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落日の国  作者: 青山 樹
プロローグ 『落日の時』
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第二話 『勝利』

 ハルと男性が広場から去ってしばらくした頃、スクリーンに映し出されたニュースでは全国の投票状況の解説をしていた。

 日本列島の地図が表示され、各都道府県ごとに賛成を示す青と、反対を示す赤が塗られている。

 西日本には賛成が圧倒的に多く、対照的に東日本には反対が多かった。

 日本列島は賛成と反対によって東西に分けられていた。

 しかし、それを見ている人はほとんどいなかった。広場に集まっていた人々は力を失くしたように地面に腰を落とし、どこでもない空間を見つめていた。


「終わったんだ……」


 背広姿の中年男性がつぶやく。

 それをきっかけに、弱々しい声がぽつぽつと聞こえ始めた。

 終わったんだ。

 終わったんだ。

 終わったんだ……。


「勝ったんだ。俺達は、勝ったんだ……」


 誰かがそう言った。

 誰もそれを否定しなかった。

 事実、彼らは勝ったのだ。


 誰もがそう信じていたし、そう信じたかった。


 何年も、あるいは何十年も前から続いていた戦いに、彼らは勝った。

 彼らの大半は、生まれる前からこの戦いに巻き込まれることを運命づけられていた。

 そして、気がつかないうちに、彼らは戦いの渦中に立たされていた。

 どう戦えばいいのかわからず、誰と戦えばいいのかもわからず、いつ終わるのかもわからない戦いに。

 その戦いに、彼らは勝った。

 秋の初めの青空の下で、国民投票という民主主義による審判のもと、彼らの意志は勝利をおさめたのだ。


「自由だ……」


 虚ろな声が響く。

 その声には自由を歓喜する明るさも、高らかに勝利を謳いあげる力強さもない。

 死を目前にした病人が最後にもらした吐息のように、生気がなかった。

 自由という言葉に共感するように、同じく力のない声がどこからか聞こえてくる。


「そうだ。俺達は、自由になれたんだ」


 それ以上の言葉はなかった。

 広場にいた者の多くは口を閉じ、自由と勝利を心の中で何度も何度も繰り返していた。

 それを証明するように、彼らの目には静かな輝きが宿っていた。

 この瞬間を迎えるまで、どれほどの人が犠牲になったのだろう。

 どれほどの夢や希望が踏みにじられ、人生が破壊され、未来ある命が破滅へと追いやられたのだろうか。

 しかしそれらの犠牲は決して無駄ではなかった。

 そうした犠牲があったからこそ、戦いは続けられ、今日の勝利が導き出されたのだ。


 人々が勝利をかみしめる中、何者かが庁舎前広場に現れた。


 それは、思わず目をそむけたくなるような姿の老人だった。

 身に着けているのはぼろきれのような汚らしい衣服で、黒ずんだ運動靴はいたるところに穴が開いている。

 白髪交じりの髪やひげは伸び放題で、肌は干上がった地面のように荒れていた。

 落ちくぼんだ目には濁った色のやにがこびりついていて、瞳にはひとかけらの光もない。

 風が吹けばすぐにでも倒れてしまいそうなくらいにやせ細った体をしているのに、老人は不自然なほど大きく膨らんだリュックサックを背負っていた。

 もっとも、こうした姿は老人の浮浪者なら珍しいものではない。

 実際に、老人の姿を目にした人々は彼を浮浪者だと考え、警戒するような目を向けた。

 この都会にいる老人の浮浪者が白昼堂々姿を見せるなど、今の時代ではありえないことだ。


 ましてや今は、国民投票の結果が出た直後だ。

 なぜ、このタイミングで、この老人は現れたのか。


 広場に集まっていた人々に緊張が走る。

 なかにはいつでも老人に襲いかかれるよう身構える者も少なからずいた。そうした者は二十代や三十代の若者に多く、その目には敵意と警戒心がにじんでいた。

 そのような視線や感情を一身に受けながら、老人はおぼつかない足取りで広場を歩き、庁舎の真正面に立つ。

 そして広場のほうを向き、ゆっくりとひざまずいて頭を下げた。


「助けて……、ください……」


 今にも消えてしまいそうな弱々しい声で、老人は言った。


「日々の糧を、めぐんでください……。安らげる場所を、与えてください……。みなさんのために、社会のために、誠心誠意、奉仕いたします……。ですからどうか、助けてください。私に、私達に、人間として生きる時間を、与えてください。どうか、どうか…………」


 慈悲を乞うように老人は言葉を発した。

 その声には、たとえどれほどの尊厳を失っても生きていたいという、悲痛な思いが込められていた。

 しばらくの間、老人のすすり泣く声だけが広場に染みわたった。

 広場にいた人々は表情をなくし、ただ老人の姿を眺めていた。

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