第133話 サシで呑む
7月15日、午後。フォードたちは、昨日の晩から忙しかった。募集ポスターの効果は、レイジの想像以上。
足元を見られてもなお、冒険団に所属したい者は多いらしい。イリアーフ全体が熱波の被害に見舞われる中、猛者たちが並ぶ。
そこで、フォードとレイジ、ギュトーの三人は、面接をすることで信頼度を測っていた。しかし、全員が全員、いまひとつであった。
「ダメですね……」
ギュトーがため息をつけば、フォードは額に右手を当てた。ここまで30人ほどを見てきた。
「だな。自己PRより金銭面の交渉の方が多いとはなぁ。それも、ここの6倍以上の値段を吹っ掛けてきやがる」
「カロイ・ラマの人って、謙虚だけどしたたかというか……」
レイジは、相場を間違えた事を公開した。こんな安請け合い、よほどの物好きしか快諾しないだろう。
日本なら妥当な相場でも、ここじゃ安すぎる。カーダのようなヒラ医者でさえ年収40万ルド。
レイジのため息が止まらない。
「一番手ごたえがあったのは、ビアーチアだったが……」
「聞けば、オルアースのチトアさんの弟さんだとか」
「“見習い”じゃなきゃ、間違いなく採用だったな」
一番手ごたえがあったのは、若くて勢いのある男。それでいて、オルアースの仲間の弟。間違いなく採用候補だった。
しかし、ビアーチアは16歳で医者見習い。仲間の命を預けるには、かなり頼りない。
「一番やばかったのは、ヤブーさんでしたね……」
「なんか……J・Jと同じニオイがした」
レイジは、ヤブーの顔を思い出し、苦い顔をした。
天才で実績があっても、倫理のタガが外れているような医者はなおさら信用できない。
「この後、誰か来ますかね?」
「いや、さっきのディモンさんで最後。難しいね、医者探し……」
レイジは、腕を組んだ。眉毛が下がった。
「そりゃ、人の命を預ける仕事だ」
「姐さん、上手くいってるといいけど……」
「まぁ、とっときの作戦がある。最悪、両方が失敗してもなんとかなる」
フォードは、勝ち誇ったように口角をあげた。
「それって、どういう意味ですか?」
「お前らにはちょっと早い、オトナの交渉だ」
納得してしまったギュトーは、薄い目でフォードを見た。
◆
その日の晩、カロイ・ラマの7丁目。ここにも酒を販売している店はあるが、ここまでくるとキャッチの数も激減。
代わりに、ラブホテルやバー、カジノのネオンがちらほら。よりオトナの雰囲気が漂う場所だ。フォードは、肩で風を切るように夜の繁華街を歩いていた。
7丁目を歩いて数分、四つ角に面したバーの扉を叩いた。立地のいい場所に立っているにしては、質素な内装だった。そのカウンターの右端、白衣を纏ったカーダが座っている。その背中は、本人のプライドの高さとは裏腹に、どこか寂しさを物語っている。
フォードは、カーダのすぐ左に座り、セラ―の適当なボトルを指して注文した。
「もう飲んでたのか……」
「誰かと思えば、お前か」
「オジャマだったか?」
「自分で誘っておいて、よく言うな……」
カーダは、グラスの氷を指先で回しながら言った。
「随分と遅かったな。道に迷っていたのか?」
先に飲み始めていたようで、カーダの席には空になったグラスが数杯。ジン、ウォッカ、バーボン、ワイン……いろいろと楽しんでいたらしい。しかし、カーダの顔はいたって普通。というより、全く酔っていないようにさえ感じられた。
こんな呑み方ができるのも、医者という高給取りでありながら独身であるからこそ。
「あまり酔わねぇタイプか?」
「安い酒では酔えない体質だ」
フォードは、その冗談を鼻で笑った。だが、冗談でもカーダの体質が羨ましく思えてきた。
「量より質……ってか。さすが、ヒラでも高い仕事なだけはある」
そう言ってフォードは、バッグから瓶を取り出した。
ザポネのマニアックな酒・鬼哭だった。
「マスター。いいのか?」
「ええ、構いませんよ。私にも飲ませてくれるならば……」
マスターは、グラスを取り出すと、少し傾けた状態で催促してきた。
「ザポネ酒か……」
カーダは、一升瓶の中身をグラスに注いだ。鼻をスーッと通り抜けても、香りは残らない。
慣れない人が呑めば喉を焼きそうな辛口ではあるが、グッと煽るように喉を通しても、カーダは平気だった。
「甘いな」
カーダは、すました顔で空いたグラスをカウンターに置いた。
「マジかよ……」
フォードは、喉仏の辺りをさすりながら、目を細めてカーダを見る。
一度アザミに薦められて呑んだことがあったが、その時はグラス一杯で頭がフラフラ。そして、今日も急に顔が紅潮した。
「お前ら、昨日から随分といろんな医者を見たらしいな」
「ああ、全部ハズレだ」
フォードは、ワインセラーの一番上の段を見て、お手上げのポーズ。カーダを直視できなかった。
「俺を引き抜く口実を作ったつもりか?」
カーダは、カウンターに右ひじを置いた。
「んなつもりねぇよ。酒が回ってきたか?」
「いや……」
カーダは、自分のグラスに鬼哭を注ぎ、グラスを傾けた。
たまにはカルミナの裏側の酒も悪くない――そう思いながら、鼻を鳴らした。
「それより、お前からも言ってくれ。アザミの勧誘がしつこいんだ」
「考えておく。忘れるなよ……お前以外の候補を探すのに難儀してるって事をよ」
「ああ、そうかい」
カーダは、話半分に聞き流した。棒読みで返したのが、その証拠だ。
「ここに来る前、バルディリスという男とも交渉した」
「竜騎士か……ヤツは、相当がめついと噂だ。おおよそ金銭面で揉めて破談になったとみる」
「そんな事じゃねぇ。どやされたんだ、冒険団のリーダーを引き抜くようなヤツがあるか……ってな」
フォードは、目を閉じてはにかんだ。
「どうしても離れられねぇ理由があるのか?」
「何だよ急に」
「ちょっと勘ぐってみただけだ」
フォードは、苦しそうに目を閉じた後、ヤケクソで残ったグラスを空けた。無理に呑んだせいで、何度かせき込んでしまった。
「フォード、人間って生き物は呆気なく死ぬぞ?」
カーダは、脚を組みなおすと流し目でフォードを見た。
「何なんだよ、急に」
「俺が、まさにそうだ。何も思うところがなく、淡々と仕事をして収入を得て……俺は、人間じゃない。ヒトかサルだ」
「じゃあ、なおさらだ! 俺たちと来い! 人間として甦れ!」
フォードの力説も虚しく、カーダはグラスの融けゆく氷を見るだけだった。
ため息の声が、店内に響いた。カーダは、肘を立てた右手の甲に頭を置いた。
「マスター、もう一杯」
「お客さん……酔いが回りましたか?」
マスターが心配するも、
カーダの右手の人差し指は、あらぬ方向を指していた。マスターは、指されたボトルをカーダの前に置いた。
それを呑むわけでもなく、彼は黙り続けていた。フォードは、答えを待ちながら、鬼哭をゆっくり楽しむ。
「おい、何とか言ったらどうだ?」
グラスが空き、もう一杯注いだ頃、フォードが口を開いた。
「……お前の望んでいるような答えなら、言わないが?」
カーダは、ようやく上体を起こした。
それから、すました顔でバーボンをグラスに注いだ。一口飲んだあと、不敵な笑みでフォードの方を向いた。
フォードは、わざと聞こえるように舌打ちした。カーダは、薄い後頭部をかきむしった。
「……明日の10時、俺の診察室に来い」
「それまでに考えてくれるのか?」
フォードが訊けば、カーダは静かに首を横に振った。
「じゃあ、なんで?」
「明日になれば分かる。来れば……な」
「……そうか」
納得のいったフォードは、左手の拳を緩めた。
「今日は、どっちが持つ?」
カーダが訊くと、フォードは二つの伝票を自分の手元に寄せた。
二人合わせて、7000ルド。フォードは、それを見ても高いとは思わなかった。
カーダは、なんともない顔でバーを後にした。それを目だけで見送ったフォードは、会計を済ませてフラフラな足取りで拠点に戻った。
その後、レイジに帰りが遅かったことを心配され、アザミにムダ遣いしたことを怒られ。
酔いが回っているのに、眠れない夜を過ごすのであった……。