第77話
フィゼルV.Sガーランド。
そしてついにフィゼルとミリィが……? 的な回です。
「ん? あれは……」
フレイノールのスイーパー達に事細かに指示を出した後、アリアは自身も住民の避難を促していた。その途中、街の中心部から離れた一角で、瓦礫の山に縋りつく少女の後姿を発見した。
「ルー!? アンタ一体何やって――」
駆け寄ってその肩を掴んだアリアは、その瓦礫から伸びている腕を見て思わず息を呑んだ。瓦礫の中にはセリカが身体の半分を埋もれさせている。ルーはセリカに覆い被さっている瓦礫の山を退かそうとしていたのだ。
「早く……早くお母さんを……」
肩を掴んだアリアの存在にも気を止めず、うわ言のように繰り返しながらルーは瓦礫を一つ一つ落としていった。しかしルーの腕力では小さい瓦礫を持ち上げるのがやっとで、どんなに身体全体で押し退けようとしても大きな瓦礫は動いてくれない。それでもルーは止めようとせず、ボロボロの手で一向に進まない作業を繰り返していた。
「ルー……残念だけどお母さんはもう……」
アリアは瓦礫の前に屈んでセリカの腕を取った。脈を診るまでもなく、その冷たくなった手に触れた瞬間にセリカが息絶えているのが分かる。
しかしルーはアリアの言葉を聞こうとはせず、なおも瓦礫にしがみ付いていた。
「ルーっ、今は避難するんだ!」
アリアもセリカを瓦礫から助け出してやりたい気持ちは山々だったが、この瓦礫の山は簡単には退かすことが出来ない。大型の導力機械を用いるか、大の男が十数人がかりでやっとどうにか出来るかどうかというものだ。
空を飛び回っていた二体のドラゴンはもういなくなっている。あちこちで前兆無しに捲き起こる爆炎も、いつの間にか収まっていた。しかしここが安全だと保障されたわけではない。今は一刻も早く大聖堂に避難しなくてはならなかった。
「イヤですぅ! ルーはぁ、お母さんと一緒にいますぅ!」
何度アリアが瓦礫から引き離しても、ルーはその腕を掻い潜って瓦礫にしがみ付く。
「ルー……」
普段ののんびりとした姿とはかけ離れたヒステリックなルーの叫びに、アリアも思わず息が詰まった。しかし――
――バチンッ!
引き込まれそうになる気持ちを必死に抑え、アリアがルーの頬をぶつ。平手打ちの乾いた音が空に響き、ルーの頭が激しく弾かれた。
「しっかりしなっ! ここでアンタまで一緒に死んじゃったら、一番悲しむのはお母さんなんだよ!」
赤く染まった左頬を手で押さえ、ルーは大きく見開いた眼をアリアに向けた。アリアがその左手を取り、更には力なく垂れた右手も合わせて優しく包み込む。
「こんなにボロボロにして……もう十分だよ。お母さんだって……アンタがこれ以上傷つくのは見たくないよ……」
皮膚が擦り切れ、爪が剥がれたルーの手にアリアの涙が零れ落ちる。その温かい滴に、ルーも我に返ったようだ。
「うぅ……お母さん……」
ルーはアリアの胸に顔を沈ませ、アリアもその頭をそっと抱き締めた。
「いいよ、いくらだって泣けばいい。だけど自棄になって自分の身を危険に晒しちゃいけない。分かるね?」
胸の中でルーがこくんと小さく頷く。アリアは一度力強く抱きしめてから、ルーの身体を放した。
「よし、走るよ!」
涙を拭いながら言ったアリアの言葉に、ルーも腕で乱暴に眼を擦ってから力強く頷いた――
「大丈夫ですか、カイルさん?」
街の大通りを真っ直ぐ北へと向かいながら、アレンは後ろを振り返った。
「……先に行ってくれ。足手まといになるのはゴメンだ」
大急ぎで大聖堂に向かおうとするアレンに対し、カイルは先程の戦闘で受けたダメージから思うように身体を動かせないでいた。当然アレンのスピードに追い付けるはずもなく、アレンも全力で走ることが出来ずにいる。
「しかし――」
この状況でカイルを置いていってもいいのだろうかとアレンが迷った時、ふと遠くの方にミリィの姿が見えた。
「ミリィさん!」
その無事な姿にほっとしながら、アレンはミリィに声を掛けた。距離的には十分聞こえているはずなのに、しかしミリィはアレンの声に全く反応を見せず、虚ろな表情で郊外に向かって走っていった。
「……ありゃあ、ミリィじゃねぇか? 一体どこ行こうってんだ?」
アレンに追い付いたカイルも、大聖堂とは全く違う方向に走っていくミリィの姿を見止め、怪訝そうな表情で首を傾げた。
「カイルさんは先に大聖堂に向かって下さい」
もう既に視界から消えてしまっているミリィの様子に厭な予感を覚えたアレンは、カイルに一言言い置くなりすぐさまミリィの後を追って走り出した。
「あっ、おいアレンさん!」
カイルはいきなり顔色を変えて走り出したアレンの背中に声を掛けたが、あっという間にアレンの姿は遠ざかっていき、やがて消えてしまった。その姿にカイルも胸がざわつくのを感じたが、ただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった――
「ハァ……ハァ……」
息を切らせながら、ミリィは走っていた。どこへ向かえばいいのか、全く見当が付かない。しかしそれとは裏腹に、足は迷うことなく郊外の方へと進んでいる。まるで自分の中にある“何か”がそこへと導いているかのように――
そして街の中心部から遠く離れた人気のない郊外の一角――
大剣を肩に担いだガーランドが、猛々しい殺気を孕んだ眼差しをフィゼルに向けていた。
「ここら辺なら余計な邪魔も入らねぇだろ。そろそろ始めようぜ」
にやりと口角を釣り上げ、ガーランドは大剣を一度大きく振り払った。ただそれだけで、街中のようには舗装されていない地面から大量の土煙が舞う。
「…………」
全身で喜びを表現するガーランドに対し、フィゼルは何も言わず、その虚ろな瞳からは何の感情も読み取ることは出来ない。
「けっ、やっぱりいけ好かねぇガキだぜ。仮にもかつての仲間と殺り合おうってんだ。少しは喋ったらどうなんだ?」
せっかくの楽しい気分に水を差されているような心持ちで、ガーランドは少々苛立たげに吐き捨てた。ガーランド自身、フィゼル――いや、“熾眼”のレンに仲間意識を持ったことはなかったが、それでもやはりこうして刃を交える事には何かしら思うところはある。それは躊躇いなどという甘い考えではないが、フィゼルのように全くの無感動でもなかった。
しかしフィゼルはガーランドの問いかけにも全く反応を見せず、感覚を確かめるように手に持った剣――“疾風の御剣”を三、四回振り回し、一度大きく息を吐くとガーランドに向けて振り払った。
「――っ!?」
両者の間には十分な間合いがある。その場で剣を振っても届くはずがないのだが、フィゼルが振った剣から鎌鼬のような弓月形の衝撃波が発生してガーランドに襲い掛かったのだ。
「ちぃっ!」
ガーランドは大剣を真っ直ぐに振り下ろして衝撃波を両断した。
「なかなか面白ぇことしてくれるじゃねぇか。その剣、俺も欲しくなったぜ」
不意打ちのようなフィゼルの攻撃に、ガーランドは興醒めしかけた心を再び燃え上がらせた。顔を赤く紅潮させ、完全な戦闘モードに移行する。
「いっくぜぇ~……ちゃんと避けろよぉ!?」
今度はこちらの番だと言うように、ガーランドは大剣を大きく振りかぶったまま信じられないようなスピードでフィゼルに突進した。そして瞬時に間合いを詰めると、フィゼルの脳天目掛けて大剣を振り下ろす。
――ガアァンッ!
ガーランドの大剣が激しく地面を叩き、切っ先のめり込んだ辺りが丸く陥没する。もはや剣というよりは巨大なハンマーのような一撃は、人の力では受け止めるなど不可能であることを物語っている。
フィゼルはそれを横に躱し、がら空きになった脇腹を斬りつけようとした。しかしガーランドは地面に食い込んだはずの大剣をいとも簡単に引き抜き、フィゼルの鋭い一太刀を受け止めた。
――キィンッ!
金属同士がぶつかる甲高い音が響き、両者は一時その場で動きを止めた。先程と同じようにフィゼルの剣は風の魔力の加護を受けていたのだが、今回はしっかりと地面を踏みしめたガーランドの身体を押し退けることが出来ない。
「ハッハァ~! そう何度も通用するかよっ!」
拮抗していたかに思われた体勢から、ガーランドが力任せに大剣を振り払う。完全に力負けしてしまったフィゼルはそのまま後方に弾き飛ばされた。
「まだまだぁ!」
空中で反転して着地したフィゼルに、なおもガーランドが襲い掛かる。フィゼルは遠い間合いから先程の衝撃波をガーランドに向けて幾重にも放った。
しかしガーランドの突進は止まらなかった。向かってくる衝撃波を次々に薙ぎ払いながら、もの凄い勢いでその差を詰めていく。斬り分けられた衝撃波の欠片に肩や頬を切られながら、ガーランドはあっという間に再びフィゼルの身体を間合いの内に捉えた。
またもや同じようにフィゼルの頭上に大剣が振り下ろされる。そして同じようにフィゼルがそれを横に躱した瞬間、先程は地面まで到達していた大剣の軌道が突如フィゼルを追いかけるように横に向きを変えた。
今度こそ捉えたとガーランドは思った。しかしそれすらも読んでいたかのように、フィゼルが後方に高く跳び上がる。ガーランドの大剣は跳び上がったフィゼルの足下を空しく通過していった。
「ちっ、ちょこまかちょこまかとぉ……!」
再び距離を取ったフィゼルに、ガーランドが苛立ちを隠すことなく悪態をつく。そこでふと“熾眼”の二つ名を持つレンの能力を思い出した。
「そういや、てめぇの能力は“超直感”とか言ったっけなぁ。その薄気味わりぃ眼で何でも見通すとか何とか……。けっ、ますますいけ好かねぇ」
ガーランドは吐き捨てるように言い、これからどうやってフィゼルを打ち崩すか思案するように乱暴に頭を掻きむしった。
ワイズマンNo.8“熾眼”レン・ヒュベリオスの能力は、その赤い瞳に映るもの全てに対する常人離れした反応速度である。どんな達人であっても、全くの予備動作無しに次の行動に移ることは出来ない。レンの“熾眼”はその僅かな動きを捉え、瞬時に相手の動きを予測する。“超直感”とも呼ばれるその能力は、極限まで身体能力を高めたガーランドとは相性が悪かった。
「ごちゃごちゃ考えてても仕方ねぇか。相手がどんな奴だろうと、俺様のやることは変わりゃしねぇ!」
三度ガーランドが突進する。今度はフィゼルもそれに合わせてガーランドに向かっていった。
「うらぁ!」
間合いに入るや否や、ガーランドが横一文字に大剣を薙ぐ。それをジャンプで躱したフィゼルは空中で前転してガーランドの背後に回り込んだ。
すぐさま反転して追撃するガーランド。そしてその攻撃をもことごく躱すフィゼル。勝負の行方は極々単純な形を取ろうとしていた。
ガーランドの攻撃は全て一撃必殺の破壊力を秘めているため、フィゼルが躱しきれなくなった時点で勝負が付く。フィゼルはそうなる前にガーランドの隙を突いて攻撃しなければならなかった。
そして傍目には一方的にガーランドが攻撃しているだけのように見えた攻防に転機が訪れる。先に体勢を崩したのはガーランドだった。決定的な隙を見せてしまったガーランドに、フィゼルは躊躇うことなく剣を叩き付ける――
「ぐっ……!」
ガーランドから苦悶の声が漏れる。しかしその表情は痛みに歪みながらも、勝利を確信したように笑みが浮かんでいた。
フィゼルの剣はガーランドの丸太のような左腕に深くめり込み、骨のすぐ手前の辺りで動かなくなってしまった。当然、剣を握っているフィゼル自身の動きも止まる。
「もらったぁ!」
この瞬間のために、あえて左腕を犠牲にしたガーランドが残った右腕で大剣を振り下ろす。このタイミングなら絶対に躱されないと確信していた。
絶体絶命の中、フィゼルは無理に剣を引き抜こうともせず、しかし剣を捨ててガーランドの攻撃を躱そうともするでもなく、剣を握った手に力を込めた。その瞬間、剣がめり込んだガーランドの左腕が内側から爆ぜた。“疾風の御剣”が風の魔力を放出したのだ。
「ぐぁっ!」
再び左腕を走り抜けた痛みにガーランドが短く呻き声を上げ、振り下ろした大剣が僅かに軌道をずらす。剣が解放されたことによって身動きが取れるようになったフィゼルの肩を僅かに掠めただけで、ガーランドの大剣は地面に深く突き刺さってしまった。
――ヒュンッ
前腕から先が吹き飛んだ自分の左腕を見て、ガーランドは何が起こったのか理解したが、その時にはすでにガーランドの頸動脈はフィゼルによって掻き斬られていた。ガーランドの首から夥しい血が噴き出す。そしてそのまま地面に崩れ落ちたガーランドは、自分が負けたことを悟り、事切れるする寸前、何故か満ち足りたように笑った――
「フィゼルっ!」
ミリィが身体の中の何かに突き動かされるようにその場に辿り着いたのは、ちょうど二人の戦いが決着する瞬間であった。ミリィの位置からはフィゼルの背中だけしか見えず、しかしガーランドに勝利したフィゼルの纏っている雰囲気が尋常ではないことにはすぐに気が付いた。
ミリィの声に反応したのか、フィゼルがゆっくりと振り返る。その無機質で冷たい光を放つ赤い瞳を見た瞬間、ミリィの思考は止まり、大きく見開かれた眼に映る景色は全ての色を失ってしまった。
どれくらいそのまま二人は見つめ合っていただろうか。恐らく実際の時間はほんの一瞬であっただろう。フィゼルの瞳は元に戻っていて、そのことにミリィが気付くよりも早く、フィゼルは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「――っ!」
突然目の前で倒れたフィゼルに、ミリィは無意識に駆け寄った。そして手を差し伸べようとしたところで、再び先程の記憶が蘇る。
「フィゼル……どうしてあなたが……」
うわ言のように呟き、混乱する頭を懸命に整えようとする。しかし落ち着こうとすればするほど、ミリィの心は千々に乱れた。
気を失って倒れている今のフィゼルは、いつもと変わらぬように見える。しかしミリィはもう見てしまったのだ。それはどんなに心で否定しようとしても先程のフィゼルの赤い瞳は脳裏に焼き付いてしまっていた。
「…………」
心が定まらないまま、ミリィは傍らに落ちていたフィゼルの剣を拾った。その切っ先を足元のフィゼルの左胸に向けたミリィの瞳は、もはや何の意思も映していないかのように光を失っていた――
≪続く≫
ミリィにもバレてしまったフィゼルの正体。
まだケニスV.Sフランの戦闘が残っていますが、次回から新章突入です。
次回は8/25(木)19:00更新予定です。