第120話 いいヤツを求めて
ルモンド兄弟は、今、カルミナの南半球の上空。一隻の巨大な飛行船が、悠々と空の旅を楽しんでいる。
イリアーフが夏の盛りならば、彼らのいる上空はブリザード吹き荒れる真冬。
船内の大広間。ラークスは、甘いコーヒーをゆっくりと飲んでいた。
この飛行船に乗っているのは、彼だけではない。肌の色どころか、見てくれの壁さえも超えた連中が、この船の中にはいる。
「ヴェルフさん、今日もいい天気ですね」
ラークスは、窓からのぞく雲を見下ろしながら言った。
「……そんな事を言う割には、随分と思い詰めたような顔だが?」
「ヴェルフさん、ホントに俺の事なら何でも御見通し、ってヤツですか?」
「勝手知ったる間柄だ、表情を見れば分かる。大方、こないだ出した手紙の件だろう」
「ええ、届いてるといいのですが」
ラークスは、カップを空にすると、脚を組み替えた。
大広間の大きなコルクボードは、これまでの旅写真で埋め尽くされていた。どの写真も、どの仲間もいい表情で映っており、旅の楽しさをこれでもかと物語っている。
そして、彼の座るテーブルには、描きかけのイラストが何枚も。そのいずれにも、ちょっとした言葉が添えられている。今度は、それらに目をやった。
「気のせいですかね……今日は、やたらと背中が痛い」
絵をパラパラとチェックしてしばらくの後、ラークスは大きく背伸びした。
「気のせいじゃないのカ?」
青髪をミリ単位で短く切った大男が訊いた。
「どうでしょうね? 一度は消したはずの紋章が再びオレを呼んでる。そんな感じですかね」
「なんて非論理的……というか物凄く詩的だな」
ヴェルフは、聞いて損したと言わんばかりに大きくため息を漏らす。
「まぁ、皆さんとの旅を絵本にしようと考えていますから……そりゃあ、ね?」
ラークスは、愛想笑いとともにごまかそうとした。しかし、ヴェルフたちの目は欺けない。
「オマエ、絵本の他にやりたイ事あるだロ?」
「ムリには隠せませんね。どうしてもやりたい事がある、と言えば?」
「己、水臭いこと言うなや! わてら仲間とちゃうんけ!」
いかついタイガーゴイルの男が、ラークスの胸倉をつかんだ。
「ランディさん、ありがとうございます。皆さんを巻き込んで申し訳ないけど、イリアーフの事です」
「ラークスのやりたい事があるなら、今すぐにでも進路を北西方面へと変更するが?」
「ヴェルフさん、随分とあっさりしてますね」
ラークスは、急な進路変更に驚いた。
「まぁ、わてら蛇行しとるし。直線距離でイリアーフ言うたら数時間くらいやろ」
「それと、今しがた依頼が来たところだ。……フォードの一味なる連中からだ」
ヴェルフは、冒険者パスに表示された依頼を見せた。
「人間の仲間を助けるお手伝いですか。あの女の趣味の悪さ……相変わらずですね」
依頼分を読み終えたラークスは、トリカの変わらなさに呆れた。
「ああ。大量の客を入れて、公開処刑。さらに、ヘリで各地に中継。とんでもない計画だな」
「せや! その中継、逆に利用したったらエエねん。奴らがどんだけしょーもないか、目にモノ見せたらぁ!」
「ええ。今こそ、恨みの系譜を断つときです」
ラークスは、拳を握りしめた。
ルモンド兄弟率いるボーダレスは、進路を北西へと変えた。
全速前進、フォードの待つイリアーフへは11時頃に到着予定。大半の事は言質でフォードと会わねば分からぬことばかり。それでも、出来ることはあった。
「さて、やりたい事は山積みですね。まずは、コレのコピーを。できれば……うんと沢山!」
ラークスは、この旅で撮った写真の数々を指した。それも、満面の笑みで。
「おい……それ、今すぐやる事か?」
ヴェルフはアルバムをパラパラめくりながら苦い顔をした。
「おい、リーダー笑えや! ちょうどこの写真みたいによォ!」
「今、それどころではないだろ! 人の命がかかってるこの状況で……!」
ヴェルフは、なおもしかめっ面だった。
「ほらほら、笑って笑って! いつも言ってるだろ、逆境だろうと何だろうと笑って楽しめ……ってね!」
「おい、アーテルやめろ! 痛い痛い」
アーテルは、細くしなやかな褐色の手で、ヴェルフの頬を無理に引っ張った。
「お前ら、楽しみすぎだろ! これから行く場所はライブじゃない、きょうびマジモンのヤクザでもやらないような虐殺ショーだぞ」
ルモンドは、アーテルの手を振りほどいた。普段は笑顔がモットーでも、戦場に身を投じる者の表情は険しかった。
「ただ姫を倒すだけじゃダメな気がするんです。……直感ですけどね」
「兄者ヨ。下手な政治家よりモ支持されてル事を考えれバ、イリアーフに根付いタ思想を考えれバ……」
「カイゼ、それは分かっている。ラークスがそれを嫌って出て行って、砂漠で死にかけたからな」
「もう3年前ですかね、その話。でも、そうして出て行ったからこそ、こんなに愉快な皆さんと出会えたんですから」
過去の古傷をえぐられたラークスだったが、それさえも笑い飛ばしていた。
◆
3年前、アンチサピエンスの本拠地。タンジーを亡くし、政府とレイゾンの連合軍で消耗したが、アンチサピエンスは少しずつ力を取り戻しつつあった。
それでも、以前のように一枚岩というわけにはいかなかった。傘下も仲間も増えたが、トリカに同調できる者の数は大して増えたわけではなかった。
そして、古株のラークスもまた、異を唱えるために意を決してトリカの部屋を訪ねるのであった。
「トリカさん。俺、時々思うんですけどね……」
「何よ? 怖がらないで話しなさい」
彼女は、ロッキングチェアに揺られながら言った。視線は、抱えている娘にあって、ラークスにはなかった。
「俺は、ニンゲン……いや、カルミナ人の事を知らなさすぎるんじゃないかって。生まれてこの方、イリアーフを出た事がないですし」
「何が言いたいの?」
トリカは、ようやく振り返ってくれた。だが、その氷のような眼差しに、ラークスの唇は震えた。
「一度ここを離れて、旅に出てみたい……そう思いまして。俺たちの知らないカルミナ人に出会ってみたいんです。本物の人間を知りたい」
口から心臓が出そうになる感覚を抑え、ラークスは恐る恐る言った。
すると、トリカは立ち上がった。娘をベッドに寝かせて、ゆっくりとラークスに近づいた。
「……あなただけは、何があっても裏切らないと思ったのに」
ラークスの耳元、低くくぐもった声でささやいた。
「お言葉ですが、それはトリカさんの勝手な思い込みでは?」
ラークスは、ようやく恐怖を取り払えた。毅然とした眼差しでトリカを睨み返した。
トリカは、奥歯にグッと力を入れた。それから、ベッドを一瞥した。娘が寝息を立てて眠っている。
「……これ以上何か話したいなら、場所を変えましょう。子供たちを起こしてしまいそうだわ」
「ええ。話し合いは、少し頭を冷やしてから……俺もあなたも、いくばくか興奮しているようですし」
ラークスは、トリカの後ろをついていった。
場所を変えて、ダイニング。トリカとラークスは、バーカウンターを挟んで向かい合った。
トリカは、天然水を入れたグラスを荒い音を立てながらラークスに渡した。
「私たちに助けてもらった恩、ここに身を置いてもらっている感謝まで忘れたのかしら?」
「助けてもらった恩は、今でも忘れちゃいませんよ。しかし、最近のあなたは、どうにも過激だ。この前なんて、チェーンソーで四肢や顔を切り刻む様子を中継。いつから、そんな悪趣味な未亡人になられたんですか?」
ラークスのその口調に、敬意はなかった。字面だけの敬意に、トリカのコメカミに青筋が浮かんだ。
そんな彼女に、怒りに油を注ぐがごとく、ラークスはつづけた。
「タンジーさんを亡くしてから……さらに、お嬢ちゃんと暮らすようになってからおかしいですよ!」
「邪知暴虐の限りを尽くすニンゲンへの制裁、及びニンゲンに与する敵を処罰する。どこがおかしいのかしら?」
「後者に至っては、我々エルフと同じじゃないですか。血もルーツも……平和を願う想いさえもッ!!」
ラークスはたまらず凄んだ。しかし、トリカはそんなのどこ吹く風だ。
そればかりか、小馬鹿にしたように笑い声をあげる。
「先ほどの言葉、そのままお返ししましょう。何かおかしな点でも?」
「まさか、私の身近に討つべき敵がいたなんてね。気づけなかった私が愚かだったわ」
「俺は、あくまで同胞の自由を求めて戦っているだけです。誇りがどうとか、かつての土地がどうとか……そんなものに拘っているわけじゃない」
ラークスの想いが、トリカの逆鱗に触れた。
「よくも私を欺いてくれたわね。この裏切り者!」
トリカは、噛みしめるように吐き捨てた。それから、ポケットからデリンジャーを取り出すと、すぐにラークスを狙った。
ラークスには、寸前でかわされた。銃口の先にあったシャンデリアの一部が撃ち抜かれた。
「サヨナラ、プライドの無い腑抜け。二度とエルフを名乗らないで」
「やれやれ、随分と手荒い見送りですね。まさか、違う火花で見送られるなんてね」
ラークスの思う別れは、切り火。火打石を叩いて出た火花を浴びることだった。それで「お前さん、行っといで」と檄を飛ばしてくれることをいつか夢見ていた。
しかし、現実は非常。冷や水を投げられ、ガラス砕け散る水差しだった。
「何処へでも行きなさい。そして、思い知りなさい……カルミナの果てまで旅しても、あなたの捜し人がいない事を」
「カルミナ一周してでも、俺は探しますよ。それでダメなら、一生を棒に振ることになってでも……!」
ラークスは、自室に戻るなり、すぐに荷物をまとめた。荷物整理には一時間とかからなかった。
少し大きめのバックパックには、保存食と水と衣類くらい。
ラークスがこの本拠地を出ようとしたとき、トリカが腕を組んでその背中を睨みつけた。
凍てつくような視線を感じながらも、彼が振り返ることはなかった。
「お見送りは結構。短い間でしたが、どうもお世話になりました」
ラークスの姿が消えた後で、トリカは毒づいた。
「……いるわけがない。いていいはずがない! ニンゲンに良いも悪いもないわ。等しくゲスなだけよ」
トリカには、理解できなかった。ラークスも自分もニンゲンに痛い目に遭わされた。それなのに、人間を信じられる心が想像できなかった。
◆
アンチサピエンスを抜けたラークスは、イリアーフから北東へと出た。
見渡す限りの砂の海。彼にとっては、これが初めて見る風景だった。心躍る方向へ、自由に、自由に……。
しかし、初めての砂漠。数時間も経てば皮膚が低温火傷するほどの熱風が吹き荒れる。薄い半袖一枚で来た事を彼は後悔した。
大量に持ってきたはずの水も、早くも3割以上を消化。ぎらつく日差しの中、ラークスは倒れてしまった。自分は、このまま死ぬのだろう――そう悟ったとき、一筋の光明が差した。
「兄者、あそこに独り……倒れていル者が」
「急げ、進路変更だ! このスサナンド砂漠で誰かを死なせるわけにはいかん!」
ラークスのピンチに気づいたのは、ニンゲンだった。
しかし、ずっと猜疑心の中に身を置いていたのか、その救いの手を素直に受け取ることはできなかった。
「た、助けてくれるのですか?」
「当たり前だ、砂漠で野垂れ死にそうになってる者を見過ごせるか」
ラークスがたまらず訊けば、男は眉間にシワを寄せた。
「ですが、俺はアンチ……」
「それがどうした。そんな事より、イリアーフのエルフのくせに、砂漠ナメ過ぎだ!」
薄いシャツが透けた背中には、アンチサピエンスのマーク。しかし、ルモンドは意に介さなかった。
強引に荷車の中へ、ラークスをぶち込んだ。ルモンド達が目的地へ向かう道中、彼らは笑っていた。
一緒にいる仲間は、個性の坩堝と言っても過言ではないほどだった。肌の色も体格も、持っているモノさえも違った。
タイガーゴイルにゴブリン、ヤタガラスのハーピー族、東洋竜の亜人
兄弟であるはずのヴェルフとカイゼ。彼らでさえも、髪の色は微妙に違うし、体格も弟の方が一回り大きい。顔もそこまで似ているとはいいがたい。
そこでラークスは思い知った。耳が長いのか短いのか、魔力がどれほどあるのか――そんなのは些事だと。
ラークスが運ばれたのは、スサナンド砂漠南東に位置するオアシス。石造りの建物の谷間を行く人々は、やはりルモンド兄弟たちと同じように種族を超えた連中ばかり。
彼は、そのオアシスにある病院で治療を受けることになった。その病室で、一枚の写真がふと目に入った。それは、この町にいる者たちの集合写真だった。
「はは……こんなにすぐ傍にいたのか。ちょっとイリアーフを出ればすぐ、こんなにも個性的な人が集まっている」
思いがけない出会いに、たまらず乾いた笑いが出てしまった。
その写真には、ずっと見ていたいという魅力があった。どんな種族の者たちがいるのか、それを隅から隅まで確かめたくなった。
しかし、しばらく見回していても、ラークスと同じ者の姿はなかった。この輪にエルフがいないことにショックを覚え、ため息をついたときだった。
先ほど助けてくれたルモンドたちが見舞いに来てくれたのであった。
「自分、行くアテが無いっちゅうんなら、ワテらと来いや!」
「いいんですか? そんな事、勝手に決めちゃって……」
ラークスが訝しげにすると、アーテルは迷わず肩を組んできた。
「いいよ、ヴェルフ達の提案だから。アンタなら、みんな大歓迎だろうってね。この写真のように、あたし達の輪に入れたら……なんて思ってんだろ!」
「それはそうですが……」
ラークスは、なおも躊躇った。
「自分、アンチサピエンスやったんを気にしてるんやろ? でも、ワテらな……お前のこと、よう知っとるで。組織の中にいながら、エルフの解放の時しか戦わへんヤツがおるってな」
「おおよそ、そりが合わなくなって出て行った結果、今に至る。そんなところだろ?」
「ええ。ですが、入る前に一つだけいいですか?」
「どうした、何か問題でもあるのか?」
「この背中の事ですが……勢いでつけた事、後悔してるんです」
ラークスは、アーテルの腕から抜け、背中を見せた。
「そんな小さい事を気にしてたんだ。人にNOなんて、さっさと消せばいいじゃないか」
アーテルは、ラークスの背中に平手打ちを決めた。“人にNO”にさらにNOを突き付けられ、ラークスの目が醒めた。
「その背中のタトゥー、消すなり書き換えるなりすればいいだろ!」
ヴェルフは、子供のような笑顔でラークスを勧誘した。
「ヴェルフさん、何か喜んでません?」
「当然だろ、エルフと人間が一緒のキャラバンだぞ。伝説の冒険王と一緒だぞ」
多種多様な仲間と一緒にいるヴェルフにとっても、これは心躍る出来事だった。
これで、ジェネラル・オルエスと同じになれると思うと、ラークスの回答に期待せずにはいられなかった。
「……デ、来るのカ? 来ないのカ?」
「まさか、イリアーフのすぐお隣に本物の人間がいたなんてね。皆さんさえよければ、是非とも御一緒させてほしいです」
ラークスは、カイゼと熱い握手をかわした。その後、ヴェルフと握手を交わすと、仲間たちに揉みくちゃにされながら一枚の写真を撮った。
その数か月後、新聞の一面にラークスが載っていた。人間の兄弟と一緒のところは、イリアーフにも届いた。