第2話「波乱の予感」
やたらと暑い夏の日のこと。
私は父の執務室に呼ばれました。
東棟中央部にあるこじんまりとしたお部屋です。
お屋敷の東側は仕事関係の施設が詰まっているので、私も用がなければ立ち入ることはできません。
というか屋敷自体がばか広いので、禁止されてなくても入ったことのない部屋は山ほどあります。
ちなみに家の中央部は来客用。
西側は家族用。
奥にはハーレムがあります。
父が愛人をたくさん囲っているのです。
何人かは定期的に孕んでいるようですが、外部からうかがい知ることはできないため、その実態は闇に包まれています。
ふけつだー。
この時代、貴族が妾を囲うのはふつうです。
本妻に関しては実家にそれなりの力が求められますが、愛人であれば村娘でも奴隷でもばっちこい、
なんなら男でもどーぶつでもかまいません。
跡取りと分けて扱うということさえ間違えなければ、愛人の子供なんて何人いても障害にはならないのです。
ここで『愛する女との間にできた子にこそ家を相続させたい』とか頭のおかしいことを言い出したら、その後はお決まりのコース。
親族全員を巻き込んだ血みどろの継承劇になってしまいます。
私としても兄弟姉妹を排除するために人生の大半を費やすことになるでしょう。
そこまで父が耄碌していないのは大変喜ばしいことですね。
原作でもそんな描写はなかったですし、まともな父親でよかったです。
はてさて。
そんな父なのですが、多忙です。
家にいること自体が珍しいぐらいです。
名指しで私を呼ぶのはさらに珍しいです。
つちのこです。
というか、これが初体験。
いやん。
簡単な要件なら食事の時にでも伝えれば済むはずなのに…………わざわざ執務室に呼ぶなんて。
一体なにごとなのかしら。
父は公私を完全に分けるタイプでして、仕事部屋に家族を入れることなどない、と今までは思っていたのですが。
なんだか嫌な予感がします。
分厚い扉を開けて部屋にはいると、書類にサインをしている父の姿が目に入りました。
「…………カルラか」
「はい」
「部屋に入るときはノックをしろ。それから名を名乗り、私の言葉を待つ。もう一度やりなおせ」
「はい。失礼しました」
私は部屋からでて扉をたたき、カルラです、といってから再び入室しました。
父の私室に入るときにはこのような手続きは不要なのですが、やはり執務室は特別なのでしょう。
ほかの部下もみんなこの様式に従っているので、私であってもそのルールから離れるとストレスになるようです。
でかい本棚。
壁にかかった絨毯と地図。
高そうな壺やら絵やら象牙やら。
来客を想定して豪華に作ってはありますが、広い部屋は落ち着かないらしくて室内はとても窮屈です。
私専用のお立ち台が用意してあったので、それに登って正面を見据えます。
机との距離が近く、ペンを持っている父の姿がよく見えます。
「よく来たな」
「はい」
父の声は普段よりも低い、仕事モード。
私を甘やかす時にはもうちょっと油断した高い声になるので、旅行のおみやげをプレゼントしてくれるといった要件ではなさそうですね。
あいかわらずの長身痩躯なイケメン、髪はライトブラウン、顔にはしわ、おめめは真っ赤です。
別に充血しているわけではなく、虹彩自体が赤いのです。
紅眼族とよばれる種族全員に共通する特徴です。
魔力を流すとさらに輝きますが、今は普段モードなのでぴかぴかしません。
確か父は今年で37歳のはずですが……そろそろ病気が進行しつつあるのか、精悍ではあるものの実年齢よりはだいぶ老けて見えます。
公爵の激務による疲労のせいかもしれません。
紅眼族はだらだら生きていれば50代でも20歳ぐらいに見えることもあるのに、父の場合はその逆でして、生命エネルギーを使いすぎて劣化しているのが見て取れます。
そのエネルギーに守られてぬくぬくしているのが私というわけですね。
原作ヒロインの言葉を借りればテラニートです。
原作の『ニートフロンティア』という作品は、家を飛び出して無印ニートになったヒロインが、より上級のニートへと成長していく過程を描いた立身出世物語。
ニートにランクとかあるのでしょうか。
ちょっと意味がわかりません。
なんでもニートという職業には位階があるらしく、1000人に1人のニートをメガニート、100万人に1人のニートをギガニート、10億人に1人のニートをテラニートというらしいです。
ヒロインはパトロンである主人公の出世とともにニートとして成長します。
座敷わらしとか福の神みたいな存在ですね。
ヒロイン自体も超有能なお助けキャラなので、さっさと出て行けというわけにはいかないのが原作主人公のつらいところです。
まあ、ヒロインを失った主人公はどこにでもいる超有能なだけの雑魚でして、私としてはこの二人がそもそも出会わないという展開を期待したいところ。
万全状態のあいつらとやりあっても勝ち目はありません。
なにせ私にとってのお助けキャラである父は、今から13年後の50歳で死んでしまうのですから。
「さっそく本題だが、大陸北西部にあるハムスター子爵領で反乱が起きたらしい」
「ははあ」
「子飼いの部隊が敗れた時点で、ハムスター子爵領主ブリトラが私に援軍を要請してきた。あそこは西央街道の起点に近い。我が領の鉱山利権にもかかわる。放置はできん。速やかに軍を派遣し、治安を回復せねばならん」
「よくわかるお話です」
だからしばらく家を留守にする、と、そういうことなのでしょう。
本来ならわざわざ私に知らせることでもないですね。
父はどうやら体調に相当な不安があるらしく、万が一の時に備えて次期当主としての自覚を促しておこうところですか。
「お前、いけ」
「はい?」
想像をはるか斜め上に行くぶっとんだ命令に、頭がまっしろになりました。
え。
……いけ?
なにそれ?
「私の名代として公爵軍を率い、ハムスター子爵領の治安を回復せよ」
「え、ええー……」
10歳児に向かって何を言ってるんだこの人は。
「私の名代として公爵軍を率い、ハムスター子爵領の治安を回復せよ」
「いや、聞こえなかったわけじゃないですから!!」
無茶ぶりすぎて叫ぶことしかできません。
「なんなんですかそれは! 私みたいな子供になにをどーしろと言うんですか!?」
「お前は子供ではあるが次の公爵家のリーダーだ。今のうちから行軍経験を積んでおくことは決して無駄ではない」
「そうじゃなくて! それなら父の部隊でちょこっと間借りして戦えばいいでしょう!! なんで一足飛びどころかスタートすっ飛ばして最終地点に落着してるんですか!!! 軍を率いるってどういう意味で言ってるの!?」
「軍を率いるとは自己の責任においてそれを動かすということだ。私はお前にハムスター子爵領の治安回復という任務を与え、それに関するあらゆる権限も与える。大きな仕事だが、やりとげれば今後の自信につながるだろう。私の正統の跡継ぎとして、周囲に対するお披露目という目的もかねている」
「そういうのはもっと小さな舞台でやってほしいのですが!」
「それでは意味がない」
父はにべもなく言いました。
確かに一理あります。
パーティーで紹介するとか雑用を任せるとかでは後継者のアピールとしては弱すぎる。
もちろん積み重ねれば30歳になるころには十分な信用が積みあがっているでしょうけど、短期間で信用を積み上げるという前提なら、武功を稼ぐのが一番手っ取り早くはあるのです。
そして私の場合、30歳まで待っていては手遅れです。
…………父はもしかして、迫りくる自分の死期について、おおまかには悟っているのかもしれませんね。
「わかりました」
「わかったか」
「十分な予算と人材、事後の報酬を約束してもらえるのであれば」
「やれそうか?」
「相手はただの雑軍なのでしょう? 青眼族からのテコ入れとか、紅眼族の正規軍人が多数相手にいるのであれば私の手にはあまるかもしれませんけれど」
「青眼族の介入はまずない。相手は盗賊くずれとくいつめた民衆の集まりだ。数に頼んで包囲すれば戦わずとも瓦解する…………と思われる。ハムスター子爵軍が負けているわけだから油断はできんがな。被害と費用の多寡はわからんが、間違っても間違わなくても負けることなどあり得ない」
「相談役は誰をいただけるので?」
「カーリーとガネーシャ将軍をつけよう」
「それならば」
ショックから立ち直った私は内心で小躍りしました。
気分は急上昇のうきうきです。
文官と武官のトップに近い名前をゲットだぜ!
守役として私を育てているあの苦労人2人なら、私がなにもしなかったとしても上手に軍を動かしてくれるに違いありません!!
ひゃっほう!!
「ぜんぶはからえと言っておけば楽ですわね」
「……それでも軍はまわるだろう」
あきれたような表情で父はうなずきました。
最初のインパクトが強かったのでびっくりしましたが、ふたを開けてみればなんてことはありません。
座っているだけでも成功する簡単なお仕事だということです。
いわゆる箔つけクエストですね。
これなら私の能力は関係ない。
いえ、むしろ無能のほうがでしゃばらないぶんだけ上手に軍を動かせちゃう感、あります。
「わかりました。がんばってお座りしてきます」
「お前はことの本質をすぐにつかんでしまうので、脅しがいがなさすぎる。戦地におもむくときはもっと緊張して臨むものだ」
「わかりました。緊張してお座りしてきます」
「いや、そういうことではなく。確かにお前がいてもいなくても何の影響もないのかもしれないが」
「そんなことはないですよ」
「…………ほう?」
私が反論すると、父の瞳に好戦的な色が浮かびました。
「お前に何かできるのか? この家の外のことは、ほとんど知識でしか知らないはずのお前が?」
「もちろんです」
「それは? 具体的には?」
「私のような身分の人間は、ただそこにいるだけで価値があるのです。なぜならそこには、途中でゆがめられることのない武功の観測所が生まれるからなのです。大将が率いてこその精兵というのはそういうことですよ。私はたしかに何もできませんが、部下の活躍を見ることぐらいはできるのです」
言外に『働かないぞ』という強い意志をこめたつもりなのですが、なぜか父の目が驚きに見開かれています。
あれ。
なんだか思ったより、はったりが効きすぎた、みたいな。
私は部下の名前をきっちり覚える気なんてないですし、活躍を目視できるぐらい危険な場所になんて近づきたくもないのですけどね。
「お父様はどうやら私に軍を任せることに不安がおありのようですが、ならば今回の件、他の優秀な部下に丸投げしてしまえばいいのでは?」
「私はそこまで人を信用することができない」
「そうですよね。裏切りは人の世の常だということです。後継者の私ならば裏切る意味がないですし、お父様のご威光さえあれば、それなりの仕事はできますよ」
座ってるだけですけどね、と付け加えると、ふだん気難しいお父様が珍しくお笑いになりました。
ちょっとびっくり。
「…………ということなので、お父様の威光は大きければ大きいほどいいです。まずは全権委任の命令書をくださいませ」
「用意してある」
「あと、家宝の佩剣もください。壊さないようにがんばります。ついでに私用の印璽も。できれば複数あるのがベターです」
「剣については貸そう。印璽の用意は一つだけだ。増やすつもりはない」
「あとは」
「まだあるのか」
そろそろ部下に丸投げしたくなってきたらしい父のへきえきした顔を見ながら、私はこれからの旅路を快適にするための最後のおねだりをしました。
「家でごくつぶしをしている居候連中なんですけど、みんな連れていってもいいですか?」