第117話 七年前の清算 B面
レプラの街を抜け、フォードの一味は進路を西に取り続ける。
目的とするカロイ・ラマまでは、およそ280キロ。出来る事なら、今日の夜には着いておきたいところだ。
しかし、エルフの目は、一部が冷たい。残りは、奇異の目。ニンゲンを知らぬがゆえに、どこか恐怖したような目。
共通項は一つ。ニンゲンを警戒している事。
それは、ニンゲン側とて同じである。
ロベリアーズのような暴徒を警戒する、フォードとレイジ。しかし、アニキはどこか上の空。ずっと何かに思いを馳せている。
カイロが過去の事を訊けば、7年前に何かあった事を匂わせる言葉を返した。詳細は、無し。
レイジが訊こうとも、返ってくる言葉は同じ。
「フォードはん、交代やで」
見張りの交代に、アザミがやってきた。
「いや、俺はいい。もう少し風に当たらせてくれ」
フォードは、振り返らずに言った。その口調はどこか物憂げで、背中には悲哀すら感じられた。
「あんた、一昨日からほとんど寝てへんやろ? いいから少しは休んどき!」
アザミが強い口調でフォードの身を案じても、フォードの目線は遥か後方。
スサナンド砂漠を超える前の日は、準備に追われていた。昨日も、夜盗を警戒してほとんどの時間を見張りに費やしていた。
寒暖差の激しいなかでの睡眠不足。普通なら、倒れていても不思議ではない状況。しかし、フォードの体調にほとんど変化はない。
「フォードはん! 聞いてんの!」
「アニキ! やっぱり、朝からおかしいって!」
「だから、俺の事は心配いらねぇ。色々思うところがあって、少し頭を冷やしたい。だから、風に当たってるんだ」
どれだけアザミが諫めようとも、フォードは最初から譲る気はなかった。
そんなフォードに吹いた風は、決して気持ちのいいものではなかった。生ぬるく、工場からの排ガスを含んだ、あまりに澱んだ風だ。
「あんたがそこまで言うんならええけど。当たり過ぎも毒になるで?」
「……大丈夫だ。それより、お前はレイジと交代してくれ」
「アニキはいいのか?」
「気にすんな。いざという時は呼ぶから、それまでお前は休んでな」
どうしても心配だったレイジだったが、ジャンク・ダルク号の中へと戻っていった。
昨日からの疲れが溜まっていたのは、弟分とて一緒だった。過酷な600キロを超えたかと思えば、種族を超えた抗争。
今は、ゆっくり出来る。そう思いながらソファーに身を投げれば、すぐに眠りに落ちてしまった……。
進路は順調。市民の姿こそあれど、襲ってくる様子もない。警戒しているのが馬鹿らしく思えてくるほどだ。
すれ違う人が減っては、また増えていく。また、大きな都市が近づいている。
それでも、人を拒絶する意思が消えたわけではない。壁や看板への落書きはもちろん、道行く人のTシャツにも……。
「アザミ、気づいたか? アイツらの目……」
そんな風景に、フォードは違和感を覚えた。
「今朝の人らとは何か違うね。なんか、こう……恨みとかやなくて微妙に気になってるような、そんな感じの」
よく分からずに、あのTシャツを着ている。その感覚は、ファッションであろう。
日本人が適当な英文が書かれたシャツをオシャレと思って着るような、その程度の感覚に近い。
「よく考えりゃ、ここらの住民は俺たちをよく知らねぇもんな。俺たちがどんな奴か……値踏みしてるような目だぜ」
「何も知らへん。せやからこそ、あんな目なんかもな」
「ああ。そして、俺は何も知らねぇエルフを……」
フォードは、言いよどんだ。
「そういえば、フォードはん。その事で揉めてはったん?」
「なんだ、聞いていたのか」
フォードは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「正しくは、聞こえてきた……や。フォードはんに何かあったんやろうけど、言いたくなかったらそれでエエよ」
「いや、お前になら話せそうな気がする。付き合いも長くて、俺なんかよりオトナだ」
「担ぎすぎやで。でも、聞かせてもらうで……あんたの昔話」
アザミは、期待のまなざしをフォードに向けた。そのフォードは、煩わしそうにアザミの視線をかわした。
「酒の肴になるような話でもねぇよ……」
フォードは、イケズな皮肉を返した。それから、彼は7年前を振り返り、語り始めた。
◆
時はさかのぼること7年前。フォード、当時14歳。
彼は、レイゾンでメキメキ戦果を挙げる新進気鋭の兵士だった。彼の所属する部隊は、連日のように彼の功績の話題で持ちきりだった。
先日も、ウーリンのマフィア相手に大金星を挙げたばかり。フォードを囲って、皆がやいのやいの行ってくる。
「フォード、お前はすげぇな。ジャガルの親分討っちまうなんてよ」
「ホントだったら、俺の手柄だったってのによ」
「やめろ、たまたまだ。そう何度も担ぐなって。もういいだろ、その話……何回繰り返すつもりだ」
フォード少年は、照れをごまかそうと笑った。
「おい、お前ら! いつまで談笑してやがる。もう寝る時間だぞ」
「げっ! ドゥバン中将だ」
「だって、アニキ……こいつら、ずっとしつこいんだぜ?」
「屁理屈はいいから、さっさと寝ろ。今度の任務は、そんなシロミネ組よりも恐ろしい相手だ」
「アンチサピエンス……。これ、ホントにエルフの額かよ!」
手配書をパラパラめくっていたフォードは、たまらず訊いた。
「ああ。全部、エルフだ」
「んで、気味悪ィ趣味してんな……。何なんだ、この変なマーク」
額面に対してもそうだったが、フォードは彼らの写真にも違和感を覚えた。
人にNOを突き付けるマークを、誰もが身に刻んでいる。それほどまでに怨恨ないし、拒絶の意思が強いことが分かる。
「“夜叉エルフ”トリカ・テハ・ロベリア、674万1千ルド……何度見ても、よくできたコラにしか見えねぇ」
「タンジー亡き後のアンチサピエンスを取り纏めている女だ。そして、この組織だが……」
「最近は、余計に過激になってる。そうなのかよ?」
「ああ。信じたくねぇ話だが、この女は同族さえも私刑に処するってウワサだ」
「で、そんなヤベェ奴を止めるために、俺達が呼ばれたってわけか?」
フォードが訊けば、ドゥバンは首を強く縦に振った。
ニンゲンどころか、エルフにとっての脅威。だからこその額面だった。
「そうだ。今回の遠征にあたって、イリアーフ政府からは“市民を撃つな”と要請があった」
「なんだ、いつもの事じゃねぇか」
「その“いつもの事”がどれほど重大な事か……分かってねぇな」
ドゥバンは、余裕を見せるフォードに毒を吐いた。
その天狗は、「分かってる」を何度も繰り返し、アニキの説教を聞き流した。
レイゾンが今いる場所からイリアーフまで、全速全身でも2週間ほどの移動時間を要した。赤道を超え、さらにヴァレアーフの壁を超えた先。
イリアーフはニンフの街、アンチサピエンスのお膝元。レイゾンが到達したころには、すでに政府軍が戦っていた。
しかし、政府軍もアンチサピエンスを相手に攻めあぐねており、軍は疲弊の一途をたどるだけだった。
そんな折の加勢、政府軍からは感謝をもって受け入れられた。形勢逆転……とまではいかずとも、少しずつ戦線を押し上げる形に。
しかし、加勢があったのは政府側だけではなかった。アンチサピエンスの傘下を名乗る連中も、当然ながら参戦。
一進一退の攻防は、数日間続いた。ようやく、本丸への進路が見えてきた。
頭領自らが戦線に立ち始めたとの情報が、諜報部隊から寄せられた。同胞を次々とやられて、黙っていられなかったのだろう。
「アレが、例の夜叉エルフ……」
フォードが覗き込むスコープの先には、金髪のエルフの姿。胸元には例のマーク。そして、右わき腹には猛禽類の頭と紫の花の刺青。
一発の下に打ち倒す……そのプレッシャーが、フォードの呼吸を速めた。功績は目の前、銃身を支える手が震える。
大金の近くには、赤子を抱える母親。恐らく、この親子はトリカの誘導で逃げようとしているのだろう。
「落ち着け、俺! しっかりしろ、俺! 武者震いを抑えるんだ……ッ!!」
何度も自分に言い聞かせ、震えをごまかそうとした。
言葉通り、心臓が口から出そうな感覚。それに耐えながら、震えが止まる一瞬を狙った。
「やった……か?」
フォードは、もう一度スコープを覗き込んだ。
左肩を押さえて、痛みを堪えるトリカの姿があった。そして、恐怖して動けなくなった母子の姿も。
狙いは悪くなかったはずだった。しかし、引き金を引いた一瞬、また震えてしまったのだ。
「ちっ、外したならもう一発……!」
血気に逸ってしまった。震える手で、銃身がブレてしまった。
流れ弾は、母親の頭を貫いた。後悔するよりも先に、無垢なる市民の命が絶たれた。
フォードの震えの意味が変わった。スコープには、自分を睨んでくるトリカの姿。フォードは、たまらず銃を放り投げた。
「どうした、フォード!」
「アニキ……俺、殺っちまった」
フォードは、かすれた吐息のように返事した。
「トリカをか!?」
「いや……ただの市民を撃っちまった」
事の重大さが今になって分かったフォードは、顔面蒼白。誰にも顔向けできず、うつむくばかり。
フォードのファンブルがきっかけで、アンチサピエンスの本隊が仕掛けてきた。
「あれほど市民を撃つなと言った筈だ! お前に銃は5年早い」
ドゥバンは、フォードからライフルを取り上げた。
戦場で説教されたフォードは、いかに自分が天狗だったかを思い知らされた。
「アニキ。俺は、俺は……ッ!!」
フォード自身は堪えたつもりだった。しかし、目が潤み、熱いものが流れていく。
「悔いる暇があるなら、目の前の敵に集中しろ! ここは戦場だ、油断した奴から先に死ぬ場所だ」
「あら、私を撃って恐怖したボウヤじゃない。そんなに目を赤くして、どうしたのかしら?」
トリカは、フォードの顎を親指で持ち上げると、妖しく笑った。
見目麗しいエルフであったが、どこか不気味な雰囲気のある女。フォードは、そのような印象を抱いた。
「私は、あなたを絶対に許さない! 何があっても」
トリカは、フォードの胸に強い蹴りを入れた。怯んだすきを狙って、今度は地獄突き。
フォードは、ひざまずいた。何度もせき込んだ。それから、乾いた笑い声とともに、自分を皮肉する。
「はは……俺だって、許せねぇよ。自分のことがよ」
◆
「……結果は両陣営ともに被害甚大。痛み分けという形で一旦は収束したはずだった」
「それでも、向こうからしたら大金星。かえって勢いを強めてまう結果に終わった……いうわけや」
「俺がしくじらなきゃ、下手な鉄砲を撃たなきゃ、今頃はあの組織も壊滅してた。」
「それで、アニキはどうしたいの?」
「レイジ……聞いていたのか。どこから?」
急にレイジが起きてきたので、フォードは焦った。
「ほとんど全部。姐さんと真剣に話してたから、つい目が覚めた」
「あの事件があったから、俺はもっと強くなろうと思った。7年経った今も、あの親子がたまに夢に出てくる」
フォードは半袖ジャンパーの胸ポケットから、小さい筒のようなものを取り出した。誤射した後の、空っぽの薬莢だ。
たとえ誤射であったとしても、流れ弾であったとしても。決して市民を撃たない、その戒めのために7年間持っていた。
「アニキ?」
レイジは、感慨に浸るフォードに答えを急かした。
「ああ、どうしたいか……って話か、ここに来たからには絶対にやりたい事がある。あの頃の子供が成長してれば、おそらく8歳前後だ。その子供に詫びを入れたいんだ。そいつが覚えてるかどうかは、別にどっちでもいい。そうしなきゃ、俺の気が晴れねぇ」
「それで、さっきから子供の顔ばかり見てはったんやね。でも、それって自己満足やないの? 知らぬが華、って可能性もあるで?」
「じゃあ、その子を育ててるヤツでもいい。どんだけ言葉重ねても、俺の罪科が消えるわけじゃねぇけどな」
フォードは、戒めの薬莢を握りしめた。
「分かっててやるんかいな……」
アザミは、呆れた。
「でも、何もしないよりマシだと思う」
「そら、そうやろうけど……」
かえって怒らせる結果、遺恨をより深める事態。それを案じていたアザミだったが、フォードの意志の強さを鑑みれば、とても言えなかった。
「俺からも、もう一つ質問いい?」
「どうした?」
「今度こそ、あの組織を……! って思わなかったの?」
「軍を抜けた今、俺にそんな力はねぇよ。いくら俺でも分が悪すぎるっての」
フォードは、欠伸を交えながら答えた。
「昔話聞いてもらったら、急に眠くなっちまった。レイジ、さっきはナーバスになっちまって悪かったな」
フォードは、何度も目をシバシバさせながら言った。もう、眠気が限界だった。
「ほな、後はウチらで何とかするから。ゆっくり休んどき」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
そう言ってフォードは、ジャンク・ダルク号内のベッドで横になるのであった。