第1話 苦行だらけの世界で
「おい、金持ってんだろ?」
黒飛レイジは、冴えない16歳であった。都会の路地裏、リーゼントに長ランという古風なヤンキーにカツアゲされている最中である。
しかし、彼の財布には、とっくに現金は入っていない。なぜなら、少し前にも別の不良にカツアゲされてしまったばかりだからだ。
無い袖は振れぬ。しかし、リーゼントからしたら、レイジのお財布事情など知る由もない。
「持って……ません」
レイジは、蚊の鳴くような声で真実を告げた。それを聞いたリーゼントのコメカミに血管が浮かび上がる。
リーゼントは、強烈な右フックをレイジの腹に打ち込んだ。自分の取り分がないことが、よほど頭にきたらしい。
「てめぇ……持ってねぇだと? シャラくせェ嘘ついてんじゃねーぞ」
今度は、シンバルキックの要領でレイジの顎を蹴り上げた。レイジは、たった二発でノックダウン。
しかし、この男の怒りが、たったこれしきの事で収まるわけがない。レイジの首を左手で締め上げると、リーゼントは何度も右ストレートをぶちかます。
一撃ごとに、その威力が増してきているような気がしてきた。レイジの頭はふらふら、胃からは酸だけでなく血も出てくる。
財布を差し出すまでは、向こうはやめる気がない。すぐに気づいたレイジは、おぼろげな意識の中、ポケットから財布を投げた。
「けっ、ちゃーんと財布持っているじゃねぇかよ」
リーゼントが、殴るのをやめた。レイジの財布を拾うと、すぐに中身を調べた。
向こうが気を取られているうちに、レイジはよろけながらも路地裏から出ようとした。しかし、カツアゲにきたのに現金ゼロの財布を差し出されて喜ぶような輩がいるだろうか。
かえって逆鱗に触れてしまう結果になってしまった。こうなってしまえば、差し出さなければよかった、とレイジは後悔する。だが、時すでに遅し。
「何度言わせれば気が済むんだ。てめぇの金は、このキリュウ様のものだ」
痛烈、一閃! レイジの背中に左ストレート。レイジは、頭からうつぶせになるようにして倒れた。
もはや、レイジに抵抗する気力はない。このままキリュウ様が去っていくことを天に願うしかできない。
しかし、キリュウはその足でレイジの後頭部を踏みつける。レイジの頭をコンクリートにこすりつけた後、財布を調べた。
「まぁ、いいや。このカードだけは、俺様がもらってやるよ。てめぇなんかより、俺様に使ってほしそうだ」
財布を入念に漁ったキリュウが持ち去っていったのは、なけなしの電車賃が入った電子マネー。無いよりマシ、といったところだろうか。
一日で二回もカツアゲに遭ったレイジは、言葉通り一文無し。電車にも乗れない帰路をトボトボと歩いた。
家に着いたのは21時頃。いまだに、不良たちに殴られた箇所がズキズキ痛む。
帰るなり、すぐにオヤジの雷が落ちてきた。
「お前は、いつもどこをうろついているんだ! 今日もこんな時間に、こんな薄汚い姿で帰ってきおって」
ぼろぼろになりながら帰ってきた息子に対する言葉とは思えなかった。心配されていないのだ。
冴えない16歳ではあるが、生まれだけは優秀。金持ちの家系といえど、こんな背の低いシケメンは向こうから願い下げだろう。
その高貴なる黒飛家の父は政治家、母は大学病院の院長。兄はプロ野球で二刀流の活躍を見せ、姉は一流の女優として数々のドラマに主演している。
しかし、レイジだけは、取り柄と呼べるものがない。オヤジのコネを使いに使って行きついた高校は、【自称】進学校。
その意識高い系な学校において、成績は下から数えたほうが早い。しかも、その冴えない見た目も相まって、スクールカーストは最底辺。発言する権利さえ与えてもらえない。
それは、家でも同じだった。上述の通り、高貴なる黒飛家における、唯一の汚点だからである。
「ごめ……」
「口先だけの反省など聞きたくない! お前は来年、受験生だろう。だのに、一向に成績が上がらないのはどういう事だ! だいたい、お前というやつは……」
食い気味に父は説教を再び始めた。自分たちと比べて、お前は……などと、耳タコな話である。
右から左に流してしまえば、また説教が長くなった。劣っているからこそ、こうして厳しくされるのだろう。
雷を横で聞いていたレイジの母は、あまりにも次男が情けなくて涙すら流す始末。嗚咽交じりに、追い打ちをかけていく。
「お兄ちゃんは、DeNAで投げて打って八面六臂の大活躍なのよ!」
レイジの母は、今朝のスポーツ新聞をレイジに叩きつけた。八回1失点、猛打賞の大立ち回りが一面で報じられている。
「お姉ちゃんも、ほら……」
レイジの母は、テレビを指した。ちょうど、レイジの姉が出ているシーンだった。
「それなのに、アンタと来たら……!」
今度は、成績表を突きつけられた。点数の行には赤点がズラリ。偏差値の欄で40以下の数字が踊り狂う。
「我が子ながら恥ずかしくて仕方がない」
オヤジは、口元を歪ませた。
「こんなことならば、アンタだけは産まなきゃよかった。アンタがいなきゃ、どんなに家庭がラクだったか」
両親は、言いたい事を言い尽くしてリビングを去った。レイジも、自室に戻る。
ベッドの上で体育すわり。膝に顔を埋めて泣いた。膝を抱える腕には、無数のアザに加えて切り傷がいくつか残っている。
前者は輩から受けた暴力、後者は自らカッターで切った痕跡。助けを求められる人間はいない
どこにいようとも不遇ならば、いっそこのまま消えてしまいたい。レイジは、そんな衝動に駆られた。本当に親をラクにしてやろうか――などと毒づいた考えが頭に浮かんできた。
気づけば、デスクにノートを置いて遺書をしたためようとしていた。しかし、それもすぐにあきらめた。
あんな奴らに未練などないし、残したいような言葉もない。あとは消える蛮勇さえあれば構わない。さっさと、窮屈すぎる世を去りたかった。
レイジは、いつもより遅い時間に駅に向かった。学校に行く気はないから、あえて遅めの時間に出発したのだ。
計算が正しければ、もう少しで特急がこの駅に止まらず通過するはず。そして、人も少ない。レイジは、それを見越してのことだった。
レイジの鼓動が早くなる。アレを実行したら、間違いなく死ぬのはわかっている。問題は、その先だ。
もしも生まれ変われるなら、誰にも負けない万能かつ最強の能力をもってして、“全身から湧き上がるこの喜び!”に打ち震えるのも面白いかもしれない。
あるいは、多数の女子を侍らせてもいいだろう。その時は、夜の勝負が大変になることは避けられないだろう。
レイジは、首を振った。余計なことは考えない。考えれば考えるほど、死ぬのが怖くなってしまうからだ。
もうすぐ、特急が来る……レイジは、意を決した。
「うあああああああああああああ!」
叫びながら、走り出した。
「馬鹿野郎ッ! 死にてぇのか!
染めたような金髪の男が、レイジの腕を掴んだ。その男は、レイジよりも頭一つ背が高く、一回り肩幅があった。
そして、なによりも、腕はレイジの倍近く太い。まるで彫像のような筋肉の前には、レイジは無力かに思えた。
「離ぜッ! 俺は……俺はぁああああッ!!」
しかし、狂気に陥った人間は、金髪の青年の腕を振りほどいて、がむしゃらにホームから飛び出した。
あとは、想像通り。一瞬にして、スプラッタ。即席麺も真っ青な速さで、黒飛レイジの遺骨が完成。
その時、不思議なことが起こった。レイジは、なぜか駅の上空にふわりと浮いているような感覚を覚えた。
なんと、遺骨と一緒に地縛霊まで出来上がってしまったのである。死ぬに死にきれなかったらしい。
ホームを見下ろせば、止まった特急車両を囲む野次馬たち。そして、止めてくれた男が泣きながらうなだれているのが見えた。
どうしたものか、と途方に暮れていたところに、金剛力士像のようないかつい男性が目の前に現れた。
「自ら命を投げうつとは、とんだ親不孝者だな」
呆れたような物言いだった。確かに親より先に子が死ぬようなことは、自然の摂理に反することだろう。
だが、レイジは、この世界に嫌気がさしたので特急への特攻をキメたのである。
「あんたに俺の何が分かるんだよ。ひょっとして、あんたが神様か何かか?」
「まぁ、似たようなものだ。わしは、全部見ていた……。しかし、若くして自殺を考えるほどに追いつめられるとは……」
神様が哀れんだ。独り、だれからも愛を受けられず、そればかりか理不尽な目に遭い続けたこの男を。
特急を止め、数万人の足を止めた迷惑。親より先に還らぬ人となった不幸。これを考えれば、普通なら地獄への片道切符を渡されるだろう。
それでも、日本ほどの厳しさではないと信じて疑わなかったから、レイジは蛮行に及んだ。
「なんだよ、俺に同情するのかよ? 同情はいいから、さっさと地獄でもどこへでも連れて行ってくれ」
「神様に対する物の頼み方とは思えんが、まぁ構わんだろう」
チャンスは巡ってきた。ユーレイ状態から抜け出せる可能性を示唆するような発言だ。
いつまでも、この世界に残っていたくないレイジは、心を躍らせた。そう思って、つい口を滑らせてしまった。
「俺は、苦難のない世界に生まれ変わることを望む」
「愚かなことを言うでない! そのような世界があるものか! 天国といえど、楽ではないわい。例えば、人間関係に悩む者、生前の行いを悔やむ者も多数おる」
苦難のない世界を望んで死んだ男の要望に、虚数解が出た。神は神でも、鬼神かそのたぐいだろうとレイジは思った。
神様が言うのだから、天国や極楽でさえも時には苦難があるのだろう。残酷な現実を叩きつけられたが、神も仏もないと嘆きたくなる気持ちを抑え、神様に噛みついた。
「いいや、絶対にあるね。俺はそれを信じて、わざわざ特急の通るホームに飛び込んだんだ!」
「そのような人間に案内できる場所があるとすれば、地獄すら生ぬるい苦行だらけの世界だな。その世界で、貴様の腐った根性を叩きなおしてくれる!」
なかなかどうして、この世界の神様もレイジには手厳しいらしい。最初は優しいかと思えば、てのひらを返したかのように冷たい態度に出た。
レイジは、神様を睨み返した。自分の願いをかなえぬ神など、ケチだ、愚かだ、邪悪だ、そんな風に恨んでいることだろう。
「貴様が真に望むこと、そして貴様が真に持っているもの……それは、もう分かっておる。それを己の身をもって知るがいい!」
最後に神様は、レイジのすべてを見抜いているかのような言葉を放った。
神様からの喝をもらったレイジの意識は、少しずつ薄れていった……。