
「何も? どっかウラがありそうな感じだったけどな」
フォードは、七丁目で呑んだときの事を思い出した。人間が簡単に死ぬ、と彼は言っていた。その時の顔は、苦悶に満ちていた。
「アイツ、まだ引きずっているのかな……」
「引きずっている、って?」
レイジが訊けば、アスクレーは古びた新聞をテーブルの上に置いた。日付は17年前の6月19日。
見出しには「名医カーダ、敗訴」とあった。原告は、義弟の親族。賠償金は700万ルド。
「17年前、カーダは妹夫婦の手術に失敗している。これを聞いてもなお、君たちは彼を信じられるかい?」
アスクレーは、試すような口調で言った。レイジは、うつむいてしまった。
「なるほど、それで昨日のアレだったのか」
フォードは、背もたれに体重を預けたまま、腕を組んだ。
自分の精神の事を言っていたように聞こえたが、妹夫婦のことも含んでいるように思えた。
昇進したくてもできないので、ずっとヒラ医者だった。
「でも、どうして」
「義弟の親族から訴えられたそうだ。世論も、技術不足よりも医者としての責任感の無さを責めた。当然、私もケイロン先生も叩かれた。同門だから、というだけでね」
カーダのバッシングは、思う以上に過激だった。アスクレーによれば、こんなに質素な建物なのも、先生の意向だという。
あえて目立たない建物にすることで、マスコミからの攻撃を避けるつもりだったのだろう。
彼のほうれい線と眉間のシワから、レイジはただならぬ苦労を感じた。端から見れば第三者にも見える関係性にもかかわらず、その糾弾は厳しいものがあったようだ。
「でも、あれは責任の無さとかじゃない。100%治す方法が確立していなかっただけだ。それでも、彼は足掻いた。低い確率だろうと、身内を救えるならばって――」
「おい、話がそれてきたぞ?」
フォードが指摘すると、アスクレーはタバコの火をもみ消した後、拳で口元を抑えて咳払いした。
「ああ、申し訳ない。もう一度、訊こう。一度は手術に失敗して大事な人を亡くした医者だ。それでも、カーダを信じられるかい」
「それは……」
レイジは、胸の奥底に溜まっていた息を吐きだして、うつむいた。
助けてもらえたのは奇跡だったのかもしれない。そんな疑いまで、頭の中を駆け巡った。
「今、君は青ざめた。彼は黙っていたようだけど、そうなることを予感していたんだろう」
アスクレーは、レイジを指さした。レイジは、ごめんなさい、と蚊の鳴くような声で謝った。
「別に謝ることはない。人間、誰だって死ぬのは怖い。だからこそ、信頼できる医者を探そうとする君たちの気持ちも分かる」
「当然だ。仲間の命を預けるんだ、慎重にもなっちまう」
「君たちが命を預けるに値するかを測っていたように、彼もまた恐れていたのだよ」
「恐れるって、何をだ?」
「情が移って大事な仲間になること。そして、その時、同じような失敗をしてしまったら……ってね」
「でも、なんで復帰できたんだ?」
フォードは、率直な疑問を投げた。
「確かに、彼はメスを持つどころか、オペに携わることもできなくなった。今は、慰謝料と姪のために、しがない診察……それだけ」
ただの贖罪――レイジにはそう思えた。だが、カーダにとっては、それが全てなのかもしれない。
何に対してもやる気が無さそうに見えた彼の顔が、苦労人に思えてきた。
「身の上話はそれくらいにして、ここからは商談だ」
しばらくの沈黙の後、アスクレーは、タバコをつけた。穏やかそうな顔を一変させた。
「商談……?」
「とぼけないでほしい。募集をかけたのは、君たちのほうだろう?」
そう言って、アスクレーはレイジが作ったポスターをテーブルの上に置いた。
しくじり医者でさえ、年収は40万ルド――日本円にして、4800万円ほど。
間違いなくオファーを蹴られるだろう――レイジは、おそるおそるアスクレーの様子をうかがった。
「私は、相場に怒っているわけじゃない。勘違いすることも多々あるだろう。で、君たちに訊きたいことが一つ。なぜ、医者の給料は高いと思う……?」
また、試すような目をした。レイジは、目を細めながらアスクレーの方を一瞬だけ見た。
再びうつむいて、今度は日本にいたときの事を思い出した。
「日本にいた頃……母さんは、忙しそうにしてた。それだけ忙しい仕事だから?」
レイジは、質問に質問で回答した。今度は、天井の照明を見つめ、もう会うことのない黒飛家を思い返した。
「まだまだ若いね、君は。忙しければ高い給料がもらえるのならば、サラリーマンでも同じことがいえる」
カーダにも若いと言われた。しかし、その口調は、そんな若者をたしなめるようなものだった。
アスクレーは、タバコの灰を灰皿に落とし、凛とした眼差しをレイジに向けた。
「医者はね、人の命を背負っている職だよ。その責任を背負う対価として高い給料がある。責任を全うするために、様々な事を勉強し、人としても立派にならなくちゃいけない」
「だから……だから、高いのか」
レイジが確認をとれば、アスクレーはうなずいた。
「そういう事。私たちは、信頼を買われているんだ。僅かな失敗であろうと、許されない。死なせたら、彼みたいに訴えられて巨額の賠償金。気狂いな医者の烙印は消えない」
「……それで俺たちをけん制してるのか? 安請け合いしねぇように、ってよぉ」
フォードは、淡々と話すアスクレーを訝しんだ。
「とんでもない。私は、君たちに興味がある。以前から目をつけていた」
「じゃあ……!」
願ってもみない回答! レイジは、目を丸くし、瞳を輝かせた。
アスクレーは、結論を急くな、とばかりに手でレイジを制止した。
「一度、仲間全員を連れてきてほしい。彼らの人となりも見て、つきっきりでサポートするに値するかを見たい」
フォードは、レイジに目配せした。レイジは、アスクレーにお辞儀してから退室した。