第78話
新章突入です。
剣の切っ先がフィゼルの左胸の真上でぴたりと止まる。ミリィがそれを大きく振りかぶろうとした瞬間――
「ミリィさんっ!」
不意に後から呼びかけられ、ミリィはびくっと身体を強張らせた。
「ア……アレンさん……!」
半ば放心状態だったミリィが覚醒し、ゆっくりと振り返る。ちょうど先程までミリィが立っていた地点に、アレンが焦燥感の滲み出た表情で立っていた。
「フィゼル……! ミリィさん、これは一体……!?」
先程のミリィと同様、アレンもまたミリィの後姿しか見ていなかったので、ミリィが何をしようとしていたのかは分からなかった。その足下に横たわるフィゼルの姿にも、ミリィに駆け寄ってきて初めて気が付いたほどだ。
「わ……私は何も……来たらフィゼルが倒れてて……」
ミリィは震える声で咄嗟に嘘をついた。フィゼルが倒れたのはミリィが到着した直後なのだ。そしてその時のフィゼルの異様な姿を、ミリィははっきりと目撃している。
「そうですか……」
アレンはミリィの手にあるフィゼルの剣をちらりと見て、しかしすぐに視線を傍に横たわっているガーランドの亡骸に移した。
フィゼルとガーランドが戦い、そしてフィゼルが勝利したのだろうと推測出来るが、アレンはガーランドと一度戦って、その実力を肌で感じ取っている。とても普段のフィゼル一人で勝てる相手ではなく、考えられる可能性はアレンにとって最悪のものであった。
異常なほど青い顔でフィゼルの剣を握り締めるミリィの様子も気に掛かったが、アレンは二、三度頭を振ると、何も言わずにフィゼルを抱え上げた。
「とにかく大聖堂に向かいましょう」
ミリィから剣を受け取り、フィゼルの鞘に戻しながらアレンが言った。ミリィもそれに僅かに頷き、どこか思いつめた表情のまま、フィゼルを背負ったアレンの後に続いた――
郊外から街中に戻り、更に大聖堂へと続く道まで戻ったところで、アレンとミリィは覚束ない足取りのカイルと再会した。そしてそのすぐ後には、そんなカイルに手を貸そうともせずのんびりと歩くレヴィエンの姿もある。
「おお、マイハニー! 無事だったんだね! ボクはキミの事だけが心配で心配で……!」
今にも倒れてしまいそうなカイルを押し退けて、レヴィエンが毎度のごとくミリィに迫り寄る。
「さっ、触らないでっ!」
図々しく手を握ってきたレヴィエンの手をミリィが振り払う。それだけならばいつも通りにも見えるが、明らかにミリィの反応は過剰だった。拒絶の言葉はほとんどヒステリックに吐き出され、レヴィエンの手を払ったミリィの手はそのまま握り締められており、いち早く異変に気づいたカイルが止めなければレヴィエンの顔面を殴りつけていたかもしれない。
「おぉ怖い怖い。いつまでもそんなんじゃ、せっかくの美人が台無しだよ?」
ミリィの異常を知ってか知らずか、レヴィエンの軽口に変化はない。しかしこれ以上のちょっかいは危険と感じ、カイルに睨まれるまでもなく引き下がった。
「……行きましょう。大聖堂が心配です」
ミリィの叫びに、痛みを堪えるようにアレンが眼を閉じる。ミリィの異変には気付いていたが、アレンはそれには気付かぬ振りを通し、決して口には出さなかった。
「そうだねぇ。まぁでも、猊下がズタボロになって負ける姿というのは、ちょっと想像出来ないけどね」
危機感を募らせるアレンに対し、曲がりなりにも教会の人間であるはずのレヴィエンはさほどケニスを心配してはいないようだ。
「私だってケニスが負けるとは思えませんが――」
大聖堂まであと少し。その角を曲がれば大聖堂から伸びる大階段を視界に収めることが出来る。アレンは一向に収まる気配のない胸のざわつきを振り払うように、希望の言葉を口にしようとした。
「――っ!?」
しかし視界が拓け、今までと変わらぬ大聖堂の荘厳とした姿を仰ぎ見るよりも早く、アレン達の眼に飛び込んできたのは信じられない光景だった――
「猊下ーーっ!」
突然静けさを取り戻した大階段前の広場にヴァンの叫び声が木霊する。ケニスの背中から真っ直ぐ伸びている“それ”が何であるか、前日にフランと戦ったヴァンには分かっていた。
ケニスの背中から突き出していたのは漆黒の刃。それは魔法によって生み出され、ケニスの懐深く飛び込んだフランの手から発生している。それが何を意味しているのか、真っ先に理解したのはヴァンだった。
「ケニスーーっ!」
ヴァンの叫びから遅れること数秒――
ヴァンとはケニスとフランを挟んで正反対の位置から同じ光景を目撃したアレンもケニスの敗北を理解し、同じように叫び声を上げた。その拍子に背負っていたフィゼルが滑り落ちる。それをカイルが慌てて受け止めた時には、既にアレンは走り出していた。
「来るなっ、アレン!」
抜刀し、ケニスを救うべく駆け出したアレンを制止したのはケニスの声だった。その迫力に思わずアレンの足が止まる。
「フフ……さあ、ショーの始まりだ」
ケニスはこの状況では不釣合いな微笑を湛え、左手でフランの襟首を掴んで動けなくした。
「――っ! ケニス!」
続いて錫杖を握り締めた右手を高く掲げると、アレンにはケニスの意図が読めてしまった。それを阻止しようと再び走り出そうとしたその瞬間――
――ズドオオォォンッ!!
世界の全てを白く染め上げるような閃光と共に耳を劈く大爆音が轟き、大地が激しく振動した。
「……ケ、ケニス……?」
しばらくして視界が回復し始め、アレンはつい先程とは様変わりしてしまった景色に愕然とした。
そこにケニスの姿はなく、フランの姿も見当たらない。二人が立っていた地点は巨大なクレーターのように抉り取られ、閃光と爆音の正体を物語っていた。
「ケニ――」
一瞬呆然となった後、クレーターに駆け寄ろうとしたアレンのつま先に何かがぶつかった。その勢いで前方にカラカラと音を立てて少し転がったのは、ケニスの武器でもある錫杖の頭部だった。
「そんな……まさか、貴方が……」
アレンは柄の部分が折れてしまっている錫杖を拾い上げ、その場に両膝を突いた。目の前で起こったことが未だに信じられず、しかしどれだけ希望的観測を頭の中に思い描こうとしても、絶対的な現実がそこにはある。
「……猊下、悪い冗談は止めてくださいよ」
いつの間にかアレンの隣まで来ていたレヴィエンが呟いた。これが冗談ではないことぐらい分かりきっているが、アレンももしかしたらという淡い期待を込めて返事を待つ。
しかし返ってきたのは残酷な静寂だった。アレンの胸に深い絶望が刻まれる。隣のレヴィエンを見上げると、その表情はいつもと変わらず涼やかで、しかし握り締めた拳が彼の心を代弁していた。
「なっ……何だい、こりゃあ……!?」
アレンとレヴィエンの後方、二人に掛ける言葉を見つけられないでいたカイルのさらに後方から、聞き覚えのある声が投げ掛けられた。
「あ……アリアさん……」
その声にカイルが振り返ると、そこには支えるようにルーの肩を抱いたアリアの姿があった。アリアの身体に寄りかかるルーのひどく憔悴した表情を気にしつつ、カイルは先程起こった出来事をアリアに話して聞かせた。
「そうか……あの馬鹿……」
事の顛末を聞いた後、一瞬沈痛な面持ちで眼を伏せたアリアだったが、すぐに顔を上げ、クレーターの淵で呆然と立ち尽くしている二人に眼を向けた。
「ちょっと、この子――……お願い」
アリアはミリィに向けて言いかけた言葉を、途中からカイルに方向転換させた。虚ろな瞳をしたミリィの纏う雰囲気に明らかな違和感を覚えたからだ。
「あっ、ちょっ……お願いって言われても……っ!」
アリアはしっかりと抱きかかえていたルーから手を離し、カイルにその身体を託した。すでに片腕にフィゼルを抱えていたカイルは、慌ててもう一方の腕でルーを抱き止めたが、ルーはまるで意思のない人形のように、ぐったりとその腕に体重を預けてきた。
「アリアさん、この嬢ちゃんどうしたんですか!? ちょっと普通じゃないっすよ!」
カイルの腕に抱きかかえられたルーのか細い呼吸は、小さく速い。肉体的な疲労よりも、精神的なものから来ているのであろう疲弊がその表情にありありと滲み出ていた。
「ちょっと色々あったんだよ。心配ないさ、見た目ほど弱い子じゃない」
カイルの困惑した声を受け流し、アリアは歩き始めた。その時一瞬だけミリィの方に何か言いたげな視線を向けたが、それもすぐに逸らした。
「オラァ! いつまでも呆けてるんじゃないよっ!」
思わず飛び上がってしまいそうになるほどの大音声を背中に受け、アレンとレヴィエンは同時に振り返った。
「アリアさん……」
「なんて顔してるんだよ、アレンっ! 今はまだ他にやることがあるだろ! ケニスが命懸けで護ったものを台無しにするつもりかい!?」
今にも泣き出しそうな表情のアレンを一喝したアリアは、同じように振り向いたレヴィエンにも睨みつけるような強い眼差しをぶつけた。しかしアリアが続けて口を開くよりも前に、レヴィエンが「やれやれ」とでも言うように両手を広げて肩を竦めて見せる。
「フッ、ボクの方は心配いらないよ。まぁ、その胸で慰めてくれるというなら遠慮はしないけど?」
言葉だけはいつも通りの軽口だが、その表情からは無理に平静を装っているのが如実に伝わってくる。
「そんだけ減らず口が叩けりゃ上等だよ。ここは一旦引き上げだ。今、ギルドの連中が住民の避難を促している。アンタ達は態勢を整えて敵の残党を一掃しな!」
ショックを受けているのはアリアも同様だが、それでも二人を奮い立たせるように気丈に声を張り上げた。
「……その必要はない」
アリアが二人を励ました矢先に、突然どこからともなく現れた幼い少女がその言葉を否定した。
「ロっ、ロザリー!? アンタいつの間に……っ!? っていうか、来てたの!?」
何の前触れもなくいきなり現れた少女に、アリアが眼を丸くする。
アレンと同様、アリアもまたロザリーとは二十年前からの顔馴染みだった。とはいえ、その二十年前から今まで一度も会ってはいないのだが。
「久しいな、アリアよ。そなたはあの頃と変わっておらぬな」
それが嬉しいとでも言うように、表情の変化に乏しいロザリーが僅かに眼を細めた。
「……アンタにだけは言われたくないっつーの。それより、必要ないってどういうことよ?」
二十年前と全く同じ姿のロザリーに「変わっていない」と言われたことに若干むっとしながら、アリアはさっきのロザリーの言葉の意味を問いただした。
「敵の気配はもう無い。襲撃者は全て駆逐されたか、すでに逃走したのであろう」
頭上から覆い被さるように見下ろしてくるアリアを半ば無視するように、ロザリーはアレンに向かって説明した。
「ロザリー……ケニスが……」
ロザリーの言葉で安心して気が抜けたのか、再びアレンが泣き出しそうな顔で声を震わせる。ケニスの自爆がショックだったこともあるが、声を震わせたのはそれだけではない複雑な感情が絡んでいた。
「そのような情けない顔をするでない。そなたの言いたいことは分かっている。だが今は身体を休ませねばならぬ者も多かろう」
見た目は正に子供であるロザリーが精一杯身体を伸ばして、アレンの唇に人差し指で触れた。それによって二の句が継げなくなったアレンが思い出したようにカイル達の方へ眼を向ける。
フィゼルは気を失ったまま未だに目覚めておらず、アリアの連れて来たルーは憔悴しきった身体をカイルに預けている。そしてその二人を抱えているカイルも、相当な傷を負っていた。
「そう……ですね。今はフィゼルを休ませないと……」
力なく呟き、アレンは悪夢のような戦いが一先ず終わったのだと自分に言い聞かせた。見上げた大聖堂は沈みかけた夕日に赤く照らされている。その姿は余りにも美しく、この戦いで失われた多くの命を悼んでいるように見えた――
≪続く≫
ここまでを第9章にするべきか悩みましたが、ケニスの結果が他と違うのと、ミリィが真実を知ったところから新展開になるだろうということで、ここから第10章としました。
ワイズマンとの戦闘も終わり、またしばらく戦闘シーンは出てきません……^^;
次回は8/27(土)19:00更新予定です。