第111話 荒れ果てたエルフの街で Ⅰ
「報告です、トリカ様。我らがイリアーフに、ニンゲンが入ってきた模様」
「そんな事、わざわざ報告するまでもないでしょ。直ちに処罰なさい」
トリカと呼ばれた女は、表情ひとつ変えずに返した。
細くしなやかながら筋肉質な彼女の腕には、文字のようなものが刻まれていた。
長い耳に、絹糸のような金髪。そして、胸元には“人”と“NO”の文字を混ぜたようなマークのタトゥー。
人を拒絶するという、彼女の意思表示である。
「しかし、トリカ様も随分と趣味が悪い。すぐに処罰とは」
「ここは、私たちエルフの土地。それをニンゲンから守るのは当然のこと。何か不服でもあるのかしら?」
彼女のサファイアのような目は、氷をも思わせるほどに冷たかった。
「いえ、いつものあなたなら」
「……そういう事ね。最近、見せしめの拷問にも飽きたから」
トリカは、冷淡な笑みを浮かべた。
「流石は“夜叉エルフ”とあだ名されるだけの事はある」
「なんて残忍な……いや、ニンゲン相手ならそれでも足りないくらいか……」
「まだ何か?」
トリカの静かな口調にも、威圧感は現れていた。
「い、いや……」
部下のエルフは、凍てつく視線に耐えきれず彼女から離れた。
「夜叉……それが何か分からないけれど、私は」
一人になった部屋で、彼女は胸のタトゥーに右手を当てた。
「私は……! イリアーフに来るニンゲンを滅ぼす! ニンゲンの施しの全てを壊す!」
人間嫌いの中でも、さらに異端なエルフ。人間であれば無条件に惨い処罰を下し、人間からの施しを拒絶し、人間が支援してくれたものを壊していく。
そうしてニンゲン側からつけられた二つ名が“夜叉”。イリアーフにいるエルフの中でも、指折りの過激派である。
彼女はトリカ・テハ・ロベリア。その残忍さと狂暴さからつけられた懸賞金は、1420万ルド。
「女は鑑賞用、男は労働力……。なぜ、我々よりも寿命の短いニンゲンが我らエルフを牛耳る……ッ!!」
トリカは、壁を殴った。石造りの壁でありながら、拳の跡がまた一つ……くっきりと刻まれた。
「私が……私が変えなきゃ! ニンゲンに支配されるエルフ、という常識をッ!!」
握る拳に、なお力が入る。
一度こうなってしまえば、気のすむまでニンゲンを殺さなければ収まらない。
しかし、今ここにニンゲンはいない。壁を殴り、鬱憤を晴らしていた。
「お……母さん?」
あまりの騒音に黒い髪の小さな女の子が入ってきた。
さらに、その後ろから彼女より少し背が高い金髪の少年。
「どうしたの? クロユリ、オギリ」
「ううん。すっごく怖い顔してるけど、大丈夫なの?」
クロユリは、目を潤ませた。唇が震えていた。
「…………」
トリカは拳をほどき、膝をついて目線を合わせた。
「お母さん?」
オギリが顔を覗き込む。トリカの顔が急に穏やかになった。
「大丈夫だから。悪いニンゲンなんて、お母さんがやっつけてあげるから」
母は、人間へのヘイトにまみれた腕で娘を抱いた。
「全部、全部……だよ?」
オギリは小指をそっと近づけた。
「約束するわ。だから、あなたも手伝ってちょうだい」
母と息子が指切りを交わす。その息子のリストバンドには、人にNOを突きつけるマークが縫い付けられている。
◆
レプラの街にたどり着いたフォードの一味は、団長とロレンツィオを除くカイロ師団の面々と別れた。
ロレンツィオがついてきた理由は、ただ一つ。愛弟子が心配でならないということだった。
街を進む一行。見れば見るほど、世紀末な光景が広がる。緑らしい緑はなく、街路樹すらない状態。
流れる川は、嫌な虹色を見せつけてくる。工業廃水は川に垂れ流し油が浮いて膜を張っているのだ。
「お兄ちゃん……お腹空いたよぉ」
「こら、ニンゲンからご飯をもらっちゃダメって教えたでしょ! 何度言えば分かるの?」
腹を空かせたエルフの子供が、お恵みを求めてレイジに近づいてきた。
しかし、その枝のように細い腕を引っ張り、母と思われるエルフの女性が止める。
それから、子供の頬に力いっぱいビンタをする母親。ここでは、人間に関わらないようにするのが常識だった。
「…………」
何かしてあげたい気持ちは山々だった。しかし、それを拒まれ、やるせなくなって黙ってしまった。
「汚らわしい目で見ないで!」
母親は、瞳孔を開き、金切り声を上げた。ニンゲンに目をつけられてしまえば、売られてしまう……そう思ったのだろう。
「行こうぜ、レイジ」
「うん……」
レイジは、力なく返事した。
「人間不信もここまで来れば、不治の病かもしれませんね」
ギュトーはため息交じりにつぶやいた。
「これが積年の恨みというもの。我々が生まれるよりも遥か遠い昔より、エルフは我々を忌み嫌ってきた。それも全部……」
「ウチらカルミナ人の業、やね」
アザミが訊けば、カイロ団長は「左様」と返した。
「耳が痛い話だ」
フォードは、珍しくため息をついた
「どういうこと?」
「昔、俺も暴徒鎮圧で来た事があんだよ。元を正せば、俺たちの祖先が撒いた種だってのによ」
レイジは、首をかしげた。頭のうえにハテナが増える。
「ここに眠る潤沢な魔力油、石炭……そうした資源が既得権益者の目をくらませたんよ」
「じゃあ、某がシバレーで何不自由なく過ごせたのも……」
「そういう事やね。エルフの犠牲があったから、シバレーが発展したんかもね」
「ここも、遠い昔は美しい緑で覆われとったそうじゃ。今じゃ、半ば伝説と化しておるが」
ロレンツィオの話も、今は見る影がない。既得権益者が切り拓いて荒らして回った結果だ。
エルフも対抗したが、敗れた。そうして、エルフにとっての惨状が、いまここにある。
まだ見ぬ美しいイリアーフに思いをはせながら、今日も戦い続ける戦士がいる。
しばらく進んでいると、工場と思われる建物の前に群がるエルフたちの姿が見られた。それも、百や二百で済むような規模ではない。
ある者は、横断幕を。またある者は、斧や銃といった物騒な武器を。そして、彼らは皆、口々にこう叫ぶのである。
「返せ! 我らの同胞を!」
「ニンゲンども! 貴様らの思い通りにはならんぞ」
「ここは我らがエルフの領土! ニンゲンどもよ、今すぐ立ち去れ!」
「工場長。ど、どうします?」
人間の作業員が青ざめた。
「早く門を閉鎖せよ!」
慣れているのか、工場長は冷静だった。そんな彼の指示を受け、工場の正門は締め切られた。
「相手にするだけ時間の無駄だ。我々とて納期がある、生活が懸かっているのだ」
「しかし、中のエルフたちはストライキを決行すると……」
作業員が恐る恐る報告すると、工場長は舌打ちした。
「もういい、今日は我々だけでやろう。プライドだけいっちょ前の耳長族は使い物にならん」
工場長は、切り捨てるように言った。
「我らの森を返せ! この魔力無しが!」
門を閉ざしたくらいで、暴徒が収まるわけがなかった。
ある者は火炎瓶を投げ込み、工場敷地内を火の海にしようとした。またある者は、ハンマーで外壁を殴り、穴を開けようとした。
ニンゲンにとっては生活基盤を支える工場。しかし、彼らからすれば故郷を奪った忌々しいオブジェクトだ。何が何でも破壊しようと、暴徒たちが躍起になる。
そんな声も、作業員からすれば、ただの騒音であろう。少数派の連中が喚いているだけにしか感じられない事だろう。
「なんて……なんて酷い惨状……」
この惨状に、レイジは思わず目を奪われた。
「酷い……他人事か? これも全部、元をたどればニンゲンの仕業だろうが!」
エルフは地獄耳のようだ。暴徒の一人が、レイジの後ろ首に銃口を突きつけた。
その左手の甲には、人にNOを突きつけるマークが刻まれていた。
「レイジ!」
フォードは、その銃を蹴り飛ばした。銃身がへし折れ、地面に転がる。
武器を奪われたエルフは、鬼神のごとき形相でフォードを睨んだ。
「ニンゲンごときに、俺らロベリアーズが負けるとでも思ってんのか!」
過激派の一人が工場の正門方向に手招きすると、釘バットや大剣といった物騒な装備の連中が次々と現れた。
「コイツらニンゲンだぞ! 殺っちまえ!」
工場破壊に夢中な者を除いて、大半のエルフが押し寄せてくる。
「幾百年、脈々と継がれてきた貴様らニンゲンの業の深さ……死してなお償えぬほどと思い知れ!」