第8話「息抜き、のち凱旋」
ハムスター領の治安回復は八割がた終わりました。
各地に潜んでいる残党などもいるにはいるのですけれど、別にゲリラ戦を展開しているわけでもないので放置OKですね。
賞金を懸けて狩らせておけばそのうち消滅してしまいます。
悪人というのはまとまっている時は怖いですが、個々だと無力なものですから。
この段階まで来れば、ハムスター領の治安は何もしなくても自然に回復していきます。
いずれは街道の往来が増え、交易もしやすくなり、モノが余ったり足りなくなったりすることも減るでしょう。
幸せというのは、欲しい人のところに欲しいものが届くという状態なのかもしれません。
それを作り出すのが私たち貴族のお仕事です。
ハムスター領の特産である鉱石や海産物、海外からの輸入品が外に流れ出し、他領からの特産品がたくさん輸入できるようになればミッションクリアーということですね。
まあ、さすがにそのころには私はここにはいませんけど。
帰る場所がありますし。
おいしい料理と洗練された住居と教育の行き届いた使用人。
やはりあれに勝るものはないです。
屋敷での暮らしが恋しくなってきた時分でもあるので、さっさと終わらせてしまいましょう。
おうちに帰る決意を固めた私は溜まっていた書類にぺたぺた印璽を押しまくります。
私が責任とるからやっとけー、という儀式の一種ですね。
もちろん内容なんて読んでないですよ?
私もそこまで暇じゃないので、全部カーリー文官におまかせです。
三時間もすれば積もっていた書類の束がはけたので、後はあそぶだけですね。
ちょうど食客のラトリさんが暇そうにしていたので、二人連れ立って狩りにでかけることにしました。
「え、それって大丈夫なの?」
「大丈夫です」
仕事を放り出して遊ぶことに抵抗があるらしいラトリさん。
ちょっと真面目すぎますよね。
「私、えらい人は書類とにらめっこしながら知恵を絞りだそうとするものだと思ってたのだけど」
「それだと必死に働かなくてはならないではないですか」
「いや、働いてよ!」
「私がやっても他の人がやっても同じ結果になるのなら、他の人に任せてしまったほうがいいのです。そもそも印璽を押すのに知恵なんていりませんよ? あれはどれぐらい腕の筋肉を効率的に使えるか、いかにインクをにじませないで押せるかといった技術を競う遊びです」
「印璽ってそんなものなの!?」
ラトリさんが驚きました。
「なんか私が思ってた貴族の仕事とだいぶ違うんだけど!?」
「世の中そんなもんです」
「略しすぎ! 意味がわからない!」
「…………印璽を押すというのは各種命令書に公爵家の信用を与えるという行為です。信用がなければ人に命令を聞いてもらえませんが、その命令内容を私が考えるわけではありません。部下が知恵を絞って考えます。どれだけ優秀な君主だったとしても、現場の人間が正しいと思って出した判断を上回ることはできないものなのです」
素人が専門家にかなうわけないですからね。
「うーん、でもそれだと、バカな部下とか嘘つきな部下とかの提案も通っちゃうってこと?」
「基本的にはそうです。ただ、その前の段階で何回かチェックが入っておかしいものは弾かれます。私の部隊だと3回ですね。非効率的な組織とかだと無能なコネ持ちがうじゃうじゃいるので、10回以上チェックが行われるという意味不明な現象も起こります」
「お役所仕事だ!」
ラトリさんが嫌そうに叫んでます。
なにかトラウマでもあるのでしょうかね。
いやまあ、役所に陳情に行って何か月も待つなんてのは普通なので、気持ちはわかるのですけれど。
今のような変革期というのは利権おばけを蹴り出せる数少ない好機なので、ハムスター子爵の家臣団はできるだけ首を切り、あとあとブロッコリー公爵領の家臣と入れ替えさせて、うちの無能なコネ持ちどもに出世の機会を与えねばなりません。
「中途半端な有能よりも、無能なコネ持ちのほうが使えるのでしかたがないですね」
「そうなの!?」
「軍隊で言えば、いい装備を取ってきてくれたり、弱い敵の場所に配置してくれたり、相手より多い数をそろえてくれたりするのがコネであり政治力なのです。ちょっと力が強いだけの人が、2対1の素手状態で武器持ちに勝てると思います?」
「あー……そりゃ無理だよね」
納得していただけたようでなによりです。
まあ現実にはコネがあってもそこまで都合よくはいきませんが、幸運に恵まれやすくなるというのは間違いないですね。
出世もしやすくなりますし。
「そもそも書類のチェックなんてものは秘書とか副官がやるべきお仕事でして、私の場合は母の実家から連れてきた女官さん達がやってくれてますね。もちろん本当に重要なやつだけは入念にチェックしますし、興味がある分野については質問して変更を指示することもありますが、それ以外はハンコ押しマシーン状態です」
「あ、いちおう最低限の仕事はしてるんだ」
ラトリさんは安心したように笑いました。
「別にあれは仕事をしているとは言えませんね。私の見聞を広めるために仕事の邪魔をしていると言ってもいいぐらいです。私の仕事は目標を定めることであって、具体的な方法については基本、関与しません。なんなら印璽をカーリー文官に渡して、勝手に押しといてくれと言ってもいいぐらい」
「そ、そんなこともできるの?」
「できます。というか、私不在の場合はカーリー文官のサインだけでもある程度まわるようにはなっています。ただ、そこまでもたれかかるとカーリー文官が嫌がりますからね。いくら裏切るつもりがなくても、主人を刺せるナイフを渡されるのは落ち着かないものですから」
「…………カーリー文官は裏切ったりしない人なの?」
責任のない立場だからっておそろしいことを聞いてきますねこの人。
「それはわかりません。でも、彼の裏切りを警戒すると私の部隊は成り立たないですからね。現実にはカーリー文官と私の女官が結託して私をはめようとすれば簡単にできますけど、そのレベルで人を疑ってたら何もできないので」
「そっかー」
「膨大な書類を自分でチェックして精読することは事実上不可能ですし、できたとしても精神エネルギーの大半を使うことになるのであほらしいです。人を使うには、どこかで人を信じるしかないのです。たとえ結果として裏切られることになってもです」
「友達に後ろから刺されるのはしかたがないもんね」
「まあ、そういうことですね」
私には友達なんていませんけど、ラトリさんのいうことは完全にその通りだと思います。
とはいえ、例えば督戦とかで恨まれているハムスター子爵軍の人を信じたりはできませんからね。
今回の戦いの論功行賞では露骨に差をつけて協力者とその奴隷とに分別し、お互いが憎み合って足を引っ張り合うように手配しておかねばなりません。
許可なく勝手に動いたら処罰できるように法整備もする必要がありますね。
これらの処置をすると軍隊としてはほとんど機能しない金食いマシーンと化してしまうのですけれど、それでもマニュアル的には動けますし、裏切られるよりはましですから。
「というわけで、遊びましょう!」
「おー!」
森を駆け、山を駆け、手弓をびゅんびゅん引いて獲物をやっつけます。
倒した獲物は血抜きをして、後続の護衛の人に渡して運んでもらう予定だったのですが…………さすがにこのスピードで進むとついてくるのが難しいみたいですね。
みなさんへとへとです。
しょうがないので広場を拠点にしてその周囲だけで遊びます。
枝づたいに飛び回って進むお猿さんごっことか、石を割って即席武器を作る原始人ごっことかですね。
いつもは屋敷の裏山とかで遊んでるんですけど、たまには違った環境ですごすのも新鮮な感じで楽しいです。
体を動かすのは人生の喜びなのですよ。
転生して一番よかったことを聞かれればそれは公爵令嬢の地位なんかじゃなくて、超健康な肉体を得られたことだと断言できるぐらいには充実しています。
全身で風を感じることの高揚感!
景色が流れる速さは列車さながらでして、この足があれば世界のどこにだって行けるのだと叫びたくなってしまいます。
「……そろそろ帰ろっか?」
「そうですね」
日が暮れ始めたので二人でイノシシとシカもどきを担ぎ、帰路につきます。
実は盗賊とかも狩りのターゲットとして狙っていたのですが、さすがに出会うことはできませんでした。
まあこの広い世界で人同士が出会うというのは奇跡みたいなものですからね。
街を道でつないで全てを知ったような気になっても、それは勘違いなのです。
世界というのは一生かけても回り切れないぐらいに広いものなのですから。
後処理が終わりました。
もうハムスター子爵領でやり残したことはありません。
別にやろうと思えばいくらでもやれますけど、そんなのは代理の領主がやればいいのです。
弱体化したハムスター子爵軍とカルラ隊の一部は残党狩りのために残すとして。
ブリトラ子爵も連行…………もとい、親睦を深めるために公爵領に来てもらうことにして。
さあ、堂々凱旋といきますか!
帰り道でいろいろ考えます。
雪が降る前に終わったのは幸運でした。
年をまたいでの任務になる可能性も想定していたので、これは純粋にうれしいです。
盗賊退治や領地乗っ取りについては事前の想像を超えるものはあまりありませんでしたが、商人のプルシャさんが没落令嬢に高値をつけたことだけは完全に予想外でした。
あれは勉強になりましたね。
女の子の魅力というのは私が思っていたよりもはるかに強力なようです。
戦後の報酬についてはしっかり考えないといけません。
毎日こつこつ軍功帳に記入して推薦文とかもたまってるんですけど、これを父に渡して報酬をぶんどらない内は任務成功とはいえないですからね。
論功行賞の成否は私の人望に直結することがらです。
他の仕事をどれほど怠けたとしても、これだけはちゃんとやらなければ。
…………ただまあ、私は公爵令嬢で、しかも跡継ぎです。
カルラ隊はおそらく他の部隊よりも活躍に比して多く褒美をもらえるはずなので、それほど心配はしていないのですけれど。
プルシャさんが金よりも美少女を喜んだという例もありますし、軍功上位の人には特別な歓待の場を設けてもいいかもしれません。
屋敷の美女とか街娘とか商売女とかホストとか美少年とか、いろいろ集めて合コンとか、ありですね。
そういえば先日誕生日を迎えました。
これで私も11歳です。
そろそろ結婚の話が来てもおかしくないですし、楽しい子供時代は終わろうとしているのかもしれません。