第三話 『第二0九守備部隊』
海岸沿いの道から山の手の方向へ向かい、人の姿が消えた住宅地を進む。
何本かの幹線道路を通り、すでに廃線となっている線路の踏切を超え、複雑に絡み合った交差点を走り抜ける。
その間、道行く人々の姿や車の姿はまったく見られない。
しかし二人の目に映るのは、今にも活気を取り戻して動き出しそうな街の姿だった。
その奇妙なずれがもたらす不安を振り払うように、ハルは車を走らせた。
山の手の街へ続くゆるやかな坂道を少し上ったところで、目的地の建物が見えてきた。
それは歴史の重みを感じさせる、西洋風の大きな建物だった。三階建ての石造建築物で、その周囲は重厚な煉瓦塀で囲まれている。
正門の鉄扉は開放されていて、そばには二十代半ばといった年齢の女性が立っていた。
ハルは正門の手前で車を止めて外に降り、その女性の前に立つ。
この時にハルは彼女が士官用の白い軍服を着ていることと、教科書で見たことのある勲章がその胸に飾られていることに気づいた。制服の中で窮屈そうにおさまっている胸や、ほっそりとした腰まわりは、飾り気のない軍服姿であるにも関わらず十分すぎるほどに女性的な魅力を感じさせる。顔立ちも成人女性にしてはやわらかなもので、ハルと目が合うとあたたかな微笑みが浮かんだ。
ハルには、彼女が勲章を授与されるほどの活躍をした軍人であるとは見えなかった。
リオもハルの隣に立つ。二人は彼女に向かって直立の姿勢をとり、敬礼した。
彼女も二人に敬礼し、親しみのこもった優しい声で話しかける。
「あなた達が研修生のハル君とリオさんね」
ハルとリオは「はい」と同時に返事をした。
「ようこそ、第二0九守備部隊へ。私は副隊長のキョウカです。あなた達が来るのを楽しみに待っていたわ」
「申し訳ありません。自分の不手際のために、指示された時間を大幅に遅れてしまい……」
ハルは緊張した声で言う。
「事情は先に到着した三人から聞いてます。フレームの調子が狂ったのなら仕方ないわ。ここへ来るまでに敵襲を受けたら対処できないもの。とりあえず、車はこちらで動かしておくから隊長の所へ行きましょう。あの人、あなた達から誓約書の署名をもらわないと、執務室から一歩も動くことができないから」
キョウカは正門のそばに待機していた若い兵士に車を移動させるよう指示を出し、守備部隊の本部である建物へ歩きはじめた。ハルとリオはその後に続いて歩き出す。
建物の周囲には手入れの行き届いた庭が広がっていて、リオは珍しそうに視線を向けていた。
第二0九守備部隊の本部として使われているこの建物は、今からおよそ二百年前に県の庁舎として造られたものだという。この国が、当時の先進地域であった西欧の文明を取り入れようと必死だった時代のことであり、莫大な建築費用がつぎ込まれ、本場の建築士や職人たちの指導のもとこの建物はつくられた。そのため外装はもちろん、内装も異国情緒あふれる本格的なものだった。
両開きの立派な扉を開けて玄関ホールに入った時、中の様子を目の当たりにしたリオは思わず「すごい……」と感嘆の声をもらした。
それはまさに異国の館と呼ぶにふさわしい内装だった。
天井は高く、細やかな装飾の照明器具が吊るされ、館内を優しい明かりで照らしている。
ダンスパーティーが開けそうなほどに広々とした玄関ホールの床一面には、ふわりとした絨毯が敷き詰められていた。
「気に入ってくれた? まるでおとぎ話に出てくるお城みたいでしょ」
「はい……。本当に、すごいです。いいなぁ、将来はこんなお屋敷に住んでみたいです」
「リオのお父さんだったら、このくらいの建物なら買い取れるんじゃないの?」
冗談交じりにハルが言うと、リオはむっとしたようにほほをふくらませた。
「あのねえ、ハル。私はもう十五歳なんだよ。親に物をねだる年じゃないんだから」
「じゃあ、まさか、自分のお金で買うの?」
「半分は自分のお金を出すよ。あとの半分は、私の旦那様に出してもらおうかな」
「旦那様って、君の結婚相手? そんな人、いるの?」
「いるわけないじゃん。私はまだ十五歳なんだから。でも、いつか必ず素敵な人と出会って結婚するの。そして子供もたくさんつくって、こんな広くて立派なお屋敷に住んで、家族みんなで楽しく暮らすの。それってすごく幸せなことだと思わない?」
「思うけどさ、ちょっと理想が大きすぎるよ。おとぎ話じゃないんだから」
「あら、理想を持つことは大切なことよ、ハル君」
二人の前を歩くキョウカが言った。
うっかり私語をしていたことに気づき、リオは慌てて言う。
「も、も、申し訳ありません、副隊長殿! その、私語を、いえ、無駄口を……」
「そんなにかしこまらないで。さっきの続きだけど、理想を持つことは大切なことよ。叶えたい理想があるからこそ、人はどんなに苦しくても生きることができるもの。だからリオさん、あなたはあなたの理想を大切にしなさい」
はい、とリオは元気よく返事をする。
「それと私から二人にお願いがあるの」
キョウカは立ち止まり、二人のほうへ振り向いた。
「私のことはキョウカと呼んでちょうだい。副隊長殿って呼び方はなんだか重苦しくて、好きになれないのよ」
ハルとリオは少し戸惑ったものの「はい」と返事をした。