第6話「侯爵領へ行こう」
みなさんこんにちは。
船酔いました。
カルラです。
景色がぐるぐると回ってます。
嵐が空けた翌日。
快晴。
世界を呪いたくなるほどの青い空。
船室は死屍累々。
ゲロまみれ。
みなさんセリにかけられる寸前のマグロみたいな状態で横たわっています。
昨日の嵐がすさまじかったですからね。
船というのは滅多なことでは沈まないらしいので、海面をぐわんぐわんと振り回されていたあの状態でも問題はないそうですけど。
はあ。
潮風は気持ちいいですね。
なんだか生き返るような心地がします。
原作主人公なんかは最初の船旅でいきなり海賊に襲われるなんてシーンがありましたが。
ぶっちゃけ嵐なんかより海賊の方がまだましだったかと。
だってねえ。
海賊と戦っても私以外の誰かが死ぬというだけの話なのであって。
私は苦しみません。
いっぽう。
嵐はみんな平等に苦しいので。
私も苦しいのです。
ひどいよー。
「あ、カルラちゃんだ」
水夫や航海士並に元気なラトリさんがぶんぶん手を振って私に近づいてきました。
手にはうちわ。
暑いですからね。
近衛として働くためにそよそよと風を送ってくれるので、ちょっとだけ優雅な感じがして気分が上向いていきます。
「うむ。ごくろう。よきにはからえ」
「ははー」
ラトリさんがぺこぺこ頭を下げました。
格好だけですけど。
あいかわらずの敬語が使えないラトリさんなので、これは冗談の一環ですね。
近衛が主を敬うことが冗談になるとはこれいかに。
「ヤクシャさんは?」
「寝てる」
「ゲロ吐いて?」
「うん。ゲロ吐いて」
つい先日の嵐のただ中で酒盛りをしていたヤクシャさん。
彼は浴びるほどの酒を飲み、セクハラを敢行し、ラトリさんの胸と尻をもみしだくことに成功した後で拳によって脳を揺らされました。
さらにバキバキ。
パンチやキック。
ついでに船の嵐に揺られてグロッキーになって、割と深刻な状態にまで落ち込んでしまったようです。
「やりすぎちゃったかな?」
「いえ。あれはあれでいいです。誰も文句はいいません」
死んでもギャグで済みますからね。
ええ。
完全な自業自得による悲壮感ゼロの最後なので。
遺体は海に投げ捨てて、魚の餌として星の生命サイクルの一環という感じで役立ってもらうとしましょうか。
「なんか、本人は嵐避けのための祈祷だとか言ってたけど」
「酒乱とセクハラです」
「だよねえ」
「酔っぱらいの戯言を真に受ける必要はありません。逆さに吊るして日に当てて酒気を抜くのがセオリーです」
「なんか干物の作り方みたいだね」
のほほんとラトリさんが雑感をつぶやきます。
しかしこの人。
けっこー飲んでたと思うのですけれど。
問題ないのでしょうか?
「ラトリさんは平気そうですね」
「ううん? 揺れてておもしろいなーとは思ったけど。それだけかな?」
ヤクシャさんなんかは陸に打ち上げられたイカのように真っ白になってうめいているというのに。
なんてタフなのかしら。
やはり近衛になれるような人は基礎体力とか人体構造とかからして違う感じがしますね。
いやまあ。
その理屈だと、ヤクシャさんも元気じゃないとおかしいのですけれど。
「ヤクシャはだらしない」
「ですよねえ」
彼はあまりにも飲みすぎました。
嵐避けをうたった宴会で酒を暴飲しまくって倒れてるわけですから。
まさしく。
バカそのもの。
つける薬がありません。
「ちょっとからかいがてら、様子を見に行こうか?」
「そうですね。船の上は暇ですし」
というわけで、船倉の底で寝ているヤクシャさんの見舞いをすることにしました。
大型ガレオン船の「トレジャーカルラちゃん1号」といえども個室に住むことができるのはわずか2名です。
私と船長だけ。
それさえも機密書類を人の目に触れさせないための話。
船というのは大きく見えても内部は狭いため、一人一人に個室をあてがうような余裕は全くないというのが実情です。
人をくつろがせるスペース。
そんなものがあったら物資を積み込みます。
なにせ、水や食料、船旅の元を取るための交易品は絶対に必要なので。
人間より金が大事。
この時代の価値観を象徴するような構造だと言えますね。
「ヤクシャー。いるかー」
ラトリさんが部屋の扉を開けると、ゲロくさくよどんだ空気が流れてきました。
文官。
食客。
正規兵。
みんな平等にげっそりと寝込んでいます。
水の満載された樽をどがっと床に置き、氷結魔法で作った氷をコップに入れて、ほいほいと並べてみますね。
「どーもみなさん。見舞いに来ました。水を飲んでください」
「あ、あり、ありがと、ざいます」
ゾンビのような動きでゲロ人間たちがのろのろ寄ってきます。
こわいよー。
でも泣かない。
だって女の子だもの。
「そんなに飲んじゃだめだよ」
常識のないラトリさんが常識的なつっこみを口にしました。
「いいんだ」
「よくないってば。特にヤクシャ。やばい。やばいぐらい飲みすぎ」
「それでいい。俺は苦しみを知りたいんだ」
「はあ?」
ゲロにまみれたヤクシャさんは手拭いを使ってごしごしと汚れを拭き、髪を整えてからきりりと表情を作ります。
「嵐の時はみんな苦しいだろう。そんな中で、俺だけが平気でいるのは忍びない。酒を飲んで体力を常人並に落として他のやつらと同じ苦労をわかちあう……俺はそういうことに喜びを感じるんだ」
ヤクシャさんは真面目くさった顔でそのように語ります。
なるほど。
この人アホですね。
ラトリさんもあきれ顔。
表情だけではなく、口に出しても言いました。
「バカじゃないの?」
「そんなことはない」
「知り合いでいるのが恥ずかしいレベルのバカだと思うけど」
「なんだと。おのれ女、そこになおれ」
「いくらなんでも、その状態のヤクシャに負けるわけないから」
ラトリさんがつっつくと、ヤクシャさんはぐえっ、とうめいてから倒れました。
見た感じからして苦しげです。
真実苦しいのでしょう。
二日酔いと船酔いとラトリさんからの折檻という三重苦に襲われているので、いくら体力バカのヤクシャさんといえども無事では済まない模様。
「ヤクシャさんのそういう姿ははじめて見る気がしますね」
「おお、姫さま。私は死にかけであります」
「無理して敬語使わなくてもいいですよ? ラトリさんがこれなので」
視線を向けられたラトリさんはきょとんとした表情で自分を指さしました。
「これ?」
「お許しください。彼女はバカなのです」
「なんだとぅ!」
荒ぶるラトリさんをどうどうとなだめます。
ううん。
ヤクシャさんはすっかり近衛としての態度を身に着けつつありますね。
悪くはないのですが。
ラトリさんと同じぐらいに強いヤクシャさんがそうしているのに、ラトリさんだけを特別扱いするというのは気が引けます。
いや、もちろん。
酒を飲んで寝込んでいる近衛兵を叱責しない時点で、十分すぎるほどに特別扱いをしていると言えないことはないですが。
今はオフですからね。
仕事をしていない時の近衛には自由でいる権利があるのです。
「まあ、何か困ったことがあったら言ってください。ラトリさんを特別扱いする程度には、ヤクシャさんからのわがままも聞きますので」
「ありがたき幸せ」
「こんなのに気を使うことないよ」
「おいラトリ。つれないことを言うなよ。未来の夫かもしれんのだぞ?」
「未亡人ってあこがれるよね」
「いきなり殺そうとするな。俺を立てろ。俺を尊敬しろ」
「うわ。カルラちゃんと同じようなこと言ってる」
ラトリさんが恐れおののいています。
うーむ。
私に忠義を誓うのは義務ですが。
ヤクシャさんを立てるのは単なる趣味ですからね。
強要されれば引きもするでしょう。
いやしかし、私とヤクシャさんへの尊敬を同次元で語られても困ってしまうのですが。
「もうすぐ港に着きます。ヤクシャさんも上陸組に入りますか?」
「お供します」
「私も! 私も!」
「はいはい。といっても、仕事だと楽しくないですよ?」
「だいじょぶ! 船の上よりましだから!」
ラトリさんはどどんと正論を言いました。
そりゃそーだ。
船というのは人口過密状態なので居心地がすごく悪いのです。
人だくの場所というのは苦しいもの。
特に水夫なんかはゴロツキと変わらないので、あまり好んで交友を深めたい人種ではありません。
「これで上陸は3回目かー。後どれぐらいかかるの?」
「予定が狂わなければ2回ぐらいです。その次がフォルテイル侯爵領の港町、そこから馬車で主都直行便に乗って進みます。その後は向こう次第、ということになりますか」
「なんでちまちま上陸するの? 直接行けばいいのに」
「食料の積み込みと、あとは販路拡大のためです。せっかく私が直接移動するわけですからね。私が領主と直談判すれば、三年かかるような商談も一日で終わらせられますし」
なにせ、海洋交易の利権をめぐる商談というのは木っ端の部下に独自裁量権を与えることが事実上不可能なので。
どうしても提案させて吟味して許可を出す、という手間がかかります。
それがなんと。
私が話せば一瞬で終わるのです。
できるだけ寄り道をして有力者と会っておくのは当然の措置だと言えるでしょう。
「おまかせするのはだめなの?」
「金額が巨大すぎるので。おまかせしたら賄賂を受け取って不平等条約にサインして知らんぷり、なんて事件が起こりかねません」
「そんなひどい部下っているのかなあ」
「たしかに少数派ですが、間違いなくいるのです。そして問題は、10人の真面目な部下があげた利益の全てをその1人の裏切り者が吹き飛ばすことができるということです」
裏切り者って、ほんとーにやばいですからね。
大臣の横領者とか。
もう最悪。
国民みんなが必死で築いた富を1人で台無しにすることができてしまいます。
「不平等条約って何なの?」
「たとえば『お互いの国の商品を自由に売り買いできるようにしましょう』みたいなのが不平等条約です」
「それはいいことなのでは?」
「違います。悪いことです。産業の強い側だけが一方的に得をする不平等条約です」
「え、ええっと?」
ラトリさんが困っています。
ああ。
ちょっとわかりにくいですかね。
ウィンウィンの関係なんてものはこの世にはなくて、実際にはどちらかが損をしているという話なのですが。
もう少し具体的な話でないとわからないのかも。
「たとえばブロッコリー公爵領なら金貨1枚で作れるような織物が、いま停泊している貴族領で作れば金貨5枚はかかります」
「ううん? だから、安い商品を海の向こうから持って来て売るんでしょ? 金貨5枚の品が金貨1枚で買えるようになる。それはいいことじゃないの?」
ラトリさんの言うことには一理あります。
世界人類の繁栄だけを考えるのであれば正論かもしれません。
しかし。
「それをやると、この領地の織物業者ってどうなると思います?」
「ううん? そりゃー、まあ、全滅するんじゃない?」
「そうです。その通りです。後50年あれば金貨1枚で作れるように成長したかもしれないのに、全滅してしまいます」
「やむなし、だよね」
「貴族領主というのはそれを好みません。本来であれば貿易なんてしたくない。自分の領地だけで全てを完結したい。それが既得権益の持ち主が考えることなのです」
「…………どうして? モノがあふれてるほうが豊かじゃないの?」
たしかに。
消費者目線ではそれでいいですね。
でも。
「織物産業に関わる人はそのようには考えません。既得権益の持ち主は立場を譲りたくないのです。あれこれと理由をつけて、産業を保護してもらうように努めます」
「保護って?」
「鎖国によって貿易そのものを禁止するか、もしくは輸入商品に関税をかけるのです」
「関税?」
「ええ。金貨1枚で持ってきた品に対して金貨4枚を追加で支払わせるぼったくり商法です。これをやれば金貨5枚同士、五分五分の戦いになります。しかもぼったくった分は政府の懐に入るので。とてもゴージャス、うまうまです」
話を聞いたラトリさんが呆然と立ちすくみました。
「そ、それは無茶苦茶じゃないの? そんなことがありえるの?」
「ありえます。みんなそうしてます。4枚はたしかに無茶苦茶ですが、1、2枚は必ずかけます。ただし、関税というのは相互的なものなので。一方だけが関税をかける権利を得る、なんてことは普通ありませんが」
いやまあ、歴史的にはそういうこともありましたけどね。
ええ。
不平等条約ってそういうものですから。
「そんなばかな……おかしいよ。え、だって、関税がなければ安くなるんでしょ? どうしてみんな黙ってるの? 文句を言う人はいないの?」
「そりゃーゼロではないですが。間違いなく少数派ですね」
「な、なんで? 多数派じゃなきゃおかしくない?」
ああ、ラトリさんは勘違いをしていますね。
自由競争主義者のリベラリストにはありがちな錯覚です。
君主というのは基本的に右寄りというか保守的な人たちなので、自由競争なんかよりも保護貿易のすばらしさのほうがよくわかるのですけれど。
「いいですか、ラトリさん」
仮に大量に作れなくて、質が悪くて、モノが足りなくなったとしても。
「この世には」
本当に必要なものは、自分で作っていたい。
「弱者のほうが多いのです」
それがみんなの結論です。
「自由競争の世界で勝てるのは最終勝者1人だけ。そいつにのさばられるよりも、足の引っ張り合いをしながら小さな勢力が乱立しているほうがいい。それが弱者に分類されるみんなの考えです。言い換えれば、一番優秀な人というのは弱者全員を相手に戦う必要があります」
「……で、その弱者の武器が鎖国や関税ってわけ?」
「そういうことになりますね」
ラトリさんは不満そうな表情を浮かべました。
「そんなのおかしいと思う。みんなで幸せになれないよ。一番うまくやれる人に任せてしまうのはだめなの?」
「だめじゃないです。ぜんぜんありです。でも、それはリスクと隣り合わせになります。かなり高い確率で起こる大きなリスクを受け入れなければなりません」
「リスク?」
「ええ。価格の決定権を失うリスクです」
最後に一人だけ残った強者がそれから何をするか。
部下にさらなる過酷な仕事を与えて、安くていい商品を世の中に送り出す?
いえいえ。
そんなわけがありません。
「自由競争によって自分の国の産業が全滅してしまえば、次に起こるのは価格の釣り上げです。たとえば織物の値段を金貨10枚に設定したとしても、相手は買うしかないのです」
「あ、ああ、そっか。自分の国では作れないもんね」
「独占されるというのはそういうことです。貴族領主はこれを避けようとします。だから海洋交易を巡る交渉については慎重になりますし、人任せにはしません。私が面倒を押してまでいくのはそのような理由ですね」
「はやー」
ラトリさんは感心したようなまなざしで私を見つめました。
「貴族って、大変なんだね」
「それはもう。真面目にやればいくらでも仕事があるのが貴族というものですから」
いやまあ。
ほんとーは、部下におまかせしてもいいんですけどね。
ええ。
領地でふんぞりかえって側近に提案書を精査させてチェックさせて、一番上まで通ってきたものだけにハンコを押しておけば領地は回ります。
脳みそいっさいいりません。
ただ、それだと決裁スピードが遅くなりすぎるというだけで。
信頼できる部下を持っている領主なんかはみんなそうしてますからねえ。
はあ。
有能な裏切らない部下ってどこに落ちてるのでしょうか。
やっぱり学園編に入るべきではないですかね。
いやまあ。
原作主人公チームは有能だけど間違いなく裏切るので。
とても誘えたものではないのですけど。