EP2 ウンメイ
魔法の講義が終わって家路につく途中、アルフレッドはカトルーアの横顔を見て後悔していた。
昨日の彼女が本気だったことを知らなかったのだ。彼女の部屋に積まれていた本は、彼女の意気込みの高さだった。
「……昨日は、すまなかった。お前が俺の事を誰より気にかけていたことに、全く気づけなかった」
「アル……もういいの。私がアルの事をいつでも気にかけてる、って分かってくれただけで十分」
カトルーアは、涙を拭いた。
「お前は、どうしても俺の事が心配だと言ったな」
「だって、アル……いっつもムリしてるように見えるもん!」
言い返そうと思ったが、カトルーアが食い下がってきそうなのでやめた。そもそも、アルフレッドには気の利いた言葉が思いつかなかった。
別に無理をしているわけではなかったが、周りから見ればそうなのだろう。そう思ったアルフレッドは、素行を改めることを決めた。
「俺もお前の事が心配でたまらん。年ごろの女の子ならオシャレに興味はないのかとか、俺と同じ魔法の授業を受けていて平気なのか……とか」
「気にしないで……私なら大丈夫だから! アルに比べたら、まだまだ平気だから」
そう笑う彼女の目にはクマが浮いていた。明らかに無理をしている様子だったが、アルフレッドは彼女の言葉を字面どおりに受け取った。
◆
アルフレッドが想いに気づいた翌日は、実際に冒険者が受けているクエストの受注。実戦訓練の日である。
子供二人とオルエスの三人でのゴブリン退治。山の中にあるという巣を駆除するもので、報酬は一人頭150ルド。山の近くにある村は、畑を荒らされて困っているという。
今日の主役は、もちろん子供たち。オルエスは、あくまでも指導役でありサポーターである。村民からは、こんな年端もいかない子供がクエストを請けると聞いて心配された。
だが、その子供たちは勇将の孫とその幼馴染。英才教育を受け、過酷な訓練にも耐えてきた二人だ。
久々のモンスターとの勝負。カトルーアは浮かれ、アルフレッドは気を引き締める。
目的となるゴブリンの巣にたどり着いた三人。碁盤の目のように整備された巣に、カトルーアは驚いていた。
本でしか読んだことのなかった光景が、目の前に広がっていた。
「すごーい、ゴブリンの巣ってホントに真四角なんだね!」
「ゴブリンというのは手先が器用な種族らしい。世界のどこかには、ゴブリンを連れて旅をする冒険団がいるとかいないとか」
器用だからこそ作れる正確無比な巣。少し進んではゴブリンが現れ、そのたびにアルフレッドの剣とカトルーアの魔法が火を噴く。
「ドンブリイイイイ!」
洞穴中に響き渡るボス・ドンブリンの咆哮。カトルーアは、怖くなってオルエスにしがみついた。
「大丈夫だ。俺なら簡単に倒せる!」
アルフレッドは、剣を抜き、ドンブリンを睨みながら言った。
「“シロルーチェ”!!」
アルフレッドは、ドンブリンに右手をかざした。目もくらむような白い光が、矢となってドンブリンの目を射抜く。
視界を奪われたドンブリンは、見境なく棍棒を振り回す。
その乱雑な攻撃に巻き込まれ、アルフレッドは額から血を流すほどのダメージを受けた。
少々の事で屈していては、勇者の名折れ。アルフレッドは、簡単に立ち上がった。
互いの武器を何度も撃ちつけ合う。そのたびに、アルフレッドが押される。
「ドンブリイイイイ!」
ドンブリン渾身の一撃が、アルフレッドの腹にクリーンヒット。
アルフレッドは、吹き飛ばされた。近くの壁に背中を強打。せき込むと胃液と血が混じった液体が口から出てきた。
「アル!」
「これはいかん! “グランデキュアー”!」
オルエスの両手から出たあたたかな光が、ゆっくりとアルフレッドに向かって飛んでいく。
柔らかな光に包まれたアルフレッドの傷が、みるみるうちに癒えていく。そして、彼はまた立ち上がる。
「俺にも素質がある雷……上手くいけばいいが」
アルフレッドは、左手の剣を高く掲げた。
「“サンダー”!」
アルフレッドが剣の先をドンブリンに向けると、雷が彼の身体に落ちた。
回復してもらって立ち上がったもつかの間、アルフレッドは膝をついてしまった。
「アルうううぅぅぅ!!」
カトルーアが叫んだ。
「お、俺なら大丈夫だ」
雷の魔法は、失敗。二人がそう思った中、アルフレッドは剣を杖代わりに立ち上がった。
オルエス直々の修業もあり、かなりのタフネスを見せるアルフレッド。彼の周りには金色のオーラと火花。
せいぜい130センチの子供。体格差は倍以上にも拘わらず、気迫でドンブリンが押し負けている。
「ドンブリイイイイ!」
棍棒と剣がかち合った。火花を散らしながら数秒、うんともすんとも言わぬ状態が続いた。
アルフレッドが剣を一気に振り抜くと。棍棒が豆腐のように斬れた。
さらに、右手から光の矢を飛ばした。ドンブリンの胸を貫く一発。
「やはり……わしの見立て通りじゃったか」
冷静に孫の攻めっぷりを見つめるオルエス。ドンブリンが、少年に圧倒されている。
あっという間にドンブリンの右腕がそぎ落とされた。その数秒後には左腕も。
「たああああぁぁっ!!」
アルフレッドは、高く飛び上がり、雷をまとった剣を振り下ろした。
少年ながら、ドンブリンを一刀両断。大人でさえ苦戦するような相手に、勝ってみせたのだ。
雷に打たれてから一転。アルフレッドの身体能力が急激に上がったことで、ドンブリンをノックアウト。
「アル……すごい……。私の出る幕が全くなかった……!」
カトルーアは、勇者の卵のその潜在能力にただただ驚くしかなかった。
◆
数日後、桜咲く丘。樹は緑、足元は白。淡いコントラストが美しい丘を、また二人で散歩していた。
この日のアルフレッドは、珍しく機嫌は悪くなかった。カトルーアが腰巾着のようについてくることにも、少しは慣れたようだ。
たわいもない会話ではあるが、殺伐とした日常を忘れるには良い。
「もう少しで春が終わっちゃうね」
カトルーアは、枝にわずかに残る桜の花を指して言った。
「そうだな。この前まで桜が満開だったのにな」
「私、今くらいの時期が一番好き。日差しも風も気持ちいし、こっちの方が自然いっぱいって感じもするし」
「俺も、この時期が過ごしやすくていいと思う」
雪をかき分けて芽吹いた双葉たちは、今やその背丈を伸ばし、一年で最も鮮やかな緑を魅せていた。
「アル……“ウンメイ”って信じる?」
「運命……だと?」
アルフレッドが訊き返すと、カトルーアは「うん」と頷いた。
「信じざるを得ない。俺は勇者として魔王を倒すために生まれた……これが運命なのだから」
アルフレッドの口ぶりには、どこか諦めに近いものがあった。傷だらけの左手の甲には、ワイバーンが“α”のような形を描いている紋章。
彼の家系に代々伝わる家紋であり、勇者の血を引いた証でもある。生まれたときから常に一緒だった紋章を、アルは恨めしそうに見た。一瞬だけ、紋章が青白く光った。
これさえなければ、と何度も己の不運を恨んだ事もあった。左手の甲をかきむしって、紋章を消そうと思ったこともあった。血だけがいたずらに流れただけだった。
「そういうお前は、運命なんてものを信じているのか?」
「よく分からないけど、私が勇者のお隣さんに生まれてきて、勇者の仲間になろうとしてるのもウンメイかな? それでケッコンまでいったら……」
こんな話をするカトルーアの頬は、乙女らしく赤かった。
「また、その話か……。魔王を倒した後の話は、それからでも遅くはないだろう」
アルフレッドは、呆れた。今は、勇者になることしか考えられなかったのだ。
結婚の理由も、とても子供とは思えないものだった。単に好きだから、といったものではない。身を案じてのことだったのだ。
「じゃあ、一緒に魔王を倒せたら考えてくれる……ってこと?」
カトルーアが上目遣いで訊くと、アルフレッドはうなずいた。
「そういうお前は信じるのか?」
「うん……何となく、だけどね」
カトルーアは、質問に答えた後、大きなあくびをした。
「お前も、ちょっと気を張り詰めすぎだ。頑張り過ぎは、身体に毒だ」
アルフレッドは、眠気で下がった彼女の瞼を指さして言った。
「だったら、私からも言いたいことがあるの。たまには、魔王を倒した後の話も考えてね?」
「分かった。ともかく……だ。勇者の右腕になろうと思うのなら、生半可な覚悟ではなれぬ」
「うん……私、アルよりも勉強して、絶対に支えるんだ!」
カトルーアは、小さな手をグッと握りしめて言った。
「俺の仲間だが……一人、目星をつけている天才少年がいる。その少年は、俺のいとこで……5色の魔法が使えるそうだ」
その5色の魔法を使える少年の名は、エルトシャン。デズモンド社の社長のひ孫であり、オルエスの孫でもある。
7歳の時点で炎、水、風、雷、地の5色を使える彼は、まさにサラブレッド。彼が言うには、魔法を扱うことに一度も苦労したことがないとのこと。
平民生まれ、勇者のお隣さんからすれば、天をも衝く巨大な壁である。
「じゃあ、私がその子より強くなれば……!」
「可能性はある、とだけ言おう」
まだ見ぬライバルの存在が、カトルーアをさらに滾らせるのであった。
誰にも負けない賢者になるために、風や炎、雷に氷といった魔法を習得してみせたり、実戦で傷ついたときには回復の魔術でサポートしたり。
時には、アルフレッドさえも驚くほどの量の本を読破し、彼を驚かせてみたり。カトルーアも、アルフレッドに負けないくらい頑張った。
辛いときには互いに励まし合いながら、アルフレッドも勇者としての修業に精を出していた。
雨風が吹き荒れる日でも、大人さえも苦戦するモンスターの討伐のクエストをこなし。
真夏の日差しに晒され、肌を焼き、汗を輝かせながらも剣を振るい。
疲れた秋の日には、心地よい鈴虫の音色とボンヤリ明かるい満月の美しさに酔いしれて。
窓が凍る冬の夜には、ストーブを焚き、身を寄せ合いながら魔導書に目を通し……。
厚い雪を押しのけて出てきた芽に、命の力強さを感じられたなら、春はもう目の前。
このまま勇者と賢者の卵、ずっと一緒にいられるような気がした。
だが、目標とするものは、仲良しこよしのままで叶うものではない。
◆
カトルーアの求婚から、約一年。彼女は、夢のために魔法学院があるビッグマハルへと引っ越すことになった。
アルフレッドたちがいるパハルの国から西へ約6000キロ。二週間以上はかかる島国へ、彼女は心を躍らせていた。
「お嬢ちゃんがいなくなると少しだけ寂しくなるな……」
長い近所づきあいだっただけに、オルエスは眉を下げた。
「オルエスさん、致し方ありませんよ。娘の夢を叶えるためですから」
「だからね、おじいちゃん! 私、サヨナラなんて言わないよ!」
「カトルーアちゃんったら、気丈なのね」
アルの母は、笑顔で別れんとするカトルーアに感心していた。
だが、彼女には確信があったのだ。再開したあかつきには共に旅できる、という未来が。
「私、17歳になったら……絶対にアルのところに戻ってくるから」
カトルーアは、両手でアルを包み込むように抱いた。
「ああ。9年後のこの日……また会おう!」
アルもまた、幼馴染への別れの挨拶とばかりにハグで返した。