第121話 BORDER LESS
7月10日正午。モーリョ広場では、急ピッチで舞台の設置が進められている。気温は40℃。ステージを設営する者も、機材チェックの巣タフも、誰もが汗だくだった。
トリカたちは、日よけのテントの下でテーブルを囲い、今宵のプログラムの会議と説明。ホワイトボードにはタイムラインがびっしりと書かれている。
その彼女の後ろでは、今度は有刺鉄線で雁字搦めにされたレイジとバハラが、猿ぐつわを噛まされていた。
今宵、この広場には十数万人集まる。それを想えば、拷問に飽きたはずのトリカの胸の高鳴りは収まらない。
段取りは、順調。レイジは、トリカの持つ企画書を薄気味悪い目で見下した。
「心配しなくてもいいわ。今宵は、あくまであなた達の首を落とすことがメインだから」
その視線に気づいたトリカは、振り返らずに言った。レイジは、鼻で笑った後、目を閉じた。
「…………」
「潔く辞世の句をしたためておけ。どうせ、フォードは来ない」
「ニンゲンというのは卑しい生き物だ。自分に火の粉が降りかかると思ったら、迷わず部下を切り捨てる種族だ」
レイジは、目を半開きにして絡んできたエルフたちを睨んだ。
お前にニンゲンの何が分かる、とでも言いたげな目。エルフたちは、それが気に入らなかった。思わず拳が出た。
レイジの口の中いっぱいに鉄の味が広がる。昨夜から飽きるほど堪能した味。レイジは、無理に吐き出そうとして、麻縄を赤く染めた。
「やっぱ気に入らねぇ野郎だ……!」
「あなた達、それくらいにしておきなさい。それに、フォードだけでも必ず来るはずだわ」
トリカは、高いミネラルウォーターで口を潤してから言った。
「なぜ、それが分かるのですか?」
「オンナのカン……とでも言えばいいのかしら?」
トリカは、妖しく笑った。しかし、本当は確信があってのことだった。そして、その確信を、レイジもバハラも抱き続けている。
急ピッチで進む今宵のショーの準備。トリカの表情は、終始よかった。一方で、ついて来れないオギリは戸惑っている様子だった。
僅かな昼休憩が終わろうとしていた頃、デックが戻ってきた。
「デック、それは?」
トリカは、チェーンソーを指した。それも、刃渡り150センチ程度の巨大なもの。
「ニンゲンとの決別を表明なされるなら、と思いまして。せっかく十数万人を集めるのですから、ニンゲン数十人とその他数名を処刑するだけなのは勿体ないかと」
「成程……妙案ね。でも、やるなら最後にした方がいいわ。それと、そうねぇ……」
デックのアドリブも、トリカは笑って許した。
だったら、と言わんばかりにトリカも一つ提案。火薬の追加、さらにハンマーの用意を急がせた。
「トリカ様、ステージの用意が大方できました!」
「ええ、すぐに向かうわ」
トリカは、テントを出て行った。今度は、ステージのチェック向かうようだ。
汗が滴り、彼女の右わき腹に咲く人嫌いの花、それに囲まれた鷹が輝く。
トリカは、出来たてのステージに立ってみた。そして、一番遠くの席に焦点を当てる。
出来は悪くはなく、客も予定通り入れられる。しかし、彼女は友好の樹を恨めしそうに見上げた。これさえなければ、裏側の者はもっと見えただろうに……と。
モーリョ広場の外には、パブリックビュー用のビジョン。さらには、TV局や新聞社のトレーラーが数台。
とても一夜で集められるような設備や環境には思えない。これも、人にNOを突き付けるマークの成せる芸当だろう。
◆
17時過ぎ。モーリョ広場周辺には、トリカのショーを今か今かと待つ者たちが集まっていた。
日が西に傾きつつあってもなお、気温は35度を超えっぱなし。どこへ行こうと、暑さは変わらない。
レイジとバハラの身柄は舞台裏に乱雑に置かれていた。つい先ほどまで打ち合わせに大忙しだったトリカは、本番前のわずかな時間を休息にあてる事にした。
ニンゲンがぎゅうぎゅう詰めにされた檻がいくつもある。ここ数週間のうちに、砂漠や壁を超えて土足でイリアーフに踏み込んだ大罪人ども。
いずれも生気を失った目をしている。ニンゲン嫌いの嬉々とした声を聴けば聴くほど、絶望しちまうほどだった。明日はねぇ……と。
「ねぇ、ゼラニウム先生」
トリカは、アンプに見せかけた黒い箱をノックした。
箱を開ければ、白髪が随所に目立つ初老のエルフが入っていた。彼も手錠と足枷で身動きを封じられていた。
ゼラニウム――イリアーフの代議士として20年の古株。トリカが奴隷にされるよりも前から、
「トリカ、お前は何をしているのか分かっているのか? 何を望んでいるのか、理解しているのか?」
「分かるかしら? 貴方の処罰を心から望む市民の声が」
ゼラニウムは、耳を澄ました。大量に集まっている事こそ分かれど、その内容までは明確に聞き取れなかった。
聞く人が聴けば分かるのかもしれない。そう感じたゼラニウムは呆れた。
「お前の茶番劇も、随分とハデになったものだ」
「茶番? いいえ、この上なく素晴らしいショーになるわ」
トリカは、白い歯を見せた。箱を閉めると、スタンバイする。
何度も水を小さく口に含んでは、喉の渇きを潤していた。
段取りは、既に頭に何度もたたき込んだ。後は、実行するだけ。必ず来るであろうフォードを討つだけ。
いよいよ本番が始まる。そんな瀬戸際で、トリカの全身が強く脈打つ。天を仰ぎ深呼吸を一つした。
「トリカさん、緊張されてます?」
「ええ。今回ばかりは、なぜか」
さらに深呼吸をもう一つ。今度は十数万の歓声を浴びるように。
少し落ち着いたところで、トリカは熱気渦巻くステージへと駆け出した。
サーチライトがトリカを照らし出す。中央に立った瞬間、火柱が高く上がり、観客を煽る。
「今日は、私たちのために集まってくれて、ありがとう。私は、トリカ・テハ・ロベリア。今日のショーの仕掛け人よ」
トリカがマイクを取り、言葉を発すると観客が歓喜した。
早速、ニンゲンが詰め込まれた檻がステージへと運ばれる。
「この者たちは、我々を従わせようと侵入してきたニンゲン。万死に値する者の末期をよくご覧なさい!」
ニンゲンが一人、また一人……焼かれて、斬られて、落とされて。
しかし、これだけの事をしても機動隊はエルフ。相手がニンゲンだと分かれば、ただの飾り物。
大物がいないと分かるやいなや、観客たちが少しずつ冷め始めている。
そんな中だるみを解消するかのように、一隻の飛行艇がモーリョ広場上空を飛んだ。
「……予想よりもずっと犠牲が多いな。向こうがそれだけサクサク事を進めてるってのか」
「助けられるなら、普通に助けりゃいいのによォ……。ラークス、お前が色々と考えてるせいだぞ!」
バルディリスは、歯ぎしりしながらラークスに突っかかった。
「それは申し訳ない。ですが、ただ早く助けられたらいいってものじゃないでしょ。安全に、どう助けるか……では?」
「どうでもいいが、お前ら……スピーカーONになってるぞ」
「そこのカルミナ人の皆々様、本日は姫がとんだ粗相をしたようで申し訳ない!」
「あなたたちは……!」
トリカは、上空を見上げた。サーチライトが飛行艇を照らす。その甲板には、エルフと人間、その他もろもろの種族の姿があった。
予想だにしていなかった事態に、観客たちの興奮が再び戻る。
「つまらないものですが、手土産を少々。ヤタさん、ドーラさん、準備を!」
「オーケイ!! こっちはいつでもぶっ放したくて、ウズウズしてたところだ」
ラークスが合図を送ると、ドーラが東洋龍のような姿に変身した。
二人は、バズーカのようなものを抱え、ラークスとフォードを背中に載せると、飛行艇から飛び降りた。
「俺らカルミナ人を恨むエルフどもォ!! お前らにピッタリのサプライズだぜェ!!」
「ドーラ、ノリ良すぎだろ。まあ、いい」
二人は、観客めがけてバズーカを撃った。狙われたエルフたちは、その最期を悟り、天国行きを祈るように目を閉じた。
しかし、彼らが撃ったのは弾ではなかった。ひらひらと舞う写真だった。
「そうか! ハーピー族は、攻撃しようとすれば逆に自分が傷つく種族だから!」
オギリは、足元に落ちた写真を拾い上げた。ボーダレスの集合写真だった。
「降りてきなさい、裏切り者!」
トリカが声を張り上げると、フォードとラークスは舞台めがけて飛び降りた。
「予想よりも少し遅いとはいえ、貴方たちが揃って来てくれるとは。今宵は、もう少し盛り上がりそうですな」
デックは、腕組しながらフォードを睨んだ。
「今さら、何をしに来たわけ? 言いなさい!」
トリカは、予備のマイクをラークスに投げ渡した。
「人間を助けに」
ラークスの言葉に、会場はどよめいた。エルフがニンゲンを助けるなど、見たこともなかったのだ。
「自己紹介が遅れました。俺は、ラークス……アンチサピエンスの裏切り者にございます」
ラークスは、敢えて煽るように言った。アンプがハウリングすると、観客からブーイングの嵐。
その中にあってもなお、ラークスは熱弁を奮おうとマイクを強く握る。
「写真は見られたでしょうか? いい表情してるでしょ? 俺は今、境界無しに属しています。組織を抜けた翌日、砂漠で助けられた縁でして。今日は、そんな素敵な俺の仲間を紹介したいと思います。どうぞ、壇上へ!」
ラークスが手を振ると、飛行艇とオルキヌスがゆっくりと降りてきた。そこから、彼の仲間たちが集まった。
「彼らといて三年……気づいたことが一つ。ちょっと東へ行けば、我々どころかマーマンにハーピー、ロンレン族……等々が一緒になって暮らすオアシスがあったんですよ。ほら、俺達みたいでしょ? そこで、俺達と人間、耳が短いだの利用だのなんだのって、千年も争ってたことが急に小さく思えたんですよ。そんなオアシスが、俺には理想郷に見えて……。そんな場所で生まれ育った彼らだから、そりゃ俺の事だって簡単に受け入れてくれますよね、って。この冒険団に、種族の境界なんてないんですよ」
「いつまで夢物語を続けるわけ?」
トリカは、欠伸しそうな口元を右手で覆った。しかし、熱が入ったラークスの耳には、彼女の飽きは届かない。
そればかりか、熱い思いが溢れまくる。目を潤ませ、嗚咽が混じろうとも、彼のMCは続く。
「ヴェルフさんたち、耳、短いですよ? 魔力だって俺よりショボいですよ? でも、メチャクチャ優しくて……俺がアンチサピエンスにいた事なんかどうでもイイって。この人に助けてもらえなかったら、俺……砂漠で独り、骨になってましたよ」
「ああ。ラークスは、世話の焼けるヤツだったが、コイツには夢があった。それが無ければ、俺達はキャラバンをやめてカルミナ一周、なんて考えもしなかった。コイツの好奇心が俺たちを動かしてくれた」
「ラークスさん……」
オギリは、母親とラークスを交互に見つめる。
「アーテルさんとドーラさんは、とにかく明るくて! 3年の間に笑いシワが出来ちゃいました。ゴブタローさんは、手先がとっても器用なんですよ! 皆、ゴブリンの事を弱いと思ってますけど……」
共にいる仲間の事を想えば、ついつい話しすぎてしまう。
フォードは、ラークスに目配せした。さらに舞台裏を親指で指した。ラークスは、小さく謝るジェスチャーをした。
「すいません、ずっと長々と……。俺は、少し用事があるので外しますね」
そう言って、ラークスはマイクをフォードに手渡して舞台裏へ。それからバルディリスらも続く。
少しスッキリしたステージには、トリカ親子と反ニンゲンの幹部くらい。
「随分と退屈な説得だ……どこまで原稿だったのですか?」
デックは、背伸びしながら訊く。
「さぁな」
フォードは、適当に返した。
「ウソはいけないわよ。どこまでエルフの彼に言わせたの?」
「アレが脚本とか原稿読まされてるように聞こえたんだな。でも、俺にはアドリブに聞こえたぜ?」
フォードは、乾いた笑いとともに、トリカの問いを軽くあしらった。
「随分と、エルフをたぶらかしてくれたわね!」
トリカは、何も言わずにフォードの首を締め上げた。しかし、フォードはすぐにその手を振りほどいた。
今度は、指をピストルの形にした。黒く禍々しいものが彼女の指先に現れる。
「裏切り者と吐き捨てたくせに、とんだダブスタじゃねぇか」
「組織を裏切ったラークスは、嫌いよ。でもね、それ以上に……エルフを甘い言葉で騙す人間が嫌いなのよ!」
「お母さん、もう止めようよ!」
「おい、ガキ!」
「オギリッ!!」
フォードをタックルで突き飛ばしたオギリは、母に撃たれた。
オギリは、前のめりに倒れた。子供が撃たれた事実に、観客がまたしてもどよめく。
フォードが揺り起こそうとも、彼は全く反応しない。
「バルディリス、ガキが撃たれた! 打ちどころが悪すぎる!」
「何だと!?」
フォードが叫ぶと、すぐにバルディリスは応じてくれた。
コメカミの辺りを撃たれ、意識不明の重体。すぐにオルキヌスを飛ばし、その背中で応急処置を施す。
「……嘘でしょ、オギリ」
あまりのショックに、トリカは膝をついた。目の焦点が合わず、手足が小刻みに震える。
「笑うに笑えねぇ皮肉だ……。七年前の俺と同じことをやらかしたな」