第一話 『亡骸の都市』
桜の花もすっかり散り、青葉が野山を彩り始めた五月のとある昼下がり。
山間部をぬうように通っている道路を一台の軍用輸送車が走っていた。
運転席に座ってハンドルを握っているのは、真新しい軍の制服を着た少年だった。
彼は運転に集中しているらしく真剣な表情を浮かべているが、その顔立ちには幼少期の名残ともいうべきあどけなさが見受けられた。
助手席には、彼と同じ制服を着た少女が座っていた。
彼女は窓を開け、緑の薫りをふくんだ風を顔いっぱいに浴び、ショートボブの栗毛を気持ちよさそうになびかせていた。そのつぶらな瞳には五月晴れの美しい青空が映り、まだまだ子供らしさの残るその顔には青空に負けないほどの明るい表情が浮かんでいる。
「ほんと、いいお天気だね。やっぱり春はいいよ。のどかで、ぽかぽかで、さわやかで。ねえハル、あんたもそんなつまらなさそうな顔してないで、少しは春の風を堪能しなさいよ。せっかく同じ名前なんだし、なんかもったいないじゃん」
ハルは前方に目を向けたまま強張った声を出す。
「話しかけないで。運転に集中してるんだ。事故を起こしたらリオだって道連れなんだよ」
「ハルは運転が苦手だもんね。だから私がかわるって、さっきから言ってるじゃない」
「そしたら最高速度でぶっ飛ばすに決まってるだろ。まったく、僕が何度死にかけたと思ってるんだ」
ごめーんねっ、とリオはわざとらしく笑顔を浮かべ、ハルにウィンクする。
「まったく……。ただでさえ遅れてるっていうのに、のんきすぎるよ」
「でもしょうがないじゃん。整備に時間がかかっちゃったんだから。文句があるなら、突然調子の狂ったフレームに言ってよね」
リオは振り返り、輸送車の後部にある格納庫へ目を向ける。
「事故なんか起こらないよ。他に走っている車もないんだしさ」
リオは不満そうに頬をふくらませ、窓の外を流れていく景色を見る。
豊かな新緑におおわれたなだらかな山々と、それをなぞるようにして通っているアスファルトの道路が見えた。しかし、道路を走っているのは二人が乗っている軍用輸送車だけだった。
道路上にある信号機はどれも役目を終えたように沈黙し、たまに目につく電光掲示板は何も表示していない。トンネルの中の明かりも消えていた。ハルはトンネルを通るたびに別世界へ行くような不安を感じた。
「そもそも、軍の関係者以外でここを通る人はいないんだし、遠慮することなんかないって」
「万が一ってこともあるだろ。それにここはもう防衛都市の領域内なんだ。敵の襲撃だってあるかもしれない……」
「え? ここって防衛都市なの? うっそ、何もないじゃん!」
「もう少ししたら防衛都市の中心部へ出るよ」
「へえ、そこには何があるの?」
「その昔、百万人規模の人が住んでいた大都市の亡骸がある」
「やっぱ何もないじゃん!」
「何もないからこそ、敵の襲撃があっても大丈夫なんだ」
「それもそっか。ああ、私の自信作が大活躍するところを、早くこの目で見てみたいなぁ」
「不吉なこと言わないでよ。それってつまり、敵襲があればいいのにって言ってるのと同じことなんだから」
「そういえばさ、シュウが話してたんだけど、ハルのおじいさんって戦争が始まる前の防衛都市に住んでたんでしょ。昔はどんなところだったか、聞いたことない?」
「住んでいたのは僕のひいおじいさんだ。僕のおじいさんが住んでいたのは、大阪だよ」
大阪、という言葉を聞き、リオは申し訳なさそうに目線を下げる。
「あ……、その、ごめん」
「気にしないで。おじいさんは今、僕の家族と一緒に九州の首都圏にいるから」
「え、そうなの? たしか五年前の動乱の時に東日本へ行ったんじゃ……」
「それは僕の大叔父にあたる人のことだよ。……それも、シュウが言ってたの?」
リオは小さくうなずいた。
「まったくあいつは。誰彼かまわず話していいことじゃないのに」
「シュウはシュウなりにハルのことを心配しているんだよ。幼なじみなんだから」
「ただの腐れ縁だよ。やっぱりあいつとの付き合いは、考え直した方がいいな」
「そうは言ってもさ、これから三か月間は戦友って肩書がつくんだよ、私達にはさ」
「それを思うと気が重いよ。後ろから刺されないよう、気をつけなくちゃね」
なによそれ、とリオは笑う。
ハルは小さくため息をつき、運転に集中した。