第116話 憎悪の奴隷 Ⅳ
トリカがアンチサピエンスに救われてから3年近くが経った。二人は、長い付き合いの末に結ばれた。
二人の仲は、組織の内外を超えて――世間の知れ渡るところとなった。
自分らしく生きられるイリアーフを求めて戦う姿に、民衆は少しずつ魅せられた。
「どうか、どうか人間との絆を……!」
イリアーフ首都・リャナンは、モーリョ広場。広場の中央には樹齢400年ほどの大樹が根付き、その手前には人間とエルフが手を取り合う巨大な石像が建っている。
しかし、長い年月を経たのか、はたまた汚れた雨が降る影響なのか、その石像の細部は朽ちていた。今となっては、二人の表情を読むことなど出来ない。
その石像付近でマイクを掲げ、ニンゲンとの絆を訴える活動家の姿があった。しかし、市民は素通り、耳を貸してはくれない。
「俺たちを蹂躙しようって連中と馴合いだと? 冗談じゃねぇ!」
そればかりか、活動家に石を投げヤジ飛ばす者も現れた。
「てめぇらからしたら大悪党かもしれねぇけどよ……アンチサピエンスの連中の方が支持できる。アイツらの方がスジ通してる!」
「ご存知の通り、彼らは七ケタの賞金首がいる大悪党です。イリアーフの平和を壊さんとする過激派組織。今や、その影響力は国内外に及ぶほどです。犯罪者集団を支持するような事があってはなりません」
政治家がいくら危険性を訴えようと、市民のヤジも石も止まらない。
円滑な演説にするため、機動隊が現れる事態となった。下手なクーデターよりも苛烈な乱闘が繰り広げられた。
「俺たち、随分な言われ様ですね……。俺、腹が立って仕方ねぇんですよ」
「好き放題言わせなさい。百ある言葉は、一つの行動より信じられないものよ」
トリカは、クーデターも政治家も冷たい目で見ていた。
「お嬢、珍しいっすね。明日は、大荒れの天気かな」
「やっぱり、頭領の影響……?」
男は小指を立ててトリカを茶化した。
◆
アンチサピエンスが活発化するのと比例するかのように、トリカとタンジーの愛も深まった。
彼女が来てから4年、二人は幸せの最高潮を迎えることとなった。
いち早く今日の活動を終えて、急いで病院にかけるタンジー。不安と喜びとを半分こしたような顔をしていた。
彼女の病室に着くころには、胸の高鳴りが自分の中で響いているような気さえした。
「トリカ! 頑張ったな!」
タンジーは、ベッドで横たわるトリカの手を取った。
「ええ。こんなに、こんなに可愛い男の子が……!」
トリカは、生まれて間もない子供を抱えていた。
「ほら、あなたにソックリ。目元なんて、特に……」
「そんなに似ているのか?」
「ええ」
トリカは、タンジーに赤子を抱かせた。傷一つない青い目で、赤子は父親を見つめる。
父親は、思わず苦笑い。
「それで、名前は決めているのか?」
「ええ。オギリ――それが私たちの子供の名前よ」
「そうか、オギリか。俺たちは、この子の未来のために戦おう」
「ええ。私たちの代で成せなくても、この子が大きくなれば……!」
しかし、オギリの誕生から一年が経ったある日のことだった。訃報は、突然訪れる。
相手が悪かった。シバレー軍との抗争でのことだった。アンチサピエンスの4割近くが犠牲に。そして、犠牲者の中に……。
「ウソでしょ? 犯人は誰なの!」
「……シバレー軍、ニンゲンでした」
ラークスは、涙ながらに答えた。悔しさと悲しさとが入り混じり、とめどなく流れ落ちる。
ニンゲンに怒るべきか、主人を悼んで泣くべきか。それが分からず、トリカは苦悶の表情。
オギリが泣き叫んでいる。いつものようにあやしても、その声は大きくなる一方。
「トリカさん。どうか、お気を確かに」
「…………」
もっと、オギリが成長する姿を見せたかった。まだ、ハイハイも言葉もままならぬ子ども――それを残して逝くことを想えば、胸が張り裂けそうだった。
泣きたくても泣けない彼女は、しばらく絶句したまま子供をあやした。放心状態に近い彼女を、メンバーが心配そうに見つめる。
何か声明を――そんな状況ではないと分かっていても、目で求めてしまう。
その視線の数々に耐えきれなくなり、トリカは低く蚊の鳴くような声を発する。
「主人のためにも、私たちは戦い続けなければならない。イリアーフの平和を勝ち取るために! ニンゲンに侵略されないためにも!」
だが、その小さな小さな言葉は、残されたメンバーの耳に届いた。
「それから、頭領から貴女へ……」
ラークスは、メモのようなものをトリカに渡した。
「自分が死んだと知っても、暴走しないでほしいと。そして、この組織の全てを託す……。皆は、それでいいの? 私なんかについて来てくれるの?」
「はい、タンジーさんの意志は我々の総意ですから!」
タンジーの遺志に半ば沿うように、トリカが新しく頭領の座に就くことになった。
しかし、もう半分に沿うことは出来なかった。彼女の人嫌いは、主人が凶弾に倒れた事で加速してしまった――。
目に映るニンゲン全てが敵に見えた。彼女のニンゲンを見る目は、奴隷時代のそれと同じかそれ以上に憎悪に満ちたものだった。
ニンゲンと仲良くしたい、という派閥のエルフを手にかけた。しかし、どれだけの返り血を浴びようとも、その復讐心まで満たされることはない。
◆
「私は、今でも……撃ったニンゲンが憎い」
そして、現在。十年経ってもなお癒えぬ傷を抱え、夜叉は戦い続ける。
今でも涙する日がある。そんなただならぬ精神状態を察してか、一人になった部屋の戸をオギリが開けた。
「お母さん……?」
「ああ……オギリ!」
「どうしたの? 泣いてるの?」
「あなたたちだけはどこにも行かないで。私の側にずっといて」
「お母さん、苦しいよ」
強く抱きしめられたオギリは、ただただ戸惑うだけだった。
「今日のお母さん、おかしいよ。何かあったの? 大丈夫なの? ヤなことあるなら、話してよ。僕でいいなら、何でも聞くしやるよ?」
オギリが何度も心配すれば、トリカは首を横に振った。それからオギリを離すと、目頭を親指で拭った。
「あなたの顔を見たら、何となく大丈夫な気がした……。お母さんなら、もう大丈夫だから」
頭領として、一人の母親として、しっかりせねばならない。彼女は、スッと立ち上がった。
「ムリしないでね。いざという時は、僕らがいるんだから!」
オギリは、リストバンドのマークを見せた。
「ええ。だったら、一緒に来てくれるかしら?」
トリカが訊くまでもなく、オギリはうなずいた。
場所は変わって、会議室。議題は、やはりイリアーフに来ているニンゲンのことだった。
ニンゲンをどう討つか――毎度毎度、話のネタはこれである。だが、今日のトリカは表情が険しく……。
「今朝、スサナンドから入ってきたのがフォードの一味ですが……」
男の一人が、恐る恐るフォードの記事をホワイトボードに貼る。その名に尻込みする者も少なくはなかった。
だが、頭領トリカとその息子は、毅然とした態度だった。特に、トリカは異様に気合が入っているようにも見受けられる。
「答えは一つしかないじゃない。フォードの一味の全滅……それしか考えないわ」
「しかし、相手は元レイゾン……それも将軍の右腕だった男ですよ?」
「たかがニンゲンの組織名。それに恐れを成すものは、今この場を去りなさい。どう全滅させるか、議題はそれなのでしょう?」
「それもそうですが……」
まるで恐怖政治。トリカの気迫の前に、大半の者が動けなかった。
そんな中、彼女の右腕ともいえるデックが手を挙げる。
「フォードの一味相手にリスキーもいいところですが、人質作戦しかありませんね。夜襲を仕掛けて、特に戦えそうにない者を連れ出す」
「デックさんと僕らなら、多分上手くやれるかも。騙し討ちみたいで気が引けるけどね」
オギリも、子供なりに一計を案じているような口ぶりだった。トリカは、一瞬驚いた。
「だったら、ニンゲン相手に容赦しない方がいいわよ。それがフォードとその仲間なら尚更よ……」
トリカは、オギリの両肩を掴みながら言った。
アンチサピエンスとして頼もしく思える反面、親としてはどうしても心配でたまらなかった。
「うん! 僕たち、頑張るよ」
オギリは、力強い言葉で返した。
「デック、ちょっと心苦しいけれど……」
「ええ。ご子息は、必ずや!」