1.3 宿屋の仕事
翌朝、マイちゃんが起こしに来てくれた。朝と言っても未明だから朝なのか微妙なところだが。宿屋の朝は早い。ケビンさんやカオルさんは交替で夜中も起きているらしいから、朝が早いとかそんなレベルの話ではないが。
今から初仕事だ。まず最初の仕事の内容はツバサさんとマイちゃんと一緒に市場で今日使う食材の買い出しだ。買い出しと言っても俺の仕事は単に荷物を馬車の荷台に積み込むだけなので さほど大変でもないだろう。強いて言えば早起きこそが俺にとっては最も大変だ。
「ほら、ケン!行くよ!」
「はいはい、今行くよ」
マイちゃんは朝から元気だな。ツバサさんも既に仕事モードみたいな顔をしているし、やっぱり2人とも慣れているんだろうな。
―――
しばらく馬車に揺られていると市場についた。朝だって言うのに多くの人が市場を訪れていた。人混みは本当に苦手なんだけどな。まあ、仕事なので文句は言わずにおとなしく働くだけだが。
働くと言っても、商品を買うのはツバサさん達がやってくれているし、ツバサさん達が交渉している間俺はひたすら待機だ。
それにしても ここが異世界の市場か、見たことのない商品ばかりだな。
いや、商品だけじゃない。市場にいる人々も見たことのない種族がいる。エルフにドワーフ、獣人か。割合は決して高くないがちらほら見かけるな。
おっと、交渉が終わったようで買った物が運ばれてきた。それにしても量が多いな。今までこの量を2人で積み込んでいたのか。大変だったろうな。
―――
1時間程度で買い物は終わった。1つの荷物を積み込み終わった頃に別の荷物が次々と運ばれてくるので、後半は休む事なく積み込み続ける事になり大変だった。
トワイライトへ帰るとツバサさんは早速客に出す朝食の準備を始めた。俺とマイちゃんは買ってきたものを荷台から下ろし、倉庫等にしまう作業をした。
しばらくすると客が朝食をとり始めた。そろそろチェックアウトする客が出始める可能性があるので、俺はフロントで待機する事にした。
―――
そこから数時間はやたら忙しかった。
俺が新人という事情は客には関係ないので、客からの質問はバンバン飛んで来るし、客もドンドンやって来るしで、とにかく怒涛の数時間だった。
しかし、昼前になると客はほとんどいなくなり、先程までの忙しさが嘘のようになっていた。
ここでようやく本日初めての食事だ。
俺が厨房の方に行くとマイちゃんがいた。マイちゃんも各客室の掃除を終え、食事をとるらしい。
「ケン、お疲れ様!初日だけど仕事の調子はどう?」
「思ったよりも忙しくて大変かな。トワイライトっていつもこんなに忙しいの?」
「うん、だいたいこんな感じだよ。でも昼前になって一旦落ち着けば、次は日が落ちる少し前までは結構ゆとりがあるよ!」
「なるほどな。忙しさに波があるわけか」
「あ、ケンさん。ここにいたのね」
俺とマイちゃんが話しているとカオルさんがやってきた。
「はい、何かありましたか?」
「しばらくの間忙しくない時間が続くから、ケンさんは今のうちに生活用品でも買ってきたら良いんじゃないかしらと思ってね。少しだけどお金はあげるから、買い物にでも行ってきたらどうかしら?」
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて街でいろいろと揃えてきます。ところでギルドに登録したいと思っているのですが、必要な物とかってありますかね?」
住民票とかの身元を証明する物が必要と言われたら詰みだな。そもそも住民票の概念があるのかすらわからないが。
「あら、ギルドに冒険者の登録をするの?」
「はい、いつまでもここでお世話になるのもご迷惑かと思ったので、早めに次の仕事を探そうと考えていまして」
「そんな事、気にしなくていいのに。で、そうそう、ギルドの登録に必要な物の話だったわね。特に何も必要なかったはずだわ。ギルドカードを作るのに血が少しだけ必要とは聞いているけれど」
「なるほど、ありがとうございます。では、食べ終わったら早速街の方に行ってみたいと思います」
「ええ、夕方になる前に帰ってきてくれれば仕事の方は大丈夫だから、急がなくてもいいわよ」
「はい、わかりました」
「ねえねえ、お母さん。ケンの事、『ケンさん』じゃなくて『ケンくん』って呼んだら?私が呼び捨てなのに他のみんなが『ケンさん』って呼んでると変な感じがする」
「そうかしら、私はそのままの呼び方で良いと思っているんだけど」
「えー、絶対呼び方変えた方が良いって!ケンからも言ってよ!」
「そうですね、マイちゃんが言うように呼んでくれると俺としても嬉しいです」
「ケンくんもそう言うのならわかったわ。これからは『ケンくん』って呼ばせて貰うわね」
「はい、お願いします」
―――
実質昼食となってしまった朝食を食べ終わってすぐに俺は街に出た。まずは日用品を買い、次にギルドへと寄った。
ギルドには数人の冒険者らしき人々がいて、掲示板には依頼がびっしりと貼られていた。
俺は受付にいる女性に声をかけた。
「すいません、冒険者の登録をしたいのですが」
「はい、こちらの受付で登録できます。まずはお名前と年齢を教えて頂けますか?」
「柊健、16歳です」
「はい、ヒイラギ・ケン様ですね。少々お待ちください」
そう言うと受付の女性は紙に俺の名前を書いた。その後、魔法陣のようなものが描かれたマットを取り出し、その上に白いカードと先程記入した紙を乗せた。受付の女性が呪文を唱えるとカードに俺の名前が浮かびあがった。
「こちらのカードと登録用紙の名前の書かれた場所の右横に血判を押してください」
「はい」
俺が2つに血判を押すとマットに描かれた魔法陣が光り出し、カードと登録用紙の両方に俺の顔写真のようなものが浮かびあがった。
「これで登録は完了です。こちらのカードはギルドとギルド協賛組織で身分証明書として使えるギルドカードです。ギルドカードは依頼の受注と報告の際に受付に提示してください。それと こちらがギルドの規則等が書かれた冊子になります。一度隅々まで読む事を強くお勧めします。また、ギルドの奥にある受付で自分が持つ先天的な異能について知ることができるので、どうぞご利用ください」
「あ、わかりました。何から何までご丁寧にありがとうございました」
どれ早速その受付に行ってみるとするか。
奥にある受付か。あ、あれだな。
俺はギルドの奥へと進み、受付にいる くすんだ緑色のローブを着た女性に話しかけた。
「すいません、自分の異能について知れる受付ってここですか?」
「はい、そうです。ここにある石板に手を置いていただければ、自分が先天的に持っている異能について知ることができます」
俺が石板に手を乗せると、石板がうっすらと光った。受付の人が石板の下に敷かれていた紙を取ると、取り出した紙には文字が印字されていた。
「こちらの紙に書かれたものが あなたの先天的な異能になります。全部で13個で うち9個が超能力ですか。平均よりも非常に数が多いですね、ギルドでのご活躍を期待しております。こちらの診断書はお持ち帰りいただいて構いません」
「はい、ありがとうございます」
言われるままに謎の診断を受けたけれど、異能についての知識がないから診断書の内容に少し理解できないところがあるな。今度 誰か詳しい人に聞くとしよう。
―――
その後、特にやりたい事もなかったので宿屋に戻ると、ツバサさんが厨房で料理の下ごしらえをしていたため、俺はツバサさんの手伝いをすることにした。
しばらくして夕方になると人が増えてきたので、今度はマイちゃんと共に食堂兼酒場で給仕の仕事をすることにした。
時間が経つにつれて、今日も食堂兼酒場は酒に酔った冒険者達で賑わってきた。
俺は酔っ払いが嫌いだが、この冒険者達の中には命を懸けて依頼をこなしている人も多くいるだろう。酒で労をねぎらっているのだろうし、毛嫌いするのも良くないな。
冒険者達の騒ぎ声をBGMに俺は淡々と仕事をこなしていった。
次第に夜は更けていき、食堂兼酒場の賑わいも落ち着いてきた。
仕事も落ち着いてきたので、俺は話をするためにカオルさんの部屋に向かった。
―――
俺がドアをノックすると中から返事が聞こえてきたので部屋に入った。
「カオルさん、今お時間 大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。どうかしたのかしら?」
「冒険者ギルドに登録をしてきたので、今後の事についてお話ししたい事がありまして」
「無事登録できたのね。それで何かしら?」
「俺としては、行き場所の無かった俺のことを拾ってくれた恩があるので、もう少し働いてから辞めようと考えているのですが。カオルさんの意見を聞きたいと思いまして」
「私達の事は気にしなくて良いのに、いつでも好きな時に うちを辞めて冒険者活動を始めて貰って良いのよ」
「では、恩返しさせて貰うという事で、後20日間働いてから辞めさせていただきます。俺が勝手に決めて申し訳ないです」
「良いのよ、それじゃあ20日間よろしくね。それと今日はユイに聞いて仕事がないようなら、休んでくれて構わないわ。初仕事で疲れたでしょう」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
―――
その後ユイさんに聞いたら、俺にできる仕事はないそうなので先に休ませて貰った。
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次の日から20日間、俺は一心不乱に働いた。次第に仕事にも慣れていき任される仕事も増えていった。
仕事の充実感に満たされて仕事を辞めたくない気持ちに駆られたが、世界を救う使命を果たすために冒険者活動をする選択を諦めることはできなかった。
宿屋の世界を救うのであれば このまま働き続けるのもありだが、俺を転生させた人も流石にそんな小さな世界を救うために転生させないだろう。
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そして別れの時、まあ、冒険者活動を始めたら今度は客として泊まるから、そんな重々しい別れではないが。
カオルさんとマイちゃんが見送ってくれた。
「短い間でしたが、とてもお世話になりました。これからもヤポンにいる時は客として泊まる事になると思うので、よろしくお願いします」
「ええ、いつでも泊まりにきていいわよ」
「ケンがいなくなるのかー、寂しくなるなー。次はいつ泊まりに来るの?」
「えっと、今日かな」
「え!ケンは冒険者として旅に出るんじゃないの!?」
「いやいや冒険者にはなるけど、この街から離れるのはまだ先になると思うよ」
「なーんだ、だったら見送らなくて良かったじゃん!でも良かったよ、これで さよならじゃないんだね!」
「うん、これからもよろしくね」
「ケンくん、これ貰ってくれるかしら」
カオルさんはそう言うと小さな布袋を俺に渡した。袋の中には9450ブロンが入っていた。
「これは何ですか?」
「21日分の給料よ。冒険者になってからもお金は必要になると思うから」
「そんな!これは頂けませんよ。俺は恩を返すために働いていたんですから」
「ケンくんは恩って言ってくれているけど、たいした事はしていないのよ。私達は困っている人がいたから助けただけなのよ」
「それでも俺が救われた事に変わりはありませんから」
「じゃあ、こうしましょう。間を取って半分だけ貰ってくれないかしら?ケンくんは あんなに一生懸命に働いてくれたんだもの。タダ働きじゃ今度は私達の気がおさまらないわ」
「わかりました。そういう事であれば、ありがたく頂戴します」
そう言って俺が布袋を返すと、カオルさんは数枚の硬貨を取り出して俺に再び袋を渡した。
「では、そろそろ行きます。本当にお世話になりました」
「ええ、いってらっしゃい」
「じゃーねー、ケン。気を付けてね!」
別れを惜しみつつも俺はトワイライトを後にし、ギルドへと向かった。