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9.3 天才は現れた


 プカンから3km離れた見晴らしの良い開けた土地。


 その広大な空間にいるのは俺とキメラだけだ。


 有利にことを運ぶための策もなく、致命傷を受ければそのまま死んでしまう、そんな絶望的な状況の中 俺はキメラへと立ち向かう。足の震えを強引に押さえつけながら、一歩、また一歩と俺はキメラへと近付いて行った。


 俺の足が震えるのは至極当然であった。なぜなら、俺の愚鈍な動きではキメラの視界に入った瞬間、豪腕によって吹き飛ばされてしまうのは明らかであるからだ。


 それでも俺はキメラへの歩みを止めなかった。そして、案の定、キメラの視界に入った瞬間俺の身体に向かってキメラは高速で腕を振り当てる。


 だが、キメラが腕を振るった場所に俺はいない。そこにいたのは俺の幻影だ。相手に自分の位置を誤認させる魔法「ミラージュ」、その魔法によって何とか俺はキメラの足止めを行う。


 とりあえず、今は「ミラージュ」で足止めをしているが、この戦法はよろしくない。冒険者達の救出に魔術を使い過ぎて、14分間魔法を使い続けられるほど魔力が残っていないのだ。


 魔法が使える間に何とかして策を講じなくては。大丈夫、俺は天才だ。どんな状況も打破できる。


 半分自分に言い聞かせるようにそう思う。


 そんな俺はキメラの腕に刺さるジンの剣を見た瞬間、脳裏に1つの疑問が浮かんだ。


 なぜキメラはジンの目潰しを防御したのだろうか?


 目潰しを防ぐのは当然のことだ。しかし、キメラのあの防御力の高さから見て、ジンの攻撃を防ぐ意味はあったのだろうか?


 当然、顔、特に目の方が身体よりも防御力が低い可能性もある。だが、あのカレンの業火を全身で受けて、ノーダメージなのだ。これは全身の防御力が高いと見ても良いだろう。


 では、なぜ防いだのか。実は目に対する攻撃を防いだのでは無かったとしたら?そう、目であれば(まばた)きをすることで皮膚をかぶせて防ぐことができる。なら、目ではなく攻撃が当たると困る部分がある?つまり、そこは頑丈な表皮には守られていない場所。…まさか、角…?


 そういえば、普段のキメラの角は赤黒いが、このキメラの角は純粋な赤色だ。もしかしたら、その2種類の角は別物?


 実際、この時の俺の思考は杜撰(ずさん)で穴だらけ、それに半分、支離滅裂だ。こじつけのような都合の良い状況の解釈に、飛躍し過ぎた論理。そんな思考をするなんて普通ではない。


 しかし、淡々と近付いてくる死の足音を前にした俺が普通の思考などできるわけないのだ。


 何もしなければ、死ぬ。


 それならば、多少強引な考えであっても実践するしかない。


 そう思ってキメラの赤い角を見た瞬間、俺は自分の考えに確証を持つ。


 その角にはヒビが入っていた。


 多分カレンの魔術を受けてのことだろう。あの急激な温度変化に肉体は耐えることができても、角は耐えられなかったらしい。


 そもそも反射的に防御をしてしまうような強度の角だ。元々他のキメラの角に比べて(もろ)いものだったのだろう。


 ヒビが入っている以上、角を砕くのは難しくはない。鈍器で思い切り叩いただけでも充分に砕け散ってしまうだろう。


 俺は思考する、キメラに防御されずに角に思い切り衝撃を与える手段を。


 そして、俺は閃く。


 だが、もし失敗したら、成功しても角が弱点じゃなかったとしたら、俺は間違いなくキメラの豪腕によって吹き飛ばされるだろう。そして、最悪、死ぬだろう。


 しかし、この時の俺には自信しかなかった。


 俺は天才だ。


 その自信はこの言葉に裏付けられた淡いものだった。でも、もう(すが)るしかない。


 だから、俺は考えを行動に移す。


 走り出した俺はミラージュで自分の位置を実際よりも前方にあるとキメラに誤認させる。誤認させた位置はキメラから見ると、ちょうどジンを叩き潰そうとしたあの時と全く同じ位置になる。


 当然キメラは同じように幻想の俺を叩き潰そうと右腕を振り下ろす。


 そして、俺はその腕を駆け上がる。


 ジンのような素早さはないが、魔法を使ってジンと同じ事をする。


 腕を駆け上がった俺は跳び上がり、すかさず魔法を放った。


「《ガスト》!」


 俺の魔法がキメラの角に当たる。熊の頭を圧し潰せる鉄のような空気の(かたまり)だ、当然角は砕ける。


 着地のことなど考えていなかった俺は頭から地面に落ちた。


 捨て身の跳躍。失敗したら死が訪れるこの跳躍は一種の賭けであった。


 自らの命をチップとした賭け。体勢を整えた俺がキメラを見た瞬間、その賭けの勝敗は決したと感じ取る。


 キメラの左腕は顔をあげた俺の眼前でピタリと止まっていたのだ。


 直後、血液が沸騰でもしたかのようにキメラの体表全体がブクブクと膨れ上がる。


 そして、それが落ち着いたかと思うと、身体の至るところで、肉が溶けてベチャ、ベチャと地面に落ち始めた。


「ニンゲン…コロス…ニンゲン…コロス…」


 自身が崩壊を始めてもなお、キメラはそう言い続けていた。


 しかし、声が出せなくなるであろう最期の一瞬、キメラは左目から一筋の涙を垂らし、こう言った。


「マリア…」


 その一言を最期にキメラは話すことができなくなった。そして、骨と溶けてドロドロになった肉だけが残った。


 マリア?一体誰だろう。もしかしたら、俺の聞き間違えかもしれないし、声帯が溶けたために音が変質してしまったのかもしれない。


 見る影もなくなってしまったキメラを前に、俺がキメラの最期の一言について考えを巡らせていると、どこからか声が聞こえてきた。


「ふーむ、『憤怒(ふんぬ)』はダメだったか。まあ良い、今回は得たものの方が多かったからな」


 声がした方向に俺は顔を向ける。


 俺が見た方向の空中にはキメラが出現するあの黒い穴が空いていて、その中にはいつもとは違いキメラではなく白衣の男がいた。


 見た目で判断するなら年齢は40代後半。細身の身体に片眼鏡を付けた細い目のその男は、これから年老いていくだろうと言うことが簡単に予想ができる風体だ。


 しかしながら、細い目から(のぞ)く その瞳は少年の輝きを残したままだった。


「誰だ!?」


 突然の来訪者に俺は声を荒げて問う。キメラと同じ登場をした男が少なくとも敵であるということだけは明らかだからだ。


「人に名前を尋ねる時はまず名乗るべきだろう?そうは思わないかね、柊健くん?」


「!」


 俺はあまりの不気味さに絶句する。俺が知らないこの男が俺の事を何でも知っているような口調でそう言ったからだ。


「まあ良い、名乗ろう。私、いや我輩(わがはい)はゲオルク・フィッツロイ。名前で言うよりも『天才研究者』と言った方が君には伝わるかな?」


 天才研究者のゲオルク・フィッツロイ?聞いたことのあるようなその名前に俺の脳は懸命に記憶を辿(たど)る。


「もしかして、『進化の道』を書いたゲオルク・フィッツロイか!?死んだはずじゃ!?」


「ほう、異世界人である君にさえ、あの駄作の名が知れているとはな。流石に羞恥を感じるな」


「俺が異世界から来た事をなぜ知っている!?」


「さっきから質問ばかりだね。残念ながら我輩と君の関係性は先生と生徒ではない、好敵手、ライバルだ」


「何を言っているんだ!?」


 理解ができない情報が一気に流れ込んできて、俺は混乱する。


「そうだな。こうして長く話すことに今は意味がない。君に覚えておいて欲しいのは、我輩は君の敵である事、我輩は君がこの世界に来る日を待ち望んでいた事、この2つだけだ。それと『憤怒』を撃破した報酬をあげよう。君にはまだまだ強くなってもらわないと困るからな」


 ゲオルクはそう言うと片眼鏡を外して俺に投げる。


「これは?」


「それは『分析の片眼鏡』。見たもののステータスや『魂の名前』がわかるものさ」


「『魂の名前』?」


「まあ待て。今から説明しよう。それが2つ目の報酬だからな。この世界には異能だけじゃ表すことのできないことをできる超人って存在がいる。例えば、どこかの異世界人のように先天的な異能の数を増やす者とかな。そう言った存在は魂に名前が刻まれているのさ。試しにその片眼鏡で我輩を見てみるが良い」


 敵と名乗る男に指示されるまま、俺は片眼鏡を付けてゲオルクを見る。『分析の壁』により示される体力や魔力のステータスの数値の他に1つの英単語が見えた。


「Genius…天才?」


「そう、それが我輩の『魂の名前』だ。ちなみに、君のはEvolution、進化だ。我輩からの贈り物は以上だ。せいぜい精進し(たま)えよ」


 自分のやりたい事だけやってゲオルクは立ち去ろうと漆黒の穴の奥へと帰ろうとする。


「待て!」


「何だね?まだ何かあるのかね?生憎我輩にはもう用はないのだが」


「何を勝手な…」


「ああ、そうそう。『憤怒』は人間を材料にしたキメラであるが、殺人をしてしまったなどと言うくだらないことは気にしなくて良い。あれは半分失敗作だ。憤怒の感情以外を抜き取り、憤怒の感情を増幅したら同じことしか言わなくなってしまったのだよ。まあ、憤怒の感情を詰め込む前もずっと娘の名前だかを言っていただけだから、元々の材料の質が悪かったかもしれないな。確か、その娘だかの名前は…」


「マリア」


「そうそう、マリアだ。あまりにもどうでも良い事過ぎて記憶すらしていなかったよ。次はちゃんとしたキメラを送るから楽しみにしていると良い。では、また会おう」


 ゲオルクはそのまま漆黒の穴の奥へと消え去った。そして、穴も後を追うように消えた。


 結局ほとんど何もわからないままだった。


 自分勝手なゲオルクの発言に俺はモヤモヤとした感情を残しながらも、そのゲオルクがいなくなったことでずっと張り続けていた緊張の糸が切れて俺は蝋燭(ろうそく)の炎が風で消えるように意識を失った。

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