第123話 恨み節のタトゥー
「ラークス、悪いがこの女とはサシで戦わせてくれ」
「ええ、元よりそのつもりですよ。俺には、サポートしか出来ませんし」
タッグマッチの構図となったが、ラークスたちはあくまで補佐。
ラークスが“キュアー”でフォードの傷を癒しても、ちょっと激しく動けば汗で迷彩柄のタンクトップが背中に張り付く。
時刻は20時、とっくに太陽が沈んでもなお、気温は30度を超えた。さらに、観客の密集具合も相まって、身体はより火照ってくる。
フォードは、軽やかなステップを踏みながら、真夏の夜の熱気に酔いしれていた。
「イイ感じにあったまってきた!」
「準備運動をしなければ本調子が出せないとは……ニンゲンとはつくづく不便な生き物ですな」
「アンチサピエンスよ、ニンゲンを拒絶する意思を持つ者よ……今こそ立ち上がる時! 気勢を上げなさい!」
トリカは、左腕を目いっぱい振って観客を煽った。
次から次へとエルフが、ニンゲンを嫌う同士がステージへとなだれ込んだ。
「不自然に盛り上がってんね、と思ったら……」
「けったいなサクラがおった、っちゅーことかいな」
アーテルがため息をつき、ランディが呆れる。
「グダグダ言わずに戦え。それと、犠牲者は出すな」
ヴェルフは、左手にカトラス剣、右手にマスケット銃を構えた。
その技の冴えと手際の速さが、暴徒たちを翻弄する。
「フォードとラークスの意向、との事だ」
「あの若造どもも、なかなかどうして無謀な意向を……」
「こんな暴徒でも、変われるチャンスがある……そーゆー事っすね?」
フォードと背中合わせになったダヤンが、少し嬉しそうに言った。その言葉に、フォードは「ああ」と小さくうなずく。
「ダヤン。俺達の仕事は、そっちじゃない」
アダメスが、ダヤンの腕を引っ張り、無理に持ち場へとつかせようとした。
あくまでも彼らは、救命医。この戦いにおいて傷ついた者を手当てするためにいる。
「だったら、コレをお前に預ける!」
フォードは、市民の避難誘導に向かうアダメスにリモコンのようなものを投げた。
「これは……?」
「“961013”と入力を! あそこから、俺らの秘密兵器が出てくる」
フォードは、トリカたちの拳の雨を凌ぎながらアダメスに指示する。
「フォード殿、どうしてそれを我々に」
「今は大量の輸送手段が必要だろ?」
「心遣い、感謝する!」
アダメスたちは、観客席の方へ向かった。それから、フォードから言われた番号を入力した。
会場に停めてあったジャンク・ダルク号から、何機もの超合金ロボットが飛び出してきた。
「戦いの中で私語だなんて、とんだ度胸ね」
トリカが振りかぶった。
「“アイスウォール”!」
ラークスが指を鳴らせば、フォードの前に氷の壁が現れた。
咄嗟の判断で出した分厚い壁。しかし、トリカの拳が風穴を開け、砕いた。
続けざまに出た彼女の左ストレートをフォードは、右手で止めた。さらに、左手で腕を掴むと、そのままトリカを投げおろした。
しかし、ただ黙っているトリカではなかった。跳ね起きる勢いを利用した蹴りで、フォードの顎を狙う。
その蹴りをフォードは左腕で受け止めるが、とても女の細くしなやかな脚とは思えないほどの威力があった。ビリビリと、左腕がしびれる。
「“ゾウ・ウォ・カノン”!」
トリカの闇魔法が、腕のような形を作る。自身の両腕に加え、“クロ・クロウ”6本。その腕は合わせて8本。
通常の4倍もの速さで飛んでくる拳の雨。フォードは、それを凌ぐだけでも精いっぱいだった。
しかも、フックもアッパーも地獄突きもラリアットも――方向もまちまち。まともに凌げば、ジリ貧は確実。
フォードは、何度もバック宙を繰り返して、トリカとの距離を置いた。それでも、彼女の執念は深く、すぐに距離を詰めようとしてきた。
「敵わないと分かったのかしら? けれど、私がそれで許すとでも?」
「…………」
トリカの煽りを受け、フォードは構えるのをやめた。彼が下を向き、目を閉じている様は、トリカの目には降参したように見えるだろう。
これ幸いといわんばかりに、トリカの黒いオーラがひとつにまとまった。彼女自身の何倍もあるツメがフォードのすぐ目の前に。
見るに堪えないと感じたラークスが、デックの拘束を振り切り、助けに向かおうとした。
その直後、パン、と鋭い音が辺りに響いた。フォードが、トリカの目の前で手を鳴らしたのだ。
彼のその後ろには、阿修羅のような幻影があった。圧倒的な威圧感。そして、猫騙し。
トリカは、仰向けに倒れてしまった。フォードは、放心状態に陥った彼女に馬乗りになると、両手首を掴んで見下ろした。
「その物騒なツメ、しまってもらおうか」
フォードは、トリカの黒く巨大なツメに目をやった。
その一瞬の隙をついて、トリカはフォードの腹のド真ん中を蹴り上げた。それから、黒い爪が拳の形に変形する。
吹き飛んで空中で無防備になったフォードに、例の黒い拳が襲い掛かる。
「“クロ・クロウ”!」
「間に合え! “アイスエッジ”!」
少しでも相殺しようと、ラークスは左腕から氷の刃をいくつも飛ばした。
彼の願い通り、確かに間に合った。しかし、狙いがわずかに逸れて、フォードの目の前に飛んできた。
「ラークス、今さらあのニンゲンを倒そうだなんて水差し……」
「ナイスサポートだぜ、ラークス!」
フォードは、宙を舞う氷の刃を足場に、体勢を整えると、そのまま飛び降りた。
その落ちる力を借りたキックでトリカを攻めるも、トリカのアイコンタクトで、身代わりが倒れた。
しかし、これしきのことでフォードの狙いは変わらない。氷の刃の一本を掴むと、そのままダーツの要領でトリカに投げ飛ばした。
狙いは、七年前と同じ左肩。トリカは、すぐに身を翻してかわした。
「何のマネかしら?」
トリカは、傷ついてもいない左肩を抑えながら激昂した。
「趣味の悪いタトゥーばかり増やしやがって。俺らにはエルフの文字は読めねぇけどよ、どうせロクでもねぇ事だろ」
「ニンゲンに何が分かるのよ?」
「トリカ様、心を乱しては……!」
「ラークス、読め」
フォードは、ラークスに目配せした。
「彼女の左肩には……“この傷と共に千年の恨みを、生涯忘るること勿れ”とあります」
聞かされたフォードは、トリカに分かるようにため息をついた。
「クッソしょーもないモン、身に刻んでよぉ」
フォードは、ポケットから1ルド硬貨を取り出して、何度も投げ上げる。硬貨の表面には、耳と髪が長い女の慈愛に満ちた顔が描かれていた。
おそらく、エルフの美貌に魅せられた昔の人間が、このデザインと価値に決めたのだろう。硬貨としては、これ以上ない価値である。
フォードは、そのエルフ硬貨を指で弾いた。弾丸のような速さで硬貨が飛ぶ先は、トリカの左肩。
執拗に同じ箇所を狙われ、トリカはフォードを睨んだ。
「どうして? 何度も左肩を狙うの?」
「消そうとしてんだよ、お前の恨み節のタトゥーをよ」
「消させない……これは、私の生きる意味! 15年前、奴隷にされて……10年前は夫を亡くして。そして、7年前……貴方にクロユリの本当の親を殺された。ニンゲンを恨むには十分というほど、私は苦しんできた!」
「何が千年の恨みだ。俺もお前も、それを語るには若すぎるだろ」
もう一度、フォードが弾いたコインが飛んでくる。狙いは、相も変わらず左肩。
「それと、もう一つ」
フォードは、トリカの脇腹に咲き誇るバイオレットの花と鷹を指した。
「アザミが言うには、その花……植物でも屈指の猛毒を持つらしいな。で、その花が囲うタカ。いかなる武力も強硬策も厭わねぇ……ってか?」
「そうよ。私は、あなた達を殺せるものなら何だってやる。そのために、来る日も来る日も……!」
奴隷として飼われた事を忘れた日などなかった。夫を奪われたあの日も、今でも鮮明に覚えている。
ラークスの裏切りも、フォードのファンブルも。苦しんできた経験全てをバネに、鍛え続けた闇の力を振りかざすトリカ。
その戦いぶりに、虚しささえ覚えたフォード。呆れたようなため息をつく。
「私は、みんなのために……! このイリアーフを自由にするッ! その」
「その“みんな”ってのは、誰の事だ? お前の言いなりになるようなヤツの事か?」
「15年前の件、詳しいことは俺には分からねぇけどよ……やってることは、お前を買ったヤツと変わらねぇんじゃねぇのか?」
「私と、あの下卑たニンゲンを一緒にしないでッ!!」
トリカは、黒いムチをフォードの身体に巻き付けると、友好の樹の方向に向かって投げ飛ばした。
フォードは、背中から樹に激突。敵のド真ん中に飛ばされたフォードは、たちまち身体を拘束されそうになった。
「三下は引っ込んでろ。俺は、お前らが勝てるような相手じゃないぞ」
フォードの背後には、またしても阿修羅のような幻影。それに気圧されたエルフたちが、フォードから逃げていく。
「クレット! アレを!」
トリカが舞台裏に向かって叫ぶと、目を覆うほどの黒い前髪が特徴のエルフが現れた。
彼が両手に抱えているのは、刃渡り150センチほどのチェーンソー。それから、エルフたちが黒いボックスを引っ張り出してきた。
その箱から出てきたのは、白髪交じりのエルフ・ゼラニウム議員。
「あ、アレはゼラニウム議員!?」
「失踪したと思えば、トリカ様の手にかかっていたのか」
会場に残ったエキストラのうち、何人かが勇気を振り絞って助けに来ようとした。
しかし、トリカは、無情にもそんな勇者たちを闇の弾丸で撃った。その足を無理やりにでも止めさせ、意志をへし折る。
「この議員は、長年にわたり叶いもしない幻想を追い続け、その姿を市民に強制する悪政の限りを働いた! くだらぬ幻想を吹聴し市民を苦しませるこの者こそ、我々イリアーフの最大のガン。この場で処刑するのが最もふさわしい」
「黙れ、小娘! イリアーフの外を大して知らんような貴様に、何が分かるッ!」
ゼラニウムは、しゃがれていながらもドスの効いた声で怒鳴りつけた。
その横で、クレットがチェーンソーのエンジンをかき鳴らす。鋭い音が、夜空にこだまする。
ゆっくりと、チェーンソーの刃が、ゼラニウムの首に近づいていく。その姿は、ビジョンを超え、茶の間へ。
「じゃあ、その言葉……そのまま返すわ。あなたに卑しいニンゲンどもの何が分かるのかしら」
「隣の大陸はチェアノ、そこに私の古い友人がいる。彼は、私の耳が長いことなど気にも留めなかったよ。こんな私でも懇意にしてくれた」
「そんなニンゲン、いるはずがない。いていいはずがない!」
後半は、もはや願望だった。その願望が暴走し、真実からも目を背ける。トリカは、黒いムチでゼラニウムの頬を殴った。
身動きのとれぬ議員は、鞭で打たれ放題だった。ラークスが止めにかかるも、デックをはじめとした数人がかりで手足を拘束された。
「はずがねぇ……だと?」
フォードは、何度も踏みつけられボロボロにされた写真を拾い上げた。
それから、自分を攻撃せんとするエルフたちをかき分け、ステージへと戻る。
「きっと、お前は悪運掴まされたんだろうぜ。たまたま出会ったヤツが……たまたま来たヤツは、悪意を以てお前を苦しめたんだろうぜ」
フォードは、幾人もの制止を振り切り、ステージの階段を駆け上がる。
「でもなぁ、これを見てもなお! ここに映るニンゲンが卑しいヤツにしか見えねぇのかよ!」
フォードは、トリカの目の前に写真を突き付けた。
「ニンゲンなんて、誰だって同じよ。特にあなたなんて、生きていると思うだけで反吐が出るくらいよ」
「確かに、俺はお前からしたら嫌なニンゲンだ。クロユリの親撃ってるから……二度とツラなんて見たくもねぇだろうな」
「わかっているなら、潔く!」
トリカを取り巻く黒いオーラが死神の鎌を形作った。
「フォードさん! 危ないッ!」
ラークスはデックらの拘束を振り切った。
夜叉の鎌は、ラークスの右肩を貫いた。脈打つたびに血が流れるが、ラークスは平気そうな顔をしていた。
「え、エルフがニンゲンを助けた……だと!? どうなってるんだ!」
「本日、二回目。また、お前らに助けられたな」
「礼には及びませんよ。俺ら、仲間じゃないですか!」
フォードは、はにかんだ。しかし、ニンゲンとエルフが馴合う光景を、トリカは良しとはしなかった。出来なかった。
「あなたは相変わらずエルフの恥晒しなのね」
「いや、俺はもうエルフを名乗る気はありませんよ。だって、俺は彼らと同じカルミナ人ですから。当然でしょ?」
恥晒しと言われようと、ラークスが気にすることはなかった。そればかりか、後ろでフォードがサムズアップしているのが見えて、それを誇らしく思っているようにも思えた。
見慣れない光景が続いた。闘う観客の中にも、戸惑いを隠せない者がいる。それでも、アンチサピエンスの戦闘員が、無理にそのケツを叩く。
ラークスたちをのこの行為は、ニンゲンを助ける価値がないと教わった者に、常識破りの光景をまざまざと見せつける格好となった。
「ラークス、あなたもフォードと同罪ね。私に傷をつけたニンゲンをかばうなんて。そうやって、下卑たニンゲンとじゃれ合いながら、これからの人生を送るつもり?」
「俺とヴェルフさんたちの仲の良さを見て、それでも憎悪にまみれた事がよく言えたものですね」
「ニンゲンだから、それだけで私には憎むべき対象なのよ! ここに来たあなた達も、カルミナに住むすべてのニンゲンも」
「俺は、お前にどれだけ言われようとかまわねぇ。でもな、出会ってもねぇヤツの事、勝手に決めつけんじゃねぇ! テメェ、主語がデカすぎるんだよ! 会って、喋って、聴いて……その目と耳で人間を評価しやがれッ!!」
フォードの渾身の叫びに、ラークスが拍手した。ラークスが歓喜のヤジを飛ばした。
暴徒を食い止めながら、ルモンド兄弟が口角をあげる。よく言った、と呟いた。
「俺だって、さっきは仰々しくカルミナ人名乗りましたけどね。まだ知らないことだらけなんですよ。だから、俺はこの星を一周して見極めたいんだ」
「小娘、ラークスの言うとおりだ。人間を……カルミナ人を知れ!」
「まだそんな戯言を言うか!」
クレットが怒鳴った。髪に隠れて見えないが、その眼光は鋭く、そして凍てついたものだろう。
「クレット! 一思いに切りなさい!」
トリカが左腕を高く掲げた。空を切り裂くチェーンソーの声は、まさにソプラノのシャウト。
クレットは、パンクロックを歌うチェーンソーを振りかぶった。