EP9 勇者の旅立ち
メルドベラの春、久しぶりに会った生徒たちからは、一皮むけた印象を受けた。
無事に再会できたことを喜び、長期休暇の思い出話に花を咲かせた。それが新学期の始まりの合図。
越冬のために北半球に飛んで行ったドラゴンや鳥たちが戻り、日を重ねるごとに畑の緑は濃くなっていく。
春風が少しずつ熱波に変わる頃に、ウェストウェルズ学院では学園祭が催された。
その学園祭の準備過程で、スーアにも春が訪れた。……それから程なくして冬が来たらしいが。
年越しの頃には真夏。褐色の美女たちが派手な羽根飾りのついた衣装で、新年を祝う舞いを披露する。
北半球でずっと過ごしてきたオールAには、暑い年越しも派手な踊りも初めてで驚きの連続だった。
年が明け、しばらくすれば、一年の最後を締めくくる総まとめの試験。
夏の盛りが落ち着く頃には、畑は美しい小金色を魅せる。米や麦がたわわに実る頃、オールAたちに別れが訪れる。
「スーア、お前……本当にザポネに行くんだな?」
「ああ。剣豪になる夢のためにな。あの国には、優れた腕前の剣士に……鍛冶屋もいるらしいからな」
スーアは、拳を強く握った。
「それで、オールAは? 君は、これからどこへ?」
「今度は、ロンブルム同盟領で一年間。それから残りの期間は故郷での修業に費やそうと思う」
オールAは、カバンから古びた本を何冊か取り出した。
その本は、アグストリア家に遺されたもので、この家系にのみ伝わる魔術の本も含まれていた。
「勇者にしか……というかアグストリア家の紋章を持つ者にしか使えない魔術が、この本の中には書かれている」
「それを習得すれば、君は立派な勇者になれるよ!」
ヴェルヌは、子供のようにはしゃぎながら言った。
「ああ。この紋章を受け継いで生まれたからこそ、この魔法の力が使える。この幸運を以てすれば……」
オールAは、左手を少し嬉しそうに見ていた。
「以てすれば……?」
「誰も成せなかった使命に挑む力になるはずだ。俺にしかなれない勇者になれるきっかけに……」
オールAがしみじみ答えると、スーアは口角をあげた。
「そうか……3年後が楽しみだ」
◆
ロンブルムでの修行を経て、さらにアグストリア家にのみ伝わる魔術の修業。
後者については、従弟のエルトシャンと共に解読。数えきれないほどのトライアンドエラーを繰り返した末での習得になった。
その魔術の一つは、雨を降らせるもの――その雨に濡れた者すべての傷を癒すもの。
もう一つは、仲間の魔力エネルギーを少しずつ借りて撃ちだす極大の光の魔術。
その本質は、“ワンフォーオール”と“オールフォーワン”。歴代の勇者は、仲間を支え、仲間に支えられての関係だった。この事が、魔術書の端書に記されていた。
「エルトシャン……お前をこんな事に付き合わせてすまなかった」
「構わないよ。僕にとっても十分な収穫だったさ」
エルトシャンも、アグストリア家の書物を読めて満足している様子だった。
「それで、折り入って頼みたい事があるのだが……」
「仲間の話かい? 僕も冒険をしたい気持ちはあるけど、出来れば自分の目で世界を見たいものだね」
エルトシャンは、穏やかな笑顔を作りながら断った。
「もうすぐなんだろ……君の冒険。上手くいく事を身内として心から願うよ」
エルトシャンと別れた次の日。オールAは、パハル議事堂の一室に来ていた。彼の旅立ちを支援すると名乗り出たフィーア上院議員を訪ねるためだった。
フィーア議員は、オルエスと数十年来の友人だった、パハルのベテラン政治家。オルエス亡き後は、オールAの面倒も時々見ている。
「君とこうして話を出来るのも後わずかだと思うと、少しばかり寂しくなりそうだ」
フィーアは、ただでさえ多いシワを増やした。
「ええ、俺も故郷を離れると思えば、少しばかりやるせない気持ちに……」
「仲間も大方決まっているから今さら……と言いたいが、」
フィーアは、今朝の新聞をオールAに見せた。オールAの顔が一瞬で青ざめた。
デズモンドの社長とその部下5人の率いる小隊の前に、百万を超える兵力が敗れたという記事だ。
「ロンブルム同盟がデズモンド社に敗れた……そんなバカな!」
「事実は小説よりも奇なり、というが……あの軍勢がたった一つの会社に敗れるのは、ファンタジーとしか言いようがない」
フィーアは、紅茶を一口飲んでから、「あの勝利は奇跡だった」と呟いた。
ロンブルム諸侯同盟は、解散。残された大地は、新たな民衆のリーダーを迎え入れて改革されるだろう。
オールAは、一面記事に目を通した後、次のページをめくった。
「ロンブルム公、失脚……」
「……そうなれば、オラルファ殿を仲間に勧誘することは不可能だな」
「エルトシャンもダメだった……本人が断ったらしい」
「決まっているのは、医者のチトア、元レイゾンの狙撃手ドルトア。情報屋のチャルア、そして私の孫で参謀役のフュンファだけか」
仲間候補6人のうち、二人がダメとなってしまった。限られた時間で二人のリストアップをするのも厳しい。
フィーアは舌なめずりしながら、この逆境を打破する手段を考えていた。振り出しに戻ってしまったものを取り返したくて必死だった。
オールAの目には、ここまで悩むフィーアがあまりにも不思議に見えた。残る二人は、彼の中で決まっている。
しかし、切り出すまでに沈黙が流れてしまった。
「……ダメ元で提案したいのですが」
「何か、君に策でもあるのかね?」
「どうしても、俺の旅に連れていきたい仲間がいる。俺が選んだ、俺の精神的支柱になれる人物だ」
「君が言うなら止めはしないが……彼らによほどの実力がなければ、君の旅に耐えられないだろう」
「それでも結構。というより、俺の精神を支えてくれる人の方が重要です。実は、俺……ここ数年間、精神安定剤が手放せないほど、精神面に不安を抱えている状態で……」
オールAは、精神科医からの診断書及び処方箋の袋を取り出した。
強いストレスとプレッシャー。どれだけ準備を重ねても魔王を倒せるかどうか、といった不安。そうしたものが彼の心をむしばみ続けている。
「俺を支えてくれた二人を連れていきたい。留学時代の友・スーアと、俺の身を案じて将来を約束しようとしたカトルーアを……!」
気心の知れた者がいるのは心強い。オールAは、それを何度も訴えた。
フィーアは、頬杖を突いた。残された時間は限られており、今から新しい仲間のリストアップをして選ぶだけの時間もない。
「……渡りに船、とはまさにこのことか。君の選んだ仲間なら、きっと支えになってくれるのだろう。いいだろう! その二人をぜひとも加えるといい」
「ありがとうございます」
オールAは、頭を深く下げた。
「君にしか出来ない冒険だ。仲間も、君にしか選べない者がいてしかるべきだろう」
◆
4月18日、オールAは17歳となった。
旅立ちの朝、独りとなった生家を出ると、裏庭の墓の前で合掌。旅の無事を見守ってほしい、と祈った。
挨拶は一言だけに済ませ、鉢金を頭にギュッと巻いて、約束の場所であるパハル大聖堂へと急ぐ。
大聖堂の目玉は30メートルを軽く超える女神像。その姿を拝もうと、今日も参拝客は数万単位で来ている。
オールAは、そんな女神像のもとを待ち合わせ場所に指定していた。
「よぉ、オールA! 久しぶりじゃねぇか!」
勇者のチーム一番乗りは、スーア。彼は、オールAを見るなりすぐにハイタッチをかわした。
ザポネのハカマという衣装に身を包んだ彼だが、赤いウルフカットの髪と耳のピアスは相変わらず。さらに、200センチの長身で両手剣を担いでいるため、なおの事目立つ。
「初めまして、私は医者でメンタリストのチトアと申します。勇者である貴方の助力をすべく、自ら志願いたしました」
二番手はチトア。黒い髪と白衣が特徴の女。
医者が必要という理由でリストアップして、そのまま採用。それ以上にメンタリストである事がオールAのお眼鏡に適ったようだ。
三番手は、軽いノリの狙撃手・ドルトア。元レイゾンということで身体能力もサバイバルの知識も十分。
オールAより一世代ほど年上ということもあり、精神的支柱としての活躍も視野に入れた採用だ。
続いて、フュンファとチャルアが同時に到着。
そして、最後に現れたのは……。
「本当に久しぶりね……アル」
久しぶりにアルと呼ばれたオールAは、その目を疑った。
「カトルーア……! 本当に見違えた……こんなに美人になるとは」
パハルが生んで、ビッグマハルが育てた才女。彼女こそがカトルーアであり、オールAの幼馴染。
亜麻色の長い髪とサファイアのような瞳からは、とてもティーンエイジャーとは思えない気品を感じられる。
あの頃、将来を誓おうとした可憐な乙女の姿は、そこにはない。ただただ大人の色香溢れる女の姿があった。
「どうしてかしら? 他の人に言われると何でもない言葉なのに、アナタに言われるとこんなに嬉しい」
まるで、自分が他の男に言い寄られていたような口ぶりだった。さらに、誘われるだけ誘われて靡かなかったような言い方。
おそらく、彼女は一心不乱に魔法の勉強に明け暮れ、アルへの想いを募らせていたのだろう。そんな彼女の青い瞳が揺れる。
「ねぇ、アル。胸を借りてもいいかしら?」
「構わないが……どういう意味だ?」
「…………」
オールAが訊くと、カトルーアは何も言わずに彼の胸に顔を埋めた。そして、彼女は泣いた。夢の一つが叶ったことが、あまりにも嬉しくて……。
アルと別れてから9年。途中で彼の悲劇を新聞で読んだ。心配でたまらない思いを堪えた。
何が何でも、彼の旅を支える右腕になりたくて……。来る日も来る日も頑張ってきた甲斐があった、と呟いた。
オールAは、そっと彼女の背中を抱いた。カトルーアは、その温かさにしばらく感動していた。
「……そろそろ、大丈夫か」
「ええ、ありがとう」
気が済んだカトルーアは、オールAの胸元を離れて、目元を指でそっと拭った。
「良かったな、オールA! 幼馴染と冒険できて!」
スーアは、無理やりオールAの肩に腕を置いた。
「ああ。本当に来てくれて良かった……」
「再会を喜ぶのはいいが、勇者よ……これで全員集まったぞ」
「全員揃ったところで、俺からお前たちに頼みたいことがある。まず、俺は……オルエスの孫だが、まだ勇者と名乗れる器ではない。よって、俺の事は主将と呼んでほしい」
「勇者様ではダメな理由を訊いても?」
フュンファは、首を傾げた。
「カエルの子はカエル……みたいに言われても困る。俺が勇者かどうかは、俺自身が決めることだ」
「結構お堅く考えていらっしゃるのですね。下手に勇者なんて名乗れば、それがかえってストレスになる……といったところでしょう」
チトアは、すぐに理解を示してくれた。
「ああ。これまで十数年間……勇者になろうと頑張ってきたが、結局なれたと思えぬまま今日まで来た。だから、今は自ら名乗るには大それたものに思えた」
「だから……だから、このチームのリーダーって意味で主将なのか」
スーアは、腕を組み「うんうん」と小刻みにうなずいた。
「キャプテン・オールAか……カッコいいじゃないっすか! んじゃ、今後ともよろしくっス!」
「ああ、よろしく頼む」
オールAは、軽いノリのチャルアとハイタッチを交わした。
「じゃあ、アル……いえ、キャプテン。旅立ちに際して何か一言をお願いしてもいいかしら?」
「おう! とびっきり景気のいい挨拶を頼むぜ」
カトルーアとスーアに頼まれたオールAは、うなずいた。それから、少し考えた。
「君たちは、魔王討伐という人類の悲願を達成するために集った有志達だ。俺と共に来ることを選んでくれた君たちに、心より感謝する。
俺はいまだ道半ばゆえ……勇者らしいことは何一つやれぬかもしれぬ。だが、お前たちと一緒ならば……共に支え、支えられてならば、この旅を成功させられるように思う。
挨拶は以上だ。本日より、このキャプテン・オールAを筆頭に、冒険団“オルアース”を結成するッ!!」
キャプテンが左腕を高く振り上げると、仲間六人も雄たけびと共に腕を上げた。
彼のマントと鉢金に刻まれたマーク――Aを三つ重ねたようなマークは、チームの旗印。
今日より、勇者となる男の果てしない旅が始まる……。